蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

我愛欧羅巴影片(十)

2006年03月08日 05時59分26秒 | 昔の映画
やっとこさ冬季オリンピックも終わり、ホッとしている。それにしてもあのNHKのはしゃぎ様は尋常ではなかった。朝七時台のニュースをそっちのけにして三位にも入れなかった選手に、まるで銅メダルでも取ったかのうような騒ぎでインタビューするものだから、見ているこちらが恥ずかしくなってくる。もっと恥ずかしかったのは不甲斐ない成績だったにもかかわらずインタビューされねばならない選手自身ではなかったのか。世の中には他に知らせなくてはならない事柄がたくさんあるはずなのだが、あんなバカ放送に受信料が使われているのかと思うと、本当に払う気が失せてしまう。まあなかにはお祭騒ぎの好きな連中もいるから、アナウンサーだけが舞い上がっているみたいな呆けた番組でも若干の視聴率は取れるのだろうが。
そんなこととは別に、北イタリアというのはちょっと魅力的ではある。アルプスに近いせいかもしれないが南に比べてなんだか文化水準が高いような印象をわたしは受ける。「文化水準」という言い方は最近ほとんど死語になっているが、これはいわゆる「差別」にかかわるからなのだろうか。何が高くて何が低いのか一概に断定はできないけれども、少なくとも身内の葬式において弔問客や親類縁者の対応で心身ともに衰弱したあげく葬儀屋に大金を支払わねばならないような社会を文化水準が高いとは、わたしには到底思えない。
いや、話題がそれてしまった。北イタリアの話だった。トリノと並んで有名な北イタリアの街というと、これはもうミラノしかない。ところでビットリオ・デ・シーカの名前をきいてすぐにネオ・レアリズモを思い出す読者諸賢はおそらく五十を超えていらっしゃるに違いない。いまではヌーベル・バーグはおろかニュー・ジャーマンシネマさえまともに判らないガキどもが増殖しているなんとも遣り切れない時勢なのだが、わたしたちの年代はデ・シーカやロッセリーニをかろうじて知っている最後の世代なのだろうと思う。
この場は映画教室ではないのでネオ・レアリズモについての詳しい話は抜きにするが、要すれば一九四十年代から五〇年代の中頃までにイタリアで製作された極めて暗~い映画のこと。我愛欧羅巴影片(七)の回で取り上げたピエトロ・ジェルミをこのネオ・レアリズモ作家に入れている評論もあるようだけれども、たとえば「鉄道員」などを観るとこれはけっして暗い作品ではない。どこが違うか一言で表現するなら「希望」があるかないかなのだ。デ・シーカの「自転車泥棒」は映画史の本には必ず出てくるほどあまりにも有名で、最近では廉価DVDで手軽に鑑賞できるようになったがわたしはこの作品を観ようとは思わない。あまりに陰鬱で食欲がなくなってしまうからだ。
そのような傾向の作品を作っているなか、一九五〇年彼はちょっと変わったものを撮った。"Miracolo a Milano"「ミラノの奇跡」という。一九四二年にチョザーレ・ザヴァティニによって書かれた"Toto il buono"「善人トト」を映画化したものだが、これは間違ってもレアリズモでないことだけは確かなので、なにしろラストシーンは主人公のトトとその仲間たちが箒にまたがって空の彼方へと飛び去ってしまうのだから。そんなわけでいつもの通りシノプシスは紹介しませんが、はっきりいって御伽噺です。そしてこの「ミラノの奇跡」が「自転車泥棒」(一九四八年)と「ウンベルトD」(一九五二年)という滅茶苦茶暗~い作品の間に作られているということを考えると、ちょっと意味ありげなような気もしてくる。
上映時間九十七分、むかし風に表現すれば全六巻ということになる「ミラノの奇跡」だけれど、わたしの大好きなシーンはトトが奇跡を起こすところでも、最後の箒飛行でもない。青年になったトトがそれまで暮らしていた孤児院を退院し、行くあてもなくミラノの街をさ迷い歩く場面なのだ。大きな石造りの建物と誰もいない広い道路、北イタリアの古く美しい大都会のなんと荒涼としていることか。このあとトトは持ち前の善良さで住みかにありつくことになるのだが、わたしにはこの寒々しいミラノの街のシーンが鮮烈に記憶に残っている。


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