ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

ダメ先生

2019-01-25 06:01:37 | 思うこと
唐突だけど誰でも萌えポイントとかちょっとおかしな性癖だとかこういうのがツボっす、とかあるわけですが、私も無いようであったりします。
さほどおかしくも面白くもないけど、「ダメな先生をひたすら慕う弟子」というヤツです。これに弱い。弱すぎる。
でもあまりない。もっと欲しいです。

この場合の「先生」は学校の教師である必要はなく、というより学校の先生ではない方が好みです。

「俺は教師じゃないよ」
「いえ、僕があなたを師と仰ぐのです。それだけで充分です」

というのが好きです。

先生もしくは師匠は才能があるのですが生活力がなくて世間には認められない存在なのですが、その才能を感じて弟子となり先生を慕い守り抜く。世間は先生の凄さを判っていない、自分だけがその才能を理解しているのだ、という感じが最高に尊いのです。弟子のほうが明らかに生活力があり傍目には優秀な弟子がダメな先生を養っている、感じが好きなのです。

近くで言うと「ワンパンマン」がまさにソレですね。というか、「ワンパンマン」で自分の性癖に気づきました。
あのマンガを読んだ時、わたしはあまりジャンプ派じゃないんですが物凄く参ってしまって一見ぱっとしないサイタマにジェノスが寄り添い続け尊敬し続ける姿があまりにもツボ過ぎてげろげろしていたのですが、ある時はたとこれが私の性癖ではないかと気づいたわけです。

思えばこれもジャンプでしたが(どこがジャンプ派じゃないのか)昔「1・2のアッホ!!」というのがありまして奇妙な老人「カントク」と定岡君という師弟コンビのギャグマンガでそれほど大人気ではなかったのかもしれないけど私のつぼにドンピシャで大好きだったわけです。
少し違うけどとんねるずの博士と弟子、というのも結構よかったです。(最近のとんねるずは、というのはさておいて)

思えば新選組も土方と沖田、というコンビよりも近藤と土方、のほうがツボなんですよね。明らかにこちらの方がダメ先生と優秀弟子の流れを汲んでいます。

さらには夏目漱石の「こころ」もそうですね。
語り手の学生青年がどういうわけか仕事もせずぶらぶら生活してる既婚の年上男性を「先生」と呼んで慕い続ける、まさしく王道です。


ジャッキー・チェンの「酔拳」が大好きだったのもそんな感じだったからでしょうか。

先生がダメな感じじゃないと萌えないので案外なかなかないのですよね。
「ドカベン」が好きだったのも徳川監督が飲兵衛だったからかもです。

少女マンガだと更にダメ先生っていない気がしますし。少女はかっこいい先生が好きだからなあ。

凄く良いと思うんですけどね。
ダメ先生と優秀弟子。
ダメ先輩と優秀後輩。

男性社会の中のちょっとした理想郷、であるのかもしれません。



探し物

2019-01-24 20:59:42 | 日記
ネックレスをつけようとして、あるべき場所にないことに気づいた。
日常アクセサリーをまったくつけないのでかなり以前からそこになかったのだろう。
自分がそういうものをしまう場所は限られているので思いつくままに探したけど見つからない。

困った。

それは譲られたもので値段も知らないものだけどいわば形見と言ってよいものなので失くしたとしたら申し訳ない。
人に貸すようなこともないし、自分がどこかで落としたとか、置き忘れたとかいうことは考えられるけど、やはり家の中のどこかにしまい込んでしまってる気がする。
しかもそんな場所はいくつかしかない。
同じ場所を何度ものぞき込むけどない。

探し物は最初ここだと思ったところにある、というのを自分の定義としているのだけどその引き出しは何度も見ていていくら何でももう見逃すはずもない。

南無三宝。

幾日か、同じようなことを繰り返し続けた。

そして今日、何度ものぞき込んだ引き出し(最初に思った引き出しではないのだけど)の箱の中にごちゃ混ぜに突っ込んだ安物のアクセサリーの中に紛れ込んでいた。

よ、よかった。
でもやはり当たり前の場所においてたのだ。
ちょっと雑な仕舞い方だったけども。

それでも半分諦めかけていた探し物が見つかってよかった。

どういうものか、凄く得した気分になるのが不思議。

MAGI -天正遣欧少年使節 最終回10話まで

2019-01-24 07:15:49 | ドラマ


アマゾンプライム独占配信~MAGI -天正遣欧少年使節 ~見終えました。
なかなかの力作であったのではないかと思います。私としてはかなり満足の出来栄えでした。

以下ネタバレ含みます。






一作品の映画であればかなり軽い仕上がりであるでしょうが、連続テレビ小説的なドラマとして思えばなかなか訴えてくる内容になっていたのではと思います。
とにかく自分としては天正遣欧少年使節というドラマチックな物語がなぜ今までドラマ・映画化されていないのかが謎なのですが、小説・漫画化すらあまりないわけでやっとここにたどり着けたのか、という思いがあります。
異端とされていたキリスト教が題材であることが問題だったのでしょうか。やはり鎖国気質が強いからでありましょうか。異国へ行った日本人という題材があまりにも乏しいですね。

