蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

憂鬱な旅(一)

2005年11月27日 09時53分35秒 | 太古の記憶
レストランで食事を終えたわたしは乗客たちの流れを横断して通路の左側へ寄った。いくらか人混みが緩和して歩き易くなるだろうと思っての行動だったが、思惑は完全に外れてしまった。しかたなく他の人々が行く方向に自分自身の身体を預ける格好で進んだが雑踏にどうにも我慢ができなくなり、偶々見つけた横に延びる通路に逸れて一息つくことにした。
その通路は人通りがまったくなかった。六メートルほどもあろうかという高い天井には約三メートル毎に照明のための水銀灯が点され、両側の壁は赤煉瓦がむき出しのまま何の塗装も施されておらず、見たところ明らかに一般乗客用のものではなかった。通路入り口付近に矢印とともに「XX線ホーム」と記されたプレートが貼られているのを見たので、わたしは多分ここから行けば必ずホームに出られるだろうと判断した。奥へと進むと通路はいたるところで他の通路と交差したり、あるいは分岐したりしていたが、迷うことはなかった。天井には何本もの配電用パイプが通されていて、それらは通路の交わる地点で同じ太さのパイプと十字型に溶接され、分かれるところではY字方に接続されている。壁にはほぼ等間隔で鋼鉄製の扉がありそれらの多くは厳重に封印されていたが、中にいくつか開放されているものもあったのでわたしはその内の一つを覗き込んでみた。そこには旧式のエレベータ室に設置されているような受電盤、製御盤、信号盤、それにマグネチック・ブレーキ付きの巻上機があり、リレーの作動するときに生じる破裂音が間歇的に室内に響き渡っていた。
先へ進むにしたがって天井はさらに高くなり、辺りは通路というよりも倉庫のような巨大な空間に変っていった。コンクリートでできた太い角柱が前後左右の方向に等間隔で並びそれぞれにアドレス番号が白ペンキで几帳面に記されている。AD-FFA-06とある柱の付近から向こうが鮮魚の中卸店舗地区になっていて、免許番号の刻印された矩形の樹脂製札を貼り付けたフィッシング・キャップを被った業者を何人か見かけたが、繁忙時間が過ぎていたせいか各店舗の仲買人ものんびりと雑談を交わしている様子で、わたしの姿が場違いのためだろう、ときおりこちらの方を見遣ったりする。わたしは彼らの視線を無視して足音の共鳴する通路を歩いた。
まだ店先に残っているわずかな魚介類は、それでもかなり多岐に渡っていて東京湾や相模湾の近海物から、ハワイ沖にマダガスカル、カナリア諸島からセイシェル群島、大陸棚に深海魚、近代中世古代魚まで、時間と空間こえてあらゆるものが並んでいた。商品には和名とラテン語の学名が記されている。これには驚いた。和名はわかるとしても何ゆえ学名まで必要なのだろうか。スポーツ新聞を眺めている暇そうな店主に尋ねてみると、なんでも当局からの指導でそうしているのだそうだ。店主が「あんた、カツオくんの学名知っているかい」と聞いてきた。もちろん知るはずがない。「カツオヌス・ペラミスってんだよ。ペラミスってのはマグロの子ってことさ。プリニウスによれば古代ローマ人はカツオが成長してマグロになると理解していたわけだな」。わたしは中卸業者の博識に感動してしまった。回転寿司のネタの多くが「~もどき」だということを思い出したわたしは、これは必要なことなのだと大いに納得した。
遥かに高くなった天井からは水が少しずつ滴り落ちてきて、コンクリート打放しの床に水溜りを造っている。急がなくては列車に乗り遅れてしまいそうだったので、わたしは近くにあった貨物用エレベータで上に昇った。天井の上が目的のホームだった。