風をうけて vol.3

お引越ししてまいりました。
拙いブログですがよろしくお願いします。

早いもので今年もあと半分。今後の予定などを考えてみました。

2010-06-27 18:07:35 | 日記・エッセイ・コラム

2010_06270041はっはは~~~~

梅雨時のムシムシした日に

みる画像じゃないですね。

それにしても猫は大変です。

嫌でも毛皮を脱ぐ事ができないんだから。

こんなに暑いのね~。

お疲れ、ミーシャさん♪

さて、この時期にこなさなければならない農作業もひと段落。

あとは今春の低温にやられ、出来の悪いじゃがいもを掘れば、

ひと時暇な時間が例年なら訪れるはずなのです。

しかし今年はちょっと事情が違うんですね。

自治会役員なのですよ。

そんな訳で、これから行事が目白押し。

おらが村の鎮守の夏まつりから始まり

夏から秋にかけての体育行事の分館対抗ソフトボール大会や

バレーボール大会、更にはグランドゴルフ大会、

そして締めの体育祭と自治会活動は忙しさを極めるのです。

しかも行事の前には必ず会議や練習会もありますから

息のつく間もないくらい忙しい夏からの時期を過ごさなければなりません。

2010_06240011 こんな生活を今年、

来年と二年にわたり

過ごさねばこの土地で暮らすことは

出来なくなるんだよなぁ。

辛いんだよなぁ。

それでも我慢、我慢。

自治会班長及び体育部員は

今日も西へ東へと走り回るのです。

そうなれば本職の(?)走れる大会もおのずと決まってきちゃいますね。

しかし毎年秋に走っていた大会の今年の日程を調べていたら、

なんとラッキーな事にかち合うものが少な~い。

それでもやっぱり今年も「越後湯沢秋桜マラソン」はアウト。

更には「新田お花畑マラソン」は大会自体が中止に。

他はみんな大丈夫みたい。

まあ、他に何らかの予定が入らなければの話なのですけど

一応これからの予定は以下の通り。

8月29日   赤城大沼白樺マラソン   20km (申し込み済み)

10月3日   浅間登山マラソン      17km (コース変更、どうしようかな)

10月10日  流山ロードレース      10km (どうしようか、迷ってます)

10月17日  大町アルプスマラソン    フル  (リベンジ)

10月24日  上州太田スバルマラソン  ハーフ (リニューアル、初ハーフ)

11月3日   ぐんま県民マラソン     ハーフ (休暇が取得できれば)

11月7日   足利尊氏公マラソン     ハーフ (まだ発表がありません)

11月23日  大田原マラソン        フル  (昨年走れなかったから)

11月28日  小江戸川越マラソン     ハーフ (今年初開催)

12月12日  さのマラソン          フル  (今年もベスト狙い)

12月26日  所沢年の瀬マラソン     フル  (2010〆の大会)

(以上、未確定。 追加や変更等も十分考えられます。)

