風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

引退

2024-04-23 05:21:50 | マラソン
5年ぶり。

フルマラソン、「かすみがうらマラソン」を走ってきた。

予報の天気は曇り、ひょっとしたら雨が降るかもという微妙な空模様。

スタート前、ポツリポツリと雨粒が落ちてきて、このまま降り続けたら出走を止めようと思っていた。

と言うか、最初から走り切れる自信はまったくなかった。

思い返せば去年の3月。

無理をして走った激坂の「高碕Cityはるな梅マラソン」で痛めた膝裏の痛みが1年を過ぎても回復せず、今を持ってもずっと続いていた。

それに付け加え、前戦「行田鉄剣マラソン」の時に発症した貧血。

本当に無理をしたらそのままマラソンゴールではなく虹の階段を昇りつめてしまうことになると本気で思った。

”走らない言い訳”、それを探すのに当日の朝どころか、会場にいてもそれだけしか考えていなかった。

しかし、周りに言ってしまった以上、走らない訳もいかない。

まったくそれに向けた練習もせず、年が明けてから予定していた3本のハーフマラソンのうち1本はDNS、そしてフラフラになりながら走り切った鉄剣マラソン。

長い距離を走ったと言えばこの膝裏痛をもっと悪化させてしまった今年のはるな梅マラソンだけだった。

月間走行距離は毎月100kmにも満たない。

過去の経験値だけで走ってると言っても決して言い過ぎではない。

それ程走っていない。

それでフルマラソンを走るとは自分で思い返しても”お笑い種”だ。



では、何故にエントリーをしたのか。

”引退レース”

もう、これでフルマラソンは止めよう。

今の生活パターンじゃとてもじゃないがフルを走るだけの練習時間が取れない。

ハーフでさえいっぱいいっぱいと言ったところだ。

いや、ハーフでもそれなりのタイムを望むのなら間違いなくその練習量は不足している。

”生涯ランナー”を目標に掲げている以上は走る。

走るが、それも生活あっての趣味でもある訳で、華麗と共にすべての仕事が時間がかかるようになれば削られていくのは走る時間だ。

その時間の無い中で、更に様々な疲労の蓄積と消失するモチベーション。

”もう無理だ”

だけど、もう一度だけフルを走ろう、そうしてその見た世界を思い出にする。

そう思って選んだのが今回の「かすみがうらマラソン」でもあった。

その結果は・・・。



サブ4ペースで25kmまでは何とか6分を切るタイムで走れていた。

ハーフを過ぎて向かい風から追い風に変わり、さてこれからと言う時に懸案の膝裏にピキッと痛みが走り力が抜けた。

ああ、、、ヤバい、このまま走ったらゴールまでたどり着かない。

そんな危機感から傷む右足をかばい、おかしなバランスのまま1km程を走った時点で左足が攣った。

そこからはもう歩きが入る。

周りを見るとコース脇で激しく嘔吐するランナー。

コース上に倒れ込んで身動きできないランナー。

そして今まで見たこともないほど多くのランナーが歩いている。

まさに地獄絵図。

すべては気温の上昇、それがこの惨状の原因でもあるのではないか。

自分はと言えば、右膝裏の痛みと左足の痙攣に苦しみながらもゴールを目指す。

何度も何度も止めよう、収容車を待とうとそのタイミングを探していた。

しかし、”これが最後だ”その思いが動かないはずの足に力を与える。

残り2、1kmになっても、ちょっと走ればバキッと攣る左足。

脂汗が流れるほど痛む右膝。

それでもゴールが見えた時、”ああ、、、フルマラソンを走りだしてもう20年か、、、よく頑張ったなぁ”

そう思った瞬間、ゴールゲートが歪み涙をこぼしそうになった。

時間は4時間50分程。



最後に来て最悪のタイムだが、一歩一歩かみしめながらの42kmは決して無駄ではなかったと思う。

あの時のあのレースはこうだった、、、あのレースは最後まで楽しかった、、、そんな思い出が次から次へと流れてくる。

ああ、、、終わった。

帰りの車中、痛む膝をさすりながら悔しさとも安堵感とも違う何かが胸いっぱいに広がっていた。

もしも、もしもこの先フルを走る羽目になったとしても、もう記録はどうでも良いと思う。

走る喜びだけを感じられればそれでいい。

必死に走ってきた20年。

今度は何年になるのか分からないが、楽しく走った〇〇年。にしたい。
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最後になる?

