ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

可愛いことばかり考えたい

2019-01-14 20:47:47 | 思うこと
生きていくことって大変ですね。
毎日楽しいこと考えたいけど、どうしたってお金もないし友達もいないし人間関係には気を使うことばかりなのにしかもうまくいかないの、自分がいけないのか相手が悪いのか、どちらも悪いのか、どちらも良いけど相性がだめなのか。
悶々としても解決はしない。

そしてもっともしょうもないことは相手はもう目の前にいないのに、ひとりでずーっと嫌なことを考えてしまう時間ではないでしょうか。これってなんにも意味がない。どんなに考えたってその気持ちが相手に伝わるわけではなく、自分の気持ちが荒んでしまうだけで心が汚れてしまっていくだけのように思えます。

逆に可愛いものや自分が大好きなことを考えている時は顔もにやけてしまって心もすっきりしていくようです。

さあて、どちらが良いでしょうか。
嫌な人のことを考えて心が澱んで何か汚くこびりついていくのと、大好きなことを考えて心がすっきり晴れ渡り清々しい風が吹いていくのと?

それが毎日積み重なっていったら?

嫌なことを思い続けていると顔にしわが寄り、口はへの字に曲がり、血の流れも滞りそうです。病気になってしまいそうです。
大好きな人や動物や音楽の事を考えましょう。大好きなマンガや小説や映画のこと、なんでも良いのです自分の好きなことを。嫌なことや悪いことはやめて良いこと、明るいこと、楽しいことを。
そんなの当然だけどつい悪いことを考えてしまう、そんな思いは遠くへ放り出してしまう。ゴミ箱へ捨ててしまおう。
良いこと、可愛いもの、大好きな人、そんなことを思い描いている方が良い。愛しいものを見つけよう。
それだけで心はぱっと明るくなる。

嫌なことを考えている時間はつまらないものです。
そういうのは追い払って可愛い顔を思い浮かべたいのです。

新造人間キャシャーン

2019-01-14 07:11:57 | アニメ


1973年から74年にかけて放送されたTVアニメ「新造人間キャシャーン」アマゾンプライムにて鑑賞しました。無論私としては再鑑賞なのですが、正直言ってほとんど覚えていない状態だったので初と言ってもいいのかもしれません。

アニメ大好きで成長した私ですがタツノコプロアニメとはなぜか相性が良くなくて好きになれないものばかり、という感じでした。今、タツノコプロ作品の表をつらつら見ても嫌いだったものばかりで逆におかしくなってしまいます。
人気のあったタイムボカンシリーズも時々見はしましたがなぜか好きになれないのですね。「みなしごハッチ」「いなかっぺ大将」「デメタン」「てんとう虫のうた」などからSF「テッカマン」「ポリマー」とかもダメで当時はアニメは絶対見るもの、という意識だったのですがそれでも受け入れがたい自分がしました。作品数が少ないのでイヤでも見ていたのです。
「ハクション大魔王」「マッハGOGOGO」は比較的好きでしたが「ガッチャマン」は微妙。最近のものであればそうでもないのですが、昔のものほど嫌いなものばかりです。

そんな中で「キャシャーン」が少し気になっていました。
確かにビジュアルデザインや設定など気になる存在ではあります。子供の頃、気に入らなくて見なくなってしまったと思うのですが、今見直したら案外名作だった!と感じ直せるかもしれない、との思いでの再鑑賞でしたが結果、微妙でした。笑い、でありましたよ。

確かに当時経済的な理由でラストが駆け足になり中途半端な終わり方になってしまっているそうなのですが、それでもそうだったのかというような感動は薄い気がしました。「ガッチャマン」のラストが思いのほか感動的だったのでそれを期待していたところもあったのです。

他の方のレビューを見ると、ファンだった方はとにかくかっこいい、ラストは感動だったと書かれているので再評価できるのではと思ったのですけども。

しかし愚痴ばかり言っててもしかないですね。
違う角度から考えてみれば面白く思えるかもしれません。
この作品の悪の根源は東博士ですね。このことはアニメ作品の中で彼自身も言葉にしているので作者たちもその思いで作っていたのだとは思います。ただ子供向けアニメだからということか、あまりその部分が強調されていないのは残念な部分でもありますね。
彼を深く敬愛し賛同し自ら新造人間キャシャーンにしてくれと頼み戦う息子鉄也も同等だと思います。

本作の悪役であり敵役のブライキング・ボスは東博士が郊外処理用ロボットとして開発したアンドロイドです。だが優秀すぎたあまり自由意思を持ち人間に使役されることに反抗して人間を征服し逆に使役しようと考えたところから物語が始まります。
この設定はとても面白いです。
しかもこの東博士は自分の息子を一度施術をすれば二度と人間には戻れないという新造人間キャシャーンにしてしまうのですね。この博士の頭脳は優秀なのでしょうけど、ブライキングボスのような思考をしてしまうアンドロイドを作ったこと、それに対抗するに自分の息子を犠牲にするなどとりあえず苦悩してはいますが根本的な部分が間違っているように思えます。
とはいえ、人間というものがそういう風に発展してきたことを思えば東博士の思考は人間を代表しているように感じられるわけですね。
なのでこの作品は「正しい行い」をしている作品として見るのではなく人間というのは間違いをしてしまい、こんなにも苦しい道を歩んでいくしかないのだと見ていくものですね。
キャシャーンとフレンダーは人間を助けようという思いでアンドロ軍団と戦い続けますがその先々で向けられるのは冷たい視線だというのがリアルです。
原子力発電所という恐ろしいものを正しいものと信じて設置しそれが破壊され人間を脅かした時にそこに住んでいた人々は様々に苦しみます。そこに向けられるのは優しさだけではなく恐怖や反感であったことを重ね合わせると人間とはどんな生物なのか、判ってきます。東博士と同じようになんとかして過ちを回避できないかとする人々の行動も同じように重ね合わせてしまいます。
本当にどうすれば幸福になれるのか、人間にはそれが判らない。恐ろしく、悲しいことです。

キャシャーンは父親の罪を贖うために人間でなくなるという罰を背負い不死身となってしまいます。ラストでもその罰が無くなることは願望としてだけ示唆されます。
怖ろしい作品です。

だけども人間はこの作品のように使役するためのロボットを必ず作ります。その時「このロボットが人間に反逆したら」というifはすでに存在するわけです。
優秀なアンドロイドを必ず自分の家族とし、友人とし、或いは恋人にすることもあるでしょうが、そのifが人間を苦悩させるわけですね。

そしてそのifが現実になった時、人間は新造人間キャシャーンを作るのでしょうか?
よりリアルな回答が「ブレードランナー/アンドロイドは電気羊の夢を見るか」になるのでしょう。
SFは予言する。

そう思っています。