蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

平成十七年だった(下)

2005年12月31日 22時59分46秒 | 古書
八月は最初から何も期待していなかったら、ほんとうに不毛な月になってしまった。なにか一つ上げるとすれば"Martin Heidegger karl Jaspers Briefwechsel 1920-1963"を高円寺南の都丸支店で八百円で買ったことくらいだろう。
九月はちょっと大きな買い物をした、といってもウン百万も使ったわけではない。わたしの買い物は基本的にセコいのだ。辻善之助の『日本佛教史』全十巻を神保町の山陽堂で一万円で手に入れた。同じ品が大雲堂で一万二千円で出ていたということは「新装開店」の回で書いているのでそちらを参照してください。また『ラテン語広文典』が白水社から復刊されていたので八重洲ブックセンターで少々高かったけれども買ってしまった。この本にまつわる馬鹿げた話を「古本は高くないって。」の回でちょっとふれているので興味のあるかたは見てください。その他巖松堂書店の二階で『正法眼蔵啓廸』上巻を購入しやっとこさこの本全三巻が揃ったこと、篠村書店でツェーラーの『ギリシャ哲學史綱要』を入手したことなどが、まあ出来事といえば出来事だろうか。
十月のイベントはもうこれしかない。東京古書会館の洋書展と神田古本まつり。洋書展も毎年つまらなくなっている。英語系の本ばかりのさばって来ているからだ。せめて独仏伊西語くらいは並べて欲しいもの。今回の洋書展での拾い物は都丸から出品された"Deutsche Grammatik Gotisch, Alt, Mittel- und Neuhochdeutsch"全四巻だろうか。コンディションはけっしてよろしくないにもかかわらず三千円の売値が付けられていた。しかしわたしはこれを安いと判断して買った。崇文荘からは"Bibliographie Pratique de la Litterature Grecque Des Origines á la Fin de la Periode Romaine"が出ていた。まるで他の本の間に隠れるように並んでいたこの綺麗な洋書を値段が八百円だったので思わず買った。崇文荘からは欲しくなるような美しい装丁のものが毎回出品されるのだけれども高くてとても手が出ない。しかしこういうこともごく稀にはあるものなのだと、自分の今回の幸運につくづく感謝したものだ。
神田古本まつりについては、言葉もない。すっかり有名になってしまい子供連れが多く見かけられる。へたなテーマパークより子供の情操教育にはこちらのほうがずっとよいことは確かなのだが、それでもなにか違うんじゃあないかと思ったりもする。すずらん通りのワゴンセールにしてからがちょっと書籍以外の品物を扱う店が多すぎるのではないか。出すなとまではいわないがもっとバランスを考えて出店してもらいたい。あくまで本のまつりだということを忘れてもらいたくはないものだ。そんなわけで今年も古本祭りでは一冊も買うことはなかった。
十一月に購入した本を改めて眺めてみると、買った量の割りにはどれもこれも概して小物ばかりだった。洋書展の売れ残りみたような"Ausführliche Grammatik der französischen Sprache"全五巻や大久保道舟の『道元禪師傳の研究』が目に付くだけだ。十二月は松下大三郎、渡邊文雄の『國歌大觀』『續國歌大觀』計四冊を定価の十三分之一の三千円で入手できたがこれが今年の最後の成果になってしまった。
来年の計画としては、今年と同じように辞書辞典類を中心に探していこうと考えている。それとこれは無理かもしれないけれども"Dictionnaire des Philosophes Antiques"のⅢ巻、Ⅳ巻そしてSupplementがどこかの洋古書屋に出ないものかと夢見ている。紀伊国屋あたりで新刊を注文すると一冊一万円くらいは取られるに違いないからこれは最初から念頭に無い。あくまで古書としての入手を目論んでいる。

平成十七年だった(中)

