たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

鯉 恋 コイ の 散 歩 道

2021年11月20日 16時58分01秒 | 朝の散歩
いつもと同じ、何の変哲もない散歩コースを歩いていても、その日の気分、心の持ち方によって、一日として同じ景色を見ることはないだろう。
人生、異なもの粋なもの。
時として思いもよらない事象、事態に遭遇することもある。
「ここにいる鯉を餌づけできるかな?」
「難しいと思うよ」
「明日から餌づけしてみるから、ここに鯉がいるなんて、絶対人に言ったらいけんよ!」
「誰かが、ここで鯉釣りをしたら、二度とここには寄らなくなってしまうからな‼」
「わかってますよ」
次の日、10時30分に車の一年点検を終え、その足で整形外科での2か月ぶりの診察を受けて飲み薬を処方していただいた。
帰り道の途中、コメリによって4㌔入りの鯉の餌を購入した。
家に着くと、さっそく餌の袋の封を切り、餌をビニル袋に小分けした。
小分けしたビニル袋をポケットに押しこむと、弾む心で単車にまたぐった。
胸をときめかせながら、○○川の溜りに向かって単車を走らせた。
川面には小春日和の、午後の柔らかい日差しが降り注ぎ、十数匹の黒鯉が楽しそうに浮かんでいる

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鯉 恋 コイ の 散 歩 道

2021年11月19日 15時38分01秒 | 朝の散歩

11月初旬いつものように早朝の散歩に出かけた。
公園を抜けて県道から農道に入ると、左手にアシの茂った川幅15mくらいの2級河川がある。
朝のさわやかな空気を、胸いっぱい吸いながら、何気なく川面に目をやった。
川の流れが少し緩くなった溜りに、70~80cmくらいの黒い物体が見えた。
凝視すると、数匹のコイが泳いでいる。
こんなところで鯉を見たのは初めてである。
大雨でどこかの家の池から逃げ出したのかも?
次の日も、同じコースを通って、川の溜りを確かめた。
前日より、鯉の数が増えていた。
その後も、数日にわたって監視を続けた。
日に日に数が増える。
「○○川の溜りに、大きな鯉がたくさんはもいでいるよ!」
妻に知らせた。
街で買い物を終えた帰り道。
「鯉がはもっている○○川の溜りに行ってみようか?」
「お父さん、こんな狭い道とおれるの」
「軽トラックも通っているから、大丈夫!」
「ここだよ!」
溜りに目をやると、40~80㎝くらいの鯉が10数匹泳いでいた。
「こんなところに、こんなに多く鯉が泳いでいるなんてビックリだわ❣」

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ブラックアウトを考える

2021年09月04日 10時29分39秒 | たわいもないはなし
北電のブラックアウトに代表されるように、地震・台風等による自然災害が近年急増しつつある。
通信・水道・ガス・下水道等のライフラインは、北電の全停電で証明されたように安定した電力供給なくしては、正常に確保することは困難である。
電力設備のソフト面については、技術革新・IT化による、省力化・自動化システム導入等により大幅に強化されている。
一方、ハード面については、電力の自由化導入などに伴い、中小を含む電力事業者間の料金の値下げ競争が激化し、電力の送配電部門を担う会社の、修繕費・設備投資等の予算が大幅に抑制されて設備の弱体化が謙虚に表れ、日本の電力安定供給に貢献した九電力体制は崩壊してしまった。
北電で発生した、ブラックアウトの要因の一つには、表面化はしていないがこれらの要因も含まれているものと考える。
北電で発生したようなブラックアウトは、本土の電力系統では発生しないだろう。
政治家・識者・事業者・評論家などは表面上は否定し、平静を保とうとしている。
はたしてそうだろうか?
悪条件が重なれば(詳細は????) 本土の電力系統で発生する危険性は拡大の方向に進みつつある。
コロナの感染拡大に伴い、政治・経済・治安までもが不安定化する中、誰かのうたい文句ではないが、安全と安心、経済と危機管理のバランスを考え、、電力の供給体制を再構築する必要があるのではないか。
遅きに失してはいるが、今のうちならまだ間に合うかもしれない。
先人たちが血の出るような苦労してつくりあげた、発電・送配電・販売の一貫体制による、旧来の九電力体制の是非について、今一度政治課題としてとりあげる必要があるものと考える。

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夜中のたわごと

2021年05月23日 10時12分02秒 | 負け犬の遠吠え
真夜中、松煙墨で塗りつぶしたような天井をぼんやりと眺めた。
古希を過ぎ、喜寿も近くなった。
六人いる孫の中で、一番手のかかった男の子。
この子の面倒だけは、必死に頑張った。
今春中学校を卒業した。
私の役目は終わった。
今まで張り詰めていた、気力が急にすぼんでいくようだ。
この先、私は何歳まで生きるのが理想だろう?
男性の平均年齢は八十一歳。
少し長い?
六十歳の還暦で、人は生まれ変わるとも言われる。
将来に夢や希望に満ち溢れた十八歳。
私の人生、七十八歳が最高かな?
少し、はやいような気もする?
いい人は、早死にするって、誰かが言っていた。
わたし。
いい人、 それとも、 悪い人。
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胸キュン

2021年03月07日 16時36分54秒 | たわいもないはなし
私の通っている男性用スポーツジムの、マシーンの正面に掛けてある女優さんの写真は毎月変えられる。
戸崎さん(女性コーチ)今月の女優さんは誰ですか?
浅丘ルリ子さんの若い頃の写真ですよ。
やっぱり。
ぼく、ルリ子さんと友達だよ。
うそ。