2024-03-30 05:05:34 | マラソン
前回のレースを終えた後、それまで使っていたシューズに限界を感じていた。

クッション性、反発力、全てなしに等しい。

そりゃそうだ、そのシューズ、かれこれ5年ほど使っている。

コロナ下の3年間、使わずにいたとはいえ、かなりの摩耗もありミッドソールが見え隠れしている。

そうしたシューズで激坂の続く「高碕Cityはるな梅マラソン」を走った結果、かなりのダメージを足に負った。

何もシューズだけが悪いわけじゃない。

不足している日頃の鍛錬、筋力の衰え、きしみ始めた関節、そこに付け加えての使い古して機能を失ったシューズだ。

良い訳がない。

だが、近頃のシューズときたらやれ厚底だ、カーボンだ、そのうえで今までの何十パーセントもの値上がり価格。

消耗品に労働月収入の1割も割けないと思うのはきっと自分だけではないと思う。

しかし、シューズはどうしても外せないアイテム。

ここは清水の舞台から助走の勢いをつけ、更に数十キロの重りを背負い、頭から突っ込むような思いで新調を決めた。

と、同時に練習用のシューズも一新。

二足分となればかなり家計も圧迫する出費だ。

ただ、レース用のシューズに限って言えば、これから何レース分を走る、走れる耐久性があるのかは知らないが、ランナーとしての生涯、最後のシューズになるやもしれない。

年齢的に考えても今までのように年間十数レースを走るとはいけないような気がする。

レースで負ったダメージをよくよく考えれば、もうレース自体を走るところに無理が生じている可能性も高い。



今年に入って4レースを走った。

昨年秋からのシーズンで言えば7レースである。

毎回回復もままならないうちに次のレースと無理がたたったのかも知れない。

”もう無理だ、来シーズンはもっと減らそう”

今シーズン、思い知らされた現実だ。

だからと言って走らない訳ではない。

走れば筋肉痛や関節の違和感に悩まされることになるが、やはり爽快感はどれほど年をとっても同じである。

”生涯ランナー”

レースは走らずとも気持ちは同じ。

それでも十分に楽しめると思う。

老いるとはそこからの自覚で始まるが、老いても楽しめるものは楽しんでいこうと思う。
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言葉は面白くも嫌にもなる。

2024-03-23 04:41:59 | 日記・エッセイ・コラム
今、某国営BS放送でドラマ「舟を編む 私辞書をつくります」が放映されています。

三浦しをんさん原作、「舟を編む」のドラマ版。

原作は2012年、本屋さん大賞を受賞した作品。

もちろん、読みましたよ。

確かに面白かった。

だけど、そのストーリーよりも作家三浦しをんさんの取材力に脱帽。

凄い作家さんだなって。

他にも「風が強く吹いている」や「「神去なあなあ日常」のようにその場、そこに従事していなければ決して分からないエピソード、会話などをサラリと作品にしてしまう力は抜群で、本屋さんで何か面白い本はないかと迷った時は「み」の棚を探すと大概何とかなると今でも思っています。



その本のドラマ版が面白い。

この間の(5)では、男児が辞書で知っていることばを探します。

男児は「くつした」と言う言葉に疑問を持ちます。

靴の下じゃないのにと。

では、その”下”と言う言葉にはどんな意味があるのかと調べる訳ですよ、辞書で。

すると、下には”位置や方向性”の他に「内側にあって見えないもの」と言う意味が辞書にあるのを見つけ、靴下の意味を知るのです。

なるほど、面白い。

それはこのドラマを見て気付かされた事だなぁって。

普段、何気に使っている言葉には、ひとつの意味だけではなく沢山の使い方をされている。

そこが日本語の凄いところでもあるし、面白いところでもあるんだと思わせてくれます。

例えば、「下心」となれば、下は”たくらみ”を思わせる悪い意味にもなるし、「下町」と言えば、人情溢れる庶民の街といい意味を連想させてくれます。

単一の一文字、一文字の集合体が単語になって、その単語をいくつかくっつけることによって言葉になります。

文章を書くには色々な単語に意味を知しり、言葉を作り、そして文章を作ります。

その作業の上にストーリーを考え、表現し、そして話をまとめ上げる力。

欲しいよねぇ。

お金よりも時間よりも、そして速く走るチカラよりもっと欲しいかも(笑)



他にも今読みたい本、、、あります。

知らなかったのですがね、辻村深月さんの「ツナグ」の続編があるって。

「ツナグ 想い人の心得」

はい、言わずと知れた人気「直木賞作家」さんですね。

その辻村美月さんが世に出るきっかけになった吉川英治文学新人賞を受賞した「ツナグ」

死者とひとり、一度だけ会えることができる。

その能力を持つ使者が主人公。

何となく怖いイメージをほうふつさせる主人公ですがね、それが普通の高校生と言うところが面白い。

きっと面白い。

単純な言い回し、ちょっとだけどんでん返し、、、なのに大きな感動。

だから肩ひじつかわず読める辻村作品。

お小遣いもらったら買ってこよ!