2005年12月31日 22時14分53秒 | 古書
前回「四月の異動の結果は五月になって出始める」などといっておきながらその舌の根も乾かぬうちにこんなことは書きたくないのだけれども、五月も全滅だった。しかし一冊だけ取り上げるとするならば高円寺南の都丸支店で手に入れた"Lectiones Latinae Latenisches Unterrichtswerk für Gymnasien"だろうか。読んでの通りギムナジウムの授業用文法書で一九六八年の発行だが、初版はもっと古く一九四七年頃らしい。しかも本文がフラクトゥーア体で印刷されているので比較的最近の出版であるにも関わらず古色蒼然とした感じがする代物だ。でもこんな文法書でラテン語をみっちりと叩き込まれるドイツのギムナジウム生徒がわたしには本当に羨ましい。動物が獲物の捕らえ方を親から学ぶのと同様に、人間だってあらゆることは学んで憶えなくてならない。これは食事から排泄、セックスにまで及ぶ、とすれば芸術や文化はなおさらのこと。よいもの、美しいものは無条件的に誰にでも判るということは先ずありえないといってよい。あの天才三島由紀夫だって若い頃の芸術的訓練がなかったなら後々の活躍はありえなかったはずだ。その彼についての関係書籍をこの月も購入した。『三島由紀夫エロスの劇』という題名だった。『三島由紀夫と橋川文三』もまだ読み終わっていないというのに。
六月は東京駅近くの八重洲ブックセンターが洋書売場レイアウト替え前のバーゲンセールをやっていてドイツ語書籍がかなり値引きされていたので連日通って購入していた。このときは幸運にも職場が八重洲だったのだ。ハードカバー物はなくすべてがソフトカバーだったがトーマス・マンに関係する出版物を多く手に入れた。しかしなかには"Das Lexikon der Nietzsche Zitate"や"Der Untergang Das Filmbuch"といったものも混じっている。前者は読んで判るとおりニーチェ引用語辞典で後者はあの名優ブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた映画、邦題「ヒトラー最後の十日間」の元ネタの一部であるヨアヒム・フェストの"Der Untergang"と映画の台本を合体した本でRowohlt Taschenbuch Verlagから出版されたもの。この本の邦訳はおそらく版権などの問題で日本では出されることがないのではないだろうか。そうだとしたらとても残念なことだ。そのほか大島書店でコジェーブの"Introduction á la Lecture de hegel"(傍線有り)を見つけたので買っておいた。これの日本語版は随分と前に国文社から上妻精と今野雅方の共訳で『ヘーゲル読解入門『精神現象学を読む』』という題名で出版されていて大方の好評を得ているが、まことに残念なことにこの本は抄訳である。そんなわけで今回原書を手に入れてその全体像をやっと知ることができ勉強になった。
わたしは七月になるのを待ち望んでいた。東京ブックフェアが開催されるからだ。好例の洋書バーゲンは回を重ねるごとにヴィジュアル系に傾いてきてはいるものの、必ず一つや二つは光るものが見つかる。今回の光るものはソフトカバーの"Logische Untersuchungen"全三巻だった。亡くなったわたしの親友Sがこれのみすず書房版日本語訳『論理学研究』を読了したとうれしそうに電話で報告してきたことを思い出した。七月の収穫としてはこの他に東京古書会館趣味展で沼袋の訪書堂書店から出品されていた吉川弘文館版『大日本史』全六巻と『正法眼蔵思想大系』全八巻だろうか。『大日本史』はもちろんあの黄門様が編纂した歴史で、正直なところ読んでもあまり面白くはない。漢文であるということ、そしてわたしが歴史に興味を持てないことが原因だ。『正法眼蔵思想大系』は題名そのものが説明しているように道元禅師の名著『正法眼蔵』の解説書で著者は岡田宣法、たしか駒沢大学の先生だったと思う。この本の旧所有者の鉛筆による書き入れがあるものの、それらはほんのマーキング程度のものでしかも薄く書かれているためほとんど気にならない。しかもこれらのマーキングから旧所有者の学識の高さまで窺がわれる。浅学非才なわたしは蔵書に書き込みなど努々しいないよう自戒した。参考までに購入価格を公表すると"Logische Untersuchungen"が三千五百円、『大日本史』二千円、そして『正法眼蔵思想大系』がフッセルと同じく三千五百円だった。
自分として気になった本を最後に上げると池田彌三郎、加藤守雄による『迢空・折口信夫研究』がある。六、七年ほど前、折口信夫の研究書を集中的に読んでいた時期があった。加藤守雄や岡野弘彦などの書いたものを読んでいると、わたしなどとても折口の傍にはいられないだろうと想像するのだが、しかしだから一層のこと折口信夫という人物に興味を覚える。

平成十七年だった(上)

