風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

コーヒーは3杯までね。

2021-12-26 04:36:01 | 日記・エッセイ・コラム
今年も残すところ、ひい、ふう、みい、、、一週間を切りましたね。

あ~あ、やだやだ、、、またひとつ年を取っちまう。

時間は貧乏人にも富裕層にも平等に訪れてくるもんだから、いくら陰に隠れて逃げようとしても必ずついてきちゃう。

”おまえ、あっちに行ってろよ!”

は、通用しませんぞ、、、ですので、ご存知じゃなかった方はお気をあそばせ。

さてさて、年末となればやらなきゃならんことが溜まり溜まって、ひっちゃかめっちゃか。

恐ろしゅうございますなぁ。

年輪の輪がもっと少なかったころだったら、そんな仕事なんてちゃっちゃかちゃっちゃかと片づけちゃったのに。

がっちり年輪の輪で締め付けられたカラダじゃ、ひとつ片づけただけでふぅ~と青色吐息・・・ダメだこりゃ。

そんな時に限ってばかっ風が吹きやがって、農機具を押し込んでいたパイプハウスの屋根がすっ飛ばされちゃって、急遽半日で仕事をお邪魔させてもらい、ビニールを張り替えましたわ。

そうしたらさ、なんだか目つきの悪い猫が、「おい、オレは寒い思いをしてんだ、、、早く修理しろよ」ってにらみつけてんの。

よく見たら積んであった麦わらがドーム状にくりぬかれていて、あんた、ここで寝泊まりしてたのね。

そりゃごめんよ、あんたのうちの屋根、早く直してやるからよ、待ってておくんなせえ。

って、おい、あんたのうちじゃね~んだ、、、しょうがねえなぁ、、、まあいいや、風邪なんかひくんじゃね~ぞ。

あんたのうちの屋根をガチャガチャ直しているのに、ネコの手も借りたいのに、あんたは対岸の火事よろし、夢うつつ、お昼寝中かいな。

せめて逃げ出すくらいの気の弱さを見せてちょうだいな、、、可愛くねーぞ!

まあ、そんなこんなの年末でございます。

我が家のちびた樹木を剪定すりゃ、風で葉っぱはすっとばされるわ、買い替えたプリンターはめんどくさくってまだ箱から出してもいないわ、、、いったい何でこんなにやることが多いんだか・・・。

たまにはな~んにもやることがねえ~!

って、あごが外れるくらいでっかいあくびのひとつもかましてやりたいわ。



さてさて、今年は愛猫があいついで天国への階段を駆け上ってしまったので、お正月のお飾りは無しよ。

畜生には畜生並みの弔い方を施すのがあいつらにとっての幸せと申すお坊さまがおりました。

今時の、人間並みの供養は不必要とな。

とは言ってもねえ、ご主人さまより贅沢の限りを尽くして暮らしていたおねこ様でございます。

新年を祝う事だけは止めておこうじゃん~。

お~い、聞いているか、、、ご主人さまは今日もねこまんま食ってるんだぞ~。

お前らはいまも高価な缶詰食ってるのか~?

そんなお正月でございます。

”一年の計は元旦にあり”

さてさて、どんな一年にしましょうかね、来年は。

いやいや、何を求めて一年をやる抜きましょうか、、、お堅い計画を立てるなんておこがましいわ!

じゃ、そうねえ、、、、まずは死滅した毛根の復活、、、ゾンビのように生き返らせる、、、いや、絶対に無理、、、もう灰も残ってない・・・(涙)

だったらかつらの製作依頼、、、ふん、そんなもん、要らんわ!(笑)



うわ、くだらん。

何を書いているんだか・・・。

ああ、、、なんかドキッとするような刺激が欲しいわな。

あはっ、、、燃えるような老いらくの恋ですか、、、死滅した毛根を復活させるより難しい!

それならせめて日本一周、ひと筆書きの旅、、、豪華キャンピングカーでも買ってさ、、、自由気ままに旅サラダ・・・お財布に刺激が入り過ぎるから・・・いや、刺激が入るほど無いし。

あ~あ、来年も生き残りのネコに朝からご飯をねだられるだけの毎日なのね。

つまんないの。

どうせまたオミクロン株でなにもかもぜ~んぶなくなっちゃうだろうしねえ。

そんなら、有馬記念、全財産一点買いでド~ンと残りの人生賭けちゃおうか、、、全財産1563円、、、情けねえ~(笑)

