蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

羅甸語事始(二十)

2005年11月01日 03時51分24秒 | 羅甸語
はじめに、前回自分に課した宿題への回答から。
"In oppidis Italiae erant et ludi et scholae. In ludis pueri elementa prima discebant, sed in scholis Graecos poetas maximeque Homerum legebant. In Iudo vir qui pueros exercebat magister appellabatur, sed schola docebatur a viro doctissimo qui appellabatur grammaticus. Scholae pulcherrimae saepe erant et columnis marmoreis et statius Minervae ornatae erant. Nam Minerva dea sapientiae est. Grammaticus discipulis verba Homeri cotidie recitabat et discipuli verba grammatici iterabant iterabantque. Denique verba Homeri memoria tenebant. Quot verba Homeri vos memoria tenetis?"(注1)「イタリアの都市にはludus とscholaがあった。ludusにおいては少年たちは読書きの初歩を学んでいたが、scholaではギリシアの詩人とくにホメーロスを読んでいた。ludusでは少年たちを訓練する男性が教師と呼ばれていた。しかしscholaでは文法家と呼ばれていた大へん博学な男性によって教えられていた。立派な学校がいくつもあり、そして大理石の列柱とミネルバの像によって飾られていた。というものミネルバは知恵の女神だったからである。文法家は弟子たちのためにホメーロスの言葉を毎日朗誦し、弟子たちは文法家のいろいろな言葉を繰り返しては繰り返していた。そしてついにはホメーロスの言葉を彼らは記憶したのである。どれほど多くホメーロスの言葉をあなた方は記憶しているだろうか。」
このラテン語文を邦訳するに当たって注目した点についてあげると、
(1)"ludus" と"schola"は適当な訳がなかったので敢えて原語のままとした。なおオックスフォードのラテン語辞典では"ludus"については"play"の他に"A place for exercise, plase for practice, school"という説明が(注2)、また"schola"については"an intermission of work"の他に"A meeting place for teachers and pupils, place for instruction, place for learning, school"が載っていた(注3)。
(2)"elementa prima"の"elementa"は中性名詞"elementum"「第一原則」の複数形だが、複数形で「基礎」という意味にもなる(注4)。ところでランゲンシャイトの羅独辞典では"elementa"の意味としてはっきりと"Buchstaben"(文字)という訳を載せているが(注5)、これがもっともわかりやすい。つまり"elementa prima"を直訳すると「初めての読み書き」というほどの意味になる。
(3)"doceo"「教える」の未完了過去受動相三人称複数。ここで受動相が出てくる。これについては後ほど見てみる。
(4)"maximeque Homerum"の"que"は"et"つまり接続詞"and"と同じ働きをする。
(5)"qui"は関係代名詞男性単数主格。これはフランス語と同型なので類推できた。しかし関係代名詞も形容詞のように曲用がある。これについては別途関係代名詞の回を設けてじっくりと考えてみたい。
(6)"sed schola docebatur a viro doctissimo qui~"の"schola"は主格ではなくて奪格であるから、これは前置詞"in"を補って解釈すればよい。もっとも奪格そのものが場所を指示する機能があるので、前置詞は不必要かもしれない。しかしわたしのように現代語に慣れてしまうと前置詞がないと不安でたまらない。
(7)"a"は奪格支配の前置詞「~によって」だが、(5)でも述べたように必ずしも必要ではない。しかしあったほうが文意がより明確になる。
(8)"doctissimo"は形容詞"doctus"「博学な」の最上級形の単数奪格で「たいへん博学な」というほどの意味。もちろん"viro"を修飾しているのでこれに性、数、格が一致しているというわけ。
(9)"appellabatur"は"appello"「呼ぶ」の未完了過去受動相三人称単数形。またしても受動相。

(10)"grammaticus"は「文法家」あるいは「文献学者」というほどの意味に理解した。このラテン語文のネタ本である『初等ラテン語読本』の「語彙」には「語学者」という訳が載せてあるが(注6)、これは誤解を招くのでよくない。
(11)"ornatae" は"orno"「飾る」の過去分詞でここでは過去完了となるが、完了受動分詞と解釈して「飾られていた」と訳した。分詞についても別途そのための回を設けて考察する。
(12)"cotidie"は"cottidie"とも綴る。「毎日」という意味の副詞。
(13)"Grammaticus discipulis verba Homeri cotidie recitabat"の"discipulis"は奪格支配前置詞"pro"を補って解釈して「弟子たちのために」と訳した。
(14)"verba Homeri memoria tenebant"の"memoria"は女性名詞単数の奪格だからこれを手段の奪格として「彼らは記憶によって持った」となるが、これでは日本語ではないので単に「彼らは記憶した」と訳した。
以上、邦訳についての補遺を述べたのだけれど、何分にも素人なのでひょっとしてとんでもないことを書いてしまっているかも知れない。もしも間違っていたらコメントを下さい。
でもって、やっとここから今回の主題である受動相の話に入っていこうとしたのですが、一回分の文字数を既に大幅に超えてしまっているので、受動相は次回ということで。今回はこのあたりでお開き。

(注1)『初等ラテン語読本』2頁 田中秀央 研究社 1996年4月20日19刷
(注2)"An Elementary Latin Dictionary"p.481 Charlton T. Lewis Oxford Unversity Pres 1966
(注3) ibid. p.756
(注4) ibid. p.274
(注5)"Langenscheidt Großes Schulwörterbuch Lateinisch-Deutsch"s.422 Langenscheidt KG, Berlin und München 2001
(注6)『初等ラテン語読本』70頁