2005年12月31日 21時43分46秒 | 古書
今年の反省を行う。といっても別に己が品行を省みようなどというのではない。書痴の反省とはこの一年間に購入した図書を改めて一点ずつ評価して、世間様から見た自分がいかにアホ馬鹿であるかを再認識する、まあなんといったらよいか、つまりは少々自虐的な一人忘年会なんです。
わたしは記録するというのが大の苦手で、したがって帳簿類の作成など想像したことさえないのだけれども、購入した書籍についてはその題名、出版年月日、定価、支払った代金、買った店の名前などなどを記録に残している。面倒には違いないけれどもこれが後々結構役に立つことがある。むかしはノートに手書きで作っていたものだがそれがワープロに替わり今ではEXCELシートを利用している。残念なことにノートはどこかに消えてしまい、ワープロもFDDをぶっ壊してしまって当時の記録を参照することができなくなってしまった。現在の記録は四年前からのものだけれども、それ以前のものはパソコンがヴィルス感染してお釈迦になってしまった。バックアップを採っていなかったことがつくづく悔やまれる。
前置きはこのくらいにして早速本題に入ると、今年の端は一月八日東京古書会館での下町書友会だった。古書展では成果がなかったものの大島書店で"Der Schauspiel Führer"全七巻を千八百円で購入している。しかし一月はこれで終わってしまった。歳の初めであまり期待できない中だったので大島書店で"Der Schauspiel Führer"を手に入れることができたことを寿ぐべきなのだろう。
二月の二十六日に年が明けて初めて高円寺の都丸を覗いた。"Diccionario de USO del Espanol"二巻物が表に並んでいたので購入している。千六百円で少々高いとも思ったけれども、いずれ何かの役に立ちそうな予感がしたので重いのを堪えて持ち帰った。このような予感は結構あたるもので、といっても結果が出るのは十年ほど先になるのだが。新刊書籍としてはヘーゲルの『自然哲学 哲学の集大成・要綱 第二部』を購入している。長谷川宏の訳文はたしかにこれまでのヘーゲルものとは趣を異にしているとはいえ、原文そのものが難しいのだから長谷川版ヘーゲルだってそんなに簡単に読めるものではない。そもそもなぜヘーゲルが難解かというと、その独特な言葉遣いにある。ということは逆にそのような言葉遣いについて伝統的な解釈の仕方というものがあるわけで、それを習得すれば理解がそれほど困難ではなくなる。これを伝授するのがいままでは大学のゼミだったりしていたわけだ。皮肉ないい方をするならば教授先生方にとってこれほど気楽な授業はない。
三月には馬車道に引っ越した誠文堂を訪ねてみた。樫山欽四郎の『ヘーゲル精神現象学の研究』があったのでご祝儀代わりに買った。千二百円だった。ショーウインドウにどっしりとした装丁のアクィナスの"Summa Theologica"が置かれていたのだがかなり高めだったので買えなかった。もっともSummaを読むのだったら今ではインターネットでラテン語原文を参照することもできる。したがって買うのだったら当然見てくれのよいものでなくてはならない。一誠堂や崇文荘にも偶さか並ぶことがあるので、そちらの方のチェックもしておいたほうがよさそうだ。因みに都丸では"Handbuch der deutschen Gegenwartsliteratur Einleitung und Autorenartikel"三巻本を千円で購入している。そして今年の目玉の一つ"Die Religion in Geschichte und Gegenwart Handworterbuch für Theologie und Religionswissenschaft"全七巻を散々迷った末に崇文荘で購入。この件については既に「正当恁麼時」の回その他で触れてるのでもうこれ以上は書かないことにする。
四月は全滅状態。去年まではこの月にブックフェアが東京ビッグサイトで開かれていたものだったが今年から七月開催となり四月がつまらない月になってしまった。古書店に新しい品が並ぶのは異動のある季節と連動しているが、たとえば四月の異動の結果は五月になって出始める。つまり五月から六月にかけて目新しい品々が店頭に並ぶことになる。
買い込んだ新刊書のなかに『三島由紀夫が死んだ日』なんてものがあった。じつは二月にも『三島由紀夫と橋川文三』を購入している。三島由紀夫関係の出版物は現在刊行中の全集を除いて大方買っている。彼が市谷で割腹死してから三十五年も経ってしまったけれども、いまだに語られることの多い作家だ。わたしはこのような例を他に知らない。ところでもし彼が今なお健在であったなら今年で八十歳ということになるのだが、老作家三島由紀夫なぞ想像するだけで気分が悪くなってくる。

羅甸語事始(二十二)

