たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

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からす天狗の恩し (最終回)

2012年04月06日 12時14分36秒 | カラス天狗の恩返し

 

仁翔と勇翔の唱える易経は、時には高く、また低く、靄のように湖面を流れて、大野池を取り囲んだ山々に吸い込まれるように消えて行った。

太陽が山影に沈んで西の空が茜色に染まり、辺りが次第に暗くなると、夜空に耀いた星の光が、仁翔と勇翔の上に降り注いだ。

一日過ぎ、二日たっても村には何の変化もなく、村人の中にはカラス天狗さんはいったい何をしようとしているのだろと不審を抱く者も現れ、カラス天狗の様子を探りに大岩に行って見ようと言う者も現れたが、義助はこれを強くたしなめた。

そして三日目、辺りが夕やみに包まれる頃になって、急に大野池の周りの山の峰々から黒い雲が “ムクムク”と狼煙のように湧き上がりはじめ、それまで静だった湖面から“ブクブク、ブクブク”と白い泡が立って、水面に小石でも投げ込んだような波紋があちらこちらで起こってきた。

すると、仁翔と勇翔は湖面の変化に機を合わせるかのように、大岩から腰を上げて立ち上がると、両手を天に向けて大きく広げ、雲に向かって語りかけるかのように、一段と声を張り上げて易経を唱え続けた。

峰々から湧き上がった雲は、渦を巻くように大野池の上に集まると、まるで厚い絨毯でも敷き詰めたような塊となって池を覆っていった。

“ド、ド、ド、ドン”大地震でも起きたかのような地鳴りと共に、雲間から蒼白い閃光が走って大野池に突き刺さった。

湖面に突き刺さった閃光が、激しい水しぶきを噴きあげ、竜神さまが翼龍から飛龍へ変身して、天上に駆け登って行くかのように湖面を高く盛り上げた。

黒い雲の塊から、耳を劈くような雷鳴が轟き、蒼白い閃光が無数に飛び散る様は、天上に駆け登った飛龍が行き場を失い、雲間で荒れ狂っているようでもあった。

大野池が閃光に照らされて、真昼のような明るさになると“ポトリ、ポトリ”と大粒の雨が落ち始めたかと思うと、次の瞬間、一寸先も見えないほどの豪雨となって、滝のような雨が仁翔と勇翔に襲いかかっていった。

そんな豪雨に耐えながら、仁翔と勇翔が一心不乱に易経を唱え続けていると、大野池はみるみる水嵩を増すと、堰を切り、濁流となって大岩に押し寄せてきた。

村人たちは豪雨の中を、大岩のカラス天狗の安否を心配し、義助の家に集まると無事を願って一心不乱に祈り続けた。

次の日、山影から太陽が姿を見せると、昨夜の雨が嘘のように晴れ、山々の草木は息を吹き返したように新緑の香りを漂わせていた。

村人が義助を先頭に、大急ぎで大岩に向かっていると、村人が掘った水路に、水が“ゴォーゴォー”と溢れるように流れ込んでいた。

「これは、どうしたことだ。 カラス天狗は無事だろうか?」 と義助が言った。                     

誠輝はカラス天狗の安否が心配で、居ても立ってもいられない気になり、大岩に向かって駆け出して行った。

誠輝は大岩に着いて頂を見上げたが、カラス天狗の姿は見えない、はやる気持ちを抑えながら頂に駆け登ったが、仁翔と勇翔の姿は何処にもなく、大野池の湖面だけが、大岩に迫り、これまでの数倍もの大きさに広がっていた。

村人が水路に沿って、ようやく大岩の下までたどり着くと、岩の裂け目から、水が滝のように噴き出して水路に流れ込んでいた。

「この滝は、カラス天狗さんが、我々に授けて下さったのだ!」村人は、口々に叫んだ。

義助は懐から鹿笛を取り出し“ヒュルル~ヒュルル~”と吹き続けたが、カラス天狗が姿を現すことはなかった。

村人は天狗に授けてくれた滝を、天狗滝と名付け、村の宝として大切に祀ることにした。

それからは、この村が干ばつに襲われることはなくなり、四季折々の山の幸、豊かな自然、美味しい水、素朴で優しい人々が暮らす村は、世間から隔絶された幻の桃源郷として、子々孫々の今日まで続いています。

