風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

もう走れない。

2022-06-25 10:38:57 | 日記・エッセイ・コラム
”もう大会は走らないかな”

などと思いながらも、つい癖で近隣の大会が開催されるとなると申し込んでしまう。

もういい加減懲りればいいのに、、、またもやその申し込んだ大会の中止が発表されて、何時ものようにへこんで・・・。

もう何度だまされるんだ、、、あきれてものが言えない、、、自分に。

「嬬恋キャベツマラソン」

なんとコース近くの橋梁が崩れ、その大会のコースがう回路になったための中止だそうで・・・。

まあ、仕方ない。

でも、返金されるのかと思ったらなんとランネットのポイントで返された。

ランネットでのお買い物、又は他の大会参加費に充てる以外使い道がない。

こんなの詐欺以外考えられない。

まだ返金もなく参加賞のひとつも送られてきた方がさっぱり諦められる。

とは言っても、主催者側もそれなりの苦悩があったのだろう。

そうして返金(ポイント)するのが一番手っ取り早いっということか。

市町村、自治体のやることはこんなモノ。

さて、それではそのポイントの使い道は?



他に代替えの大会を探そう。

もう開催されなくてもいいや。

どんな理由を付けて、中止を言い足されても、返金もなくTシャツ一枚送られてくるだけでも、もう捨てたのと同じお金。

それがおまけでポイントとなっただけ。

で、見つけたのが「赤城大沼白樺マラソン」&「太田スバルマラソン」

もう何度走ったのか分からなくなってしまったくらい、自分にとってはポピュラーな大会だ。

しかし、そのポイントだけでは足りずお財布から追加さして・・・。

馬鹿だなあ、、、本当に馬鹿だ。

でも、それでまたモチベーションが保てたらそれはそれでいいかと、内心納得はしている。

がしかし、全く納得できないものがある。



何とか頑張ってまたフルマラソンを走ろう。

そう目論んでいた自分をあざ笑うかのように、、、、参加費の高騰に愕然とさせられた。

馬鹿らしいほどの値上がり。

尽く10000円を超える大会。

自分の財政状況では諦めるしかない金額。

年齢を重ねて一線級から退く仕事は、それと同時に収入も極端に削られる。

その収入レベルに合わせた生活の中で10000円を優に超える参加費で走れるはずがない。

何にどれだけ経費が掛かるのか、そんなことは知る由もないが、市民の健康増進を目的としてきたマラソン大会は地方自治体の財政問題とのからみで運営にかかる費用をカットされた、そんな理由もないとも言えないのではないかと思われる。

”大会は開催しよう。だが、走りたければそれなりの費用は覚悟しておけ。市民の健康は市民自身で築き上げるものだ”

きっとそんな社会になってしまったんだろうな。

大幅な支出を計上するようなイベントは市民の税金を使っている以上許されない。

もうダメだ。

そんな大会には参加することはできない。

もっと参加者に優しい大会。

それだけを走ろうと思う。

東京マラソンの20000円を超える大会など論外。

あの大会が始まってから、その金額に追従するかのように跳ね上がってしまった他の大会の参加費。

”そのくらい払うのは当り前だろう”