2005年12月29日 05時37分30秒 | 羅甸語
"Jus autem civile vel gentium ita dividitur: omnes populi, qui legibus et moribus reguntor, partim suo proprio, partim communi omnium hominum jure utuntur: nam quod quisque populus ipse sibi jus constituit, id ipsius proprium civitatis est vocaturque jus civile, quasi jus proprium ipsius civitatis: quod vero naturalis ratio inter omnes homines constituit, id apud omnes populos peraeque custoditur vocaturque jus gentium, quasi quo jure omnes gentes utuntur. Et populus itaque Romanus partim suo proprio, partim communi omnium hominum jure utitur. "(Justinianus, Inst. 1.2.1)(注1)
「さらに民法と万民法(国際法)は次のように分けられる:いろいろな法や規則によって支配されているすべての民衆は、ある者たちは彼ら独自の法を、ある者たちはすべての人々に共通の法を持つ:なぜならば、それぞれの民衆が自分自身のために法を制定するので、これはその市民自身に特徴的なものであり、市民自身の独自の法という意味で市民法と呼ばれる:これにたいして商取引は自然にすべての人々の中に確立されるという理由で、それ(万民法)は全ての人々においてまったく等しく管理され、全ての部族がこの法をもつという意味で万民法(国際法)と呼ばれる。さてそんなわけでローマ(世界)の大衆は、一部は彼独自の法を、一部はすべての人々に共通の法を持つのである」
正直言ってこの文章は今のわたしにはちょっと難しすぎたようだ。古代ローマ法に詳しい人ならばなんのことはないようなターム、たとえば"JUS GENTIUM"や"JUS CIVILE"の意味からしてわたしには馴染みのないものだった。英和辞典などを開くと"JUS GENTIUM"を「国際法(注2)」、"JUS CIVILE"を「民法(注3)」としているが古代ローマにおけるそれは現代の国際法や民法とは同じというわけではない。それで上記の邦訳文でもJUS GENTIUM"を「万民法」としたりしてみた。しかしそもそも古典語に限らずその解釈に梃子摺るのが代名詞だろうと思う。「それ」とか「あれ」とかいわれてもそれらがいったいが何を指示しているかわからないと文章が判じ物になってしまう。外国語翻訳の実力のない者が訳すと代名詞だらけの邦文ができあがるが、これは特に人文系の専門書に時折見かけられる。むかし学校に通っていた頃、ゼミで外国語文献を読むときなど諸先生方が盛んに注意していた事柄の一つが各代名詞は何を指示しているのかということだったことを、今回のユスティニアヌスⅠ世の市民法大全(Corpus Iuris Civilis)法学提要(Institutionen)読みながら思い出したものだ。
というわけで、今回も引き続き所相について勉強してみたい。まずは未完了過去について"amo"で見てみると、
"ama-bar","ama-ba-ris","ama-ba-tur","ama-ba-mur","ama-ba-mini-","ama-bantur"となる。ちなみに現在形では
"ama-bam","ama-bas","ama-bat","ama-ba-mus","ama-ba-tis","ama-bant"だった。ここでは複数二人称の形が"r"音のない"ama-ba-mini-"となるのという点で特徴的だろう。
同じく"amo"で未来形所相を見ると
"ama-bor","ama-beris","ama-bitur","ama-bimur","ama-bimini-","ama-buntr"となる。未完了過去形で"a"音だったものが未来形では"e"音や"i"音、"u"音になってくる。言語学的にはどのように説明されているのかわたしにはまったくわからないけれども、なんだか未来形所相は未完了過去形所相に比べて音が鋭角的な印象を受ける。まるで未来へと突き抜けていくみたいな感じなのだ。反対に未完了過去の方は吸い込まれるような感じといったらよいか。もちろん音についての個人的な印象はきわめて文化的影響下にあるものなので、古代ローマ人たちがわたしと同じように感じていたなどといえないことは充分承知の上でこんなことを書いている。知らない言葉を学ぶ楽しみの一つにはその言葉の意味ばかりではなく、音やリズム、高低強弱について自分なりに想像してみたり妄想してみたりするということがある。言葉というものは先ず第一に「音」なのだから当たり前といえば当たり前の話しなのだけれども、わたしのように普段は「音」としての言葉より文字としての言語にしか接することのない者にとっては、そのことがついつい忘れがちになってしまう。致し方ないことではあるのだろうが、このことについては充分に注意する必要があると思う。
今回もあまり勉強が進まなかった。冷えたビールがおいでおいでをしているからなのだが、そんな誘惑に耐えつつ、最後にまた自分への宿題を貸すことにしよう。「法学提要」はちょっと難しすぎたのでもっと簡単なものはないものかと探してみた。田中秀央の『初等ラテン語讀本』に簡単そうな文章があったのでこれを邦訳してみることにした。
"Midas, rex Phrygiae, quod olim Baccho placuerat, egregio munere a deo donatus est. "Delige, rex magne," inquit deus, "id quod maxine cupis; hoc tibi libenter dabo." Tum vir avatus mirum donum impetravit, omnia enim quae suo corpore tangebat in aurum mutata sunt.Protinus rex laetus regiam domum percurrebat manuque vasa, mensas, lectos, omnia tangebat. Inde ubi nihil ligni aut argenti in aedibus manebat, gratias pro tanto beneficio Baccho persolvit. Tandem labore fessus cenam poscit avidisque oculis dapes splendidas lustrat. Mox tamen ubi piscem ad os admovet, cibus in aurem statim mutatus est; rex igitur, cujus in faucibus rigida haerebat massa,vinum poscit; idem evenit. Tandem rex esuriens, quod nihil nec edebat nec bibebat compluribus diebus, maximis precibus Bacchum orat. Inde cum risu deus fatale donum amovet."(注4)

