蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

信じるものは救われるか?

2005年11月19日 10時14分15秒 | エソテリズム
近頃たとえば書泉グランデあたりを覗いてみても、グルジェフ関係の本が見かけられなくなった。ひところは十冊近く並んでいた時もあったものだが、人気がなくなってしまったのだろうか。
世の中、禅ブームのようで素人向けのムック版座禅入門書も出版されている。禅宗の坊さんが文学賞を受賞したことも影響しているのだろうか。いや、そんなことはないと思う。むしろ癒しが求められている社会的背景が先ずあり、そこへ「座禅イコール無」という誤解も相まって全てにおいて煩わしい今の状況から脱却するための一手段として座禅に注目が集まっているのだろう。まあ何でもよから、どんな縁であれそこから仏教に感心を持つようになればすばらしいことではないか。「いづれの入者か従縁せざらん、いづれの入者か退失あらん」(注1)と道元禅師もいっている。
グルジェフのワークも肉体的修行が重要視される点では禅寺での修業に通じるものがある。いやこのような言い方はあまりよくない。グルジェフは伝説によればチベットの隠者からエソテリズムの知識を学んだのだそうだ。つまり彼の原点はアジアにあったわけで、そうなると仏教との関係だってまったくないとはいい難いではないか。そこでグルジェフが獲得したという「東洋の知恵」と道元禅師の求めた「無上正等覚」も畢竟同じもののように思われがちだけれども、しかしグルジェフはというとこれがどうも信用できない。もっといえばペテン師とさえ見られている。彼の教義が広まらないのはそれがエソテリックなものであるからというよりも、むしろこちらのほうに原因があるのではないだろうか。
わたしがグルジェフの名前を知ったのは友人に因ってだった。このことは「我的穏秘学」の回で書いた。「友人」とは学校時代から知り合いだった今は亡きSのことである。Sに勧められウスペンスキーの『奇跡を求めて』を初めて読んだときの印象は、少なくとも彼の教義がこの日本でブームになることはまずないどろうというものだったが、それは今も変わっていない。「人間機械の諸センターはさまざまは<水素>で働いている。そしてセンター間の主要な違いはここから出てくるのだ。より粗悪で重く、密度の高い<水素>で働くセンターはゆっくりと働く。軽く活動的な<水素>で働くセンターは速く働く」(注2)とか、「<水素>シ12は<付加的ショック>の助けを借りて次のオクターヴのドになることができる。しかしこの<ショック>は二重の性質をもつこともあるので、異なったオクターヴを生む可能性もある。つまり一つはシを生みだした有機体の外に、もう一つは有機体中に。男性のシ12と女性のシ12の結合と、それに伴う一切のものは第一種の<ショック>をつくりだし、その力で始まった新しいオクターヴは新しい有機体あるいは新しい生命として独立して進展する」なんてディスクールを読んでいると、胡散臭さがますます募ってくるのだが、それでもSはしきりにグルジェフを礼賛していたものだった。
そんなグルジェフ本は姿をけしたけれど、相変わらずラジニーシの本が並んでいる。この手のものは支持者が増えることはないが熱狂的な信者が確実に存在するので、まあそこそこ売れる。どんな団体にとって出版物は今でも大切な金蔓なのだ。オウム真理教がサリンテロをまだ起こす前、書泉グランデでもあの俗物教祖の顔写真を恥ずかしげもなく表紙に載せた出版物が何冊も売られていたことを思い出す。言論表現の自由だか何だか知らぬが、そんなわけでわたしはオカルトコーナーなどで販売されている出版物をむかしから凡そ信用していない。

(注1)『日本思想体系 道元(上)』293頁 岩波書店 1970年5月25日第1刷
(注2)『奇蹟を求めて -グルジェフの神秘宇宙論-』304頁 P.D.Ouspensky著 浅井雅志訳 河出書房 1989年3月10日 第11刷
(注3) 同上 399頁

我的穏秘学

2005年04月27日 00時00分49秒 | エソテリズム
エソテリズムに初めて接した、というかエソテリズムという言葉そのものを知ったのはわたしの友人によってだった。もっと正確に書くならばエソテリストであるグルジェフを通して知ったのである。件の友人から夜の十時ごろいきなり電話がかかってきて、そう、当時はまだEメールなどという便利なものはなく通信手段はたいてい電話だったのだが、彼いわく「グルジェフは良い、おまえも読んでみろ。ウスペンスキーの『奇跡を求めて』がグルジェフ関係ではもっとも良い本だ」。初めのうちは聞き流していたのだが、その後彼からかかってきた何回かの電話でも、盛んにグルジェフを引っ張り出してきて宣揚するにおよんで、わたしのほうにも対抗意欲のようなものが沸き起ってきて、神保町の書泉グランデでウスペンスキーの『奇跡を求めて』(浅井雅志訳平河出版1989.3.10第11刷)を購入した。なぜ書泉グランデかというと、この手の出版物を扱っている書店では書泉グランデがもっとも品揃え豊富だったからである。自宅にもどって早速読み始めたのだがこれがなんとも不思議な本で、というのもそのなかでグルジェフによって展開されるいろいろな概念、たとえば「リズム」「オクターブ」「センター」「インターバル」「ショック」など聞き覚えのある言葉が頻発するが、しかしグルジェフが説明するそれらの意味は判ったようで判らない。そこでことの原因でもある友人尋ねるのだが、どうしても納得できる回答を得ることができなかった。かれはウスペンスキーのこの本を英語版(In Search of the Miraculous)で読んでいたらしいので聞いてみたのだが、それにも関らずわたしの望む答えは返ってこなかった。友人自身がよく理解していなかったのか、あるいはそもそも門外漢には言語による伝達が不可能なのか、そこのところは今もって定かではない。なにしろこの友人が突然亡くなってしまったからだ。今では浩瀚なグルジェフ伝も出ているので、多少なりともグルジェフの人となりが明らかになってきてはいるが、それどもまだ秘密の部分が多い人物である。
もちろんエソテリストはグルジェフだけではない、ブラバツキー夫人もいるが恐らくわが国で最もポピュラーなエソテリストはルドルフ・シュタイナーなのではないだろうか。それではこのエソテリズムとなんだろうかと調べようとすると、これが案外と難しい。書泉グランデにしてからが空飛ぶ円盤、オーム真理教やサイババと同じコーナーにグルジェフ関係の著作が並べられているのだからお話にならない。まじめな研究を知りたければク・セジュ文庫の『エゾテリズム -西洋隠秘学の系譜-』を読むくらいしかないだろう。