風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

仮装ランについて真面目に考える

2016-12-31 06:18:08 | 日記・エッセイ・コラム
先日、所沢航空公園にて「サヨナラ2016年の瀬マラソン㏌所沢」を見学してきた。

この数年、この大会の仮装で走る人達の率が相当上昇し、”仮装マラソン”」としての地位を確率した、と思える。



私も数年前には何度かこの大会を何度か走っている。

そう、当然仮装のコスチュームで。

その当時から仮装のコスチュームを評価、賞を設けていたこの大会。

が、その当時の仮装の質、人数ともそれほど多くはなく、ちょっとした衣装でも相当目立っていたものであった。

そもそも参加する人数自体それほど多くはなく、航空公園内のジョギングコースを周回するこの大会は、その年の走り納めとしてのんびり楽しく走る、そんな位置づけであって、タイムや順位、更には仮装ランだけがクローズアップされるような大会ではなかった。

もちろん、そんな意識の大会だったため、ほとんどの仮装ランナーは賞を狙うなどと思うこともなく、自分も楽しみ、そして公園内で遊ぶ方々にも楽しんでもらえば、この大会自体楽しいものになるのではないかと、そんな軽い気持ちでの参加だったと思う。

仲間との語らい、応援の方々とのコミュニケーション、そして今年の締めとして走る大会。

それはそれで楽しかった。

そんな大会だった、この年の瀬マラソンがいつの間にかあの「安政遠足侍マラソン」並の仮装ランの大会となっていたのには、さすがにびっくりした。

その仮装コスチュームも年々クオリティがとんでもないところまであがり、今や私ごときの仮装ではおそらく全く目立つ事が無いのではないかと思われるほど、その変化は過激だ。



そうした風景を見るのは実に楽しいし、その製作に費やしたや時間、費用、アイディアに至るまでそのご苦労に頭が下がる思いだ。

これはその製作に携わった者でなければその本当のところの苦労や苦悩はわからない。



だからこそ、見学する私の心も異常に燃えたりもする。

だが、そのあまりに加熱した仮装アイテムはマラソン大会としての意義や本質に対して疑問符を投げかけるランナーや主催者が増えている。

と、言うのも年々大型化しつつあるアイテムは他のランナーの邪魔となり得るし、転倒等の危険性も含んでいる。



当然、”他のランナーの邪魔”、”転倒”というものには仮装ランナーだけにある危険性ではなく、狭いコースであればあるほど、参加人数の多い大会なら多いほどそのリスクが高くなるのは普通の事として発生する事項だ。

そんな理論から”仮装ランナーはいらない”と言われるのは、さみしい話である。

もちろん、コースを塞いでしまうほどの大型の仮装は邪魔と言われても仕方がない。

そこは仮装ランを選択するランナーのモラルとして特に注意したいところでもある。

ほぼ最後尾から走る仮装ランナーにはきっとその辺の事は十分承知し、その上で制限時間内での完走を目指し、自分が楽しみ、そして沿道の応援の方々にも喜んでもらいたい、とそう思っているに違いない。

