蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

三ノ輪橋でサムソンだって???

2005年11月04日 06時32分51秒 | 本屋古本屋
都電荒川線は新宿区早稲田と荒川区三ノ輪橋間を結んでいるチンチン電車だ。なぜチンチン電車かというと発車するときにチンと鐘を鳴らすので俗にそう呼ばれている。これはむかし車掌が乗務していたころ、運転士に発車の合図をするための鐘をならしていた名残で、ワンマン運転の今日では必要ないものなのだが、どうしたわけか今でもチンチン鳴らして発車する。チンチン。
一昨日の水曜日、ちょっとした用件で南千住の叔父の家まで出向くことになってしまった。じつはこの日わたしは仕事を休んで西早稲田の古書店街を徘徊する予定を前々から立てていた。古書店巡りはとても疲れる。歩き回るから、というよりも棚の本を一冊一冊チェックするのに結構体力を消耗するのだ。苦労をしたあげくそれでも収穫ゼロの日には帰宅するのさえ億劫になり、通りがかりの喫茶店(どういうわけかルノアールが好き)に入り込んで一時間ほど休憩を取らなくてはならなくなる。そんなわけで古書店を見歩いた後、自宅とは反対方向の叔父の家に向かうのは正直言ってものすごく嫌だった。それでは古書店巡りのほうを諦めればよいではないか、たかが趣味なのだから、と常識ある人はいうに違いない。ごもっとも、仰るとおり、全面的にあなたは正しい。しかし、そのような融通がわたしには利かない。理由はいたって簡単、つまりわたしが書痴だからだ。
わたしは予定を変更することなく、早稲田通りを行ったり来りして古書店を覗いて回った。ここは神保町と異なり通りの両側に店がある。だから横断歩道を渡ってあっちへ行ったりこっちへ来りなんてことになってしまう。神保町に新規開店の古書店が増えているという話をきいたけれども、早稲田は古書店が減っていく一方のように見える。それとも増えているのをわたしが知らないだけなのか、それならよいのだが。ところでこの日の成果はというと、これはまったく無し。期待していた文英堂も五十嵐書店もだめだった。五十嵐は以前の店舗のほうがわくわくさせられたが、新しくなってからどうもいけない。
話は変わるのだが、かなりまえ穴八幡の近くに小さな洋書専門店があった。緑色をしたFelix Meiner社の"Philosophische Bibliothek"が狭い店内一杯に詰込まれていてとても人間の入る隙間などない、不思議な店だった。それとH堂がめっきり元気がなくなってしまった。わたしが学校に通っていた頃はまだ活気を感じたものだったが、いまではまるで死んだように侘しい。本郷も古書店が激減しているそうだ。神保町だけが頑張っているという構図はちとさびしい。
すっかり疲れて夕方五時頃、早稲田から都電荒川線に乗り込んだ。早稲田大学横のグランド坂を下って停留所までたどり着いたのだが、帰宅してから調べてみると西早稲田の古書店街への最寄駅は終点早稲田の一つ手前、面影橋停留所だった。早稲田では遠くなってしまうことを知った。しかし心身ともに疲労困憊だったわたしには、始発の停留所で腰掛けることができたのは幸運だった。というのもこの路線、思いのほか混んでいて特に町屋まではなかなか席が空かなかったからだ。町屋でかなりの乗客が降り車内はがらがらになってしまう。終点の三ノ輪橋に着いた時、客は数人にまで減っていた。
ところで三ノ輪橋停留所を出て左折すると古書店があった、どうも最近開店した様子で店の中は広いほうだ。「古書~」と金文字で入り口の表に店名を掲げていたが、名前を失念してしまった。入店するとまだ建材の匂いがプンプンとする。並べられているのはほとんどがコミックで、奥のほうの棚に小説の単行本が置いてあったが、白っぽい物ばかりでこれで「古書」店でとはちょっと痴がましい。せいぜい「古本」屋に留めておいて欲しいものだ、などと思いながら店の一番奥の棚に目を遣ると、これはなつかしい『薔薇族』『アドン』『サムソン』なんて雑誌のバックナンバーが置いてあった。わたしはノンケなので内容には一切興味ないが『サムソン』の表紙に描かれているデブ男たちの絵は笑えた。いったいどのような人物がこんなデザイン考え出したのか、大いに興味を掻立てられたのもだ。チンチン。
でもって、その後叔父の家になんとか行き着き、用事を済ませ一杯ごちになって地下鉄日比谷線で帰宅したら、十二時近くになっていた。今日も疲れた、頭が重い。