アマゾンプライム配信第10話でドラマは完結しています。
タイトル通り「少年使節」のドラマでありました。帰国した四少年を迎えたのは秀吉が行った過酷なバテレン追放の政策であり、彼らそれぞれの運命を待ち受けている、というラストシーンでした。

私自身は不勉強でウィキで確かめる程度しかできないのですが、それによると彼らは帰国後秀吉に招かれ西洋の楽器での演奏をして大いに気にいられ士官を進められるが全員断っている、ということで直ちに迫害されたわけではないのですね。
更にその後、このドラマでも常に疑念を持っていた千々石ミゲルは棄教し領地を治めますが近年彼の墓からロザリオがみつかり棄教してはいなかったとされています。しかも本作で語られる「彼らのその後」ではミゲルの息子があの天草四郎ではないかということで、これは全く知らなかったので驚きでした。
原マルティノは西洋の知識を広めようと著作しますが、結局追放されマカオで最期を迎えます。
主人公伊東マンショはマカオで神学を学び、再び帰国して北九州でハンセン病の支援をするなどの活躍をしていましたが次第に迫害を受けて病死、とあります。
四少年の中で最も苛烈な人生を歩むのは本ドラマで最も信仰に熱いけれど頼りなげでいつも母上を慕っていた中浦ジュリアンです。
追放令の中でも彼は日本にとどまり20数年地下活動を続け信者たちを見守ります。そしてそのために捕縛、怖ろしい拷問による死刑によって殉教しました。
四少年がまるで脚本に書いたかのようにそれぞれ全く違う道を歩んでいくのは不思議のようにも思えます。
その中でも中浦ジュリアンが信者のそばに居続け殉教したということに身が震える思いがします。

配信は11話以降も続いていて、天正遣欧少年使節にまつわるエピソードがあるようです。



「こぐまのケーキ屋さん」のカメントツさん

2019-01-23 07:07:44 | マンガ


長く生きているとやはり世相といいますか人々の考え方とかが変化していくのを感じられることが面白いわけですが、その時々でがっと変化を感じてさすがにぎょっとする時があります。

まあそれはほんとに時々あるのですが、それを感じさせてくれたのがカメントツさんの動画で語られた言葉でした。

まずカメントツさんが誰かというのは自分的には超有名な感じなのですがweb上で読んだ「こぐまのケーキ屋さん」の作者さんで主にwebマンガで活躍されていて紙の本も幾冊か出ているけど一般的にはまだ有名じゃない、という感じだったのが友人のために書いた「こぐまのケーキ屋さん」の4コマ漫画一作であっというまに人気者になってしまったという方であります。
私は偶然にもフォローしている方のリツィートで一作目から拝見できて他の方と同じく一目でファンになったのですが、私のような年配者には色々な意味で新鮮なマンガ作品なのでありました。

こぐまが主人公でケーキ屋さん、という設定はファンタジーとしてはむしろありきたりのようにも思えるのですが、そのありきたりに思える設定でこぐまの店長と人間の店員さんの会話だけで進んでいくようなほのぼの漫画がなぜこんなに自分のような老獪な者を含め多くの人の心をしかも一年以上にも渡ってつかんでいるのか、それはほんとに作品を読んでいくともうびんびんにというかじわじわというか泣きたくなるほど伝わってくるのです。

今の世界ってほんとにもうあっちを見てもこっちを見てもぎすぎすしている感覚がありますね。TV見てるとそんな話ばかりです。世界の平和とか言ってても隣国に対しても異国の人に対しても酷い言葉ばかり投げつけるのを聞いたり読んだりしていると辛くてしょうがありません。学校のいじめとか電車内でのいざこざとか、心がぐさぐさになってしまいます。

こぐまのケーキ屋さんの世界は優しくてほっとします。こぐまの店長と店員さんはお互いをすごく尊敬してて互いを思いやる気持ちが一番にあるのですよね。時々こぐま店長が失敗して店員さんがあわわとなっていてもそのことを可愛いなあ、でも店長のケーキは最高です、という気持ちがあるわけです。