この苦境は東京マラソンに責任がある。

憎んでも憎み切れない大会だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変化

2022-06-10 04:45:30 | 日記・エッセイ・コラム
夜勤の仕事を辞めて一年が過ぎた。

やっと生活パターンが昼間へスイッチした、、、と言いたいところだが、どうにも睡眠サイクルは自由にシフトできないらしい。

とんでもない時間に眠くなり、とんでもない時間に目が覚める。

睡眠障害と一言で言ってしまえばそれまでだが、当の本人としてはかなり荷の重い問題だ。

仕事は何とかなる。

居眠りなどはしないし、時間に追われ、ノルマ的なものも抱えた訳ではないので、それなりには余裕がある。

ただ、ひとつ問題なのは走る時間に余裕がないこと。

就業後、勤務地的に寄れる公園がない。

自宅付近を過ぎて、いつもの公園に向かおうと思うと家が恋しくなり(晩酌が・・・)、つい、ハンドルを自宅方向へきってしまうのだ。

そうなると時間も時間であり、さすがに疲れもあることから風呂に入り、ビールをコップに注いでしまう毎日だ。

要するに、家に帰る時間が夕刻ということが走る時間を奪っているいということ。

今まで昼間の時間を自由に使えた仕事であったのが、その昼間に拘束されているからこそ、走る時間が無くなってしまうということだ。

そこではたと考えた。

ならば、朝走ればいいダコのことではないか。



手巾前、朝食前、まだ家族が就寝中の早朝。

その時間を走る時間に当てる。

それなら誰にも迷惑をかけることもなく、自由に走れる。

当然だが、公園などに向かう必要もない。

向かっても駐車場も開いていないから、仮に公園に行っても無仇足となる。

ご近所ラン。

農村地帯の田んぼ道。

誰もいないし車も通らない。

大手を切って道のど真ん中を我が物顔で走れるというおまけつき。

この季節の、この時間、とてつもなく清々しい気分に浸れる。

ただ、それが有効な練習になるかと言えばそうでもない。

時計もGPSも持たずに出かけるランは殆ど朝の運動(今日一日の暖機運転的な)、ストレス解消程度のランに過ぎない。

気持ちいいは、苦しい練習のy渡航練習にもなるとは思えない。

要は”今日も走ったんだ”と言う自己満足、それだけの効果しかないと思うような走りだ。



それでも充分。

そもそも、レースに向けて走ろうと、記録を目指して走ろうと、そういう考えはコロナ生活と共に消滅したに等しい。

周りでは、やっと始まりだしたレースで一喜一憂。

久しぶりにレース話を聞いてもグッとくるものがやけに少ない。

逆に引いてしまうような自分が、”随分衰えたなぁ”と思う反面、”もう無理だ”と諦めの境地に入ってしまったような気分にもなっている。

当然、収入も激減した生活でもあり、むやみにレースをエントリーできない事情もあるが、この早朝のラン事情は自分でも案外気に入っている。

これから灼熱の夏を迎える。

走れる時間など限られている。

早朝を走れる”睡眠障害”は意外と役に立っているのかも知れない。

これも今まで頑張ってきたことの”ご褒美”なのかも知れない。

だとしたら、昼間の仕事中のだるさ(走り疲れ)も苦笑を浮かべながらも我慢できるかもしれない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おかしい

2022-06-05 04:40:27 | 日記・エッセイ・コラム
どうもおかしい。

最近、訳もなくつまずく。

つま先が上がってないのか。

人生につまずきは付きもの。

いや、そういう話ではない。

だからなのか、走っていても、どうも違和感を感じる。

腰が落ちる。

前かがみになる。

姿勢が保てない。

筋力に衰えがあるということなのか。

それとも、身体的に何か病的な不都合が生じているのか。

分からない。

体調が優れないのも確かだが、直ぐに直ぐと言う危機的な状況ではないと思っているのだが、はたしてその真相はいかに?



仕事に行き詰っている。

と言うのも、人員が足りないのだ。

ハローワークに求人を出しているというが、この頃めっきり応募が無いという。

やらなければならない仕事は目白押し。

手を付けなければひとめで分かる仕事だけに、どれだけきつくてもこなさなければならない。

それにしたって限界がある。

不平不満のたまり場。

余裕のなさはひとの心まで荒げる。

どうしたものか。

人事は自分の仕事ではないが、ともかく何とかしてほしい。



今年もなんとか峠を越えた。

ジャガイモにサツマイモ、それに夏の野菜たち。

今のところ実に順調だ。

今の自分の心の拠り所、それは家庭菜園(よりも多少規模は大きいが)で成長を続ける野菜たちの姿を見ること。

自分でもおかしいと思うほど、頻繁に畑に向かう。

実は農業に対して憧れる気持ちがあふれ出しているのかも知れない。

だからと言って、今の仕事を辞め、専業農家に転身するほどのパワーはない。

自家野菜中心の食卓を支えるだけで充分と、無理やり納得させている。

さて、そろそろ初収穫を向かえそうな気配のキュウリでも見に行ってきますか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする