蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

人生の楽園

2006年03月28日 06時03分32秒 | 彷徉
昨日は昼食を食い損ねた。いつもは居酒屋が自分の店先で弁当を売っているので、それを買っている。かならず行列のできる店でちょっと時刻がずれてしまうともう売り切れ状態なので、正午になる前に職場をぬけだして件の居酒屋までいく。味噌汁付きで全品五百円均一、しかも味だって悪くはないからけっこう重宝しているのだ。
ところが昨日は弁当の前に本屋に寄ってしまったものだからいつも買いに行く時刻を大幅に過ぎてしまった。心配していた通り弁当が並べられているはずの台にはハンバーグ弁当がたった一つしか残っていなかった。若い頃には迷わず買っていたかもしれないが、どうも最近ではこの手のものには腰が引けてしまう。かといって積極的にカロリー制限をしているわけでもない。わたしは近頃流行りの「~控えめ」ってのが大嫌いだ。不味いものを食ってまで長生きなんぞしたくはない。それはさておくとして、とにかく弁当が買えなくては午後の長い時間、空腹を堪えながら仕事をしなくてはならない。それだけは避けたいものだと、もう一軒弁当を商っている店に足を運んだ。そこは職場の近くなのだけれども値段が高い。いや安いのもあるのだが、すぐに売れてしまって八百円のとんかつ弁当といったものしかないのだ。しかも今月初めにその店で買った弁当を食べてジンマシンが出てしまったといういや~な経験があるので、できることなら利用したくはなかったが致し方ない。でそのジンマシン弁当の店にいってみたら、幸運なのか不運なのかは判らないが定休日でシャッターが下ろされていた。駅前の立ち食いそばやはいつも満員で入ることができないし、かといって何も食べないわけにもいかないので、ついにコンビニのサンドイッチを買った。自席に戻り食べてはみたが、正直いって不味かった。くどい様だが重ねて言う。コンビニで売っている食い物で美味いものなど一つもない。
コンビニで思い出すのがサンシャインシティーの近くにあるファミリーマートだ。近所に専門学校があるせいでガキが多いのは我慢しなくてはならないとしても、我慢できないのが店員の大声。わたしは聴覚にはいささか自信があるが、ここに入るとその自慢の聴覚を破壊しようという意図があるのではないかと勘ぐりたくなるほどの大音声で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」とやられる。黙っていられても困ってしまうが、馬鹿みたような大声だって同様に不愉快なのだということをファミリーマートという会社は理解していないらしい。接客の何たるかを全社的に考え直すべきだ。すぐ近くにファミマの本社があるというのがなんだか悪い冗談のように思えてくる。
そんなわけでこの日の午後は仕事も満足にできずイライラのし通しだった。そこで帰宅するまでに少々頭を冷やそうと、永代通りを門前仲町まで歩くことにした。ただ歩くだけではつまらないのでいつも持ち歩いているボイス・レコーダーに取り込んである「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」と「旧東ドイツ国歌」をボリュームを上げて聞きながら澤梅橋を渡っていたら、対向して走ってきた自転車にぶつかりそうになった。くそっ、無灯火め、地獄へ落ちろ。

「貸切」書籍バーゲン

2006年03月25日 17時33分49秒 | 本屋古本屋
三月二十一日と二十二日に東京古書会館地下のイベントホールで洋書バーゲンセールが開催された。ほとんど英語の書籍でなおかつビジュアル系が多く出品されていた。ビジュアル系が多いのは最近の風潮でいまさら論うまでもないが、読み応えのある書籍も出ていて探せば結構おもしろいものが見つかった。わたしは二十一日に訪れたのだが、しかしそれにしてもなんと客の少なかったことか。わたしを含めて三人ほどしか入っていなかった。もろ貸切状態。まるで王様気分で一冊一冊をじっくりと嘗めるように観て回って四冊ほど購入した。
客が少ない原因は明白だ。そもそもわたしがこの催し物を知ったのが十八日の土曜日に古書展を覗きにいったとき、地下ホールへの階段踊り場にある掲示板に、ほんとうに素っ気ないチラシが貼り付けられているの見たからなのだ。筋金入りの洋書痴には先刻承知かもしれないが、わたしも含めてごく普通の読書家にとっては何のアナウンスもないに等しい。それを考えると主催者の対応には大いに腹立たしいものを覚えた。「日本の古本屋」は東京都古書籍商業協同組合が開いている公式サイトだがここでは古書展の開催しか告知されない。つまり古書会館でのエベントであっても今回のような洋書バーゲンにはまったく触れていないのだ。全国の洋書ファンは断固怒るべきではないだろうか。そりゃあ古書と新刊との違いはあるかも知れないけれども、同じ古書会館での催し物じゃあないか、もっと融通を効かさないことにはますます本離れが加速されるというものだ。
それはそうとして「王様気分」で本を見て回るのは確かに極楽気分なので、こればっかりは興味のない人からはまったく理解も共感も得られないことだろう。しかしそうはいうもののわたしたち書痴は「理解」も「共感」もまったく望んでいない、いやむしろ拒否するものである、なあんて力むこともないのだが、じつはこのセールにイタリア書房も出品しているというので見に来たわけなのだ。ところが勇んでイタリア書房のコーナーへいってみると、これがなんとも情けないほどに貧弱な品揃えで、一瞬なにかの間違えかあるいはわたしの勘違いではないかとさえ思ったのだが、間違えでも勘違いでもなかった。イタリア語の書籍は素人向けの美術解説書と、旅行案内みたような冊子、それに子供向けの本がパラパラと置かれているだけ。一冊やけに重厚な仮綴本があったのでひらいてみたらアクィナス本の索引集だった。これに比べてスペイン語系は多く出品されていたとはいうものの、あくまでイタリア語と比較してというに過ぎない。これには心底がっかりさせられた。
仏語、独語の書籍はついに見つからずじまいで、これで洋書セールとはおこがましい。花のお江戸の書痴をなめるのもいい加減にしてもらいたいものだとブツブツ文句を言いながらも、わざわざ休日の午後駿河台下までやってきたからには手ぶらで帰るわけには行かぬと、自分でも訳がわからない理屈をつけて最初にも書いたように四冊購入した。
1."Does Socrates have a Method? -Rethinking the Elenchus in Plato's Dialogues and Beyond-" The Pennsylvania State University Press 2002. これはメリーランド・ロイヤルカレッジ助教授Gary Alan Scott編集による論文集。
2."Platonic Writings, Platonic Readings" The Pennsylvania State University Press 2002. これも同じ出版社から出ている論文集で編集はCharles L.Griswold Jr。この人はボストン大学の哲学教授で"Self-Knowledge in Plato's Phaedrus"という本も上梓しているそうだ。
3."Husserl at the Limits of Phenomenology" Nortwestern University Press 2002. これはモーリス・メルロ・ポンティの英訳本
4."Witchcraft in Europe: 400-1700" University of Pennsylvania Press 2001. 読んでの通り五世紀から十八世紀にかけての魔術使いの歴史を記述した本で今回購入した四冊のうちでもっとも興味を引かれるタイトルだった。なお編者のAlan Charles KorsとEdward Petersはともにペンシルベニア大学の歴史学教授なんだそうだが、そんなことはどうでもよい。暇を見つけてさっそく読んでみることにしよう。
ところで、白状するとわたしは英語が最も苦手なのです。

