風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

もういちど

2015-04-20 08:40:02 | マラソン


ようやく分かった気がする。

前回の30km走の練習でなんとなく楽しくなっちゃった訳が。

「闘争心」、「反骨心」、そういうものがほとんどなくなっていてしまった・・・。。

要するに30kmという距離を走るんじゃなくって30kmという距離を”行っただけ”。

だから楽しくなった。

元々練習ってある意味厳しいところがあって、必ずその日には反省や採点が下される。

だけど、目標らしい目標もなく、ただ漠然に走っているだけのものは練習とは言わないかもしれない。

その確たる証拠となったのが今回の「前橋・渋川マラソン」だったのかもしれない。



練習量は過去最低。

体重は過去最高で臨んだ大会。

それなのにキロ5分だとか、キロ5分30秒だとか、そんな夢みたいなことばかり考えていて結果はもちろん大撃沈。

いや、これは撃沈とは言わず、むしろこんな練習量でよくぞここまで走れたと喜ぶべきかもしれない。

2月からハーフのレースを3本、その他に30km走を2本と、それだけ見れば確かに走ってるように見えるけど、それは練習のようで練習じゃなかった訳で、しかも苦しかった、なんて思うこともすくなかった。

それは確かに故障や病気がそうさせたのかもしれないけど、それ以上に”情熱”がなくなっていた。

冷静に考えて、以前は介護に明け暮れそのストレスの発散のためと、自分の立ち位置を確立するためにがむしゃらに走ってきた部分があり、そうしたことで精神状態を保ってきた、なんてことが走ることに関しては良いほうへと影響を与えていたのだと思う。

だけど、その必要もなくなり、それまでのストレスの大きさからそれが痛みと姿を変え全身に襲い掛かれ、どう足掻いてももがいてもその地獄から抜け出すことができない。

どれだけレースの予定を入れモチベーションを上げようと思っていてもどうしても奈落の底から抜け出すことができないでいた。

そもそも走る理由がないのだから。

もちろんその気力もいつしか相当になくなってもいた。

だけど、こんなんじゃ・・・と思いたってこの2月から”本格的”に走り出した。



で、いきなりのガチレースで足の甲を痛め、再び走らずにいた。

なのにその間を安堵の気持ちでいられたということがいかにも”燃えない自分”を象徴していたようにも思う。

焦りもなければ悔しさもない。

いたって普通の気持ちで日々を過ごす。

長い休養時間を過ごしやっと走れば思い通り痛みは消え、その代わりにまともな走りは遠いところに行ってしまってる。

なのに過去のイメージだけはいっちょ前に残っていて、(いくらなんでも4時間を超えることはないよな)、なんて夢のようなことを考えている。

そう、スタートして最難関の長い上り坂を上りきるまで。

だけど現実はそんなに甘くはない。

そのこともよく知っていたはずだが・・・。

それなのに足が攣って走れなくなってもそりゃ仕方ないよって、全然悔しくとも何ともなくむしろコースを歩くことを楽しんでた。

そう、42kmを走るんじゃなくって、”42km先まで行く”だけだったから。

折しもゴールまで数キロ地点、二人の女神に勇気づけられ、再び走り出し、そしてゴールできたことは奇跡に近い。

それだけでもうれしくって仕方なかった。

悔いなんてこれぽっちもなかった。

それには通常の痛み止めも走るときに特別に飲んでいた痛み止めも一切なく、薬に頼らずそれでも走りきれたっていうことがあったからかもしれない。

だけど、今思えば悔しいと思っても至極当然の結果なのに。

42km先まで行っただけのレース。

だけど、だけどこれじゃダメなんだ。

もし身体がもたないからと5kmや10kmのレースに専念しようとしても、この気持ちでいる限りは絶対にダメだと思う。

それはこの「前橋・渋川マラソン」が物語っているようにも思う。

楽しければそれでよい、じゃダメなんだ。

だって、今回残ったのは参加賞と筋肉痛、それと暖かい女神二人の気持ちだけ。



走ることに関しては何にもない。

元々、たくさん心に残るものを積み重ねその上に自分が立ってこその自分。

新しい「ランナー一路」としてもう一度奮い立つのは今じゃないかと心の底から思った。

身体が、というよりも、まずは心を治さなければいけない。

そのことを今更ながら思いついたのも女神お二人のおかげ。

ありがとう、もう一度やり直します。

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弱気かしらん。

2015-04-05 17:33:43 | 日記・エッセイ・コラム


もう前回に何を書いたのか忘れちゃったよ(笑)

ああ、そうそう、痛めた足の甲ね。

で、ともかく走っちゃダメっていうことだから呆れるぐらい走るのを止めたよ。

そう、鴻巣パンジーマラソンが終わってから3週間経った先週までまったく。

もう歩いても押しても痛くも痒くもありません。

で、先週から5kmぐらいをポチポチ走り始めたよ。

足の甲は走っても違和感はないけど、他は違和感だらけ。

参ったね、こんなにダメになっちゃうとは予想もつかなかったよ。

もう何処が痛いとか言えないくらい全身、いたるところに痛みだらけ。

だけどこれは走ったからじゃなくって、元々病気のせいだから仕方ないし。

もう痛みに関する薬は全て止めちゃったから尚更だね。

それはそれとして、ともかくこんな状態じゃ二週間後に迫った前橋渋川フルマラソンを走れないじゃないか。

っていうことで、昨日雨が止んでから急いで30km走を慣行してみたよ。

結果は???

大丈夫、足の甲に痛みは起こらず走りきれたよ。



3時間17分もかかっちゃったけどね。

それがおかしいんだよ。

20kmまでは苦しくって苦しくって止めることばかり考えてた。

それが25kmぐらい走ったらす~って楽になって、まだいける、まだいける、って。

ランニングハイって感じじゃなくって、足は重々だったけど気持ちで足が動いたって感じ。

それをランニングハイっていうんだよ、っていえばそうなんだろうけど、今までに感じていたそれとは全くの別物。

なんだか新しい自分に出会った、なんて感じだったな。

今日も走れって言われれば走れたかもしれないけど、絶対に走らない。

元々そう言う強行スケジュール的なもので痛めたものだし、ここで再発させたらもう終わりだから。

しかし、これでフルを走ったらいったいどんだけ時間がかかるんだろう。

そもそも、こんな状態で走ろうと思うことが間違いかも。

でも、走るよ。

走ることで走れるようになるんだと思い知らされたから。

走らなければどんどん走れなくなっちゃう。

自分の感覚だから他人から見たら違うって思うかもしれないけど、自分ってそういう人間。

素質も何もないから走るしか走る道はない。

骨が砕けちゃったら止めるけどね(笑)



あと二週間、もう長い距離の練習はできないし、この先どんな支障が起こるか分からないけど、ともかく最大限の努力はするよ。

そしてどんなことをしてもこのレースは走り切りたい。

そしてその先には少しの間、フルやウルトラは休もうかな(6月の奥武蔵は走るけど)と思っている。

この頃こう思うんだよね、何となく「足がもたないな~」って。

「そんな弱気でどうすんの!」とも思うんだけど。

まあ、今そう思っていてもまたどうなるのかわからないし、今回のフルを走ったら気持ちも事情も変わるかも知んない。

そういう意味ではこのレースは自分にとって分岐点になるかもよ。

っていうほど大げさなものじゃないけど、でもでも、やっぱり色々考えちゃうなぁ~。





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