まぁ、今年もこんな年末ですわ。

今年はこれで終わりかな。

まあ、暇があったらまた更新しますわ。

では第一弾、、、みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二杯目のコーヒー

2021-12-25 05:07:32 | 日記・エッセイ・コラム
今の仕事に就いて10ヶ月が過ぎようとしている。

工場内の植栽管理及び、障がいをもった子たちの作業指導がその仕事だ。

ほとんどの子は自閉症。

うまく自分の気持ちを言葉にできない、そんな子たちだ。

何度も同じ注意をされ、同じ失敗を繰り返す。

こちらの指示をちゃんと理解してくれているのか、それさえも疑わしくなる。

分らないなら分からないと言ってもらえば、それなりの対処もできるというものだが、返事を聞くと必ず「ハイ」と答える。

当初、これにはかなり戸惑ったが、そんなことを何度も繰り返せばあの子たちの「ハイ」を口に出す時の表情で本当のハイなのか、戸惑いのハイなのか察しが付くようにはなってきた。

では、なぜあの子たちはみな「ハイ」というのか。

それはきっと幼少期から小中学校、そして支援学校での生活で養われた自分を守るための「ハイ」ではないかと思うようになってきた。

在校中はもちろんのこと、社会人になってからもいじめや差別、時には暴力も振るわれてきたかも知れない。

委縮した言動や意味のない作り笑顔、それを見て聞く度に、その健気さに心が締め付けられる思いだ。

”常識を分からない子”

そんなレッテルを貼られ、あの子たちは何時だって人のうしろに隠れるように生きてきた。

威張ってこの路の真ん中を闊歩できずに、人目ばっかりを気にしながら生きなければいけないそんな世の中に誰がした?