「春よ春、お前はわたしを捨てる」

2006年03月21日 21時21分38秒 | 彷徉
チンクエッティのCDが欲しくなり秋葉原の石丸電気にいってみた。しばらくポップス系には目もくれていなかったのでその様変わりには驚いた。浦島太郎とまでは行かないが、それでも自分が世の中のトレンドから完全に隔絶しているという現実を思い知らされた。最近はヨーロピアンポップスはほとんど逼塞状態でわたしのチンクエッティは売場に置かれていた一枚が最後の商品らしい。ウイルマ・ゴイクなんて懐かしい名前があったのでこれも買ってしまったが、こちらも現品限りの商品だった。サッカー流行のあおりでイタリア語がたいそう人気だそうだが、それならばイタリア語の歌も聴けよっていいたくなった。
二枚で五千八百円はちょと堪えたが、チンクエッティとゴイクの聴き比べが結構おもしろかった。"Le colline sono in fiore"が両方のCDに収められていたからだ。チンクエッティの歌い方が清楚なのにたいしてゴイクはちょと色っぽい。しかしわたしが以前聞いた覚えのあるゴイクのLPではもっとあっさりと歌っていたから、このたび購入したCDは後になってからの録音かもしれない。この曲は日本語題名を「花咲く丘に涙して」という。でもイタリア語の歌詞のどこにも"piàngere"や"làcrima"といった単語は見当たらな。直訳して「花咲く丘陵」というのも味気ないが「涙して」は蛇足だ。始めのうちゴイクの歌い方に少々違和感を覚えたものの、聴いているうちにゴイクのほうがよくなってきた。ちとアンニュイな雰囲気にひかれた。
チンクエッティのCDに"Gira l'amore"が入っていなかったのはとても残念だった。この曲も日本語では「恋よまわれ」なんて穏当な邦題がつけられているのだが、原題にある"la gira"は「回転」のほかに「手形の裏書」といった意味もあるので、本来はちょっと苦味のある題名となっている。デヴュー当時十六歳だったチンクエッティと1960年代という時代が彼女の曲の日本語題名を甘いものにしてしまったという事情もあるのだろうけれども、今日だったらもう少しましな邦題が付けられていたはずだ。
わたしの大好きなチンクエッティの曲「薔薇のことづけ」も歌詞の内容にそぐわない邦題だ。原題は"Rose nel buio"となっていて直訳すると「闇の中の薔薇」というほどの意味だがこちらのほうがよほどよいと思う。ついでに書いて置くとこの曲の中でわたしが最も好きなフレーズは"primavera, primavera, tu mi lasci"ってところです。
さて帰宅してからいろいろと調べていて判ったのだが、石丸電気でCDを探したときわたしはジャンルを完全に取り違えていた。ジリオラ・チンクエッティやウイルマ・ゴイクはアクトゥエルなポップスなどではなくて、最早オールディーズで探さねばならない歌手となってしまっていることに気が付かなかったわたしもトンマなものだ。それはそうだろう、ベローナ出身のチンクエッティは一九四七年生まれ、そしてゴイクはカイロ・モンテノッテで一九四五年に生まれているから今年でそれぞれ五十九歳と六十一歳になる。つまり完璧なイタリアばあちゃんになってしまっていたのだ。
わたしの記憶の中のチンクエッティは十六歳のままなのに、しかしこれは受け入れざるを得ない冷厳な事実だ。

後心不可得(後)

