蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

今日の、気分は、低調です。

2005年11月22日 04時09分08秒 | 彷徉
前回、反町古書会館展が開催されているということを書いた。反町は東急東横線で横浜の一つ手前の駅に当たる。この駅の二つ渋谷寄りが白楽駅で近所に神奈川大学もあるが、その白楽駅の前から横浜上麻生通りまで商店街が通っている。わたしがいっているのはもちろん旧綱島街道のことではない。その一つ裏側にある木製アーケードの商店街のことなのだ。
しかしそれにしてもここは凄い。よくもこのような施設が残ったものだと思う。道幅にして二メートルあるかないかの商店街は、むかしむかしのいわゆる「マーケット」といった雰囲気だ。聞くところによると戦後の闇市から発展したということらしいが、なにぶんにも闇市なるものを知らないわたしとしては、精々上野のアメ横を想起するにとどまってしまう。太平洋戦争が敗戦に終わって六十年、もう「闇市」なんて言葉そのものが死語になりつつある。
わたしにしてからが戦争など知らない年代なのだが、両親はもちろんあの東京大空襲を体験している。父は横須賀の海軍に入隊したものの結核を疑われ帰郷させられたと聞いているが(だからわたしが存在している)、父の幼稚園時代からの親友Hさんは中国戦線に送られた。戦後かなり経ってかHさんから戦場の話を聞いたことがある。中国人ゲリラを斬首する場面に立ち会った時のエピソードだった。要すれば戦場というのは先ず自分自身が生き残らねばならないところなのであって、相手が正規軍兵士であろうがゲリラであろうが、または一般の非戦闘員であろうが関係ない。危険だと感じたら殺してしまうのが原則なのだそうだ。そのときのHさんの語り口は、まるで昨日の近所の出来事を語るような淡々としたものだったが、わたしは「戦争」と「戦場」の違いをずっしりと知らされたものだった。
なんだか話が辛気臭くなってしまった。白楽の木製アーケード商店街のことだった。
行って見るとわかるのだが、本当に映画のセットのような商店街で、あまりに出来過ぎてるのでちょっと戸惑ってしまう。一軒一軒はごく普通の商店なのだけれども、全体として見るとこれがなんとも異様極まりない。その異様さの原因はおそらく木組みのアーケードにあるのではないだろうか。まるで木造倉庫のなかにでもいるような感覚、子供風の表現でいうなら「ひみつ基地」みたいなアーケードの天井を見上げていると、あたかも自分が平成十七年ではなくて昭和の三十年代にいるみたいだ。近頃はこの三十年代が静かなブームなのだそうで西岸良平の漫画なんかも映画化されているが、たしかにノスタルジックではあるのだろうけれども、わたし自身もう一度あの頃に戻りたいかと尋ねられたなら、はっきり嫌だと答える。「むかしはよかった」みたいな意見にはどうも馴染めない、むしろあんな貧乏くさい世界など真っ平ごめんだ。特に子供の頃の記憶など思い出しただけでも虫唾が走る。小学校、中学校、それどころか高校まで最悪だった。どのように最悪だったかは別の機会に書くつもりだ。
いけない、いけない。愚痴話になってきた。どうも今日は気分が今ひとつ晴れない。昨日ブログの記事を抜いてしまったこともあるのだが、どうもそれだけではないようだ。仕事からくる苛立ちの他に何かもっと根源的な不安、といったらちと気障になるけれども、そのようにしか表現のしようがない不安感にときどき襲われる。まあ、常にそうだというわけでもないから耐えていられるのだが。