常識なんて大多数の人間が作った都合のいい枠組みだけじゃないか。

”こんにちは”が言えるひとは常識人で、とっさに言葉にできず伏し目がちに通り過ぎる子は非常識なのだろうか。

きっとその子だって心の中で”こんにちは”とつぶやいているかも知れない。

むしろ形だけ、言葉だけの挨拶より、あの子たちの無言の挨拶の方が気持ちがこもっているかも知れないじゃないか。

本当のひとの心の中なんて、誰にも分からない。

否定するのは簡単だけど、理解することの方がよほど人らしいと思うのだが、どうやらこの世界はそれがまかり通るものではないらしい。



例えば1時間の時間を1時間と思っていてはいけない。

あの子たちの1時間は2時間、3時間であり、時には完全に逆戻りもしてしまう。

それを当たり前のように待てる気持ちがなければ、自分が苛立ち結局は惨めな気持ちに苛まれる。

元来、気の長い方ではない。

だけど、そのことが分かった以上、時計の中に自分の気持ちを置いてはダメだ。

10ヶ月は自分を成長させてくれたのか、それともムラのある時計の動きの中に身を投じてしまったのか、それは分らない。

だけどひとついえることは、偏見の世の中からあの子たちを救い出してあげたい。

おこがましいと言われるかも知れなし、うがった考えだと冷たい視線を浴びるかも知れない。

それでも自分が係わったその時間、あの子たちの本当の笑顔を取りもどしてやりたいと常に思っている。

ある子は自信に満ちた目付きで仕事に就くようになり、ある子はことあるごとに私の手を握る。

それを喜びとしてこの仕事に立ち向かう。

大多数によるつくられた常識の世界から、常識を突き破ったあの子たちなりの生きざまをそっと後ろで支えてやりたい。

社内規定という決まりのなかで数年間というたったそれだけの時間だが、今まで辛い思いも多かったあの子たちをもっと幸せにしてあげたい。

そう思うのだ。



職場内での諸問題は日常的に発生する。

どんな職場でもそれは同じことだと思う。

だけど、どうしても納得できない発言や行動を目の当たりにすると、怒りを通り越して悲しい気持ちにさえなってしまう。

いわゆる、健常者と言われる指導する立場の人間が、自分の保身のためにあの子たちを盾にするのだ。

年齢的にも辛いのは分る。

それ程植栽の管理は大変な仕事で、これで終わりということがない。

むしろ、仕事に追われ憔悴しきってしまうような毎日だ。

体調や体力の問題もあると思う。

仕事量の個人差は当然出てきてしまうのは致し方ないところ。

それを補おうと汗を流す姿を見せてくれさえすれば誰も咎めたり、面と向かって文句を言うものもいないだろう。

当然だが、私だって未経験の仕事ばかりで、他の方に比べたら追いつかない部分がどれだけあることか。

でも、その方は自分が非難の的になる前に、あからさまにあの子たちのせいにする。

そして弁明ができず叱責、注意をうける子。

むしろ、あの子たちの失敗や遅延をかばってやる立場の人がまさかの言動だ。

カバーするのは甘やかしではないとは私の信念。

あの子たちを指導するということは、その責任において自分が全てを負わなければならない。

それは前職で嫌と言うほど味わってきた。

だからこそ慎重な指導、適切な指示が必要だということだ。

指導者とはそれ程の責任感を持ってあたらなければならないはずだ。

世間で言う常識人が最高学歴を持ち、官職として仕えた人間が、しかも訓練校の指導員まで勤め上げた人材の行なう行為とはとても思えない。

それがあの子たちの受けて今まで闇じゃないかと思うと、なんともやるせなく悔しい気持ちにさえなる。

こんな狭い世界でも、それを承知の上の職場であっても、そんな理不尽なことが平然とまかり通っているのである。

ある介護士が、看護師が起こした虐待の事実が報道で取り上げられたことがあった。

事の大小はあってもまるで同じではないかと、本当に無念でもある。

還暦を遠に過ぎたおっさんが、未だ世の中に、常識という名の怪物に悩む、そんな冬の雨の早朝であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コーヒーのかほり

2021-12-20 05:50:24 | 日記・エッセイ・コラム
プリンターが壊れました。

カメラも調子が悪い。

パソコンは重いし遅い。

農機具を入れておくビニールハウスの屋根が、この間の風で吹っ飛びました。

トラクターはエンジンが時たま止まってしまいます。

管理機はエンジンがかからなくなったまま、もう3年になりますか、放置状態。

マイカーは走行距離13万キロ、ギシギシ音をたてながら走っています。

まったくもう、みんな調子の悪いものばかり。

これらを新調したら、いったいどれだけの福沢諭吉さんが必要になるんだか・・・。



政府は子育て世代に一律10万円の給付を行うそうです。

どうしてシニア世代には給付がないんでしょうか。

同じように税金をいっぱい収めてきたし、今なお収めています。

なのに、どうして子育て世代が優遇され、今までこの国を支えてきたものをないがしろにするのか、その意味が分かりません。

こんな不公平を醸し出す政治家に不信感を抱きます。

きっと多くのシニア世代のひとたちが少なくないと思います。

そんな政治を行う政党には今後一切投票をしません。

だからと言って、何がどうなる訳じゃありませんが・・・。

せめての抵抗です。



抵抗するのは政治に対してだけじゃありませんよ。

何を目標にするのか、今も尚ひとつも大会を走ろうという気にはなれません。

だけど、このままこの足が朽ちていくのを黙って見ている訳にはいきません。

先日も、一昨日も、昨日だって季節風の風の中、息を切らして走ってきました。

利根川の土手の上。

押し返されるような赤城おろしに立ち向かい、一歩も引かない気持ちだけは持ち続け、予定の距離だけは走り通しました。

やや筋肉痛の残る足を今は嬉しくとも思う傍ら、何をやっているんだろうと肩を落とすような心境になることもあったりして。

健康のため、ストレス解消のため、表向きにはそうです。

健康のためならなぜにこんなに痛い思いをするのか。

度重なるケガと病気、、、もし走っていなければそんな思いもせずに暮らせたかも。

ストレス解消する前にストレスにならない生活を求めればいい。

”人生の楽園”

そんなテレビ番組があるけど、自分にとっての楽園は、虹の階段を上ったその先の世界にしかないんじゃないかと思ったりもするのです。

定年退職し再就職での第二の人生だか第三の人生にだか生きて、子育ても終わり家のローンも終えた。

これから何をしようかと思ったところで、何をする才能もない。

足は腐らせないよう風に向かって走れども、気持ちの”疾走”はもうできないと諦めがち。

何とかできないものですかねえ。

大昔の漫才のセリフじゃないけど、”夢も希望もない”こんな生き方。

夜明け間のひと時、そんなことばっかりですわ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなかがいたい!

2021-12-17 06:04:07 | 日記・エッセイ・コラム
ああ、おなかが痛い~。

近頃、どうも体調が思わしくない。

寒空の中、一日中三脚に乗って、寒さに震えながら剪定ばさみでチョキチョキ。

風邪を引いている訳じゃない。

でも、お腹が痛かったり、気持ち悪かったり・・・。

自分の体力のなさに情けない思いでいっぱいでございますわ。

まさか、オミクロン株???

