蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

新年早々これか!

2006年01月05日 22時08分48秒 | 新刊書
今日は個人的にどうしても片付けなければならない事務手続きがあり(白状すると借金の弁済)、こちらは午前中に済んでしまったのだけれども、かといって午後から仕事にでかけるのもなんとなく億劫になってしまい(つまり自分が借金返済のために仕事をしていると思うと何とも遣り切れなくなってしまい)、結局職場には体調不良を理由に休暇の連絡を入れた。これを下世話には「ずる休み」とも言うらしい。
仕事に行かずどこに行ったかといえば、今日から営業している高円寺の都丸書店です。覚悟はしていたけれど、思っていた通りに大した品物はなかった。しかし新年早々やってきて手ぶらで帰るのも験が悪いので御祝儀代わりに『道元禅師研究-京都周辺における道元とその宗門-』を買った。「書痴歳末」で触れた巖松堂書店で四千円で売り出されていた例の本だ。巖松堂書店では函なしのむき出しで四千円、都丸はしっかりとした箱つきで千七百五十円でもちろん美本なのだから、古書の値付け基準というものは何年見て廻っていても素人にはなかなか判らないものだ。
そのまま帰宅してしまうのももったいない気がしたので、今年初めての神保町チェックを行った。しかし当然のこととてこちらのほうも芳しくなかった。しかたがないので日本特価書籍でドナルド・キーンの『思い出の作家たち』とNHK出版から出ているシリーズ「哲学のエッセンス」の『道元』を買った。どちらの題材にもわたしはとても興味を引かれる。そう、著者ではなくて題材になんですね。先ず『思い出の作家たち』だが、あの大部な『日本文学の歴史』を読んでみてもわたしにはドナルド・キーンという人がそれほど大した日本文学研究者だといった印象は受けなかった。おそらくわたしに見識眼が無いためそのようにしか受け取れなかったのだろうけれど。それから『道元』はというと、こちらは住光子という御茶ノ水女子大の先生が書いた道元もので、副題が「自己・時間・世界はどのように成立するのか」と付けられていることからも推察されるように、道元禅師の著作を西洋哲学的文脈を通して理解しようと試みる、まあ近頃流行の「道元読解もの」の一つのようだ。まだ読んでいないわけだからこれはわたしのまったく独断でしかない。完全に読み終わってから改めて感想を発表しようかと思います。
今回のチェックは確かに芳しくはなかったのだが、そのような中でこれはと思ったのが明倫館の店先に並んでいる安売り本の中にまぎれていた"Painters of the Bauhaus"だった。バウハウスは周知の通り一九一九年から一九三三年までドイツに存在した建築を中心にすえた工芸学校で、いまでもバウハウス・スタイルの椅子などが高値で売られたりしている。それほど魅力にみちた学校、というよりもっと広く芸術運動といったほうがよい、そんな活動体だった。校長職を初代がヴァルター・グロピウス(1919年-1928年)、二代目をハンネス・マイヤー(1928年-1930年)そして最後をミース・ファン・デル・ローエ(1930年-1933年)が担当した。ミース・ファン・デル・ローエこそガラスと鉄を用いた戦後アメリカオフィス建築を決定付けた建築家としてあまりにも有名で、こんなことを書くこと自体恥ずかしい。そのようなバウハウス運動の走り出しを支えた画家たちにクレー、カンディンスキーを初めとしてファイニンガー、モホリ=ナディ、イッテンといった錚々たるメンバーがいたわけだが、この"Painters of the Bauhaus"は彼らの存在がバウハウスにといっていかに重要であったかということ、そしてまた彼ら個々の画家たちの作品に与えたバウハウスの影響を明確にしようするものらしい。著者のEberhard Rotersはドレスデンに生まれ、歴史、考古学、哲学をハレとベルリン自由大学で学び一九五七年に博士号を取得しているという。旧東ドイツの学者なのでイデオロギー的なバイアスがかかっていることも考えて読む必要があるように思うのだがどうだろう。

