毎日が続いている。
その為ではないとは思うのだが、
体重が3kg程減った。
夏ばてと言うような事でもないとは
思うのだが、
どうにもからだに力が入らない。
夏に生まれたせいか、
比較的暑さには強いと自負していた私だが、さすがに今年の夏には
じわじわと苦しめられている。
そんな中、今月の始めに軽い脳梗塞で入院していた母親が退院してきた。
私としては、もう少し自立できる動きができるまでは、リハリビを兼ねた
病院施設で養生して欲しかったのだが、病院側からの退院要請を
無視することはできず、非常に重い気持ちの中ではあったが
母親の帰宅を受け入れざるを得なかった。
それは私だけの気持ちだけではなく、母親本人も自由が利かない
自分のからだに不安を抱き、退院を最後まで拒んでいたのだが
看護師やヘルパーさんの「退院、おめでとう」の言葉を背中に受け
帰宅の途に着いたのである。
殆どなくなってしまった。
ちょうど会社の夏休みが始まった
その日の事だった。
朝昼晩の食事はもちろんの事、
着替え、排泄、からだ拭きに至るまで
ほぼ全ての事を介助しなければならない
状況であった。
入院前にもかなりの部分で手助けが必要だった母親だが
今回の闘病で殆ど全ての行動する力を失ってしまっていた。
その事を目の当たりにした時、理学療法士の先生からは、
ある程度の説明は受けていたのだが、これからの生活をどうしたら良いのか
母親に対してどう接したらよいのか、本気で悩んでいた。
既に5年強の介護生活を経験している私であっても、
さすがに今回ばかりは頭を抱えてしまったのである。
それは私の家族も同じ事なのだが、できるだけ私ひとりで
なんとかしようと思っていた。
何故なら、介護も始めの頃は優しく接する事のできる家族にも
その時間が長くなるに従い、分かっていてもどうしても不満が心の中に
沸きだしてしまう。
憎しみとまでは行かぬまでも、そうした気持ちが現れた家族に一体感など
見出す事はできなくなってしまう。
それは凄く不幸な事であって、介護する方にも受ける方にも
笑顔がなくなってしまうという事は、家族の崩壊を招く恐れが
生じるのではないかという危機感を抱いたからなのである。
我慢できる。
自信があった訳ではないが
そうすることが最良の道だと
信じていた。
そして決して他の者には苦労をかけまいと。
しかし・・・、
実際に色々なことをやっていくうちに
そう思っていた私が声を荒げてしまったり
行動の遅さにイライラしてしまったりする私がいる。
いつの間にか、そんな気持ちになってしいる自分が本当に情けなく、
そして悲しく、母親にすまないと思うと同時に
自分自身が嫌で嫌でたまらなくなった。
そんな自分を見かねてか、妻も子供達も私に気を使ってくれていたのだが、
それはとても幸せな事と思う反面、何故もっと強い自分になれないかと
「自己嫌悪」に深く落ち込む事も、正直無いとはいえない状況に陥っていた。
しかし、そんな母親になんと機能の回復が少しながらではあるが
その兆しが見えてきたのだ。
それは私に何かと相談に乗ってくれ、そして良きアドバイスをくださる
ケアマネージャーさんや、数日前から来てくださっているヘルパーさんに
よるところの力が大きい。
私の力のなさや介護に関する知識、技術を完全に補ってくれているのだ。
そうした周りの方々の力が同時に私を楽にもしてくれていることにも気付いた。
ひとりでは生きられないとはよく言う言葉だが、苦しい時は
やはり声を上げて助けを請うことも本当はとても大事だはないだろうかと
この世に及んでその事がやっと分かった。
それだけでは幸せなどにはなれない。
しかしまた、頑張らなければならない事も、
もちろん必要だと思う。
そして今、
母親帰宅の時の不安が和らぎ、
まだまだやっていけるのではないかと
感じ始めた。
それは長く終わりの見えない道であっても、
霧に巻かれてしまいそうな茨な道であっても、
絶対にやり遂げなければならない私の使命でもある。
時間は今は自由にならぬとも、いつしかきっと自分のものになる。
今はそれよりも、もっと大切な時間を過ごしているに違いないのだ。
「介護」
それは私がその日から本気で取り組む新たな道となった。
私には、まだ経験がない介護ですが、いずれ4人の親たちを背負う事に
なるだろうと思うと、親には、どうかいつまでも健康でいてください
と、願う毎日です
先日も、母が来てましたが、なんせ耳が遠くなって、会話にならないことが
多く、ついつい、怒鳴ったりしてしまう私です
次元は違うけど、一路さんの気持ち、少しはわかります
怒鳴ってしまってから、しまった・・・って反省したり・・・
そんな時に、限って、娘とも言い合いになったりして、なんで、私だけが
親や、子供や、孫のことまで・・・な~んて、貧乏くじ引いたようなヒロインになったりして、みんなに冷たくあたったりすることも、しばしばです
こんなんでは、いけないとわかってるんですが、人間ですからね
こっちにだって、心があるもん
強くなることなんてないと思います
弱音が出る時だってあるし、投げ出したい時だってあると思います
そういうときこそ、家族やヘルパーさんの手助けが必要だと感じますが・・
あまり、頑張っちゃうと、行き詰っちゃうような・・・爆発しちゃうような・・・
もっと、力を抜いて楽になれるといいと思うけど
現実はそうはいかないのですよね
一路さんも身体には気をつけてくださいね
大変な時なのに、いつもコメント、アリガトです
ところで、3キロ減・・・いいな(笑)
やっぱり、私のお肉、宅急便で送ろうか?