(注1)『新羅甸文法』100頁-101頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷
(注2)JUS GENTIUM - The law of nations. Although the Romans used these words in the sense we attach to law of nations, yet among them the sense was much more extended.「国際法」
(注3)JUS CIVILE - Among the Romans by jus civile was understood the civil law, in contradistinction to the public law, or jus gentium.「民法」
(注4)『初等ラテン語讀本』10頁 田中英央 研究社 1996年4月20日19刷

今年も大詰め

2005年12月28日 05時53分29秒 | 彷徉
平成十七年も今日を含めて四日間になてしまった。いつもならそろそろ年末年始の休暇に入れるところなのだが今年はそうもいかない状況にある。下手をしたら大晦日も出勤しなくてはならなくなりそうだ。もう正月準備どころではない。酒はどうする、肴はどうなるのだろう。例年の年末の過ごし方はといえば、世間様皆が忙しそうにバタついているのを横目で見ながら、朝っぱらから酒をくらっているというものなのだが、そのような至福の時間を享受することは今回は諦めざるを得ないのか。
年末年始の楽しみはもちろん朝酒ばかりではない。たとえば歳末の商いで賑わう商店街を見て回ったり、初詣前の少々閑散とした雰囲気の漂う神社仏閣を参拝したりするのも結構気分のよいものだ。商店街に出向くといってもそこで買い物をするというのではない。年の瀬の喧騒のなかでぼーっとしているだけなのだけれども、これがわたしには一種の快感となる。考えてみれば随分と勝手なものだが快楽なんてのはだいたいこんな程度のものでしかないように思う。場所としてはしかし何所でもよいというわけにはいかない。たとえば上野のアメ横など論外だし、築地の場外市場だってちょっと騒々し過ぎる。だから自然と街の普通の商店街へと向かうことになる。以前横浜は天王町の商店街を年末に訪れたことがある。新聞に紹介されていたので行ってみたのだが、旧東海道にあるこの商店街の人込みは並大抵ではなかった。店を覗くどころか歩くことさえままならないのだから、築地やアメ横をはるかに凌駕していて快楽を感じるどころかちょっと辟易した思い出がある。そんなこんなで横浜だったならばやはり真金町の横浜橋商店街がわたしにとっては最適の場所になる。
初詣前の神社仏閣参拝も似たようなものだ。成田山新勝寺の参道に並ぶ食べ物屋の店先で鰻を捌く作業を見ながらあの坂道を下って歩くときの気分は何ものにも替えがたい。自分が師走の忙しさから開放れた特権的存在であるかのような幻想に浸ることができるから。しかし成田山は一昨年まで訪れていたのだけれども去年からは行くのをやめている。ちょっと疲れてきたせいもあるのだが、それ以上にどうもわたしと成田山は相性があまり良くなさそうなのだ。だから新勝寺に行った翌年は不運に付きまとわれることが判った昨年からは足を向けなくなってしまった。
毎年二十六、七日頃にその年最後の神保町チェックをしているが、今年はこの楽しみもなくなってしまった。とくに目新しい品物が並べられる時期というわけではない。むしろ低調といったほうがいいかもしれない。だからわたしは何かを期待して出かけるというよりは、もうやけくそというか惰性というか思考停止というか、ただただ神保町をチェックしたという実績を積み上げるためだけに冬休みで子供の姿が多いこの街を歩き回る。去年の暮れは二十五日に高円寺駅ガード下の都丸支店を覗いた後、駿河台下の古書会館でぐろりや会を見てきたが成果は無いに等しかった。そりゃそうだろう、年も押し詰まった十二月の二十五日にそうそう面白い品が並ぶとも思えないではないか。もっともそれを承知でわざわざ出かけて行くわたしにしてからが、とてもまともとはいえないが。