2006年03月19日 16時29分05秒 | 不知道正法眼蔵
「まち」の回で「神田多町、神田司町、神田神保町と、どれもこれも気忙しい気分にさせられるけれども、神田小川町(おがわまち)と聞けば、ちょとほっとする」と書いた。これは音から受ける印象が「まち」と「ちょう」でかなり異なるということをいいたかったものだが、どうもこのうちの「神田司町」については「つかさちょう」ではなくで「つかさまち」と読まねばならないらしいのだ。たしかに「つかさちょう」と読んでいるサイトもあったのだが、なにしろ千代田区が公開しているホームページでははっきりと「つかさまち」と記されているのだから、これには抵抗のしようがない。というわけで、わたしはとんだ間違いをしでかしていました、とエクスキューズいたします。たとえどんな些細なことであれ、そしてそれが自分にとっていかに明白なことであれず確認しておかなければならないと、改めて反省しております。
さて気を取り直して、むかしむかし中国でのこと。
唐の国は肅宗皇帝の時代、西の国からやってきた大耳三蔵という名の人物が、人の考えていることを読み取ることができるというのでたいそう評判になった。そこで皇帝は大證国師という高僧に大耳三蔵が本当に人の考えていることがわかるのかどうか調査するように命じた。大耳三蔵と面会した大證国師はさっそく彼に「わたしはいったい今どこにいるのかね」と質問した。すると大耳三蔵は「和尚様は一国の師ですが、どうして西川で競艇なんかを見物していらっしゃるのでしょうか」と答えた。大證国師はこの言葉を黙って聞いた後、しばらくしてからまた大耳三蔵に「わたしはいったい今どこにいるのかね」とまったく同じ質問をした。三蔵は今度は「和尚様は一国の師ですが、どうして天津橋の上にいって猿回しなんかを見物していらっしゃるのでしょうか」と答えた。そこで国師は再び三蔵にむかって「わたしはいったい今どこにいるのかね」と尋ねたが、今度は三蔵は答えることができなかった。そこで大證国師は「この野狐精め、いったいお前のいう他人の心を読む能力とはどこにあるというのだ」と大耳三蔵を叱りつけた。三蔵はついに返す言葉がなかった。
このお話は伝燈録五の光宅慧忠章にあるということだが、わたし自身は『景徳伝燈録』を開いて確認したわけではない。
道元禅師はこの大證国師と大耳三蔵のエピソードについての五人の祖師の解釈を「正法眼蔵第七十三 他心通」において詳細に検討している。結論からいってしまえばこの大耳三蔵なる人物は本当に他人の心を読む能力つまり仏教における他心通など持ってはいない、ということなのだが、それにしてもこのお話は「正法眼蔵」から離れて、ちょっと考えてみたくなる。
おそらくこの出来事は実際にあったことなのだろうと思う。西川の競艇や天津橋の猿回しは当時みやこで有名な娯楽だったに違いない。そこで大耳三蔵は山をかけたのではないか。そもそもこの三蔵という人、心の中では本当の坊さんなんてこの世にいるものかといった覚めた目を持っていたのだろう。そしてどんなに偉い坊さんだって所詮は世間の誘惑に勝てるわけがない、ナントカ国師などと称されている連中ほど欲望むんむんの俗物であるはずだという強い信念に凝り固まっていたのに違いない。そうであればこそ大證国師の「わたしはいったい今どこにいるのかね」という質問を「わたしはいま何をしたいのか」という意味にとったわけだ。彼はそれまでにも同様の遣り方で多くの高僧と呼ばれる坊主たちの虚飾を剥ぎ取ってきたのではないか。だから大證国師にもそれが通じると考えたのだろう。しかし今回はちょっと様子が違っていた。
道元禅師は大證国師が「汝道、老僧即今在什麼処」(注1)つまり「わたしはいったい今どこにいるのかね」と質問した意味は「三蔵もし仏法を見聞する眼睛なりや」「三蔵をのづから仏法の他心通ありや」(注2)ということなのだと説明している。そしてもしも大耳三蔵に仏法というものがあったならば「老僧即今在什麼処としめされんとき、出身のみちあるべし、親曾の便宜あらしめん」として三蔵は「仏道を学せざる」(注3)と結論する。道元禅師にとってこの大耳三蔵のお話はあくまで仏道とはなにかを語り解くための材料なのであってみれば、このような展開になるのは当然としても、わたしのような俗人はどうしても大耳三蔵というキャラクターに関心が向いてしまう。
つまり大耳三蔵と大證国師はそれぞれ別次元に身をおいていた。片やジャーナリズム、一方は魂の世界といったらよいだろうか。これでは百年経っても話がかみ合うはずがない。道元禅師は三蔵が仏道を夢にも見たことがないからこんな頓珍漢な回答をしたのだといっているが、わたしにはこの三蔵という人は始めっから仏道なんてことは頭になかったと思えてならない。要すれば彼は当時の「正義派評論家」だったと見ることもできる。彼が持っていたのは超能力というよりもインチキ坊主は必ず見抜くことができるのだという経験に裏打ちされた強い自信だったのだ。
それにしても、何事につけ真贋を見分けることは大層難しい。

(注1)『日本思想大系 道元(下)』283頁 
(注2) 同上 284頁
(注3) 同上 285頁

すずらん通りでカツカレーっ!