それはないわな。



やっとコロナ感染も落ち着きを見せて、ポチポチと開催される大会も増えてきていますな。

ただ、ここにきてオミクロン株感染が拡大しそうな気配。

ほぼ満員の競技場観戦スタンドに感染者が入り込み、かなり多くのひとたちが濃厚接触者。

こういうことはあらかじめ予想できたこと。

そう、そうして責任を取られる訳で、主催者さんもイベント開催には腰が引けるわな。

そうなるとまた急遽中止、参加賞だけ送られてきて”ハイ、終わり”なんて大会が増えてくるかも。

そうです、もうこりましたから。

あのコロナが流行り始めたその年。

申し込んでいた4つのレース。

その損失額と言ったら、アベノマスクの保管費用に匹敵するほどの無駄遣い。

あの時、もうしばらくは申し込まない、、、そう決めましたから。

それからなんやかんやで60歳を大きく超え、気力も意欲も消えかかっておりますわ。

その原因の大部分を占めるのは、もちろんコロナ感染は言うまでもなくそうだけど、それよりも収入の面が効いているなぁ。

社員から時給労働者へ。

激減した、なんて簡単には言えないほどの収入源。

なくなるかもしれない大会なんかに”投資”できませんわ。



とはいうものの、申し込まなければ走れない。

走りたいけど走れない。

あれ、そう言えば”ブーム”と言われていた時の事。

参加者が激増して、申し込みのクリック合戦、、、そんな時もあったなぁ。

”走りたいけど走れない”は、意味合いを変えながら継続中ということですなぁ。

だったら、ひとりで走ればいいか、、、。

大会で記録だけを目指していた訳じゃないんだから。

でも、仕事を終えて、それから走ろうとすると、暗い、寒い、お腹空いたの三重苦。

なかなか走れないものですわ。

休日には平日できない家庭でのお仕事も待ってるし。

なんともやるせない年の瀬ですわ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんばる!

2021-12-10 05:49:43 | 日記・エッセイ・コラム
「ボク、この仕事をやめてブレーメンの音楽隊に入りたい・・・」

職場での会話です。

「どうして?」

と、聞くと、

「もしボクみたいな子供がいたらどう?」

と、逆に問われました。

仕事の上でちょっとしたつまづきがあり、彼が涙ながらに話すのです。

「それじゃさ、ブレーメンの音楽隊に入ったら、どんな楽器を受け持つの?」

「太鼓かな。ギターでもいいけど」

「その音楽隊に入って旅に出ちゃったら、おとうさんもおかあさんも寂しくなっちゃうぞ」

彼は目にいっぱい涙をためて、口びるをぎゅっとかみしめていました。



彼等と一緒にいると”世間の常識”って何だろうと、つくづく考えてしまいます。

正常、異常とは誰が決めたのでしょう。

多数決で決められたのが常識だとしたら、誰にも持てない感性をもった子は異常なのでしょうか。

”一芸に秀でる”

そんな才能の持ち、他の物事には興味を持たない、それは人間として特別扱いされなければいけない人間なのでしょうか。

少し違った考え方、見方をするだけで、彼等は子供の頃から特別扱いされ、多くの枠からはずされ、虐げられ、孤独に耐えてきたのです。



”いつも逃げ道を探している”

それが彼等に対する認識だそうです。

良いじゃないですか、逃げ道、隠れ場、言い訳。

それがなければ生きてこれなかったんです、彼等は。

分っているのならいくらでも逃がしてやりましょうよ。

だけど、彼等が自身の身を守るためにどうしても必要な、このどうしようもない世の中からの逃避は抑えなきゃいけません。

それが現実、現実と夢の世界は違うのです。

そこで生きていくのには自分で道を切り開くことも必要だということを知ってもらいたい。



ブレーメンの音楽隊にだって勝手には入れないんだぞ。

オーディションという試験があって上手に太鼓をたたけなけりゃ入れないんだぞ。

ギターを弾くのには楽譜やコードを覚えなきゃ演奏はできないんだぞ。

みんながガチャガチャ勝手に鳴らしているだけじゃ誰も聞いてくれないんだぞ。

もしまた失敗してお客さんに怒られたら君はどうするんだい?

今度は桃太郎になってサルやキジや犬をつれて、鬼が島にでもいくのかい?

強くないと鬼にが逆にやっつけられちゃうんだぞ。

そうじゃなくってさ、今君は上手に木が剪定できるじゃないか。

だったら、ここでもう少し頑張ろうよ。

そうしたらおとうさんもおかあさんももっと喜んでくれれるし、もっとおとうさんやおかあさんを楽にしてやれるんだ。

楽しいことはブレーメンなんて遠い国にあるんじゃない。

ここにだってたくさんあるんだ。

それを探しながら、これからも頑張っていこうな。

夕暮れ時のオレンジ色のグラデーションにつつまれ、涙がひとつぶぽとりとこぼれました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする