風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

試練! 第二幕「某地区体育祭」

2013-09-30 18:07:02 | スポーツ

2013_09180045 からりと晴れた翌日の日曜日は

某地区地元の体育祭。

もちろん、腰は痛く

膝には力が入りません。

全身筋肉痛で

まともに歩くこともできません。

昨夜は帰宅途中コンビニで購入した

ロックアイスで必死のアイシング。

それでも膝の痛みが取れるはずもなく、二階の寝室に行くのも一苦労。

目覚めれば上った階段を下りなくてはなりません。

手すりにしがみつきやっとの事でリビングへ。

こんな状態で今日のリレーを走れるわけがありません。

むしろ走れるって言う方がおかしいでしょう。

オリンピック選手だってフルマラソンを走ってから100mの競争に出たなんて人、

聞いたことありませんよね。

ましてや私はその倍の84kmですよ、絶対におかしいよね。

そりゃ84km走ったんだから50mや100mぐらい・・・・って思うのもうなずけるけど(苦笑)

あまり食欲も湧かないけど、とりあえず朝食。

その後、少しずつカラダを動かして筋肉をほぐします。

リレーの予選は12時半ぐらいの予定。

それまでに何とか動けるカラダにしなくっちゃ、と焦ります。

先ずは公園に行って自分がどんな感じになっているのか知らなければなりません。

約2kmほどのウォーキングのあと、ちょっとだけダッシュのまね事。

しかしやっぱり膝のチカラが変な感触と共にす~っと抜けるのです。

痛いというよりも沁みるという感じに近いかも。

とっても嫌な感じです。

もうこのままでは絶対に走れない、そう思って最後の望みを薬に頼る事にしました。

「ロキソニンS」

第一種医薬品、薬剤師がいなければ手に入らぬ薬品です。

もし、相当な怪我であって、それを痛みを消してまで走ることは

かなりのリスクを負うということ。

しかし自分が走らなければ誰かが代わりに走らなければなりません。

50歳代の人がいきなり走ったらどうなるのか容易に想像がつきますよね。

もしそれで怪我でもしたら私はここで生きては行けない。

いくら体育祭と言えどもその体育祭の華、最終種目のリレーは選手以外の誰もが期待し

そして当然ながら選手も真剣になってしまうのです。

だからその分だけ何かあれば風当たりも相当強く、だからこそ皆が嫌う訳でもあるのです。

その大役をほぼ強制的に受けさせられちゃった自分。

2013_09180047 もう逃げる事もできません。

先ずは一錠投入。

時間をおいて走ってみますが、

やはり少々の痛みを感じます。

それでも我慢すれば何とか走れるでしょう。

しかし不安を残したままのスタートではダメ。

やはり選ばれた人たちが並ぶこの競技。

手抜きの走りではあとで何を言われるか分かりませんからね。

そこでもう一錠投入。

頭はぼんやりしましたが、痛みは感じません。

これで不安なく走れそうです。

が、痛みは消えたと言え筋肉が復活するはずもなく、特に瞬発力を必要とする

スタートを任される50歳代。

そう、50歳代はスタートの50mときめられているのですよね。

だから順位もはっきり分かっちゃう。

予選第二組のスタートラインについてピストルの号砲を待つ間も、

自分の瞬発力のなさが気がかりで仕方ありませんでした。

「パン」

予想通り一歩が出ません。

かなりの選手に先行を許しました。

もしかしたらビリだったかも(笑)

しかしそこからスピードに乗り2位まで順位を上げ無事バトンパス。

なんと我がチーム、1位で予選を楽々突破。

これでもう一本走らなければならなくなりました。

この日は日差しが強く、日陰も殆どなく、薬の影響もあってかぼんやりと椅子に腰かけ

最終の決勝を待ちます。

やや薬の効き目も落ちてきたのか、それとも痛みが強く出始めたのか

太腿や足首に痛みを感じ始めました。

早くしなければ・・・と、焦っても仕方ないこと。

でも、走れる時間はそう長くはないなとの予感。

2013_09180050 そうして待つこと3時間あまり。

最後の種目、地区対向リレーの開始です。

アップの為に10mぐらいをダッシュ。

相変わらず瞬発力はありませんが、

トップスピードは予選の時よりも

上がっているかなという感触。

ただ出遅れる事は決勝の面々からみて

絶対にやってはいけない事。

100mとか200mとかなら後半に追い上げられても50mはそれができません。

号砲一発、決勝スタート!

速い!