2006年03月15日 00時42分36秒 | 彷徉
明日が確定申告の最終日なので、今日の朝までかかって書類をまとめて税務署に提出してきた。窓口では形式的なチェックだけだったので提出作業はすぐに終わってしまった。そこで残った時間を神保町チェックにあてた。
古書モールを覗いてみたら名著刊行会から復刻出版された岡田宜法師の『禪學研究法と其資料』があったのでとりあえず買っておいた。二千円なのでちょっと躊躇しはしたものの、いずれ何かの役に立つかもしれないと思ったからだ。岡田宜法師には『正法眼蔵思想大系』という八巻ものの正法眼蔵註解本があるがわたしも時折参照している。師は埼玉県出身の僧侶、教育者であり戦後駒澤大学が総合大学になったときには初代総長に就任している。それにしても『禪學研究法と其資料』が無造作に転がっている古書モールもちょっとおもしろい。以前ひどくこき下ろしたことがあったけれども、これからは評価を改めなくてはならないということか。
伊和辞典を買おうと神保町の店々を覗いて歩いたが、不思議なことに和伊辞典はあるのに伊和辞典がない。もちろん新刊書店や日本特価書籍には置いてあるが、定価六千八百円もするのでとても新品では誂えられない。だから古書店を巡るわけだが、大島書店はおろか悠久堂書店にも巌松堂にも高山本店にも置いていないのには少々驚いた。あと一軒期待の持てる店が大雲堂だったので入ってみたら、なんと小学館の伊和中辞典が二千五百円で出ていた。コンディションもまあまあ許容できるものだったので迷わず買ってしまった。
それにしても英語以外の外国語辞書のなんと値が張ることか。大学書林から最近出版された国原吉之助の『古典ラテン語辞典』はたしか三万五千円くらいはしているが、わたしが重宝しているランゲンシャイトの"Großes Schulwöterbuch Lateinisch-Deutsch"などは三千九百円だからこの落差には唖然とさせられる。ちなみにオクスフォードの一番小さなラテン語辞典でも五千円くらいのはずだ。需要が少ないから利益を回収するためには必然的に一冊あたりの単価が上昇するという理屈は理解できる。しかしそれでもわたしには納得できない。要すれば金のある奴らが「知」を独占している状況をこの辞書の一件が象徴しているように思えてならないのだ。
ちょっと遣り切れない気分で原書店の店先ワゴンセールを見たら國書刊行會の『百家随筆』の第二巻と第三巻がそれぞれ三百円で出ていたので、これも迷わず購入しておくことにした。このシリーズは全三巻なので第一巻がかけているわけだ。だからこのようなほとんど捨て値で売っていたのだろう。全巻揃だったらいくら位するものかと「日本の古本屋」で検索してみたが一件もヒットしなかったのにはこれまた少々驚いた。単にいま現在市場に出回っていないだけのか、あるいは古書店がまったく商品価値なしと判断して扱っていないのか、そこのところは寡聞にして知らない。
時刻は三時を少し過ぎていた。昼食を摂っていなかったのでますます苛ついてきた。これじゃあいけないと考えて、久方ぶりに南海にいってみた。食事の時刻とはとてもいい難いにもかかわらず、店は六割ほどの客で埋まっていたのにはさすがだと感心した。厨房の料理人の顔ぶれも昔とあまり変わっていないように思われた。それにしてもあのシェフはいったい何歳くらいになったのだろう。わたしが始めてこの店に入ったときとほとんど変わっていないように見えた。
注文した「カツカレー」は六百五十円で、とても美味い。しかもむかし食べたときのように美味い。これはじつはたいへんなことなのだ。一概に言えるかどうかはなんとも判断しかねるのだけれども、年をとると舌が肥えてくるらしい。少なくともわたしは若い頃よりも格段に美味いものに敏感になってきている。これは自信を持っていえる。そこいらへんのタレントグルメなんかはわたしには到底太刀打ちできないだろうという自負がある。そのわたしが美味いというのだから、これは本物。
丸い皿にたっぷりと盛られた「カツカレー」はおなじみ真っ黒カレーで、揚げたてトンカツも程よい厚さと柔らかさ、そしてもちろんよい味だ。神保町三丁目で昼食をとるならいつもここにしたいところなのだが、残念ながら昼時は混んでいてなかなか入れない。

我愛欧羅巴影片(十)

