風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

雨中の戦い、「北軽井沢マラソン」を走ってきました。

2014-06-23 14:51:37 | マラソン

2014_06200005  「何時何が起ってもおかしくない状況です」

「もう施設に帰ることは無理かもしれません」

「殆ど認識はできないでしょう」

母親が4度目の脳梗塞で救急搬送されたと

施設にから連絡を受けました。

もう全くと言って良いほど意識はなく

何の反応もなく横たわっているだけ。

肺炎も併発しており重篤な状況が二週間ほど続きました。

ICUでは面会時間は5分程度と決められてはいたのですが、

その5分さえ時間を持て余してしまうほど何の反応もない母親は次第に様態も安定し

入院して三週間目には退院の許可がおり、再び施設へと帰っていきました。

しかし、状態は相変わらずで医師からも脳梗塞あるいはその合併症で危ない状況を

何時発症してもおかしくないと言われ続け、施設の関係者とも終末の対応や

処遇についての話し合いを何度も行ってきました。

その合間を縫ってその短い時間を走る時間にと何度か短い距離を走ってはいましたが

充分な練習とは決して言える状態ではなく、ただの気分転換程度。

そんな状態ではありますが昨日は久しぶりにレースを走ってきました。

2014_06200011_2 「北軽井沢マラソン」

数年ぶりに復活した、

かつての人気大会です。

残念ながら復活したことが

あまり知られていなかったらしく、

以前のような賑わいもあまりなく

オマケに深夜から降りだした

雨が朝には土砂降りとなってしまい、よりいっそう淋しい大会となってしまいました。

私自身も体調の不安から解放された訳ではなく、あのリリカを止めてから痛みに関しては

確実に酷くなっており、このレースを走る事によって引き起こされる痛みが

どんなものになってしまうのか不安が無い訳ではありません。

ただ、こうしてまたレースのスタートラインに着けることは大きな喜びであり

感慨深いものも湧いてきます。

しかしそんな気持に浸っているのも最初だけ。

走り出して直ぐに現実に引き戻されてしまいました。

右側の胸から首筋にかけてガチガチに固まってしまいました。

肩こりと寝違えてしまったような痛みが何倍もに増幅され襲われてしまったような不快感。

いくら首を振ろうが肩を回そうが一向に改善される兆しがありません。

あまりにその状態が酷く、呼吸をするのにも違和感がありこれが練習の場だったら

すぐさま走るのを止めた事でしょう。

2014_06200041 でも、これはレース。

今日は絶対に完走すると決めており、

何があっても止まらず走りきろうと

心に誓ってスタートしたのです。

雨は依然として止むことは無く、

容赦なく身体を濡らしていきます。

そんな冷えが影響したのか

左腕にも痛みが走り出し最悪の状況に。

しかし、一度決めた決意は固く、止まる事無く痛い腕をさすりながらも走り続けます。

広大なキャベツ畑や、人の数よりはるかに多いだろう牛舎のホルスタインの白黒の

まだら模様に気をそらし、なるべく不快感や痛みから気を紛らわそうと周りをキョロキョロ。

折り返してきた先を走るランナーを数えたりして、「ああ、今、何位だ」とか。

そうこうしている間に中間点を折り返し後半戦へ。

雨は弱くなったり強くなったりを繰り返し、帽子のつばからポタポタしずくが落ちていきます。

きっとそれは雨の為だけではなく、かなりの発汗もあったのでしょう。

益々勾配のきつくなる坂はここまで走ってきた足に更にダメージを与え

左足にヤバイ痛みを感じ始めまていました。

ただ、この痛みはただの練習不足の為に起きたものと判断。

ならばここまできて弱気になる必要もありません。

残り4kmを切った最後の激坂では私だけでなく皆が苦しいようで、

私のような手負いのランナーでも何人かを捉える事ができました。

2014_06200028 その後も上り基調のゴールまでの直線は

最後の力を振り絞って全力疾走。

ゴール前でも何人かを抜き去り

ゴールへとなだれ込みます。

こうしてやっとの事で21kmを

走りきる事ができました。

ゴール後、係りの人から、

「飛び賞ですよ、賞品を貰ってきてください」と。

