蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

「春よ春、お前はわたしを捨てる」

2006年03月21日 21時21分38秒 | 彷徉
チンクエッティのCDが欲しくなり秋葉原の石丸電気にいってみた。しばらくポップス系には目もくれていなかったのでその様変わりには驚いた。浦島太郎とまでは行かないが、それでも自分が世の中のトレンドから完全に隔絶しているという現実を思い知らされた。最近はヨーロピアンポップスはほとんど逼塞状態でわたしのチンクエッティは売場に置かれていた一枚が最後の商品らしい。ウイルマ・ゴイクなんて懐かしい名前があったのでこれも買ってしまったが、こちらも現品限りの商品だった。サッカー流行のあおりでイタリア語がたいそう人気だそうだが、それならばイタリア語の歌も聴けよっていいたくなった。
二枚で五千八百円はちょと堪えたが、チンクエッティとゴイクの聴き比べが結構おもしろかった。"Le colline sono in fiore"が両方のCDに収められていたからだ。チンクエッティの歌い方が清楚なのにたいしてゴイクはちょと色っぽい。しかしわたしが以前聞いた覚えのあるゴイクのLPではもっとあっさりと歌っていたから、このたび購入したCDは後になってからの録音かもしれない。この曲は日本語題名を「花咲く丘に涙して」という。でもイタリア語の歌詞のどこにも"piàngere"や"làcrima"といった単語は見当たらな。直訳して「花咲く丘陵」というのも味気ないが「涙して」は蛇足だ。始めのうちゴイクの歌い方に少々違和感を覚えたものの、聴いているうちにゴイクのほうがよくなってきた。ちとアンニュイな雰囲気にひかれた。
チンクエッティのCDに"Gira l'amore"が入っていなかったのはとても残念だった。この曲も日本語では「恋よまわれ」なんて穏当な邦題がつけられているのだが、原題にある"la gira"は「回転」のほかに「手形の裏書」といった意味もあるので、本来はちょっと苦味のある題名となっている。デヴュー当時十六歳だったチンクエッティと1960年代という時代が彼女の曲の日本語題名を甘いものにしてしまったという事情もあるのだろうけれども、今日だったらもう少しましな邦題が付けられていたはずだ。
わたしの大好きなチンクエッティの曲「薔薇のことづけ」も歌詞の内容にそぐわない邦題だ。原題は"Rose nel buio"となっていて直訳すると「闇の中の薔薇」というほどの意味だがこちらのほうがよほどよいと思う。ついでに書いて置くとこの曲の中でわたしが最も好きなフレーズは"primavera, primavera, tu mi lasci"ってところです。
さて帰宅してからいろいろと調べていて判ったのだが、石丸電気でCDを探したときわたしはジャンルを完全に取り違えていた。ジリオラ・チンクエッティやウイルマ・ゴイクはアクトゥエルなポップスなどではなくて、最早オールディーズで探さねばならない歌手となってしまっていることに気が付かなかったわたしもトンマなものだ。それはそうだろう、ベローナ出身のチンクエッティは一九四七年生まれ、そしてゴイクはカイロ・モンテノッテで一九四五年に生まれているから今年でそれぞれ五十九歳と六十一歳になる。つまり完璧なイタリアばあちゃんになってしまっていたのだ。
わたしの記憶の中のチンクエッティは十六歳のままなのに、しかしこれは受け入れざるを得ない冷厳な事実だ。


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