みんな速いけど絶対に負けない。

ひとりに先行は許したものの僅差の2位でバトンパス。

後続も2位をキープしていたのですが、一瞬の隙を突かれてダンゴ状態の3位から4位と

順位が下がってしまいました。

しかし我がチームのアンカーでもありエースでもある若手がひとりをかわし

歓喜の3位ゴール。

こうしてようやく私の長く長く辛くきつい二日間が終りました。

今も入賞の賞品、料理用のパッカーが食卓の上に乗っていますが

これは百円ショップなどで簡単に手にいられるものでは決してありません。

今尚続くこの筋肉痛と腰と膝との痛みの末に勝ち取った戦利品。

我が家の宝物。

あ~こら~!

ネコがパッカーをおもちゃにしてる~~~~(涙)

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試練! 第一幕「秩父札所めぐりウルトラマラソン」

2013-09-30 12:58:11 | マラソン

2013_09190001 午前3時。

この時間には家を出て

会場に向かわなければならない。

寝たのか寝なかったのか

分からずままぼ~っとした頭で

車を飛ばす。

あたり一面、まだ暗闇に包まれたまま。

会場が何処にあるのかも分からぬまま、第1回目のこのレースに臨む。

距離は84km。

自分にとっては未知の世界。

当然ながら秩父と言う土地柄、アップダウンは当たり前のようにあるだろう。

しかしいくらなんでもあの真夏の奥武蔵の苦しさに比べたら何とかなるだろうと

高を括ってのエントリー。

ウルトラも私自身これで3回目。

自分にはあまり適応しないレースとは思いながらも、その雰囲気や人の温かさに触れ

その心地良さからついつい走ってしまうのがウルトラ。

もちろん走り方も心構えも全てがフルやハーフのレースとは違う。

フルまでのレースが気合で走るものならウルトラは粘りのレース。

何処まで心を繋いで走るか、その一言に尽きると思う。

2013_09180006_2 午前5時半、スタート。

千人にも満たないこじんまりとした

レースにはなったが、

そんな時間にも沿道には

地元の方々の応援でいっぱいだ。

多少なりとも交通の妨げに

なるだろうこのレースを

嫌な顔もせずに応援してくださる。

こんなに心温まるレースは今まで記憶に無いくらい。

2013_09180010_3 そうすれば当然テンションも上がり、

自然にペースも上がり気味となるのだが

抑えろ、抑えろと何度も頭の中でつぶやく。

朝日の向こうに秩父を代表する

武甲山がそびえ立ち、

セメントの材料となる石灰岩を

削りとられたその山肌が

オレンジ色に輝いていた。

その麓を多くのランナーが走りすぎているその光景にこのレースのホントの素晴らしさを

予感させていた。

Coursemap_2 田舎の空気。

田舎の空。

田舎の風。

田舎の山。

田舎の心。

全てが私の心を震わせていた。

Verticaldrop_2




こんな場所を走れる喜びは

たとえ10倍の競争率で大都会のど真ん中を走る某超人気大会の何十倍も

感動させてくれるに違いないと確信した。

しかし、その後に現れた激坂と共にこのレースの過酷さも味わうこととなった。

20km過ぎだろうか、急な坂を下りる途中で不安のあった腰を

不覚にも更に痛めてしまったのだ。

そこからはコルセット代わりとなったウエストポーチを強く締め、痛みに耐えながら

何とか歩みを進めるのだが、その先の下りの歩道で草を避け損なって膝を突いてしまった。

次第に痛みの増す膝と腰の苦しさ、このままで残り60km以上を走れるのか、

まったく自信がなくなったのは言うまでもない。

そこからは写真など悠長に写している余裕も無く、景色に気をとられることも無く

ただただ痛みと苦しみとの戦い。

2013_09180022 中盤ぐらいに位置取りしていただろう

序盤から何人ものランナーに抜き去られ

もう最後尾ではないかと思うくらい

ランナーのいなくなったエイドステーション。

それでも暖かい言葉に送り出され、

再びトボトボと歩き出す。

概ね三つの峠を越える

このコースの最大の標高までを完全徒歩で越え、普通ならそこからペースを上げて

走る下りのその道も殆ど歩く。

特に厳しい下りは腰にも膝にも相当負担がかかるらしく、何度も立ち止まり

消炎剤スプレーを施すものの、一向に痛みが消えることは無かった。

それでも何とか平地なら走れるのだが、その距離は決して長くは無い。

2013_09180028 下を向き膝を見つめても

どうすることもできず、

何処で収容のバスに乗ろうか

そればかりが頭の中を駆け巡っていた。

第一関門を1時間以上余裕を持って