結構、引き締まってきたから、上等品だと思うけど。。。
オジがやはり一路さんみたいに頑張ってました。
でも、オバさんも優しい方で、オジと一緒に介護してくれて
助かりました。
オジところに行くたびに、何にもしない私たちは、
お酒を飲みながらオジのグチ聞いてただけでした。。。
ただ、私も近い将来は避けられないことと、思ってます。
お酒でも飲む機会があればいくらでもグチを聞いてさし上げられるのですが。。。って、私のほうがグチりそうですけどね(@_@)
猫の手のような私で、申し訳ございませんが、
応援しています!
頭が下がります。想像を絶する事の連続なのに身内のことなので
なかなか表には出せない日々。ここは遠慮無くぶつけて下さい。
溜まっている思いを吐きだして少しでもストレスを減らしましょう。
一路さん、あまり頑張らないでくださいね。時には手抜きしてくださいね。
非常な人間と呼ばれても良しとしましょう。
介護されているお母さんも本当はそう願っていると私は思います。
苦労するのは自分だけで良いと。
yoppe様へ
宅配便での高級お肉の贈り物、謹んでご辞退させていただきます(笑)
実はね、私はそれ程頑張っていないと思います。
だけど、頑張っていると思ってないとどんどん自分を追い詰めちゃう。
だから、これでも私は頑張ってるんだと信じるようにしています。
手を抜いているとも思ってはいませんが
やれる事、やらなければいけないと思う事は、まだまだあります。
それを全部やっていれば気持ちの上でも随分違ってくるのでしょうが
だけどそれじゃもちませんよね。
手を抜くんじゃなくって、心を抜く事ができないとホントにヤバイです。
だからyoppeさんも心を抜いてみてください。
心を抜くって難しいのですが、感覚的には
柔らかく、悪く考えず、のほほんと生きるみたいな・・・。
だけど人間ですからね~。
カーっとくることもありますよね。
ホント、難しいですね。
私はパソコンに向かって、そして書いて、読んで、
それだけでも気が晴れちゃいます。
だからyoppeさんのところにコメント書くのも楽しみのひとつなんですよ。
これからもよろしく!です。
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しぶまま様へ
良く分かるだけに一番きつい言葉ですね。(涙)
介護される側の人はホントに人間としてのプライドとか尊厳とかを
無視されていますから、しっかりしている方ほど大変な思いを
していらっしゃるのでしょうね。
まるで子ども扱いのような、しかも乳飲み子のように・・・。
そんな姿を見るのも辛いものがありますが
本人には耐え難い物なのでしょう。
なのに自分の体が自由にならないもどかしさや
病気の苦しさとも戦わなければなりません。
そんな苦しみから逃れたいと思っても無理はありませんよね。
だけど・・・、だけど耐えなければいけないんですね。
それが人間として、生きている人間としての
最低限の義務のような気がします。
間違いかもしれませんが、生きている以上は死んではいけないんですよね。
それが死んでしまった人たちに対しての礼儀だと。
だけど、そう思ってはいるのに、尊厳死もまたアリではないかと
心の底で思う自分もいるのですよ。
ホントに難しいです。
「生きる」って、いったいなんなんでしょう。
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よしりん77様へ
確かに・・・。
どうにもならない事、多いですよね~。
自然に任せる、時間が解決してくれるような事って、どうじたばたしたって
何の解決にもなりませんもんね。
それよりもそうなった時にアタフタしないだけの心構えとか
知識とかを身につけておく方がどれだけ重要か、なんて思うけど
その時までは危機意識なんてもたないですもんね。
結局、じたばたしちゃうんですよね。
退院して約3週間が過ぎようとしています。
随分変わりましたね。
ケアマネージャーさんもビックリしていましたが
環境はかなりの部分で影響するようですね。
しかし、完全な回復までとはいきませんからね。
私もこの先どうなってしまうのか、不安で仕方ありません。