事実、自分がそうだから。



というのも、私は多くの大会はタイムを意識し、全力で走るっている。

そういうレースで一番多く目にする風景は通行を遮られ、交通誘導員に苦情を投げかけている市民の方々。

当たり前の話である。

もしも自分がその立場にいたら、もし、緊急を要する要件を抱えて通行止めを食ったら、それは尋常な精神状態でいられるはずがない。

マラソン大会は一般の方々からすれば、多くの方が不快に思う、とまでは言わないが、かなり迷惑をかけているイベントであると、そんな場面を目にするたびにそう思うのだ。

だからこそ、少しでも一般の方々に喜んで頂けたらと、”感謝の気持ち”を込めて、「ありがとう」の言葉と手振りを発しながら、私は何度かの大会を仮装で走っている。

”自分は他のランナーの邪魔をしていない”とは言えない。

きっと不快に思われているかもしれない。

だが、ある大会でランナーからも礼を言われたことがあった。

後半、落ちてくるランナーひとりひとりに「がんばれ!」の声を掛けながら走ったレースである。

ある女性ランナーから「目標にさせていただきました。そしておかげさまで完走できました。ありがとう」と。

私に後方の視界はまったくなく、知らなかったことなのだが、私の後に数人のランナーさんがついていたらしいのだ。

その言葉を聞いた時に私は鳥肌が立つほど感激した。

”貢献”できたということがこれほどうれしいこととは。。。

だからといって、それがすべてではないし、仮装ランを正当化しようとも思っていない。

先ほどにも書いたように不快に思われている方々もおられると思う。

そんな方々には申し訳ないと思っているし今この場で謝罪もしたいと思う。

「ごめんなさい」



ただ、そうは思ってもまた再び仮装で私は走ろうと思っている。

沿道で寒さの中を長時間仮装ランナーを心待ちにしている方々、そしてそれを喜び楽しまれている方々のためにも。


追伸

昨年中は大変お世話になりました。
少々更新の頻度も少なくなってしまい、反省しきりの今年の大晦日です。
来年はもう少し頑張ってたくさんの記事の更新を心掛けようと思っておりますので、何卒来年もよろしくお願い申し上げます。

それでは皆様、良いお年を。







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ちょっと笑える「さのマラソン」裏話。

2016-12-13 17:36:51 | マラソン
こうして何とか走り切った「さのマラソン」でしたが、この大会前にも大会中にも、そして走り終えた後にもたくさんの裏話が存在すrんだなぁ。

むしろ、その出来事の方が、この「さのマラソン」らしいかも。

それではそんなハプニングの数々をご紹介していきましょう。

先ずはこの「さのマラソン」に向けた練習から。

とにかく今年は天候不順というか、雨の日が多かったよね。

そんなことでまったくの練習不足。

慌てて行った「ふかやシテイハーフマラソンのコースを二周しちゃえ」練習。

意気込みはしっかりしていたんだけど、いざ走りだしたら元チームのひととバッタリ会って長話。

すっかりからだも冷え、再び走り出したら背中が攣ってしまいあえなく37kmでギブアップ。

つづいて翌週、今度は風邪を引くも大したことは無いだろうと薬を飲んで30km走。

今度は20kmを過ぎた辺りからフラフラしだし、意識がもうろう。

やばいと走るのを止め帰宅するも気持ち悪くってすぐに寝込む。

あああ、オレってこのまま死ぬのかな・・・と、3時間余り熟睡(気を失っていた?)

目が覚めたら意外とさっぱりしていた。

何だったんだろう。

薬の影響?脱水?

まあ、生きてるんだから原因はなんでもいいや。

そしてレース三日前。

まだ微熱が出る風邪が治る気配がない。

やばいな、やめておこうかな、と思いながら当日を迎えなんとか行けそう。

で、一か八かでの出走。

何とかなったけど、異常に寒さを感じ、う~ん、どうなんだろう、やっぱり走らない方が良かったのかな。

そして当日のハプニングね。

この会場となる公園には恐竜がいるの。

それが面白くってサンダルで写真を撮りに行ったのね。



そうしたら足の指が冷えちゃって、感覚がなくなっちゃった。



何やってんだろう、スタート前に・・・落ち込みました。

しかもこんなことしてたら時間がなくなってしまいスチレッチもアップもできずスタート位置に。

こんなことでいいのかい???

まあ、最初は抑えてアップ代わりに2~3km走る予定だったのでそれはそれでいいんだけど、履いたパンツのゴムが緩くって・・・これが後々大変なことになるのよ。

ゴムでとどまることが無理なパンツ(パンツといっても下着のパンツじゃないよ、ランニングパンツね)



紐を締めて何とか腰にとどまっているのよ。

それがあまりの寒さでトイレに行きたくなったから大変。

指が凍えて言う事を利かない。



やっとほどいたパンツの紐。

今度は結べないんだよ。

まあ、いいやってウエストポーチでしめて走りだしたらそのウエストポーチのベルトもゆるくってパンツが落ちちゃいそう。

もぞもぞしながら走ってる自分が惨め。

何とかウエストポーチのベルトを締め、ずり下がろうとするパンツを留めたのだけれど、補給食をとりだせないの。

仕方なく20km地点だったかな、トイレにもう一度駈け込んでパンツの紐を締め、そしてウエストポーチからゼリー飲料を取り出し再び走りだしたはいいけど、今度はそのゼリーのふたが開かないんだよ。