本を読む。

それも昼休みに。

職場、事務所でその時間を楽しむ。

本を読むというと何となく”真面目”に見えるんでしょうか。

本、取り分け小説にもなると、私はコミックと変わらないと思っているんだけど。

そんなに真面目じゃない。

絵のない漫画、、、そう思っているんだけど。

逆に、なんでこんなに面白いものを読まないんだろうって不思議なくらい。

そんな楽しみを今、奪われようとしている。

入社3ヶ月、新人さんが同僚のおばちゃん(失礼!)にちょっかいを出し、ハイテンションで浮かれている。

ちなみに独身、還暦過ぎてひとり暮らしの御仁。

そのデカい声が邪魔で本が頭に入ってこない。

まったく場の雰囲気を読めない、自分本位の生き方。

これが、この職場を嫌になりだした原因でもあるんです。

朝一番、あの声を聞くたびにテンション激下がり。

静かでなくてもいい。

せめて、静かに朝な朝を望む、本を読むひとの邪魔にならないよう、外で騒いでくれと本当に思うのです。

いくら言っても分からない、そう言うひとを”バカ”と言うんだ、、、高校生の頃、先生によく言われた言葉。

今になってそれは本当なんだなと、思うこの頃なのであります。
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坂に負けない脚を。

2024-03-17 05:17:52 | マラソン
”去年、悔しい思いをしたからなぁ”

”今度は笑って終えてやる”

そんな思いでエントリーしてしまった、「高碕Cityはるな梅マラソン」



恐らく、この辺りでは最高で最低なアップダウン連続の難コース。

去年は”もう二度と走らない”と決意した、そんな大会でもあります。

なのに、どうしてエントリーしちゃったんだろう。

やっぱり平地で街中で、やれ記録だ、やれ応援が多いだとか、華やかで賑やかすぎる大会よりも、自分との戦いに集中できるこんな大会が好きなんだろうなぁ。

ほぼ、平らな場所はありません。

上っているか下っているかのどちらか。

それも、”もうダメだ、、、上れない”と言うタイミングで下りが現れる、なんともサドスティックなコース設定。

急激な上り坂なら「嬬恋キャベツマラソン」の最後の坂の方が過激でしょう。

サドスティックと言うのなら、「藤岡蚕マラソン」や「小鹿野ロードレース」も同様だけど、坂の質がまったく違います。

とにかく上って下って、やっと終わったかと思ったらまた上って下る、坂しかないコースのハーフマラソン。

それがこのはるな梅マラソンなのです。



去年、この大会で膝の裏側を痛め、その影響が糸を引くようにずっと続いていて、何かにつけて”膝の裏”から頭が離れません。

以後その後遺症は今もなお続き、どうにもアップダウンの恐怖からは逃れられないでいる、いわゆる”いわくつきの大会”でもあるのです。

昨秋から今冬にかけて、一切坂を走っていません。

それなのに、また坂を走る気になったのは、こころの何処かであの風景、あの苦しさ、そして最後の下りの爽快感を全身で浴びながら走る心地よさが、身についてしまったせいなのでしょうか。

今回もやってしまいました。

右足の小指には巨大な血豆。

左足膝裏の痛みの再発。

一週間、まともに歩くこともできないでいました。

”もう、二度と走らない”

そう思った去年を、それが正解だったと教えてくれたようなモノです。

それなのに後悔していたのはそのまともに歩けなかった一週間だけ。

毎日のアイシングと湿布で何とか痛みの消えた膝裏は、もう坂に行きたがって仕方がありません。

もっと暖かい日がきたら、また山を走りに行こうと無茶なことまで考えてしまっています。

”やっぱり山道のレースは楽しい”

それがどんなに痛い目を見てでも、結局はそう思ってしまう。

まさに”変態ランナー”なんでしょうね。



今日は「熊谷さくらマラソン」の開催日です。

きっと熊谷の街はマラソンで盛り上がるでしょう。

まったくの平坦地、市街地を走るこの大会はエントリーしていません。

その代り、はるなで痛めた足で、その回復具合を確かめるために180分のLSDを遂行しようと思っています。

ようやく手袋の要らない季節のラン。

好き勝手に飛散続ける杉花粉を鼻から胸いっぱい吸い込みながら、春の日のランを楽しんできます。

次の坂のレース、それはいつになるのか、どこになるのかは分かりませんが、その日の為に今できることをしっかりやっておくことにしましょう。
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晴れない気持ち。

2024-03-08 05:37:09 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、東京支店との交流会が開かれた。

大した内容でもなく、退屈な時間だった。

しかし、問題はその交流会の後に提言された。

事業の拡大、雇用の増大等がある地位ある幹部から発せられた。

障がい者の雇用の窓口が広がるのは、それは喜ぶべきことだろう。

しかし、事業の拡大によって今の子たちは更にスキルを上げていかなければならない。

あの子たちのスキルを上げる、その苦労は本当に口にできないほど。

簡単にもっと仕事を増やせば収益もと思うのは健常者の勝ってないイブとも思えるし、あの子たちの能力を何処まで知ってその様な発想になるのか、そこに疑問が残る。

自分の与えられた今の仕事をこなすのに精いっぱいのあの子たちはこれからさらにスキルを上げなければならない。

そのモチベーションは何処から引っ張り出してやれば良いのか、あの子たちを指導する自分たちの負担も当然増える訳だ。

もう見切りをつけ、他の職種をと思っていたのだが、どうも雲行きが怪しくなってきている。

退職願がそう簡単に受理されないであろう予感。

かなりの説得攻勢が繰り広げられるに違いない、と思われる。

そもそも求人を出しても応募が殆どないような事業内容だ。

その上に事業拡大の構想とは、今の現状を知っているのだろうかと本社の意向さえ疑いたくなる。

もしかしたらとんでもない場所に足を踏み込んでしまったのかも知れない。

あちこちから色々な憶測が飛んでいる。

まずい。

この年になってもなお、自分の進む道が見えてこない。



本社の思惑とは・・・。

例えば低賃金で雇用される障がい者くんたち。

単純作業なら文句も言わず、黙々とこなす能力は備えている。

その作業のコスト削減にあの子たちを利用する、と言ってしまえば言葉が悪すぎるのかも知れない。

しかし、今まで、その作業に従事していた作業者は職を失うことになる訳で、必ずしも円満な事業展開とはいかないような気がする。

あの子たちに罪はなくとも、ある種恨みを持たれるかもしれない可能性もある。

何かにつけ、社会から違う目で見られてきたあの子たちがまたその目で見られる機会が増えることもあり得る。

これからこの事業所に希望を持って入社する子がもしいるとしたら、手放しに喜ぶことはできないのではないだろうか。

障がいをもったお子さんの就職問題はかなり過酷だそうだ。

そのうえで大手一流企業の子会社と言うだけで、安心してい親御さんは預けるのだとおもう。

その実態とは、複雑な事情であの子たちと同じように多くのスキルを身に着けていかなければならない。

それは社会に出るためには誰でも必要なことだ。

ただ、かなりの努力と苦労を重ね、それに人も目からも耐えなければならない事になるかもしれない。

どうか、穏便に、平和的解決をお願いしたいものだ。



明後日は「高碕シティはるな梅マラソン」だ。

山間の町での開催だけに、今の雪の状態が気になる。

山間だけに平地よりも更に積雪が予想され、日陰となる部分の凍り付いた部分がもしあるとしたら、その路面はきっと溶けることがないのではないか。

果たして開催されるのだろうか。

開催も心配だが、それ以上に自分の練習不足が気になる。

どうも天気が安定しない今年の冬。

晴れても強風で走るどころの騒ぎではない。

まだモチベーションが上がっているうちはそれでも走っていただろうが、疲労が蓄積されてしまったのか、走り出すとあちこちの痛みに閉口してしまう。

一度走ると3日くらいのインターバルを取らないと痛みを強く感じてしまうのは、やはり根本的な練習が足りてない、負のスパイラルなのか。

自信のないレース程気の重いものはない。

地獄を見る覚悟。

今は天気と同じように重く背中に押しかかっている。

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