2006年03月08日 05時59分26秒 | 昔の映画
やっとこさ冬季オリンピックも終わり、ホッとしている。それにしてもあのNHKのはしゃぎ様は尋常ではなかった。朝七時台のニュースをそっちのけにして三位にも入れなかった選手に、まるで銅メダルでも取ったかのうような騒ぎでインタビューするものだから、見ているこちらが恥ずかしくなってくる。もっと恥ずかしかったのは不甲斐ない成績だったにもかかわらずインタビューされねばならない選手自身ではなかったのか。世の中には他に知らせなくてはならない事柄がたくさんあるはずなのだが、あんなバカ放送に受信料が使われているのかと思うと、本当に払う気が失せてしまう。まあなかにはお祭騒ぎの好きな連中もいるから、アナウンサーだけが舞い上がっているみたいな呆けた番組でも若干の視聴率は取れるのだろうが。
そんなこととは別に、北イタリアというのはちょっと魅力的ではある。アルプスに近いせいかもしれないが南に比べてなんだか文化水準が高いような印象をわたしは受ける。「文化水準」という言い方は最近ほとんど死語になっているが、これはいわゆる「差別」にかかわるからなのだろうか。何が高くて何が低いのか一概に断定はできないけれども、少なくとも身内の葬式において弔問客や親類縁者の対応で心身ともに衰弱したあげく葬儀屋に大金を支払わねばならないような社会を文化水準が高いとは、わたしには到底思えない。
いや、話題がそれてしまった。北イタリアの話だった。トリノと並んで有名な北イタリアの街というと、これはもうミラノしかない。ところでビットリオ・デ・シーカの名前をきいてすぐにネオ・レアリズモを思い出す読者諸賢はおそらく五十を超えていらっしゃるに違いない。いまではヌーベル・バーグはおろかニュー・ジャーマンシネマさえまともに判らないガキどもが増殖しているなんとも遣り切れない時勢なのだが、わたしたちの年代はデ・シーカやロッセリーニをかろうじて知っている最後の世代なのだろうと思う。
この場は映画教室ではないのでネオ・レアリズモについての詳しい話は抜きにするが、要すれば一九四十年代から五〇年代の中頃までにイタリアで製作された極めて暗~い映画のこと。我愛欧羅巴影片(七)の回で取り上げたピエトロ・ジェルミをこのネオ・レアリズモ作家に入れている評論もあるようだけれども、たとえば「鉄道員」などを観るとこれはけっして暗い作品ではない。どこが違うか一言で表現するなら「希望」があるかないかなのだ。デ・シーカの「自転車泥棒」は映画史の本には必ず出てくるほどあまりにも有名で、最近では廉価DVDで手軽に鑑賞できるようになったがわたしはこの作品を観ようとは思わない。あまりに陰鬱で食欲がなくなってしまうからだ。
そのような傾向の作品を作っているなか、一九五〇年彼はちょっと変わったものを撮った。"Miracolo a Milano"「ミラノの奇跡」という。一九四二年にチョザーレ・ザヴァティニによって書かれた"Toto il buono"「善人トト」を映画化したものだが、これは間違ってもレアリズモでないことだけは確かなので、なにしろラストシーンは主人公のトトとその仲間たちが箒にまたがって空の彼方へと飛び去ってしまうのだから。そんなわけでいつもの通りシノプシスは紹介しませんが、はっきりいって御伽噺です。そしてこの「ミラノの奇跡」が「自転車泥棒」(一九四八年)と「ウンベルトD」(一九五二年)という滅茶苦茶暗~い作品の間に作られているということを考えると、ちょっと意味ありげなような気もしてくる。
上映時間九十七分、むかし風に表現すれば全六巻ということになる「ミラノの奇跡」だけれど、わたしの大好きなシーンはトトが奇跡を起こすところでも、最後の箒飛行でもない。青年になったトトがそれまで暮らしていた孤児院を退院し、行くあてもなくミラノの街をさ迷い歩く場面なのだ。大きな石造りの建物と誰もいない広い道路、北イタリアの古く美しい大都会のなんと荒涼としていることか。このあとトトは持ち前の善良さで住みかにありつくことになるのだが、わたしにはこの寒々しいミラノの街のシーンが鮮烈に記憶に残っている。

報われない仕事

2006年03月06日 21時58分22秒 | 古書
先週土曜日、西神田の西秋書店の前を通ったら店先に『廣文庫群書索引補訂』が三百円で並んでいたので手に入れた。『廣文庫』『群書索引』と聞いてどのような本かすぐにわかる人がそれほど多いとも思えない。以前に「群書索引的効験」の回でこれらの本がどのようなものか少し触れているので興味ある方はそちらを参照願います。
わたしの持っている『廣文庫』『群書索引』は旧版だが、この名著普及会刊行の『廣文庫群書索引補訂』は新旧両版とも通用するので購入した。百頁にも満たないA5版の本なのだが定価は四千八百円となっていた。ついでに名著普及会で復刻した『廣文庫』が定価二十万円だったということもこのたび初めて知った。
わたしは元版の『廣文庫』を西神田の日本書房でもう随分と前に買った。じつはこの『廣文庫』の数冊が一万いくらの値で日本書房の店先に置かれているのをみたとき、わたしはこれがどのようなものなのかをまったく知らなかった。店の旦那に聞けばおそらく丁寧に教えてくれたことだろうが、こちらにも一応プライドってものがあったので、その日はやり過ごして帰宅してさっそく手元にあった新潮社の『日本文学大辞典』で調べてみて、やっとその来歴を知りそしてこのとき『群書索引』のことも同時に知った。数日後、再び日本書房を訪れたら『廣文庫』はまだ売れずに店先に置かれていた。今考えてみればこれはほとんど奇跡的といってもよいことなので、元版ゆえ大きく分厚く重たいため扱いにはことの外めんどうには違いないが、古文献の一大図書館とでもいうべき『廣文庫』がまだそこにあったということは、もうなにか自分との運命的な繋がりがあるとしかおもえなかった(ちとオーバーかな)。さっそく店の奥の帳場にいた大旦那に「店先にある廣文庫をください」と頼んだ。「持って帰れますか」とたずねたら、「そりゃあ無理ですよ」と笑われた。このとき初めて『廣文庫』が全部で二十巻もあることが判った。
『廣文庫群書索引補訂』は上にも書いたように百頁もないくらいの本だが、そこに『廣文庫』と『群書索引』の正誤表が載っている。考えてみればこの浩瀚な両書の文字を一々チェックする仕事は、ほとんど気の遠くなるようなことなのだ。例えばある引用文章の漢字が間違っているのか、正しいのかは引用した元ネタを見ればそれで済むとつい思ってしまうが、先ずはその元ネタとなった本を探さねばならない。公立図書館にあればこれは幸運といえる。稀覯本になるほど個人所有のものが多い。そうなると該当する所蔵家のもとを訪れて閲覧をお願いすることとなるが、彼らは概して筋金入りの書痴だから二つ返事で見せてくれるとは限らない。そこをなんとかお願いしてやっと閲覧できたとしても、何時間でも自由に調査できるわけではない。むかしTBSで日曜日の朝に「時事放談」という硬い番組を放送していた。出演者は細川隆元と小汀利得(おばまとしえ)だった。じつはこの小汀利得という人は名だたる稀覯本コレクターで、学者などもときどき小汀の蔵書を閲覧させてもらっていたそうだが、そのようなとき小汀は本を見ている学者の前にどっかと座ってその一挙手一投足を監視していた、という話を誰かが書いていた。そんな悪条件下で目的の書物を調べてもそこで問題が解決するとは限らない。同じ題名でも元ネタとして使用したものとは版が違うかも知れないからだ。膨大な文献学的知識と書誌学的知識のほか、文学、言語、思想、政治、宗教とあらゆる分野にわたる専門的素養を要求され、しかも大々的に評価されることのほとんどない、なんとも辛い仕事なのだ。そのようなことを勘案すると『廣文庫群書索引補訂』の四千八百円はけっして高い値段ではないのかもしれない。
始めのところで『廣文庫』の定価が二十万円だったと書いたが、この『廣文庫群書索引補訂』には「群書索引廣文庫購入者御芳名録」というのが載っていて「昭和五十二年十月二十日までに「群書索引」「廣文庫」のうちひとつまたは両方をお求めくださった方々」の姓名と都道府県名が記されている。じつはこれもけっこう面白い。大学図書館、公立の博物館などはまあ当たり前としても(それでも少ないが)、結構出版社が購入しているのにはさすがだと感心した。個人名をみて見ると、前尾繁三郎なんて政治家が東京都の部のトップに掲載されているのは、これはヨイショかなと思ったり、慶応義塾女子高校図書室なんえてのを見ると秀才お嬢ちゃんの通う学校だけあるなあと感心したり、その他気が付いた有名人としては、加藤郁乎、上笙一郎、平岩弓枝、佐伯梅友、児島襄、諸橋徹次、児玉幸多、大岡信。そうそう、神奈川県の部には澁澤龍彦(鎌倉市)というのもあった。