でもそんな可愛い話も進んでいくとあちこち綻びができたりするものですが、カメントツさんのマンガはマジで本当に根幹に優しさ、争いたくない気持ちがあるのですね。
例えば、こぐま店長と店員さんが水族館に行く話があってこぐま店長が怖い鮫に怯えてしまう、というのがあったんですね。
他のマンガだと鮫に怯えている様子を前に俺が守ってやる、というような攻撃的な行動で愛情をしめす、というのが多いのではないでしょうか。
でもカメントツさんのマンガでは「やさしい鮫かもしれませんよ」という店員さんの言葉で「(鮫にも)おともだちがいますね」という理解をしますという展開になります。
これにはぐっときました。
カメントツさんの考え方というのはこういう形でできていてそれは優しいマンガをかいてみよう、というような付け焼刃的なものではなくデフォが優しさなんだということなのですね。
この作品を読んでこの人は本当なんだなあ、と思ったのです。

と、ここまでが前置きですw

冒頭に書いたカメントツさんの言葉で驚いた、というのは彼の動画が公開されていてその中で色々質問に答えたりしていたのですが、「こぐまの店長に彼女はできないのですか?」という問いに「もともとこぐま店長は男と女とも決めていない」と答えていたのです。「男女どちらかとか、股間についてるかついてないか、くらいでぼくは興味がないんですよ」とも。

正直言ってこれには凄く驚いてしまったのです。

というのは漫画って(ていうか小説でもなんでもそうだと思うのですが)まずは男女の物語なんですよね、基本的に。
よく言われるのは男性視点で言われるのですが「もてない男がマンガの中で可愛い女の子にもてる話を書く」とか「ヒーローになって女の子にもてる」とかそれが男の願望なのだからそれをマンガに描く、というのがまずは基本であるといつも「マンガの書き方」に書いてあります。少女マンガならさえない女の子が金持ちのイケメンに告白されるというわけですね。

しかし主人公が男でも女でもないなら何にもてるのか?
しかもカメントツさんは店員さんも男女決めてない、というのです。
?????
いやあ、年よりは驚きました。
男女平等、とはではなく男女決めてない。
単なるキャラクターなら別ですが漫画の主人公二人の性別を決めていない、気にしていない、というのは他にあるのでしょうか?
確かにそのせいか、ふたりはいつまで経ってもこぐまの店長と店員さんのままで名前がありません。名前をつけるとどうしても男女が示唆されてしまうからでしょうか。
こぐまはいつまでもじぶんを「くまは~」と言っていますし、奇妙だな、とは思っていたのですがカメントツさんはあえて決めてかったのです。

今までマンガ(やほかの創作もの)には数えきれないほどの作品があり、そのほとんどがジェンダーを気にする物語であったはずです。「男らしく」とか「女だてらに」とか「彼女が欲しい」とかそういう思考こそが作品の原動力になるのだともいわれていたはずです。
それが「男女を決めていない」「気にならない」と言われたのを私は初めて聞いたと思うのです。

カメントツさんの作品が今凄く受け入れられたのがまた一つ分かったのでした。

今まであった男女の関係や異質なものへの反感の話ではなく、ひとりの人間の店員さんと「こぐまの店長」という少し違う存在との理解と思いやりの物語であるということなのですね。

この年齢になって初めて教わったことでありました。






MAGI -天正遣欧少年使節 6・7話

2019-01-22 06:37:19 | ドラマ


MAGI -天正遣欧少年使節 非常に楽しく拝見しております。興味をそそるところは色々あります。

まずは歴史ものでありながら今まで繰り返されてきた戦国武将ものではないところ。戦国武将ものも好きですが、いつもそればかりでは。時折武将話を織り交ぜながら進行していくのも判りやすくて良いですね。
イエズス会の少年使節の物語なので意味もなく設定される恋愛ものがないところ。男性率が高すぎですがそれはそれでまたよろしいと思います。
当然と言えば当然ですがきちんと史実を踏みながら四少年の個性を描き物語が進むのは楽しいです。
そしてなんといっても興味を持つのは日本と海外の交流の物語だからです。
以前はもう少しドラマの中にも海外との関りがあったのですが、どういうものか最近は日本国内だけの物語ばかりになっているように思えます。
鎖国していた国ですからその辺は難しいところもあるでしょうけど、ドラマというのは影響が強い媒体なのですから積極的に取り入れて欲しいものだと思うのです。
余談ですがNHK「いだてん」はオリムピックの話なので必然的に海外の話も多くなりますね。こちらも大いに期待しています。
あまりに鎖国化しているのでそのうち再鎖国してしまうのではとすら思えます。




以下ネタバレもあります。




恋愛ものがないとは書きましたが、思春期の男子の話なので性的なエピソードも入り込んでいるのもよいです。そのエピソードは後に棄教する千々石ミゲルであります。彼の心は様々にキリスト教に対する疑念が生じています。

有名な少年たちのダンスシーンもあります。