キャベツとレタスの入ったビニール袋を手渡され、「ラッキー!」との喜びもつかの間、

この左腕の激痛ではるか先の駐車場まで運ぶのかと思うとマジで泣きそうでした。

まあ、ともかく走りきれた事ですし、それはそれで良いとしても、未だに首はガチガチ、

左腕には力も入らず、足の残るダメージ以上にこの身体の不調はまだまだ走るのには

早いという事なのでしょうか。

まったく何時になったら私は普通に走れる身体に戻れるのでしょうか。

2014_06200055 喜びと同時に厳しさを味わった今回のレース。

良い勉強になりましたわ。

    記録  1時間50分06秒

   総合順位   179位

   種目別順位  49位

コメント (9)
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「脱出」

2014-06-11 11:36:10 | 日記・エッセイ・コラム

2014_05310052      ≪180/101≫

こんな血圧、経験した事、ありますか?

実は最初、上が190を越えていました。

二度目に計ってやっと180台になったのです。

これ、先週の病院で何時もの診察での出来事。

もう、その日よりも大分前から

充分不調を感じていて

自宅で平静時に計っても上が150mmHgを越えることもしばしば。

どうやらこの血圧の不調は処方薬リリカ又はプレゾニゾロンの影響と思われます。

この位まで血圧が上がってしまうと顔は火照り、ソワソワしてしまいどうにも不快極まりない。

それ以上に、このままでは血管がもたないとの不安感でどうしようもなく

先ず第一にこの事を医師に告げました。

それと、この頃は尿の量が極端に減り、仕事中は出社から退社まで

一度もトイレに行かない事も度々あり、その影響か体重が薬を飲み始める前からみると

3kgも増えてしまいました。

このリリカの副作用に腎臓機能の低下というものも報告されており、

私はまんまとその副作用にやられてしまったという事らしいです。

医師は即刻この薬の投薬を中止し、他の薬に変えるとの診察。

ですが、この薬を止めた事で、またあの地獄のような痛みに襲われては本末転倒、

それで本当に大丈夫なのかを医師に問うたのですが、

それはやってみなければ分からないと返答。

なんとも頼りない処方で今に至ってます。

結果、止めて三日ほどで血圧は下がり始め、上が130台、下も80前後と安定してきました。

尿意も本当に忙しくなるほど感じ、いっきに体重も2kgほど戻りました。

しかし、その代償といってはなんですが、もの凄い頭痛、お腹の不調、そして関節痛と、

以前にまして酷い日々を過ごしています。

走る、なんてとんでもない。

足はフラフラ、目眩でクラクラ、気持悪くって仕方ありません。

約三ヵ月間かけて慣らしてきた神経疼痛治療薬リリカを

いっきに止めた為の影響なのでしょう。

逆に考えれば、これ程凄まじい薬を今まで飲んでいたという事。

たった1cmにも満たないちっちゃなカプセルの薬であっても、

人間に与える影響力というものの凄さを嫌と言うほど思い知らせてくれました。

しかし、どうしたものでしょう。

今の薬(サインバルタ)は殆どこの痛みに対して効き目を発揮してくれないようで

日ごとに肘や肩や指に徐々に痛みを感じ始め、またあの最悪の痛みに行き着くまでには

そう時間もかからない様な気がしています。

腰痛で三日ほど身動きできなくなったあの痛み。

腫れてしまい、箸ももてなくなってしまった手首の痛み。

伸ばす事もままならず、車のハンドルも回せなくなってしまった肘の痛み。

また、それらの苦しみの中に逆戻りするのかと思うと、相当気が滅入ります。

「リリカを飲んで血圧の薬を飲む、というやり方もありますから」

と、医師は言うけど、ここまで身体を薬で痛めつけてしまい、

2014_05310021 例え痛みが和らいでいたにしても、

逆に自分の身体の事を考えたら

悪い方へ向かっているような気もします。

ここはやっぱり止めるべき、ですよね。

ああ、それにしても何時になったら

自分の身体が自分のものとして

戻ってくるのやら。

今はじっとあの悪魔の薬、リリカからの脱却に耐える日々であります。

コメント (4)
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