2010_06270034 これでやっぱり気になるのが

5kmのレースが全くないこと。

どうしよう。。。

今のところ打つ手がありません。

来年冬まで5kmは持ち越しになるのかな。

それと、秋のフルで恒例の

つくばor河口湖を回避した事。

もうあの二つの大会は無理。

もはや私の走る大会じゃなくなった。

きっと今年も凄い事になるんだろうなあ。

その代わりに今年初開催の「小江戸川越マラソン」と言う大会を

走ろうと思っています。

まだ小耳に挟んだだけの大会で、コースや要項など一切情報はありませんが

この大会もネーミングだけ聞いただけで、すぐに定員に達してしまいそう。

何といっても人気の街、川越ですからね。

まあ、それはダメならダメでも良いのですけどね。

そうそう、他にも私が申し込む時に締め切られているそんな大会が

いっぱいでてきちゃいそうだね。

でもそれはそれで仕方ないよね。

2010_06170014 こんなランニングブームと

言われる時代ですから。

また、ぎゅうぎゅうになりながら

さして楽しいとも思えない大会を

今はもう無理に走ろうとも思わないし、

練習の成果だけ気になるなら

そしてベストタイムを狙うなら

年に数回出場するだけで十分ですからね。

変わってしまった最近の大会に、あまり魅力も感じなくなって

しまったのかも知れないよね。

ちょっと淋しい気もしますが、その分浮いたお小遣いで磨り減った

シューズでも新調しちゃいましょうか。

ああ、何となくモチベーション↓↓なんだよね~。

練習はいっぱいしたいのに、大会には行きたくない。

いや、大会も走りたいけど申し込みが出来ないとか駐車場がなくなるだとか

そんなことで神経を使いたくないんだもん。

だいたい、半年も前からその日の予定なんて分からないっちゅうねん!