「世界に冠たる」

2006年03月05日 10時16分24秒 | 彷徉
比較的暖かい週末の夜は、明け方の四時くらいまで起きていることがある。こんな馬鹿な真似は休日前日だからできるので、さすがに平日は翌日、ではなくて当日の仕事に差し支えるので滅多にやらない。滅多にやらないということは偶さかやってしまうということなので、そんな時の日中は地獄以外のなにものでもない。
では起きていていったい何をやっているかというと、たいていはヴァグナーなんかを聞いたりしている。「指輪」とか「マイスタージンガー」などを聴いていると精神が高揚してくるものだから、ちょっと気分が塞ぎこんだときなどにはドリンク剤よりはよほど効き目がある(と自分では思っている)。こんなことを書くと批判を食らうかもしれないけれども、ヴァグナーの音楽ってのはなんだか遊園地みたような雰囲気なのだ。だからヴィーンでくすぶっていた頃のヒトラーがヴァグナーの楽劇にぞっこんだったというのはとてもよく理解できる。ロックに入れあげる今時の若者と、社会への反発という点において通底しているということだろうか。断っておきますがこう書いたからとて、わたしはヒトラーと美意識を共有しているわけではありませんので念のため。
まあそんなわけでヴァグナー音楽はイスラエルではつい最近まで演奏御法度だったと聞いている。最近では演奏会も開かれているようだが、ホロコーストを経験した世代にはまだまだ強い拒絶反応があるらしい。ヴァグナー自身反ユダヤ主義者だったことは確かだが、もしもそれだけだったらここまで拒否されることはなかったのではないか。ヨーロッパでは昔も今も反ユダヤの感情は根強く残っている。だからユダヤ人がヴァグナーを嫌う原因は唯々ヒトラーが彼の音楽を好んだ、この一点にあるとしか思えない。自分が死んで六年後に生まれた男に好かれてしまったヴァグナーこそ、いい迷惑だとあの世で思っているに違いない。
ヴァグナーで心が持ち直してきたら今度は国歌を聴く。残念ながら「君が代」ではない。今現在この地球上に国家と呼ばれる体制がいったい幾つ存在するのかわたしは知らないけれども、数ある国歌のうちでポーランド国歌はたいへん美しいものの一つであることはおそらく間違いないものと思う。無伴奏の女性コーラスで聴くと、言葉がわからないということもあるのだが、言われてみなければとても国歌だとは判らない、それほどリリカルなものなのだ。恥ずかしい話だが、わたしはその旋律を思い出しただけで目頭が熱くなってきてしまう。イスラエルが出たから書くのではないが、この国の国歌も独特だ。イスラエル民謡というのは短調の曲が多いがこれはその極めつけで、ふつう国歌といえば心を奮い立たせるようなものが多いなか、このイスラエル国歌は聴いているとなんだかとても物哀しい気分になってくる。もっともこれはわたしが日本人だからそう感じるのであって、ユダヤ人はまた違った感性を持っているのかも知れないが。
ところで一般的に国歌の基本的特徴とはやはり荘厳さと力強さだろう。しかしこればかりが突出してしまうとプロパガンダ臭がぷんぷんしてきて聴いているこっちのほうがうんざりしてしまう。アメリカ国歌、ロシア国歌、フランス国歌、イギリス国歌、それに中華人民共和国国歌、どれもあまり好きではない。そんななかでドイツ国歌には気品を感じる。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲による弦楽四重奏曲『皇帝』第二楽章の主題を基にしたメロディーということもあるのだろう。ところで一番のあの有名な歌詞"Deutschland, Deutschland über alles, über alles in der Welt"はアウグスト・ハインリヒ・ホフマン・フォン・ファラースレーベンの詩によるもので、ナチズムとはまったく関係ない。にもかかわらず第三帝国の時代この歌詞が専ら歌われたため現在ドイツでは耳にすることができない。
ナチズムによる芸術の封殺はいまも続いている。

羅甸語事始(二十五)