クリアしていたのにその貯金は

あっという間に使い果たし

第二関門には30分しか余裕がなくなっている。

そしてとうとうその後に現れる最終関門に距離と時間からしてギリギリという場面に直面。

関門は最後の峠のその上に位置しており、ここの頑張りいかんでその関門を

クリアできるかの最大のピンチ。

奇しくもそのピンチの場面を数名の集団で乗り切ろうとしていた。

もちろん皆必死だ。

その中には顔見知りの女性の存在も。

彼女はもう無理だろうと言うような位地で目撃した奥武蔵さえも最後の頑張りで

完走を果たしたと言う。

2013_09180032 その言葉通り、

ここまで来てからのその強さは

流石と思わせてくれた。

結局この集団、関門閉鎖の

2分前に無事クリア。

しかしピンチは続く。

そこから約6kmを

50分で走りきれなければ時間内完走は叶わない。

既に80km近くを走りきったその足ではどうしても無理という場面でも

ここまで走ったとは思えないような足取りで先行して走る彼女を必死に追い

そして追いつき、それでも無常に時間は過ぎ去った。

ゴールまでもう僅かと言う場所での信号待ち。

その交差点を救急車が通り過ぎ、参加のランナーでなければと心配する彼女。

日も沈み、駅前の繁華街に灯が点りやがて緑の灯りの中にゴールが見えた。

痛みの為、感激よりももう走らなくともいいと言う安堵感が先行してはいたが、

首に掛けられたフィニッシャーメダルは重く重く、そしてその思いのほどの喜びが

刻まれているような気がした。

2013_09180040 制限時間の12時間には

6分ほどは足りなかったが、

長く長く苦しみ、痛みに耐え抜いてのゴール。

完走証も無く、カラダは

傷ついてしまったが、

心にはそれ以上の立派な勲章と

人の温かさがしっかり染み付いていた。

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未だ決まらず、秋シーズンの出場予定大会

2013-09-18 09:11:19 | 日記・エッセイ・コラム

2013_08220004 この間の台風、凄かったですね。

お隣の町では竜巻の被害に遭われ

毎日のようにその模様がテレビに

映し出されています。

被災された方々には

お見舞いを申し上げると共に

早く普段道理の生活に戻れることを

願わずにはいられません。

実は我が家も人事ではなく・・・・、と言うほどでもないのですが、

植えたての作物が水没してしまいました。

何時間も費やして、汗を流し、痛い腰にムチを打って植えた、そう先日アップした写真の

冬の野菜たちは今、見る影もなくなってしまいました。

あとは野菜たちの生命力に頼るしかなく・・・・、あ~あ悲しい。

もう終ったことはいくら悔やんでも仕方ありませんが、

今年はネギの出来が良かったのになぁ、とか、

白菜の無い鍋なんて、とか、

買って食べれば済むこととは言え、でもやっぱり悔しいです。

この冬が特別寒い冬になる予感がしてなりません。

さて、そんな悲惨な災害で幕開けとなった今年の秋。

未だに走る大会が決まっていません。

と言うのも、昨年あっと言う間に締め切られ走れなかった「さのマラソン」の

募集が始まらないのです。

未だに大会詳細も発表されず、どうしたものかと思案しております。

この時期(12.8)近辺には走りたいレースが目白押し。

もう人気大会の「小川和紙マラソン」は締め切られてしまいました。

さのがダメなら・・・・と考えている大会が次々に締め切られ、

結局この日近辺に走ることが出来ないなんていう最悪な事態にもなりかねない今の状況。

いったい佐野市の狙いは何なんでしょうね。

開催されるという話は聞いているのに未だに何の発表もないなんて酷いですよ。

で、今のところ決定しているレースはこれだけ。

9.28  秩父札所めぐりウルトラマラソン 84km

10.27 上州太田スバルマラソン      ハーフ

11.3  足利尊氏公マラソン         ハーフ

11.17 上尾シティマラソン          ハーフ

11.24 つくばマラソン             フル

そんな理由で12月は何も決まってないのですが、

もうさのは諦めて今までないパターンも考えています。

と言うのは、私の大好きな場所である、”サーキットシリーズ”として

12.15 ツインリンクもてぎサーキットマラソン ハーフ

12.22 富士マラソンフェスタ           ハーフ

に、してしまおうかなと。

こんなところを走る大会もあるんですよ。

2013_08290106 しかも日本を代表するこの

ふたつのサーキットを二週連続で走る、

しかもなんと仮装で!

