蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

さんぽ、日本橋室町。

2005年11月03日 05時44分39秒 | 彷徉
日本橋に用事があったちなみに、ちょっと界隈を徘徊してみた。
三井本店、そうあの三井住友VISAカードの三井。擬古典主義というのだろうか、とにかく立派な建物だ。だいたいこういうのが好まれるところは新興諸国に多いのであって、例えばアメリカなどがその好例といえる。アメリカ合衆国は中南米諸国に劣らず、ヨーロッパから見れば新興諸国の一つに過ぎないのだから。さて一九二九年(昭和四年)竣工なったこの建築物は、設計をトローブリッジ&リビングストン事務所(米国)、施工をジェームス・スチュアート社(米国)が請負ったが、これら米国の会社に任せた三井合名会社の大番頭、団琢磨はさすがに先見の明があった。
三越といえばなんといっても入り口に鎮座する獅子像二体。仄聞する所によれば大英帝国はロンドン、トラファルガー広場のネルソン提督記念塔の脚下に配された四頭の獅子の昆季にあたる践歴正しき血脈とか。努々これに跨ろうなどと思ってはいけません。ところでしかし今日注目すべきはライオンではなく、三越の金文字の上にこれまた燦爛と輝くメルクリウス像。商人と泥棒の守護神である一方、身罷った者を冥界へと導く案内役としての顔も持っているこのギリシア神話の神がまさに飛翔しようとしているその下を、善良なる消費者は日々出入りしているというわけだ。
中央通に沿った家屋が皆ビルディングに建て変ってしまった中で、この一軒、鰹節の大和は未だに木造二階建て、往時の店屋の佇まいを今日に残してくれている。ここに来たならまずは黒塗りの下見板に注目しなくてはならない。どこかの地方都市でなら決して珍しくはないのだろうが、しかしここ所は東京の中央通、しかも正面が三越で斜め右前には三井本館というロケーションにおいて、黒塗りの下見板に瓦屋根の木造二階屋なのだ。これはまさに奇跡的といっても過言ではない。
室一仲通商店街の中ほどから中央通方向を眺めると、丁度昼時とあって近辺の企業の従業員などが外に出始めたところだった。中央通を挟んで三越側もこちら側も室町なだが、街の様相はというとかなり異なりこちら側には木造家屋などが比較的多く残存している。つい先ごろまではデフレ不況の影響もあってか、再開発という名目での町内破壊は一時休止状態にあるようだったが、いずれはこの辺りも鉄とガラスとコンクリートの埃っぽい家並みになってしまうのだろう。室一仲通商店街から脇に入った路地、道の中央に排水の為の窪みが設けられた光景は、どう見ても昭和三十年代のまだ働く大人の街であった渋谷や新宿、池袋を彷彿させる。そう、街とは須らく大人のものなのであって、大人にあらざる者、畢竟自ら食べて行くことができないような若輩どもの出歩くような場所ではないのであります。
大衆食堂だと思うのだが、これはショー・ウィンドウに展示されたサンプル食品を見て、こちらで勝手に判断したもの。しかし恐らくこの判断に誤りはないものと確信している。わたしは実際にこの店に入っていないので、というよりも入る勇気がなかったので、美味いか不味いかまではわからない。興味のある方は現地を訪れてこの店を探してください。ただ、一言申し添えるならば、店先に放置された雑草生い茂る薄汚い植木鉢や、開け閉めの際にはガタピシ音をたてそうな曇りガラスを嵌め込んだ引き戸や、いかにも安物然としたショー・ウィンドウのサンプル食品などからは、この店の基本方針が「フリの客お断り」なのではと疑わずにはいられない。要すればわたしの趣味に合わない。浅草の仏壇屋の広告に「こころは形を求め、形はこころをすすめる」ってな文句があるが(三善堂だったかな)、このような「形」が勧める「こころ」とは如何様なものか、それは読者諸賢にて御判断いただきたい。
街の鶏肉小売店。段々と少なくはなってきているが、まだまだ商売に励んでいる店屋はある。スーパーに並べられたパック詰めの食肉よりも、トレイに積まれた新鮮な肉が冷蔵ウィンドウに並んでいるのを見ると、思わず知らず食欲が沸いてくるのはわたしだけではありますまい。わたしは思うのだが、良い物を手に入れようとするならば、それに見合う対価を負担しなければならないという、まったく当たり前の原則を何故消費者は理解しようとしないのだろうか。今回の東証のシステム障害だって金を惜しんでシステム試験を手抜きした結果に違いないのだ。鶏肉に話を戻そう。鳥皮を焼いてタレで食うのは、なんとも美味いですな。鳥もモツたまりません。私は肉の部分よりむしろこちらの方が好みだ。このことは何も鳥に限った話ではなくて、牛豚、魚にしても、いわゆるホルモン部分の方が一段と美味い。そういえばサバンナの肉食獣は捕獲した獲物の内臓からまず食い始めるという話をきいたことがある。
などと、取り留めのないことどもを考えながら人形町駅まで歩いた。