2006年02月27日 00時02分17秒 | 羅甸語
"Jupiter, postquam terram caede Gigantum pacavit, homines novum genus, in eorum locum collocavit. Hos homines Prometheus, Japeti filius, ex luto et aqua finxerat. Prometheus autem, misericordia motus, ubi paupertatem eorum et inopiam vidit, ignem e caelo terram secreto deportavit. Principio enim homines, ignari omnium artium, per terram errabant, famem grandibus et baccis aegre depellentes. Propter hoc furtum Jupiter iratus Prometheum ferreis vinculis ad montem Caucasum affixit. Huc ferox aquila quotidie volabat, rostroque jecur ejus laniabat. Denique post multos annos Hercules aquilam sagitta transfixit, et captivum longo supplicio liberavit."(注1)
「ユピテルが地上の巨人族を殺戮することによって平定して以来、人類という新しい種族を、彼ら(巨人族)のいた場所に置いた。これらの人々をユピテルの息子であるプロメテウスは泥と水から創造したのである。しかしプロメテウスは彼ら(人間たち)の貧困と欠乏を見たとき、同情につき動かされて、燃えるものを隠れて天から地上に持ち帰った。というのも最初のうち人間たちはなんの技術も知らず、すなわち巨大なオリーブの実でもって苦しみつつ飢えを追いやりながら、地上をうろつきまわっていたからである。この盗みにより怒ったユピテルはプロメテウスを堅固な鎖でカウカスス山に縛り付けてしまった。そこに持ってきて大胆不敵な鷲が毎日飛んできては、嘴で彼の肝臓をついばんだ。結局何年もの後、ヘラクレスが鷲を矢で貫き、そしてこの囚われ人を永きにわたった罰から開放したのである。」
今回の課題は比較的易しかった。易しかったというのは文法的事項についてもそうなのだけれど、じつはそれよりなにより、わたしがプロメテウスのお話を知っていたということによる。これはとても大事なところで、つまり何が書かれているのかを事前に知っていれば、文法的にあやふやな部分でも想像力で理解できてしまうということなのだ。だから自分の熟知している分野について書かれた外国語ならば、まったく未知の領域よりはいかほどか読みやすいということになる。むかし学校に通っていた頃、効果的な外国語学習の方法として自分に興味のあることが書かれた文章を読むことを勧めた先生がいらっしゃったが、要すれば興味があるのなら聖書でも経済学でも、あるいはジョイスでもポルノでもよいから読んでみることだというのだ。当時わたしはなるほどそれはよいかもしれない、と納得したものだが、実際に外国語をじっくりと勉強してみると、ことはそれほど単純でないことが判ってきた。この伝にしたがって自分の好きな話題、それは例えばドイツ近代史だったとしようか。これをドイツ語で読んだとしておそらくフランス革命を論じた本よりは速く読めるかも知れない。しかしいくら速く読めたとしてはたしてどのくらい厳密に文章を読み込んでいるのかはかなり怪しくなってくる。というのも上にも書いているように「文法的にあやふやな部分でも想像力で理解できてしまう」というとんでもない陥穽があるからだ。わたしなどネイティブ・ランゲージである日本語で記述されている本だって実のところかなりいい加減に読んで判った気になっているのが再三なのであって、ときどき恥をかいている。
要すればたしかに自分の知っている分野に係る文章が理解し安いのは判るのだけれども、それだけに思い込みで読んでしまう危険も多く孕んでいるということ。だからわたしは今では件の先生のアドバイスは外国語学習にとっては、そして特に初心者にとっては返って有害なのではないかと考えるようになった。つまり意識せずに文章を思い込みで読んでしまい、副詞や形容詞の一つ一つ、動詞の活用が何に当たるのか、ドイツ語でいうなら接続法Ⅰ式なのか単なる過去形なのかを厳密に読み込んでいく必要があるというわけだ。
さて本題に取り掛かる。形容詞については既にみているが、この品詞については性と数による局用のほかに比較級、最上級という形がある。英語でも同じ言い方をしているけれども、例えば原級、比較級、最上級というと"good","better"."best"、"much","more","most"、あるいは"tall","taller","tallest"、それから"useful","more useful","best useful"なんてのもあった。最初の例は不規則変化、二番目は規則変化、そして三番目は二音節以上の形容詞における原級、比較級、最上級の作りかたとなる。
ラテン語の形容詞での比較級、最上級についてまず規則変化をみると、例えば"fortis"(勇敢な)は比較級が"fortior"、最上級が"fortissimus"となるが、最上級の語尾は現代イタリア語の絶対的最上級に"issimo"という形で残っているのでちょっと親近感を覚えるが、当然ながら性、数、格による曲用があるわけで、まず比較級の局用を見てゆく。
単数・男性形、女性形は"fortior","fortio-ris","fortio-ri-","fortio-rem","fortio-ri-"となる。
単数・中性形は"fortius","fortio-ris","fortio-ri-","fortius","fortio-ri-"で主格と対格の形は第一変化形容詞と混同しやすいので注意する必要があるが、"fortis"が第二変化形容詞であることを知っていれば間違えることもない。なお奪格は"fortio-re"ともいう。
複数・男性形、女性形は"fortio-re-s","fortio-rum","fortio-ribus","fortio-e-s","fortioribus"で対格は"fortio-ri-s"ともいう。単数属格との違いは"ris"と"ri-s"つまり短母音と長母音の違いなので文字の上では違いがまったく判らないのでこれも注意しなくてはならない。困ったものだ。
最後に複数・中性形は"fortio-ra","fortio-rum","fortio-ribus","fortio-ra","fortio-ribus"
次に最上級の局用も見ておこうか。こちらは"fortissimus"、"fortissima"、"fortissimum"で要すれば第一変化形容詞の局用をおこなえばよい。
このほかに不規則変化する形容詞もいくつかあるが、今回はこのあたりで止めておこう。不規則変化する形容詞と副詞の比較級、最上級、ならびにこれらの実際的な使い方に関しては次回でみて見たいと思う。
今回の自分への宿題はプリニウスの文章から。
"Bene est mihi, quia tibi bene est. habes uxorem tecum, habes filium. Frueris mari, fontibus , viridibus , agro, villa amoenissima. Neque enim dubito esse amoenissimam, in qua se composuerat homo felicior, antequam felicissimus fieret. Ego in tuscis et venor et studeo, quae interdum alternis, et interdum simul facio: nec tamen adhuc possum pronuntiare, utrum sit difficilius capere aliquid, an scribere. Vale"(注2)

