ある古いドラマに
「嫌なことがあっても、仕事に行くのが嫌になっても今日のランチは何を食べようかと考えるだけでその日が楽しくなる」
みたいな台詞がある。
そうかなあ。
自分にとっては真逆なんだけど。
子供の頃、学校の給食が嫌で嫌で。
でも、いくら嫌いでも残さず食べないと放課後に残ってまで食べさせられた。
どうしても食べられなくって、机の中に隠したことも何度もあったりして。
カビカビになった肉の破片が机の奥の方にいつまでも押し込まれているのです。
まだ隠せるものならいい。
どうしても飲めない牛乳。
ホントに苦しかったなぁ。
もう給食の時間が恐ろしくって泣いたなぁ。
他の子たちは給食の時間が楽しみだった、あの古いドラマのようにね。
教室の中で、今日はカレーシチューだとか、すき焼き風の肉と野菜の煮物とか、確実にお肉の入っている物ほどテンションが上がってた。
”給食係さん、どうかボクのおかずにはひとつも肉は入れないで”
もし一片でも肉を見つけたら、少しでも口の中に入れておきたくない。
その一心でかなり大きな肉でも噛まずに飲み込む技を習得したし、牛乳は毎日一気飲み。
それさえ我慢すればあとは何とかなる。
そうして9年間、給食に苦しめられていた。
中学校を卒業して何が一番嬉しかったかと言えば、もう給食を食べなくても良いと言うこと。
味が分からないように飲み込んだ肉や、いくら苦しくても我慢して一気飲みしていた牛乳はもう飲まなくても良いんだ。
それから今の今まで牛乳は一切口に入れたことがない。
それ程嫌だった。
さすがにお肉だけは大人になってからやや食べられるようにはなったけど、好んで食べることはない。
特にカレーに入った肉は絶対に食べない。
子供の様にお皿の隅に追いやり、どんなことがあっても残してしまう。
そんな給食を今また食べる羽目になってしまった。
間違ったわ、この就職。
そう思った。
あとになって気付く、もう遅い。
”あのぅ、給食は食べなきゃダメですか”
”できれば”
”好き嫌いがあって、特に牛乳は・・・止めてもらえませんか”
”ああ、他の子の手前、好き嫌いで止められません。アレルギーなら仕方ありませんが”
”分かりました、仕方ないです”
こっそり牛乳だけはお持ち帰り。
子供の食べる分量を食べ切れず、毎日丸管に戻す・・・ごめんなさいと廃棄へ。
この歳になってまだ給食に苦しめられている。
自分にとって食べるってなんだろう。
ただ、空腹を満たすもの。
エネルギーの補給。
食べる楽しみってあまり感じたことがない。
これって変かなぁ。
例えば食べることが好きで、食べ歩きが趣味とか、そう言うひと多いよね。
甘い物とか。
甘い物、嫌いじゃないけど遠くへ行ってまであれを食べたいとか絶対に思わない。
これが食べたいからって何時間とか並んで食べるようなこと、信じられない。
食べなくても生きていけるのなら食べないで、その時間、他のことに使いたい。
おかしいよ、人間食べなきゃ生きられないのに、食べることが好きじゃないって。
自分でもそう思うけど、でも、思っちゃう、食べるの嫌だって。
わたしには好き嫌いはない。
わたしにあるものは”嫌い嫌い”だけ。
きっと理解できないでしょう、こんな人間。
でも、ご安心ください、わたしは拒食症にはなりませんから。
ちゃんとエネルギーになる食べものは補給しますから。
親父が胃の末期がんで亡くなっている」。
医師の指示で飲食禁止になっていた。
24時間点滴で栄養分の補給は充分できているからと。
食べればその分、あとから苦しむ羽目になるからと。
本人は”食べたい食べたい”と何度も繰り返し訴えていた。
今から思えば苦しんでも良いから何か食べさせてあげればよかったかと。
それがトラウマになっているのか、わたしの食事事情。
もし、親父と同じように胃の末期がんになったら、食事を一切停められたら、何か食べたいと思うだろうか。
あり得ないけど、医師に肉と牛乳だけは許されて、食欲に耐えきれずそれを口に入れるだろうか。
食べること。
今、一番悩ましい。