まっ、いいや。走れれば何処だって良いんだからね~♪

練習でも大会でもさ。

まあ、こんな感じでボチボチ走っていきますわ。

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田舎者の、田舎の大会の、田舎事情・・・。

2010-06-21 09:05:32 | 日記・エッセイ・コラム

2010_06200025 一昨日は「第9回グリーンチャリティ

リレーマラソンin東京ゆめのしま」の応援に

出かけてきた。

久しぶりに電車で都内までの移動でかなり

疲れたが、多くの甘党メンバーの

元気な姿を目の当たりにして

自分まで元気になれたような気がした。

ここ最近、色々な事が重なり心身共に疲れを強く感じていたのだが

ここまで2時間、電車に揺られ、人ごみに揉まれながらも

その甲斐があったと思った。

それにしても、電車から見る風景はさすが日本の首都である東京。

こんな片田舎とはまるで違う。

始めてみる景色ではないが、その度にそびえ立つ建物や

高速道路の交通量など全く桁違いのその景色に驚くばかり

が、同時にこれだけの狭い空間にこれだけ酸素を消費するだろう

その各機関の密集したこの都会と称するこの地に、私の生命力では

到底太刀打ちできぬ事を空気の薄さと共に感じていた。

2010_06200007 さて、この大会であるが

24時間、6時間、4時間などを

数名の選手で繋ぐ駅伝形式のものや

その時間を個人で走る

ウルトラマラソン的な種目など

多種にわたっている。

最近のマラソンブームにのって

非常に賑やかな大会で、決して広い会場とはいえないこの場所だが

エネルギーに満ち溢れた活気ある大会となっていた。

だが、私には走ることはできないな、とも思えた。

洗練された都会の公園、何がダメなのかはよく分からないが

とにかくここは私にはあまりに小さすぎると感じた。

面積や視界がどうだという事ではなく、表現するのは難しいのだが

『空気の流れが少ない・・・』 そんな感じだろうか。

普段、もっと小さい公園で走っていると言うのに、

この場所が狭いなどというのもおかしな話なのだが、

何故か私にはそう思えてしまう。2010_06200017

事実、今のマラソンブームの

火付け役になっている

「東京マラソン」なども

全く走りたいという気持ちにはなれない。

やはり私には私の居場所というものが

何処かに存在しているのだろう。

そんな中、悲しいというか、

残念な封書が届いた。

それは毎年参加していた「新田お花畑マラソン」の中止の通知。

実は旧新田町で始まったこの大会は、太田市と合併に伴い

「太田市新田お花畑・・・」と、名称が変更されていた。

太田市には既に「上州太田スバルマラソン」が存在していた。

2010_06210001 ならばどちらかの大会が

消滅しても不思議ではない。

それでも数年そのままの形で

開催されていたので

まさかこの時期に消滅するとは

思っていなかった。

どちらも好きな大会だけに

ショックは大きい。

特に「新田お花畑マラソン」は開催時期こそ9月中旬で暑さはあるものの、

完全フラットで走りやすくタイムの狙える大会だっただけに

残念で仕方ない。

実はこの大会で夏場の練習の成果を確かめ、そして“夢の5km18分台”の

足がかりをつかもうとしていた。

この大会が消滅した事により、今のところ年内の5kmのレース参加の予定が

なくなってしまったのである。

何とかしなければと思うも、これだけの好条件の大会を見つけるのは難しい。

2010_06170003 そういえば、この深谷の地にも以前、

「旧岡部町健康マラソン」、

「旧花園町元旦マラソン」

というものが存在していた。

が、やはり深谷市との合併で

二つとも消滅した。

代わりに

「深谷シティハーフマラソン」が誕生したのだが、

小さい超ローカルな大会が次々と消え、規模の大きい大会に

生まれ変わっていく今の現状。

賑やかの好きな人達にとっては歓迎する事だろうが、

私には残念な事で仕方ない。

小さな大会にはそれなりに良い所がたくさんあるのに、

やはり参加者がたくさん集まる大会の方が、主催者にも参加者にも

メリットが多いのだろうか。

私はこの大会のほかにも年間数レース、超ローカルな大会に参加の

予定があるのだが、この先消滅しないという保障はない。

もしそうなった場合、他の大会や大きな大会にエントリーする事になるとは思うが 

2010_06200021_2 しかし、何万もの人が集まる

マンモス大会にはできれば

参加はしたくはない。

もっとのびのびと、

走ること意外に疲れない

そんな大会を走りたいと思っている。

緑の林の中を、

たすら広がる田畑の真ん中を、

そして小さな町の大きな声援の中を走っていたい。

そう、私は根っからの“ローカルランナー”、なのだから。

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命のみなもと、「群馬の森 さわやかマラソン」を走ってきました。   (ー_ー)!!