(注1)『新羅甸文法』111頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷
(注2) 同上 129頁

自己に向う?事物の二重化?

2006年02月26日 15時50分28秒 | 言葉の世界
どこの世界にも専門用語というものがある。しかし大抵の場合それらは説明されればあるていど理解可能なものだ。
哲学という学問分野にも専門用語というものがある。例えば「所与」、これを英語では"given data"、ドイツ語では"die Gegebenheit"という。外国語で書かれるとかえって判りやすくなってしまうのも考えてみれば問題だ。"given data"のどこにも難しさなどない。「与えられた、データ」と聞けばこれば何を意味するかは大方の人が直感的に理解できるはずだ。しかし「所与」などといわれても何のことだか見当がつかない。専門家が議論するとき一々「与えられた、データ」などといっていてはまどろっこしいのでこれを「所与」と称するのだと聞けば、まあそれなりに納得はできるが。
「超越」、これも哲学ではよく聞く専門用語だが「所与」よりは少々わかりづらい。英語では"transcendence"ドイツ語では"die Transzendenz"でほとんど綴りが同じなのは元になったラテン語"trans"(対格支配の前置詞「~を超えて」)と"scando"(向こうの上に登る)の合成語"tarnscendo"(~を超えてあちら側へ歩く)に因るわけだけれども、厳密には名詞"die Transzendenz"と形容詞"transzendent"、同じく形容詞"transzendental"では意味がいくらか異なる。名詞"die Transzendenz"を「超越」と訳すのはよいとして、形容詞"transzendent"(超越的)は「知覚できる範囲を超えている」というほどの意味であり、一方"transzendental"はスコラ哲学においては「アリストテレス的なカテゴリーを越えた概念」といったらよいか、つまり"ens"(有)、"unum"(一)、"verum"(真)、"bonum"(善)、などを指していう。そしてさらにカントによって"transzendental"は新しい意味を持たされる。これを「先験的」或いは「超越論的」と訳したりしているが、要するに内的直感形式としての時間や外的直感形式としての空間、純粋悟性概念、統覚などがそれに当たるのだそうで、だからカント哲学を超越論的哲学ともいう。このあたりは少々煩瑣ではあるけれども、まあなんとか判らないでもない。注意しなければならないのは、「超越的」と「超越論的」とではその表す意味はことなるということで、この点を理解していていないと議論がかみ合わない事態が発生する。
「即自」「対自」、これはドイツ語の"an sich"、"für sich"を訳したもので、ヘーゲリアンの哲学プロパーはごく気安く「即自」「対自」を連発するけれども、これがわたしには結構難解だったし今でも難解なのだ。普通のドイツ語辞典を引くと"an sich"は「それ自体として」、また"für sich"についても「それ自体として」「それだけで」「独りで」などの意味が載っている(注1)。しかしこれでは両者とも同じ意味となってしまいわけが判らない。ヘーゲル関係の事柄を調べるのならこれがいいんじゃないかと『ヘーゲル用語辞典』ってのを開いてみた。以下に引用する。
「ドイツ語のan sichは直訳すれば「自己に即して」、つまりその物にぴったりと重なり、分裂がない状態を意味する。an sichはふつう「それ自体として」などと訳されるが、哲学では「即自」、「自体」などと訳される。für sichは直訳すれば、「自己にたいして」、「自己と向き合って」となるが、普通「それ自体として」、「独りで」などと訳される。für sichは哲学では「対自」、「向自」などと訳され事物(自己)が二重化ないし分化することを示す」(注2)
白状するとわたしはこれを読んで何を言っているのかさっぱり判らなかった。この文章を素直に読めば"an sich"は「それ自体として」という意味であり、"für sich"も同じく「それ自体として」という意味であるがしかし哲学では「事物(自己)が二重化ないし分化すること」という意味となるということだ。まあそうであるとして、ではなぜ「独りで」が「自己の二重化」ということになるのかまったく理解できない。書いた人間の文章作成能力に問題があるのは確かだが、なにもここまで判りづらくしなくともよさそうなものだと思った。
これはそんなに難しい話ではない。"an sich"、"für sich"はそれぞれ「そのものとして」、「絶対的に」と訳せばよいのである。そもそも「事物が二重化する」の、イワシの頭のと妙な説明をつけるから判るものでも判らなくなってしまう。何でもかんでも平べったく言えば済むという話ではないが、かといって面妖な漢字で言い換えても返って馬鹿馬鹿しさを露呈するだけになってしまう。

(注1)『独和広辞典』1227頁 三修社 1986年12月15日第1版
(注2)『ヘーゲル用語辞典』72頁 岩佐茂 島崎隆 高田純 編 未来社 1991年7月30日第1刷