粘華(下)

2005年12月27日 05時53分09秒 | 不知道正法眼蔵
「おほよそこの山かわ天地、日月風雨、人畜草木のいろいろ、角々粘来せる、すなはちこれ粘優曇花なり。生死去来も、はなのいろいろなり、はなの光明なり。いまわれらが、かくのごとく参学する、粘華来なり」(注1)。すべての自然現象、いろいろな生物はそれぞれにそのものとして在るこいう状態、それは取りも直さず粘優曇花つまり正法眼蔵涅槃妙心である。生死去来も正法眼蔵涅槃妙心の現れ方の一つに過ぎない。いまわたしたちがこのように学んでいること、それも正法眼蔵涅槃妙心の現れ方の一つに過ぎないのだ。と道元禅師はいっているのだろうか。
と、ここまで書いてきてわたしはとても空しい気分になってきてしまう。一々文字で理解することはできるとしても、だからそれでなんだというのだろう。思うに道元禅師は本来言語表現が不可能な事態を敢えて言語表現しようとしているのだと思う。これはなにも道元禅師だけではなくてすべての祖師の試みて成就しなかったことなのだ。「道得」とかいて禅宗では「どうて」と読むが、これは「完璧に語ることのできたこと」というほどの意味らしい。しかしこれが実現することはまずないといってよい。結局言語表現とは言語の限界内でしか成立しない。そして言語の限界は思考の限界を意味する。これは人間存在の限界であるということもできるが、つまるところわたしたちはこの限界を超越することはできない。ではそれでも言語表現をしようとするとどうなるか。
「粘花の正当恁麼時は、一切の瞿曇、一切の加葉、一切の衆生、一切のわれら、ともに一隻の手を伸べて、おなじく粘花すること、只今までもいまだやまざるなり。さらに手裡蔵身三昧あるがゆへに、四大五陰といふなり」(注2)。正直なところわたしにはもうついてはいけない。そしてここで素朴な疑問がわいてくる。無上正等覚があるとして、そもそもなぜそれが一部の人々にしか明かにされなのだろう。しかもたとえ厳しい修行をしたとて無上正等覚を得る保証はまったくないのだ。無上正等覚がそれほど大切なものであるのならば、逆になぜこれほどまでに秘匿されているのかということのほうが疑問なのだ。なにもこれは仏教に限らない。すべての宗教について秘教の部分がりそこに辿り着くためには同じような厳しい修行が要求される。
話はかわるのだが、むかしむかし学校に通っていた頃、わたしが受けていた講義で先生が「価値というのは、価値という実体があるのではなくて、まさに価値付ける行為そのものなのだ」といっていたことを思い出す。非常に魅力的な考え方なのだが、わたしには今ひとつ納得できなかった。別にプラトン的なイデアの世界があるなどとも思ってはいなかったのだが、かといってもし価値がわたしたち自身にその起源を持つとしたならば、当然のことながらそのような価値とはわたしたち自身の限界内のものでしかなく、とすればそのような価値のオーソリティーはいったい何が担保するというのだろう。自分でいくら良いといっても他人がそれを良いというとは限らない。こんな状況を一昔前に流行った「価値の多様性」ということになるのだろうが、そんなものは価値でもなんでもない。

(注1)『日本思想体系13 道元(下)』216頁 岩波書店 1972年2月25日第1刷
(注2)『日本思想体系13 道元(下)』217頁 岩波書店 1972年2月25日第1刷