2010-06-14 16:17:27 | マラソン

2010_06130069 昨日は、どんよりと曇った天候の中、

「群馬の森 さわやかマラソン」を

走ってきた。

雲っていたとはいえ

相当な湿度と、高温とで

あまり快適な日とはいえない天候であったが

この時期ではそれも致し方ないところ。

その事よりも、あらかじめ郵送された参加はがきに書いてあったことだが

駐車場が足りず、かなり遠方の駐車場を利用するとの但し書き。

ある程度は覚悟はしていたのだが、まさかあれほど遠い場所だとは・・・。

2010_06130072_2 2010_06130003

徒歩にて30分では会場に

到着することはできずに

まるで集団での

ウォーキング大会みたい。

刈り入れの始まった麦畑の中を皆でてくてくと。。。

もうこのまま帰ってしまおうかと本気で思ったりするくらい遠かった。

遠方からの参加者や要領の良い方々は近場の駐車場に停められたようだが

私を含めた群馬や熊谷のナンバーの方はそんな駐車場以外に

駐車する事を止められていて大変な状況であったことは間違いなかったと思う。

2010_06130005 ようやく会場に到着すると

なるほど、その駐車場不足の

理由が分かった。

決して狭い会場ではないにもかかわらず

かなりの人数の参加者で

埋め尽くされていた。

この時期の開催であり、

距離も5km、15kmと半端なコースでそれ程有名でなかったこの大会に

これ程の人が集まってしまっては、そりゃ駐車場も足りなくなるのは

当たり前のことだとも思った。

2010_06130029 今回は深谷SRCの方々と

ご一緒させていただいた。

昨年よりもSRC自体からの

参加者は少なくなってしまったのだが

それは事前に大会パンフが

送られてこなかったことや

この時期に雨避けのない会場に

起因していたのだろうが、なんだかこの大会を回避するのが

正解のような気にもなってしまった。

2010_06130014 2010_06130015 2010_06130021

しかし

何と

いっても

この

大会の良いところは静かな「群馬の森公園」の中を走れること。

コース上にはあまり含まれてはいないこの森なのだが

アップはこの公園内で行えるため、それが凄く楽しい。

埼玉県の森林公園にも似た感じだが、木々の大きさ、古さはこちらの方が

上回っているような気がする。

しかもこの公園には無料で入園することができるため、夏場のLSDなどは

たとへ1時間の道のりがあったとしても向かいたい場所でもある。

2010_06130084  さて、この日は5kmの部での参加。

意外とアップダウンの多いこのコース、

しかも数日前から殆ど練習らしい事が

できていないことと、

当日、何故だかからだが重く

動き自体に違和感を感じていた。

理由は分からないが

アップでの流しでも全くスピードが乗らず、

「おかしい、おかしい・・・」を繰り返すだけで、結局なんの解決にもならなかった。

かなりの渋滞でのスタート。

その後の1km地点、タイムを確認。

4分18秒 「ハア~、やっぱりダメだ」と、半ば諦め気味ではあるが

まだ挽回は可能だと気合を入れなおす。

が、渋滞もさることながら、全くスピードに乗れず上体ばかりが前に前にと

まるで運動不足のおやじが運動会で転ぶ寸前みたいな走り。

そうなるとどうしても修正が効かず、分かっているのに焦りばかり先立つ。

上体が突っ込んでいる為、腿が上がらず当然ストライドも伸びない。

要するに腰の落ちた酷い走り。

私の調子の悪い時の典型的な形にぴったりと収まっている。

2010_06130035_2これは体幹の筋力が

衰えているからなのだろう」

とか

「膝が上がらないのは