しかしやっぱりじたばたしたって仕方ありませんから
自然に任せるしかないんですね。
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事務局A様へ
ホント、一杯呑んで語り合いたいですよね~(笑)
誰でも年をとりますし、元気でいれば避けることのできない道ですよね。
もちろんそれはする方もさせる方にも言えることです。
だけどそれは嫌な事じゃないんですよ。
大変だけど、自分が生まれたてのような子供の頃にやってもらったことを
今度はそれと同じような事を親にやってあげるだけ。
それには時間が必要ですから、かなり忙しくはなってしまいますが
突然この世からいなくなってしまう寂しさよりも
最後に長い時間を一緒に過ごせるってことは
ある意味、神様からいただけるプレゼントだと考えてみるのも良いかもですよ。
要は考え様なのでしょうが、
私はやっぱり、、、、そんな風には、、、思えない。。。大変です(笑)
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遊楽様へ
ありがとうございます。
時間がある限りパソコンに向かってキーを叩きますね。
しかし、介護ってその仕事自体も大変ですが、
田舎のこの地だから余計なのかも知れませんが、
世間がうるさいですね~。
他人の家の不幸話って、すぐに広まるし
またそういう話が好きなんですよね~。
いくらそうじゃない!って否定しても絶対に聞いてもらえませんからね。
たまに遊びにでも出かけようものなら、「もっと見てあげればいいのに・・・」とか
言われちゃってます。
そんな事をいう方に限って、介護について無知だったりするんですよね。
だけど言われるのが嫌だから、なるべく目だたぬようにはしていますが
そうすれば今度は、噂話を流されちゃったり・・・。
なんなんだよ~!って言いたいけど、ここは我慢ですよね。
だって、ホントに田舎ですもんね(笑)
志が足りないのは政治家だけではないようです。福祉関係にしろ教員にしろ、本来はなるべき人がならなくてはいけない職業に「資格が採れたから」などという小さな理由で就く人が多い気がします。
自分が言えたことではないですが、今の日本は覚悟や責任が足りないと思います。医療・福祉系の職業に携わる人は自分を殺せる人でないと厳しいでしょう。それ故にもっと国を挙げてそのような方々に支援をしなくてはならない筈です。
もちろん、マイナスな人間ばかりではないことは分かっているつもりですが・・・国の方向性に希望が見えないですし、もういっそ永田町崩壊しちゃえば良いのに、、なんて思う今日この頃です(苦笑)
そして何より・・・あまりに無知・無力な自分自身の存在意義を見いだせないでいます。。一路さんの「自己嫌悪」とは異なり、完全に自分の努力・度量不足によるものですが。。
千住ランナー様へ
そう思うのは誰でも同じですよ。
私だって努力も足りないし、度量も足りない。
だけど、そう思うのは良いけどそのままじゃいけませんよね。
何についても努力はするべきだし、器の大きい人間にもなりたいし。
だけどそこを頑張りすぎちゃうと、逆にストレスになっちゃうから
頑張りすぎないで、無理しないで、と言う事なんでしょうけど、
そこの部分のバランスはホントに難しいですよね。
お母様がホームを選んだ・・・、それはその状況にもよりますが
決して悔やむ事ではなく、その時にとっては最良な選択だったのではないかと
思います。
だけど、誰しもが後になればやはり後悔が先にたってしまう・・・。
実はそれが心の優しさだったり、お婆様に対する愛情の
現われなのじゃないでしょうか。
ご本人には辛い事かもしれませんが、何も思わない人ではないことが
人間らしいですし、いや、それが本来の人間のあるべき姿だと思いますよ。
確かに政策にはかなり不備があるし、お役所仕事的な部分が
介護の世界にも存在しますよね。
だけど、その現場で頑張っていらっしゃる方たちは、ホントに大変な
仕事にもかかわらずとても良くやってくださるのですよね。
上と下とでの認識の違いがそうした気持ちにもさせるのかもしれませんね。
全く生きていくには難しいことばかりで、色々勉強の毎日ですね。