ほんとだよ!
若かりし頃、映画館に通い詰めて、一方的に友達になったんだ。
浅丘ルリ子さんのファンだったんですか?
いや、僕は大原麗子さんの方が好きだったなー
私の全く知らない人ですね。
そうかもしれないね。
今も生きておられれば、コーチのおばあさんと同じくらいの年だからね。
(コーチはネット検索に)
大原麗子さんって美しい人ですね。
コーチには負けるかもしれないけどねー
鈴木さんは男前だから、若い頃はさぞかし持てたでしょうね?
僕が男前だなんて産まれてこの方、誰からも言われたことがないよ。
ありがとう、お世辞でも嬉しいよ。
(年甲斐もなく、コーチに胸キュン)
鈴木さんの奥さんも、さぞかし美人でしょうね?
もちろん、もちろん、人が驚くほどの美人だよ!
なにせ山田邦子さんの、そっくりさんだからねー?
コーチのおばさんと、50年前に出会っていたら僕の人生も変わっていたかも?
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冷 戦

2020年12月23日 11時18分23秒 | 雲雀のさえずり
  昨夜から降り続く雪。

  今日は雪搔きしなくては。

  朝食をすませて外に出た。

  雪は60センチくらい積もっている。

  一月に降った雪より、はるかに多い。

  前回は、ハイペースで雪搔きをし、途中でダウンしてしまった。

  今日は、スローペースでしよう。

  心でつぶやいた。

  「こんなに降っちょう時にせんでも、止んでからしない・・・・・・」

  「私、よう、手伝わんけんなー」

  「うるさい! お前に手伝えなんて、一言も、いっちょうへんがな」

  作業は、9時から12時近くまで黙々と続いた。

  「ホットケーキ焼いたけど、食べる?」

  「いらん!」

  家内が、顔を見せたのは、この一度だけ。

  たわいもない、冷戦継続中。







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冷 戦

2020年12月23日 11時17分04秒 | 雲雀のさえずり
  テレビに某大臣の顔が映し出された。
 
 「この人にだけは、命を預けたくないなー」

 「もういいけん。その言葉、何度も聞いたわ!」

 「もう、お前とは話はせん。」

  そんな、たわいもない会話がもとで

  孤独な私と、多弁な家内の冷戦状態が続いている。


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生きる

2020年12月23日 11時15分45秒 | 雲雀のさえずり

私は、父を越え、母に近づいた。


真夜中、ふと、目が覚めると、カーテンの隙間から


星明かりが、幽かに差し込んでいた。


私は、松煙墨で塗りつぶしたような天井を、ぼんやりとながめていた。


「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」


“宮本輝・幻の光”の一節が脳裏に浮かんだ。


以前、誰かから訊いたことのあるようなフレーズである。


私の記憶は、ビデオテープの早送りのように、幼少時代へと遡った。


飲んだくれの亭主と、六人の子供を育てる母がいる。


母は、空の米櫃に凭れかかり、


「もう、精も根も尽きはててしもうた」


と、呟いている。


母は、この苦境を、どう乗り切ったのだろうか。


もう、母に問うすべは、私にはない。


精根つくしても、問うすべはない。

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わらべ

2020年11月21日 10時45分25秒 | 雲雀のさえずり
朝もやの ツバメ飛び交ふ 散歩みち 野山めぐりし わらじなつかし



作  嵯 峨 風 流    絵  高 那 ひつじ
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人生慕情

2019年05月23日 18時24分15秒 | 負け犬の遠吠え
序章

中国地方で一番の高山、大山は伯耆富士とも呼ばれ、日本の三名山の一つにも選ばれる霊山である。
春は新緑、夏は登山、秋は紅葉、冬はスキーと四季折々に変貌した顔で多くの人々から愛されている。
平成30年には開山1300年を迎えたのを機に、参道の整備や数々の記念行事が行われ、県内外はもちろん海外の人も集い大いに賑わった。
往時の大山寺には多くの寺院が建っており、僧兵も三千人もいたと言われている。
大山の麓に広がる大原千町は、黒土の肥沃な大地に拓かれた一大穀物地帯で、丸山、半川、大原、真野、番原、久古、福岡、須村の八つの集落の総称として八郷と呼ばれている。
戦国時代にはこの地を治める豪族が変わるたびに、大山寺との間で領地の覇権をめぐって戦が絶えなかったという。
その後、八郷を含む伯耆の国一帯は、覇権争いに勝利したこの地の豪族、紀成盛によって制圧された。
成盛は大原千町と日野川を挟んで大山が一望できる、会見村長者原の高台に居を構えた。
成盛は、日野川から採れる豊富な砂鉄を原料に、たたら製鉄をはじめて大いに財を成して隆盛を極めた。
大山への信仰心が深かった成盛は大山祭りの前夜祭には、長者原から大山までの五里の道に松明を燃やして、道標としたとも言い伝えられている。
戦国の覇権争いが激しさを増してくると、隆盛を極めていた成盛の平穏な時は長くは続かず、広瀬の月山に居を構えていた尼子氏に滅ぼされ、紀一族は美作や播州の地に落ち延びたとも言われている。
尼子が毛利に一掃されると、紀一族の一部は大山の麓に帰り、人目を避けるように暮らしたと言われている。
代々、我が家に引き継がれている言い伝えによれば、進野一族も紀成盛の末裔と言われ、美作の国に落ち延びていた先祖が会見村の日吉津に帰り、七代前に八郷村の須村に居を構えたと聞かされている。
紀一族は後に進とも名乗ったらしく、また、戦に敗れて野に下った一族は、姓に野をつけて名乗ることもあったようで、進野姓は紀一族が野に下り、進に姓を改め、進野と名乗るようになったと思われる。
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