不良品? ふたについていたネジの部分の爪が折れないんだ。

いくらネジのふたをまわそうとしてもビクともしない。

落ち込んだよ、再び。

でも、持ってきたゼリーは3種類。

他のだったら補給できるって、もう一度ストップし再び凍える手でゼリー飲料を取り出す。

この間に何と4時間のペースランナーとその大集団に抜かれていくんだ。

これには焦ったよね。

オレはそんなに遅いんだって。

エネルギーを補給して走りだすと間もなくその大集団に追いつき、難なく追い抜けたけど、”自分は遅い”を確信したよ。

良い感じで走っていたのはただの勘違い。

ここで気合が入ったね。

運よく足に殆ど疲れもダメージも感じていなかったし、充分バネも感じられる。

これならいけると、一番の激坂上り下りを調子付いて走ったら膝にきた。

それを何とか誤魔化しながらゴールまで行けたけど、もっと冷静に走っていたら30km過ぎを上手く走れたに違いないね。



相変わらずパンツの不安も続いてたし・・・。

ああ、誰かおれにパンツを買っておくれよ。

貧乏がこんなところにも影響するとは夢にも思わなかったよ。

貧乏といえば今回も一度も給水を摂らなかったし、バナナも他の食べ物も何ひとつもらわなかった。

ここを走ったランナーで一番損をしたのは私かもね。

さて、レースも終え、ゆっくりお風呂にでも入ろうか、なんて考えていたんだけど。

この会場近くには日帰り温泉もあるし、道の駅には無料の足湯もあったりするのを事前に情報を収集していた。



そこでとりあえず自宅に「無事、完走したよ」メールを送くり、その後、「少し休んでから帰るから」ってメールしたら何を思ったか、「どこで!」みたいな返答が返ってきた。

どこでって、ねえ、おれだって腹もすけば休みたくもなるよね、フルを走ってるんだから。

でも、なんだか疑惑の目で見られていてはそんな気にもなれず、お風呂にも入らず、コンビニでコーヒーと唐揚げだけ買ってそれをご褒美に食べて帰ってきたよ。

ああ、なんとも寂しい限りで・・・あああ、佐野ラーメン&餃子、美味しそうだったなぁ。

しかしまあ、色々ありますわ。

それが楽しいといえばそうなんでしょうが、でもねえ。。。

惨め・・・ですわ。


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”復活”