ふふ、まあ一応予定と言うか、

ひとつの希望と言うか

こんなところをF-1レーサー気取りで

走るのも楽しいんじゃないかな。

私の夢の場所ですもんね。

さのでフルを走るか、それともサーキットを2本走るか、

今週中には決めたいと思っています。

今年もまた忙しい秋になりそうですね。

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今年も安泰、我が家の野菜事情。

2013-09-13 17:32:33 | 日記・エッセイ・コラム

2013_09030008 秋になりきれない今ですが、

我が農園は既に冬の準備が

着々と進んでいます。

お盆の頃に蒔いておいた

ブロッコリー、キャベツ、

カリフラワー、白菜の苗が

植え頃となりました。

しかし気温が高く、しかも幾日も続いた雨のおかげで畑はぐちゃぐちゃ。

とてもじゃないけれど植え込みなど出来る状態ではなく、

どんどん成長をしていく苗にヤキモキしていたのです。

苗はあまり生長してしまうと活着が悪く、少し小さいかなと思えるころが植え時で

今年もその時をやや過ぎてしまいました。

それでもまだ問題なし。

そして一昨日頃から乾き始めた畑。

待ってましたとばかりによその畑でも大型のトラクターが忙しそうに動き回ってます。

農家の皆さんもこの時を待っていたのでしょうね。

2013_09030006 さて、これらの苗。

水がないと枯れてしまうくせに

水が多すぎてもこれまた

枯れてしまうのです。

まったく軟弱な奴等ですね。

この季節ですから台風とか

秋雨前線とかの影響で

かなりの降水量のあることもありそのまま地べたには植え込めないのです。

やや土を盛って植え床を作ってあげるのですが、機械でやればいとも簡単にできることも、

手作業でやるのは大変。

鍬でよいしょ、よいしょ!って。

べつに機械が無い訳じゃないのですが、持ってくるのがめんどくさいんですよね~。

でも今日は暑かったし、夜勤で寝ていなかったし、熱中症寸前、疲れたよ~。

2013_09030004 ふう~、それでも何とか予定の数は

植え込み終わりましたよ。

これで今週末は威張って遊べます。

あっ!そうだ、法事があったんだ、

うん~、がくっ。

まぁ、仕方ありませんね。

それでも冬の食料事情、

いくらかは家計を助かられるわけですから。。。ね

あとは葉物の種まきをすれば完璧。

さあ石灰と種、買いに行ってこよっと。

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こんな日もあります。九月の暑い日に・・・・。

2013-09-11 17:30:23 | 日記・エッセイ・コラム

2013_08280004_3 こんな歌を知っているだろうか。

伝え歌、石垣島出身の

シンガーソングライター

成底ゆう子さんの曲だ。

車のラジオから不意に

流れてきたこの曲に

不覚にも涙を流してしまった。

この頃、どういう訳か感動すると直ぐに涙がでてしまう。

涙腺がゆるいのではなく、たくさんの経験が心の壁を薄くしてしまったのだろう。

そんな自分の心をいとも簡単に震えさせてくれたこの曲。

感動のまま家に帰って直ぐにPVを見直したのだが、この曲を再び聴いた時、

ある思いに駆られた。

この曲は孫の帰りを待ち浴びる“おじい”がその日を待ちきれずに旅立つ、と言った内容で

島歌らしいサンシンの音色に乗って綺麗な歌声で歌い上げられたものだ。

このPVの中で小さな孫を抱き上げるおじい嬉しそうな顔。

きっとこの幸せそうないち場面が走馬灯のように流れ、

その中で孫を思いながらこの世を去って行ったのだろう。

18年前の9月20日

我が家の“おじい”が天国に召された日。

その当時、まだ確立され始めたばかりの自宅看護という終末医療。

当事者と家族のものには信じられないぐらいの

苦痛、苦悩の中でその看護を終えようとしている瞬間。

やはり孫の出生を待ち浴びながらとうとう間に合うことなく天国に旅立ったあの日。

電話の向こうで悲しみにくれる残された家族。

自分はといえば帝王切開の末、やっと無事に出産を終えた妻のいる病院に。

2013_08280008 きっと入れ替わりに

おじいは天国へ、

そして孫は現世に。

まさにテレビドラマのような

ワンシーンだった。

寸でのところで孫の顔さえ見る事無く・・・・・。

そんな日がまた今年もやってくる。

あれから18年。

その孫の顔にもニキビが目立つようになってきた。

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