ヒトラー社長

2005年10月27日 04時45分01秒 | 新刊書
最近読んだ本を一々取り上げるのはなんだかこそばゆい。自分が読んでいくら面白くてもそれを他人様が面白がるというわけではない。いや他人様にとってはつまらないことの方が多いのではないだろうか。これは憶測ではなくて自分の経験からいえることだ。
またわたしはナントカ賞受賞作と謳われた本もまず読まない。仮に読むとしても十年くらい先のことになる。というのも十年も過ぎれば評価も定まるだろうから。十年間読み続けられる作品ってのはそれはものすごいことなのだ。要すれば新刊書の類はほとんど読まない。しかしほとんど読まないということは、まったく読まないということではない。そりゃわたしだって新刊書は偶さか読みます。
最近読んだ本で面白かった、というより不思議な気分にさせられた本というと、Traudl Jungeの"Bis zur letzten Stunde"「最後の時まで」。邦訳版では『私はヒトラーの秘書だった』となっている。しかしどうもこの題名はいただけない。確かにそのものズバリでわかり易いといえばわかり易いのだけれども、なんだかカストリ雑誌の記事みたようで不愉快になってしまう(ちょっと例が古すぎか)。わたし自身の嗜好としては原題のほうが好きだ。この本は映画"Der Untergang"の元ネタの一つとしても有名になってしまったが、なにより生きているヒトラーの姿を活写していて興味深い。トラウドルの見たヒトラーはまさにワンマン社長の政治家版といった感じ。中小企業の創業社長に時たまあるキャラクターだ。
むかしむかしわたしがアルバイトをしていた足立区の某有限会社では社内会議が始まって十分もしないうちに、もう会議ではなく社長の独演会となってしまっていた。始めのうちはごく普通のトーンでしゃべり出すのだが、そのうち徐々に自分の発言に自分で興奮してきてしまい、最後には絶叫調でヘマした社員を叱りつける。方や叱りつけられた社員は反論することもなく嵐が過ぎ去るのを待ち続ける、といった場面はヒトラーの作戦会議そっくりだ。社員たちが社長に反論しないのは、もちろん社長の意見を是認しているからではない。そうではなくて彼らは端っからそんな会社に長居しようなどとはつゆほども思っていない。もっと露骨にいえば社長の絶叫も給料の一部くらいにしか考えていない。わたしはここで当時の社員たちを批判しているのではない、逆に彼らの態度はごく真っ当なものなのであって、そのような態度を社員に取らせる会社の雰囲気こそが問題だといいたいのだ。しかし、わたしには耐えられなかった。アルバイトだったので彼ら正社員よりずっと身軽な立場にいたわたしは、その職場をさっさと辞めてしまった。社会に出た後、じつはこの社長のようなタイプはたるところにいるということを知った。そしてそのような組織は結局リーダーに依存してしまい、リーダー以外の構成員には無責任状態が蔓延し組織として機能しなくなるという場面を何度も見ることになる。
『私はヒトラーの秘書だった』を読んでいて、わたしには一九四〇年代のドイツではなくてアルバイトに通っていたころの、あのトイレの匂いが漂ってくる会社の食堂が髣髴してきて、何度も胸が悪くなった。

看書思人

2005年06月25日 07時27分44秒 | 新刊書
三島由紀夫関係本と澁澤龍彦関係本を買ってしまった。学術書でもないのに二冊で4800円というのはかなりの出費だと思った。思ったがそれでも買ってしまったのだから、書痴なのだ。
で、今回は澁澤龍彦本について。これは澁澤龍子のエッセイ。さっそく話を脇道に逸らしてしまうが、書店の棚を見渡すとこの「エッセイ」というのがやったらめったら目に付く。気軽な感想雑記程度の文章を「エッセイ」というが、いっぽう小論、試論のようなものもエッセイという。だからナントカ娘の書いた作文も「エッセイ」だし西田幾多郎の『善の研究』もエッセイなのだ。ちなみに『善の研究』のアンセルモ・マタイス先生訳によるスペイン語版題名は"Ensayo Sobre el Bien"(注1)である。ところが昨今ではエッセイといえば前者つまり気軽な感想雑記程度の文章が主流になってしまっていて、わたしはエッセイと名の着く本にたいして敬遠がちになっていた。だからこの『澁澤龍彦との日々』も腰巻に「感動の書き下ろしエッセイ」などとあったので買うのにちょっと躊躇いがあった。しかしそれでも買ってしまったのは、カバーデザインが上品で、おまけに出版元が白水社だったから。
読んでみて、買ってよかったと思った。たとえば次のような一節からは酒宴での澁澤の無邪気とそれを受け流す龍子夫人の暖かさが感じられる。
「わたしはひそかに失礼ながら「三馬鹿」と呼んでいたのですが、土方巽さん、加藤郁乎さんに澁澤がそろうと、もう手がつけられません。慈姑を薄切りにしておせんべいみたいに揚げろ(澁澤の好物)、あれを作れ、これを出せ、あげくはわたしに裸になれの逆立ちしろのと無理難題をふっかけてきます。相手は正気ではないのですから、下手に抵抗すると修羅場になりそうですので、ひたすら泣いてしまいました。」(注2)
わたしは澁澤を通して初めてサドやオカルトを知った。まだ子供だったので彼の文章から酷く回りくどい、衒学的なものいいをする人だと思ったが、読み慣れてくるとこれが結構端正な文章であるがわかってきた。例えば『サド復活』所収の「暴力と表現 あるいは自由の塔」冒頭、
「サドについて語ることは、語ること自体が逆説となることを免れない。サルトルの言うようにジュネが悪人として書いたとすれば、一方サドは、書いたものが悪そのものとなったところの何者かであって、現代の批評家はもしサドを支持するならば、この悪徳のアポロジストを問題とするより悪徳そのものを問題とした方が捷径ではないか―という、先ずこれが第一のパラドックスである。実際、サドを単純に賛美するとすれば、こういう筋違いが起こるのは当然すぎるほど当然である」(注3)などは、1959年とまだ若い頃の執筆なので晩年のものより生硬なところもあるけれど、それでも現今のアホな学者の論文などより、よほど上質だ。このような文章を紡ぎ出してきた人の日常を、恐らく澁澤本人は望まないであろうとしても、この龍子夫人の本から垣間見ることができる。

(注1) "KItaro Nishida:Ensayo Sobre el Bien" traduction de Anselmo Mataix, S.J.y Jose M. de Vera, S.J.Revista de Occidente, Madrid, 1963.
(注2)『澁澤龍彦との日々』72頁 澁澤龍子 白水社 2005年6月20日第2刷
(注3)『澁澤龍彦全集』第1巻115頁 河出書房新社 1993年5月20日初版第1刷