今日は個人的にどうしても片付けなければならない事務手続きがあり(白状すると借金の弁済)、こちらは午前中に済んでしまったのだけれども、かといって午後から仕事にでかけるのもなんとなく億劫になってしまい(つまり自分が借金返済のために仕事をしていると思うと何とも遣り切れなくなってしまい)、結局職場には体調不良を理由に休暇の連絡を入れた。これを下世話には「ずる休み」とも言うらしい。
仕事に行かずどこに行ったかといえば、今日から営業している高円寺の都丸書店です。覚悟はしていたけれど、思っていた通りに大した品物はなかった。しかし新年早々やってきて手ぶらで帰るのも験が悪いので御祝儀代わりに『道元禅師研究-京都周辺における道元とその宗門-』を買った。「書痴歳末」で触れた巖松堂書店で四千円で売り出されていた例の本だ。巖松堂書店では函なしのむき出しで四千円、都丸はしっかりとした箱つきで千七百五十円でもちろん美本なのだから、古書の値付け基準というものは何年見て廻っていても素人にはなかなか判らないものだ。
そのまま帰宅してしまうのももったいない気がしたので、今年初めての神保町チェックを行った。しかし当然のこととてこちらのほうも芳しくなかった。しかたがないので日本特価書籍でドナルド・キーンの『思い出の作家たち』とNHK出版から出ているシリーズ「哲学のエッセンス」の『道元』を買った。どちらの題材にもわたしはとても興味を引かれる。そう、著者ではなくて題材になんですね。先ず『思い出の作家たち』だが、あの大部な『日本文学の歴史』を読んでみてもわたしにはドナルド・キーンという人がそれほど大した日本文学研究者だといった印象は受けなかった。おそらくわたしに見識眼が無いためそのようにしか受け取れなかったのだろうけれど。それから『道元』はというと、こちらは住光子という御茶ノ水女子大の先生が書いた道元もので、副題が「自己・時間・世界はどのように成立するのか」と付けられていることからも推察されるように、道元禅師の著作を西洋哲学的文脈を通して理解しようと試みる、まあ近頃流行の「道元読解もの」の一つのようだ。まだ読んでいないわけだからこれはわたしのまったく独断でしかない。完全に読み終わってから改めて感想を発表しようかと思います。
今回のチェックは確かに芳しくはなかったのだが、そのような中でこれはと思ったのが明倫館の店先に並んでいる安売り本の中にまぎれていた"Painters of the Bauhaus"だった。バウハウスは周知の通り一九一九年から一九三三年までドイツに存在した建築を中心にすえた工芸学校で、いまでもバウハウス・スタイルの椅子などが高値で売られたりしている。それほど魅力にみちた学校、というよりもっと広く芸術運動といったほうがよい、そんな活動体だった。校長職を初代がヴァルター・グロピウス(1919年-1928年)、二代目をハンネス・マイヤー(1928年-1930年)そして最後をミース・ファン・デル・ローエ(1930年-1933年)が担当した。ミース・ファン・デル・ローエこそガラスと鉄を用いた戦後アメリカオフィス建築を決定付けた建築家としてあまりにも有名で、こんなことを書くこと自体恥ずかしい。そのようなバウハウス運動の走り出しを支えた画家たちにクレー、カンディンスキーを初めとしてファイニンガー、モホリ=ナディ、イッテンといった錚々たるメンバーがいたわけだが、この"Painters of the Bauhaus"は彼らの存在がバウハウスにといっていかに重要であったかということ、そしてまた彼ら個々の画家たちの作品に与えたバウハウスの影響を明確にしようするものらしい。著者のEberhard Rotersはドレスデンに生まれ、歴史、考古学、哲学をハレとベルリン自由大学で学び一九五七年に博士号を取得しているという。旧東ドイツの学者なのでイデオロギー的なバイアスがかかっていることも考えて読む必要があるように思うのだがどうだろう。
仕事に行かずどこに行ったかといえば、今日から営業している高円寺の都丸書店です。覚悟はしていたけれど、思っていた通りに大した品物はなかった。しかし新年早々やってきて手ぶらで帰るのも験が悪いので御祝儀代わりに『道元禅師研究-京都周辺における道元とその宗門-』を買った。「書痴歳末」で触れた巖松堂書店で四千円で売り出されていた例の本だ。巖松堂書店では函なしのむき出しで四千円、都丸はしっかりとした箱つきで千七百五十円でもちろん美本なのだから、古書の値付け基準というものは何年見て廻っていても素人にはなかなか判らないものだ。
そのまま帰宅してしまうのももったいない気がしたので、今年初めての神保町チェックを行った。しかし当然のこととてこちらのほうも芳しくなかった。しかたがないので日本特価書籍でドナルド・キーンの『思い出の作家たち』とNHK出版から出ているシリーズ「哲学のエッセンス」の『道元』を買った。どちらの題材にもわたしはとても興味を引かれる。そう、著者ではなくて題材になんですね。先ず『思い出の作家たち』だが、あの大部な『日本文学の歴史』を読んでみてもわたしにはドナルド・キーンという人がそれほど大した日本文学研究者だといった印象は受けなかった。おそらくわたしに見識眼が無いためそのようにしか受け取れなかったのだろうけれど。それから『道元』はというと、こちらは住光子という御茶ノ水女子大の先生が書いた道元もので、副題が「自己・時間・世界はどのように成立するのか」と付けられていることからも推察されるように、道元禅師の著作を西洋哲学的文脈を通して理解しようと試みる、まあ近頃流行の「道元読解もの」の一つのようだ。まだ読んでいないわけだからこれはわたしのまったく独断でしかない。完全に読み終わってから改めて感想を発表しようかと思います。
今回のチェックは確かに芳しくはなかったのだが、そのような中でこれはと思ったのが明倫館の店先に並んでいる安売り本の中にまぎれていた"Painters of the Bauhaus"だった。バウハウスは周知の通り一九一九年から一九三三年までドイツに存在した建築を中心にすえた工芸学校で、いまでもバウハウス・スタイルの椅子などが高値で売られたりしている。それほど魅力にみちた学校、というよりもっと広く芸術運動といったほうがよい、そんな活動体だった。校長職を初代がヴァルター・グロピウス(1919年-1928年)、二代目をハンネス・マイヤー(1928年-1930年)そして最後をミース・ファン・デル・ローエ(1930年-1933年)が担当した。ミース・ファン・デル・ローエこそガラスと鉄を用いた戦後アメリカオフィス建築を決定付けた建築家としてあまりにも有名で、こんなことを書くこと自体恥ずかしい。そのようなバウハウス運動の走り出しを支えた画家たちにクレー、カンディンスキーを初めとしてファイニンガー、モホリ=ナディ、イッテンといった錚々たるメンバーがいたわけだが、この"Painters of the Bauhaus"は彼らの存在がバウハウスにといっていかに重要であったかということ、そしてまた彼ら個々の画家たちの作品に与えたバウハウスの影響を明確にしようするものらしい。著者のEberhard Rotersはドレスデンに生まれ、歴史、考古学、哲学をハレとベルリン自由大学で学び一九五七年に博士号を取得しているという。旧東ドイツの学者なのでイデオロギー的なバイアスがかかっていることも考えて読む必要があるように思うのだがどうだろう。