腹筋と太腿の筋力が弱いのか」

とか、考えながらの走り。

特に感じたのが、

長い距離でスピードを維持することができていなかったこと。

スピード持久力の不足とでも言うのだろうか。

以前は5kmや10kmのタイムトライアルや、ビルドアップで15kmとか

そんな練習ばかりをやっていたのに、今回に限っては全くそれらの

練習ができていなかった。

正確に言えばやれる時間が無かった。

そう考えるとこの走れない状況というのもうなずける。

そんな反省のことばかり考えながら少しでもタイムを落とさないよう

頑張っていたつもりなのだが、やはり時計は正直にそれを表していた。

2010_06130100 惨敗である。

せめて20分は切れるのではないかと

高をくくっていたのだが

結果は散々。

懸念だった呼吸はそれ程

ヤバイ状態ではなかっただけに

練習内容があまりにもお粗末過ぎたという事。

夢の18分台は遠く、遠く、遠のいた。

しかし、決して諦めたわけではない。

勝負は今年の秋、そして来年の冬だと考えている。

その足がかりをつかむ為に、この大会を走った訳なのだから、

それ程がっかりする事もないとは思っている。

負け惜しみみたいにも聞こえるのだが、燃え始めた炎は更に勢いを

増したようにも思う。

2010_06130007_2 足らない筋力、

やらなければいけない練習、

それに気付いただけでも

収穫があったわけだ。

それに色々アドバイスを

頂く事もできる環境も

ありがたいことに今はある。

後はどれだけその練習に時間を割けるか、なのだ。

と、同時にこれからも走るため、生きていくために

健康診断の指摘の多かったからだ、特に心肺の点検及び

オーバーホール作業に着手した。

数枚の診察券を目の前にすると、溜息のひとつも出てしまうが

今はそんなことに躊躇している場合でもないと思っている。

「生きていくため」には当然のことであるが、

「走るため」、「頑張るため」、にも絶対必要不可欠な事なのだ。

だってそれは私の人生のそのものだから。。。

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「現実」 その2

2010-06-09 20:18:55 | 日記・エッセイ・コラム

2010_06090003 春の健康診断の結果が返ってきた。

今年は心肺系に関しては

普段の感じからして

悪くて現状維持、

あわよくば以前から指摘されていた

異常な状態が多少でも

改善されているのではないかと

儚い夢を見ていた。

しかし現実とは惨いもので結果は散々。

以前から指摘されているものは勿論のこと、

新たに「要受診」の項目が増えてしまった。

2010_06090009 2010_06090008

胸部X線での検査結果において

「大動脈下行部蛇行」

「両横隔膜挙上」

「左室高電位」

までは、昨年同様。

更に今回から「肺尖部肥厚像」とやらが追加された。

オマケに血圧まで高くなっていたのだ。

しかし今、一番気になるのが「肺尖部肥厚像」と言うもの。

以下、ネットで調べたコピペになるのだが・・・。

炎症を起こして治癒すると、胸膜が厚くなって傷跡のようなものが残ることがあり、これを胸膜肥厚といいます。肺尖部(肺の最上部)に多く、健診でもよく指摘される所見です。一般的には、20代~40代の若年者の胸膜肥厚は病的なものではないことが多く、50代以降で胸膜肥厚を指摘された場合でも多くは良性のことが多いです。稀に胸膜肥厚が高度の場合、肺結核やアスベストによる胸膜中皮腫、肺尖部にできた肺がんのことがあります。慎重に様子を見る場合には1ヶ月から数ヶ月後に再検査、あるいは良性の変化であると考えられるときには1年後の胸部X線検査をすることがあります

