「もう施設に帰ることは無理かもしれません」
「殆ど認識はできないでしょう」
母親が4度目の脳梗塞で救急搬送されたと
施設にから連絡を受けました。
もう全くと言って良いほど意識はなく
何の反応もなく横たわっているだけ。
肺炎も併発しており重篤な状況が二週間ほど続きました。
ICUでは面会時間は5分程度と決められてはいたのですが、
その5分さえ時間を持て余してしまうほど何の反応もない母親は次第に様態も安定し
入院して三週間目には退院の許可がおり、再び施設へと帰っていきました。
しかし、状態は相変わらずで医師からも脳梗塞あるいはその合併症で危ない状況を
何時発症してもおかしくないと言われ続け、施設の関係者とも終末の対応や
処遇についての話し合いを何度も行ってきました。
その合間を縫ってその短い時間を走る時間にと何度か短い距離を走ってはいましたが
充分な練習とは決して言える状態ではなく、ただの気分転換程度。
そんな状態ではありますが昨日は久しぶりにレースを走ってきました。
数年ぶりに復活した、
かつての人気大会です。
残念ながら復活したことが
あまり知られていなかったらしく、
以前のような賑わいもあまりなく
オマケに深夜から降りだした
雨が朝には土砂降りとなってしまい、よりいっそう淋しい大会となってしまいました。
私自身も体調の不安から解放された訳ではなく、あのリリカを止めてから痛みに関しては
確実に酷くなっており、このレースを走る事によって引き起こされる痛みが
どんなものになってしまうのか不安が無い訳ではありません。
ただ、こうしてまたレースのスタートラインに着けることは大きな喜びであり
感慨深いものも湧いてきます。
しかしそんな気持に浸っているのも最初だけ。
走り出して直ぐに現実に引き戻されてしまいました。
右側の胸から首筋にかけてガチガチに固まってしまいました。
肩こりと寝違えてしまったような痛みが何倍もに増幅され襲われてしまったような不快感。
いくら首を振ろうが肩を回そうが一向に改善される兆しがありません。
あまりにその状態が酷く、呼吸をするのにも違和感がありこれが練習の場だったら
すぐさま走るのを止めた事でしょう。
今日は絶対に完走すると決めており、
何があっても止まらず走りきろうと
心に誓ってスタートしたのです。
雨は依然として止むことは無く、
容赦なく身体を濡らしていきます。
そんな冷えが影響したのか
左腕にも痛みが走り出し最悪の状況に。
しかし、一度決めた決意は固く、止まる事無く痛い腕をさすりながらも走り続けます。
広大なキャベツ畑や、人の数よりはるかに多いだろう牛舎のホルスタインの白黒の
まだら模様に気をそらし、なるべく不快感や痛みから気を紛らわそうと周りをキョロキョロ。
折り返してきた先を走るランナーを数えたりして、「ああ、今、何位だ」とか。
そうこうしている間に中間点を折り返し後半戦へ。
雨は弱くなったり強くなったりを繰り返し、帽子のつばからポタポタしずくが落ちていきます。
きっとそれは雨の為だけではなく、かなりの発汗もあったのでしょう。
益々勾配のきつくなる坂はここまで走ってきた足に更にダメージを与え
左足にヤバイ痛みを感じ始めまていました。
ただ、この痛みはただの練習不足の為に起きたものと判断。
ならばここまできて弱気になる必要もありません。
残り4kmを切った最後の激坂では私だけでなく皆が苦しいようで、
私のような手負いのランナーでも何人かを捉える事ができました。
最後の力を振り絞って全力疾走。
ゴール前でも何人かを抜き去り
ゴールへとなだれ込みます。
こうしてやっとの事で21kmを
走りきる事ができました。
ゴール後、係りの人から、
「飛び賞ですよ、賞品を貰ってきてください」と。
キャベツとレタスの入ったビニール袋を手渡され、「ラッキー!」との喜びもつかの間、
この左腕の激痛ではるか先の駐車場まで運ぶのかと思うとマジで泣きそうでした。
まあ、ともかく走りきれた事ですし、それはそれで良いとしても、未だに首はガチガチ、
左腕には力も入らず、足の残るダメージ以上にこの身体の不調はまだまだ走るのには
早いという事なのでしょうか。
まったく何時になったら私は普通に走れる身体に戻れるのでしょうか。
良い勉強になりましたわ。
記録 1時間50分06秒
総合順位 179位
種目別順位 49位