蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

日光街道に佇むもの

2005年11月24日 06時03分31秒 | 彷徉
一昨日、南千住にある叔父の家を訪ねた。今は仕事の都合で関西に住んでいる甥っ子が家族を連れて帰って来ているというので、久方ぶりに顔を見にいったのだ。翌日が休日ということもあって、かなり遅くまで盛り上がり、わたしは終電一本前の地下鉄日比谷線中目黒行きになんとか間にあって帰宅することができた。
ところで今回の話題はそのときの内輪話をしようというのではない。そんなものは身内同士では笑えても、他人様にはC級お笑い芸人のネタよりつまらないに違いないからだ。もっとも世の中には身内の話を延々として他人様の反応などにお構いなく自分でウケてるような野暮な奴が多いのでウンザリする。
その日わたしは池袋での仕事が午後六時に終わったので、この前早稲田から叔父の家に行くときに使った都電荒川線に乗ることにした。向原停留所から終点の三ノ輪橋まで約五十分ほどかかった。池袋駅からJR山手線と常盤線を乗り継いで南千住に行ったほうがおそらく早く到着するのだろうだけれども、わたしはJRはあまり好きではない。JRを使わないルートがあるならば、よほど時間の余裕がない限りは少々遅くなってもそちらの方を利用することにしている。
向原で乗車したときには立っている乗客も多くいたのに、三ノ輪橋での降車客はわたしを含めて五、六人だった。外が少し冷え込んできていた。停留所の前にある安井屋はもう閉店の準備を始めていた。営業時間中ならばここの鳥皮焼きを買って行きたいところだ。タレが美味いから何本食べても飽きが来ない。それから昆布の佃煮も美味い。これを肴にすると酒がすすむ。安井屋のよこを恨めしく通り過ぎ、都電荒川線の前身である王子電気軌道株式会社本社ビルの下を潜り抜けて日光街道に出た。本社ビルと聞けばなんだか随分と御大層だが、なんのことはない小さな鉄筋コンクリート三階建ての古ぼけた建物で、今では「梅沢写真会館」という金文字が正面に貼り付けられている。抜けたところに横断歩道があるので信号が青に変わるのを待って渡った。南千住駅方面に続く仲通商店街に入る道まではそこから約百メートルほど日光街道を北上する。わたしは人通りの無い歩道を歩いていた。それに比べて車道は上下線とも大型トラックやバイクが切り無く行き来していて騒々しい。街路灯が煌煌と周囲を照らしていた。
つまり、人通りがないことを除けば見通しのよいごくありふれた夜の街中の景色だった。そのとき前方のちょうど仲通に入る道の辺りに人が立っているのが見えた。歩道の柵に腰を掛けるように寄りかかっているのは身体の大きな若い土木作業員風の男だった。安全帽を被っていて、作業服が全体的に白っぽいというより、白く輝いているようにさえ見えた。安全帽を被っているのはわかったのだが、それと同時に彼の顔が幾分にこやかそうにも見えた。そのときはこれが奇妙なことだとはまったく感じなかった。この辺りは簡易宿泊所も近くに多くあり、彼のような格好の人間がいても珍しくはない。しかしそれにしても白っぽい姿だ、と思っただけだった。
ところが、わたしがその姿を確認してから八歩か九歩進んだところで、男の姿が急に見えなくなったのだ。「消えた」という表現はどうもしっくりとこない。「消えた」のではなくて「見えなくなった」といったほうがよい。だからわたしにはなんの違和感もなかった。現実に存在するものが消えたならばパニックに陥ったかも知れないが、見えているものが見えなくなったというのはあくまでわたしの主観に関わる事柄だ。だからそれはわたしにとってなにも不思議な出来事には感じられなかった。そして見えなくなっら、彼によって遮られていた向こう側の景色が見えるようになった。つまりわたしにとっては見えるものが変わっただけで、世界は何も変わってはいないということだった。どうも上手くこのときの状況を説明できない。しかし少なくとも恐怖感のようなものはまったくなかった、ということだけは断言できる。
じつはその日、叔父のところで甥っ子夫婦も交えて雑談していたおり、わたしが白い土木作業員を見た付近で、昼間単車による交通事故があったということを伯母から聞いた。単車の男性は死んだようだったと伯母は言っていたが、事実かどうかわたしは確認していない。