2016-12-12 16:40:47 | マラソン
この季節に吹く風は半端じゃない。

上越国境で雪を降らした寒気は乾ききった風となりこの地方を凍らせる。

「朝吹く風は昼に止み、静かな朝は昼から吹かれる」

昔の人は良くそう言っていた。

赤城の山はそれを物語るように頂上付近が雲で覆われ、昔の人でなくともこの日の荒れた天気を予感させてくれていた。

深夜までの仕事を終えた後の仮眠程度の睡眠時間。

それでも寝ないよりはまだマシで、普段常に睡眠不足を感じもやっとした中での生活よりも数段はっきりした活性の高い思考能力での朝を迎えていた。

通常、野菜中心の食事しか摂らない朝食に今朝だけは炭水化物を注入する。

と、言っても自宅でゆっくり摂る食事ではなく、移動中の車内でコンビニのおにぎりをふたつ頬張るのみ。

いたって簡単な朝食でこれから始まる42kmの長旅に耐えられるのかいささか不安でもあるが、胃の許容量はさほど大きくはない。

予備的に購入したサンドイッチはもう少し時間を置いて、もしいけるのならそれも摂取しようと考える。

さて、この「さのマラソン」という大会。

このコース図と高低差の表とを見ていただければ一目瞭然、決してタイムの出るコースではない。



しかも、この日の雲の様子からかなりの季節風が吹くと推測される。

それに付け加え、この寒さはどうしたことだろう。

寒さを一番の苦手とする自分には最悪のコンディション。

何を隠そう、数日前まで風邪による微熱に苦しめられていた。

当然、この寒さと乾燥はそんな自分の最大の敵となるに違いない。

何ひとつ自分に有利となり得る条件を見いだせず、ただただ、不安の中の早朝にスタートの号砲を聞く段になったのである。



スタート後、間もなくして日影に入る。

汗ひとつ出ず、震えるほどの寒さを感じるのはこのマラソンという競技に身を置くようになってからそう多くの経験がない。

太腿に異常な冷たさを感じ、思うような足運びができず、何故タイツを着用しなかったのか今更ながら失敗に悔やむことしきり。

しかし始まってしまった以上、ゴールまでこのまま辛抱するのか、それとも途中で止めるかのふたつの選択しかない。

もちろん今までの経験からは寒さによってレースを途中で止めることなどあるはずもなく、「どうか気温よ、上がってくれ」と願うばかりであった。

太陽を隠す雲などひとつさえない晴天故、これほど風と寒気が恨めしく思えたことは無かった。

その証拠に、15km過ぎ、そろそろエネルギーを補給しようかという段になってあることに気付いた。

指が寒さのためにいう事を利かない。

ウエストポーチのチャックを開くことができない。

どうしたことか、この指にはそれさえもできないくらい冷え切ってしまったのか。

ここでの補給を諦め、もう少し先に行けば追い風となり少しはからだも暖まるだろうと、もどかしさと不安の中でのランは続く。

予想通り折り返すくらいのカーブを曲がれば長い間の向かい風から解放され、暖を感じられる追い風区間を迎えた。

が、相変わらず指に力が入らず、仕方なく給水所で一旦止まり、ウエストポートを外し補給のゼリー飲料を一気に飲み干した。

おそらくこの時に失った時間は数分。

その短い時間の間に4時間のペースランナーとその周りを取り巻く集団に追い抜かれた。

考えてみればそれはそうである。

一旦はキロ5分10秒ぐらいまでペースを上げていたのだが、上り基調の前半をこのままのペースで走っていては絶対に後半落ちる。

経験値からこのコースは前半我慢、後半勝負との戦略が最適だと感じていた。

「抑えろ、抑えろ」と、まるで念仏でも唱えるようにここハーフの距離まで我慢を重ねてきたのだから。

しかし、4時間ペースランナーに追い抜かれるのはさすがにショックだった。

ペースはいくら抑えたとしても5分30秒を刻んでいたので、まさかそこまで遅れてしまったとは…いや、まて、ペースランナーは時間に余裕をもってペースを刻んでいるに違いない。

自分はそれ程遅れてはいない。

そう言い聞かせ、先ずはその大集団を冷静に抜き去り、その気配が消えるまでスピードを上げて行こうと考える。

しかし、奇しくも一番のアップダウンの厳しい区間。

高低差表を見れば鬼の角のような部分。

その通り、鬼のような登り坂だが、この区間で面白いように前幾ランナーを捉えられる。

そう、自分はこの感覚、このシュチュエーションがたまらなく好きなのだ。

平地でも後半、特にゴール数キロ前にありったけの力を振り絞ると面白いように前行くランナーを捉えられるが、コースも中盤から後半に差し掛かるこの位置でのごぼう抜きは快感意外何物でもない。

この「さのマラソン」の虜になるのはこの坂があってこそ、と言っても過言ではない。

しかし、この坂を楽しいと感じるのにはこの位置まで余裕をもっていなければならない。

距離的には30km手前、次々に沈んでいくランナー、そんな距離の位置で自分だけは元気でなければならないのだ。

体調然り、精神状態然り、そして周囲のランナー然り、そのすべての条件が今回も自分に与えられていた。

この区間から自分のラップタイムは5km毎で前半のラップから1分近く短縮されている。

それはフルを走ったことのある人なら分かると思うが、”驚異的”な出来事なのである。

フルで後半を上げるというのは例え前半を抑えていたとはいえ、なかなかできることではない。

そう、今の自分にはその上げるだけの力が余っていたという事になる。

自分を”過小評価”していたのである。

いや、そうではなく、自分の力がまったく分かっていなかった…だからこそ、安全策をとってしまった。

坂を楽しむために抑えたのではなく、恐怖からスピードを上げることができなかった。

その後も向かい風の上り区間に手を焼きながらも前行くランナーを追いかけた。

それはゴールまで続き、結局は満足するタイムでのゴールとはいかなかった。



が、気持ちとしては大した疲労をも感じず、笑顔でのゴールだったわけで、気持ちの満足感は100満点。

その代り、このレースを復活の位置づけとしてある程度の記録を目指す、という意味では”惨敗”だった。



しかし、ここで考えるならたとえ全てに満足する走りを求めるのは、それは違うのではないかと思うようになった。

何故ならあの苦しい期間、走ろうにも激痛に次ぐ激痛で歩くことさえままならない自分のそんな姿を思い浮かべるのなら、先ずスタートラインに身を置けただけでも幸せというものではないだろうか。

満足とは全てにおいて完璧というのは贅沢、いや、むしろ厚かましいというもの。

そう、自分は地獄にいた。

その地獄から這出られた。

その喜びをもっと味わっていい。

タイムに縛られる必要はない。

ひとつでも楽しめたものがあったらそれは完全に”復活”を遂げたといっても過言ではないはず。

そう、地獄には楽しめるもののひとつもなかったのだから。




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