書痴歳末考

2005年12月26日 04時55分44秒 | 古書
とにかく忙しい日々が続いてしまっている。帰宅時刻が毎日午前零時前ということはない。加えて土曜日曜も休めないのだからたまったものではない。体力的にはさほど辛さを感じないのだが、精神的にはかなり参っているようで、職場などでの言動で抑制の効かなくなったと感じることが偶さかある。そのようなわけで師走十二月は神保町チェックも都丸詣でもお休み状態だ。もしかしたら古書の香りに見えていないことも精神的不調の一因かもしれない。十七日の土曜日が徹夜の作業になってしまい、終わったのが翌十八日の午後二時ころだった。日曜日なので当然ながら神保町の主立った店は閉じられている。わかってはいたのだがどうしても行きたくなって、徹夜明けのその足で神保町を訪ってみた。
日本特価書籍は日曜日も営業している。この店は年末年始を除いて無休営業しているのがうれしい。ここで十二月刊行の岩波文庫二冊、『アメリカのデモクラシー第一巻(下)』『ディドロ 絵画について』、それに光文社新書の『20世紀絵画 -モダニズム美術史を問い直す-』を購入した。美術史関係の本を読むのは久しぶりだ。むかしむかしハンス・H・ホーフシュテッターの『象徴主義と世紀末芸術』を種村季弘の訳で読んで以来いろいろな美術関係書籍に目を通しているのだけれども、どうも美術や音楽に関する書籍は読んでいて隔靴掻痒の感を否めない。その絵画や彫刻、音楽作品なりを一度でも見たり聞いたりしていてその印象が残っているのならばよいのだが、そうでないといったい何を著者がいおうとしているのか判ったようで判らない。とくに音楽となると何が何だかさっぱりわからなくなってしまう。わたしはバッハが好みなのだが、たとえばシュバイツァーが「Blute nurのアリアはテンポをかなり速くとるべきである.またオーケストラをして強拍の音を強調しないで,第1小節では2番目の8分音符と最後の4分音符,第2小節では2番目の8分音符と最後の4分音符,第6小節では第2,第6の8分音符をきわだたせ、その他の音符はほとんど消えるほどに演奏させるように配慮せねばならぬ」(注1)と書いても、基となる「マタイ受難曲」を聞いていないと何をいっているのか理解できず議論に付いてはいけない。
話が逸れてしまった。日曜日の神保町だった。かつての神保町は日曜日も店を開いてたと以前書いたことがあるが、いずれにせよシャッターの下ろされた靖国通りを歩いていると寒々しい気分になってしまう。二週間前の十二月十日土曜日に白山通りを歩いたら銀杏並木がすっかり黄葉していたが、靖国通りから南側はまだ黄葉していなかった。誠心堂書店の店先に並べてある廉価本に黄色くなった銀杏の葉が一枚落ちているのを見て師走を実感じたものだ。この日は東京古書会館の書窓会で松下大三郎の國歌大観全四冊、角川書店から刊行されたものだがこれを三千円で購入した。定価で誂えると三万九千円するから安い買い物だった。そのほかには宇井白寿の『禪宗史研究』も千五百円だったのでついでに手に入れた。戦前大阪朝日新聞社から刊行された『近松全集』が三千円で出ていたが、やけに安いのでよくよく見てみると全十二巻物のうち十巻という半端セットだったので手を着けるのを止しにした。むかしは安値に目がくらんでこのような半端物を掴まされたものだ。これは古書に限っての話ではないのだけれども一概に安物には充分注意したほうがよい。食品だってスーパーで安売りしているもので美味いものがあったためしはいまだかつてない。件の『近松全集』にしてからが、巖松堂書店の店先に積まれていた全十二巻揃物で一万六千円の値が付いていた。この価格はほんの少し高めだがまあ相場といったところなのであって、いくら安い古書会館の即売展でも三千円ではさすがに並んではいないはずなのだ。巖松堂書店の名前がでたのでついでに書いておくと、二階の仏教書コーナーに『道元研究』という本だったと思うが四千円で出ていた。おなじ版かどうかは確認していないけれどもこれを都丸支店で千五百円で出ているのを見た記憶がある。
年内はもう古書店へも古書会館へも出かける暇がない。来るべき2006年に期待を繋ぐことにしよう。

(注1)『バッハ』下 216頁 アルベルト・シュバイツァー著 辻荘一 山根銀二訳 岩波書店 昭和42年12月10日第4刷

憂鬱な旅(二)わたしはレモンティーが飲みたいっ!