要するに以前にダメージを受けたその後の傷跡。

若しくは、現在進行形の腫瘍であると。

2010_06090005 で、あるから専門医の診断を受けろと。

確かに今までは喘息であると

呼吸系の医師からそう言われていた。

私自身もそう思っていた。

処方されていた薬も飲んでいた。

が、こうしてX線撮影の結果を突きつけられると

今までの治療は何だったのかと・・・。

医師に不信感を抱くわけではないが

私自身もどうも腑に落ちないものがなかった訳でもない。

喘息なら呼吸と同時に「ヒューヒュー、ゼイゼイ」なる異音が気管支から

聞こえるのが通常だと聞いている。

しかし私にはそれがなかった。

医師による血中酸素量の検査においても、

聴診においても異常が見られなかった。

しかし息ができないこと。

そして咳き込む時間の長さから喘息と診断されていた。

今こうしてみると、やはり気管支ではなく肺自体に異常があったのではないかと

思わざるを得ない結果だ。

今でも調子自体は悪くはない。

しかし走り始めの数十分の苦しさは相変わらずで、いくら慣れたこととはいえ

やはりこれは異常なことではないか。

また時々であるが、胸を押さえつけられるような息苦しさを感じることもある。

やはりこれも肺の異常なのか。

そう考えていると、走るに走れない。

走っていてもそればかりが頭から離れないのだ。

たとえ軽微なものであっても真実が判明するまでは、今までのように

走ることはできないだろうとも思っている。

まだまだ生きていかねばならないからだなのだ。

走る事と引きかえに自分を痛めつけているのでは

何にもならないのは当たり前の事だが、

まさかここまで来ているとは自分自身ショックが大きすぎて

今までにない“へたれた”自分を見つめている。

2010_05270006

今は頃合を見て専門医の診断を

受けようと思っている。

走ることは今までどおりこなしていくが、

心の伴わない走りは腑抜けたそれである。

少し前に目標とした「18分の夢」など

今は跡形もなく吹き飛んだ。

生きていればこその夢である。

先ずはからだ。

そしてここまで神経をとがらせてしまったこの診断結果が

取り越し苦労であると信じたい。

今はそれが第一である。

それにしても果たしてこれからの私はどうなってしまうのだろうか。

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「現実」

2010-06-01 08:44:43 | 日記・エッセイ・コラム

2010_05300040 昨日、母親が入院した。

検査の結果、脳梗塞であると。

右脳にそれは発症しており

その結果、左足に多少の麻痺が

生じたのである。

先週の土曜日の夜、

転倒した。

それ自体は珍しい事ではなく、幾度となく転倒を繰り返しており

手首の骨折やら顔面の打撲等により、幾度となく病院通いを余儀なくされていた。

しかしその原因は脳梗塞のような障害ではなく、ただ単に足腰の衰弱による

躓き等が原因であり、重大な疾病によるものではなかった。

しかし今回は違っていた。

あきらかに左足の運びがおかしかった。

本人にすれば何の前触れもなくやってきた不調に戸惑うばかりだったのだが

私が見る限り、その異常は容易に想像できていた。

元々老人性鬱で、ここ5年間殆ど寝たきりの状態が続き

全介護とはいわぬまでも、かなりの点において介護が

必要になっていた母親である。

2010_05300015 ほんの少しの異常であっても

見逃す事はないに等しい。

今回も早い時期での発見で、

上手く治療がいけば

それ程ひどい後遺症は

防げるのではないかと

希望的観測を抱いている。

しかし、しかしである。

頑なに外部との交信を阻んできた母親である。

今回の入院でその精神状態がどのように作用するのか不安がない訳でもない。

それどころか以前、このような事から摂食障害に陥り、低血糖での結果

長期にわたる入院生活も経験している。

今回もそんな危険性を含んだ入院でもある。

それでも・・・。

不謹慎ではあるが、我が家族にとっては少しの時間、

ホッとできるものも確かな事実なのである

病気がくれたひと時の休息とでも言うような・・・。

2010_05300022 実はこの5年間と言うもの、

家族で出かけたことなどなかった。

必ず誰かが家に残らねばならなかった。

それどころか、母親の不調の時には

余暇なんて言葉さえ有り得ない状態だった。

連休などに家族で出かけたい

私の子供たちにとっては

かなり不満な事でもあったと思う。

それより何よりも、何かと負担をかけてしまう妻には本当に申し訳ない

気持ちでいっぱいでもある。

私は自分を生んでくれた母親であるから、私が介護をすることは当然ではあるが

妻にはそんな苦労をしなくてはならない道理はないにもかかわらず

献身的に母親の面倒を見てもらうには感謝という言葉以外にないのだ。

2010_05300024

今は福祉、介護の仕組みとして

行政や病院に助けを請えば

それ相応の介護に関する

アドバイスやサービスを受けることができる。

しかし、介護を受ける者にとって

多少なりともプライドや

威厳が残っていれば

そのサービスを受けること事態に拒否反応を示してしまうケースも多いと聞く。

家族の者にとっては週に1度でもデイサービスやステイなどを

利用してくれていたなら、僅かな時間であっても安堵の気持ちを得られると思う。

しかし我家の母親はそれを頑なに阻んだ。

鬱症状の激しさから無理強いすることもできず、いくらケアマネージャーさんの

説得にも、家族の説得にも、今まで首を縦に振ることは一度もなかった

そんな状態で今回の入院となった訳である。

不謹慎な事は承知ではあるが、今は何故か肩の力が抜けた感じ。

正直、つかの間の開放感を感じるのだ。

2010_05300042 介護の現実なんて

こんなものかもしれない。

いや、もっと厳しい現実に直面している

ご家庭の方が絶対に多いだろう。

報道でその悲劇を見るたびに

我家はまだまだ幸せであると

実感することもある。

そんな時、メディアは何故相談をしないのか、何故ひとりで

背負い込んでしまうのかと、そのご家族に批判的なコメントを流すが、

それぞれの家庭にはそれなりの理由があるのだ。

全てを把握したようなその言い方には、時として腹が立つこともしばしば。

ある有名歌手が疲れ、自ら命を絶った。

あるいは介護用品のコマーシャルに出演していたジャズシンガーも

介護に疲れ、そして倒れ

「自分を終わりにしたい・・・」などと思ったこともあるとか。。。

どんなに明るくと思っていても、深く考えないようにしようと思っていても

気付いてみればいつもそのことばかりが気になっている自分がいる。

介護を受けるものにとってはもちろんのことだが、介護をするものにとっても

もっと手厚い心のケアが実は必要なのだ。

人間、誰でも年をとる。

永遠の若さなど有り得ない。

いつかは皆が通る道なのだ。

税金の無駄遣いなどといっていられる場合ではにのに、

この国の福祉事情とはこんなものなのだ。

まるで人事のように・・・。

いったいこれからどうなってしまうのだろう。

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