2005年12月05日 04時58分48秒 | 太古の記憶
ホームでは既に数百人もの乗客たちが列車の入線を待っていた。
乗降口に当たる位置には陶製の板が埋め込まれていて、乗客たちはそれを目当てに各自整然と列を作っている。乗降口案内用のこの陶板にはいろいろな文様や文字が描かれていて、その一枚一枚が一つのエピソードを表し駅全体の陶板を合わせるとギルガメッシュ叙事詩が構成されるという話を、いつか聞いたことがある。わたしが四十一番線ホームの車止のところに埋め込まれた陶板から1つずつ読み始めてみようかと思ったとき、信越線富山行き特急列車が入線してきたのであの壮大な叙事詩の読解作業を早々に諦めた。並んでいた乗客たちが一斉に動き出すと、御影石が敷き詰められたホームにはまるで朝靄がはうように綿埃が立ち昇り、列車の先頭部分がほとんど判別しがたいくらいにぼやけて見えた。
のどの渇きを覚えたわたしは、列車に乗り込む前に飲み物を買おうとホームの売店に寄ってみた。車内販売で購入することもできたが、駅の売店とは比べ物にならないほど品数が乏しかったからだ。売店にはわたしと同じ考えの五六人の先客が既に来ていて売り子の女性に注文しているその騒ぎの中に、わたしも参加しなくてはならなかった。他の客たちの声が途切れたころあいを見計らって、客への応対にはもううんざりした様子の売り子に注文した。
「あの、缶ビールをください」
「すみません。アルコール飲料は今月から置かないことになったんです」
「え、あそうですか。それじゃ缶紅茶なんかありますか」
「セリン、スレオニン、ヒスチヂン、グリシン、パリン、トリプトファン、どれにしますか。ほかにもメチオニン、イソロイシン、アラニンもありますけど」
「なんですかそれ、むかし高校で化学の授業のときに聞いたような記憶があるけど」
「缶紅茶の種類ですよ。お客さんはやくしてください、ほかのお客さんも待ってるんですから」
決めるにもなにも初めて耳にする品名ばかりなので、いったいどのような味がするのだかまったく想像することもできず、わたしは売り子の女性のまえで狼狽するしかなかった。
「そうれじゃあお客さん、決まったらそういってください」
彼女はわたしとの遣り取りを放棄してあとから来た客たちの相手を始めた。セリンだのヒスチヂンだのとそんな銘柄の紅茶など見たことも聞いたこともない、と彼女と争ってみたところで事態の進展は望めないと悟ったわたしは、紅茶やそのほかコーラなどの炭酸飲料水の並べてある冷蔵ケースをのぞいてみた。中には缶や瓶が隙間なく置かれているのだが、どれもこれも見たこともないものばかりだった。
「店員さん、それではトリプトファンを下さい」
格別トリプトファンがよいと思ったわけではない。つまりイソロイシンのような極太の注射器で打ち込まれそうな紅茶などとても飲む気になれなかっただけのことだ。
「トリプトファンね、はい三百六十円です」
「え、百五十円じゃないの」
「三百六十円です。ほかになにか買いますか」
「いや、もういい」
わたしが売店を離れようとしたとき、小学校の三年生くらいの男の子がやってきて彼女にいった。
「レモンティー」
「は~い。レモンティーは百五十円ね」
初めからそういえばよかったのか。そうすればトリプトファンとやらを三百六十円も出して買うことはなかったのだ。
「何なんだ、君。まともな缶紅茶だってあるんじゃないか」
無性に腹が立ってきたわたしは売り子に思いっきり食って掛かった。
「へんなこといわないで下さい。お客さんがトリプトファンを注文したんじゃないですか」
「それは君がレモンティーっていわなかったからだろう。いってくれれば三百六十円もするわけのわからない缶紅茶なんか買わずに済んだんだぞ」
四十代はとうに越しているように見えるその売り子は動揺した様子もなく、わたしには視線も向けず淡々と商品の整理をしながら応じてきた。
「あのね、お客さん。駅の売店にレモンティーがあるのは当たり前じゃあないですか。うちではかけそば出しますなんてわざわざいう蕎麦屋がないように、レモンティーありますなんて御大層にいう売店なんてないですよ。かえってマイナーな商品を教えてあげるのがサービスてもんじゃあないんですかあ」
「だからって、高いものを勧めることはないじゃないか。そもそもこのケースの中にはレモンティーなんてまったく見つからなかったぞ」
「ちゃんと見てください。下から三段目に並んでますよ」
わたしは再び冷凍ケースの中を見て驚いた。ついさっきまでメチオニンとかアラニンとかが並んでいた同じ場所に、どこにでもある定価百五十円のレモンティー缶が、しっかりと置かれていた。