【長らくご拝読いただきありがとうございました】

 

 

 

 

 

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からす天狗の恩返し(20)

2012年03月28日 18時23分01秒 | カラス天狗の恩返し

皐月から水無月へと月も移り、とっくに梅雨の時期を迎えたというのに、この日も朝から真っ青な空が広がり、初夏を感じさせるような強い日差しが日も降り注いでいた。

二羽のカラス天狗は、村人の待つ広場にようやくたどり着くと、人々の強い期待と視線を肌で感じながらお堂の前に立った。

広場に集まった村人の中に緊張が走り、カラス天狗に寄せる期待と不安で、急に静まりみんなは息を殺すように天狗を見つめた。

「みなさん、わしが大雪の年に命を助けていただいたカラス天狗の仁翔と申します。となりの若い天狗が村でお世話になった勇翔です。あの年助けていただいたご恩は、今でも決して忘れることはできません。本当にお世話になりました」

と言って、仁翔は村人に深々と頭を下げた。

すると、傍らに立ってこの話を聞いていた義助が、日焼けして茶褐色になった手を差し出すと、仁翔はその手を固く握りしめ抱擁を交わした。

「こんな形でカラス天狗さんにお会いすることになろうとは夢にも思っていませんでした。急な頼みにも関わらず、こんなに早く駆けつけていただいて本当にありがとうございます」

義助は仁翔と勇翔に丁寧にお礼を言うと、多少こわばった表情で村の窮状を話しはじめた。

「この村は、これまで盆地の山裾の溜池に雨水を溜めて、その水を田んぼに引いて稲を作って来たのだが、今年は梅雨の時期に入っても雨が全く降らず、溜池は干からび、植えつけの時期を過ぎたというのに、雨の降る気配が全くなく困り果てて、村人総出で大野池から水を引くことにしたのですが、工事の最中に怪我人が出るなどの不幸が続き、どうしても水路を完成することができません。どうかカラス天狗さんの霊力、神通力を持って村をお救いください」

その義助の話を瞬きもせず、真剣な面持ちで聞いた仁翔は勇翔に向かって言った。

「勇翔、村の溜池の様子を見に行ってくれないか」

「仁翔さん、それでは村の若者に案内させます」

と言って、誠輝に勇翔を溜池に案内するように言いつけた。

誠輝と勇翔が溜池に着いて池を見ると、池はまるで砂漠のようにカラカラに干からび、灰色に乾いた表面には大きな割れ目が無数に走っていた。

「これはひどい、これでは少々の雨では田畑を潤すことは到底出来やぁしない」

勇翔は広場に取って返し、この惨状を仁翔に説明すると、仁翔は暫く腕組みをしながら考え込んでいたが

「義助さん、大野池の大岩に案内してくれないか」と言った。

義助が仁翔を案内して、狭い畦道を通り雑木林を抜けて大岩に向かうと、その後に誠輝と勇翔そして村人たちも続いた。

大岩に着いた義助は、険しく突き出した岩肌を指さしながら仁翔に言った。

「仁翔さん、村の若者が転落したのはあの辺りからです」

すると仁翔は、若者が転落した岩のあたりに向かって手を合わせてしばらく瞑想していたが、大岩の下まで進むと静かな足取りで頂に向かって登りはじめた。

仁翔が頂に立つと、太陽の光が背後から注ぎ、その仁翔の姿は、まるで天から神様が舞い降りたかのように、眩しくそして神々しくさえ村人の目には映つた。

仁翔は大岩の頂から、村の周囲の山々や田畑、大野池の湖面などの様子を目を細めるようにして見つめていたが、しばらくすると勇翔に向かって

「おお~ぃ勇翔、 お前もここに登ってきなさ~い!」と叫んだ。

すると勇翔はカモシカのるような身軽さで大岩を登り、頂に着いた勇翔は仁翔と何事かを真剣に話し合っていたが、突然、、大岩の下に集まっていた村人に向かって

「村の皆さ~ん、今から三日三晩の間は、どんなことが起こっても絶対にこの大岩に近づかないでくださ~い」と大声で叫んだ。

勇翔の言葉に、村人はカラス天狗の真意がつかめず戸惑いの様子を見せたが、この場に及んではカラス天狗の言葉に従うより他に方策もなく、みんなは勇翔の言葉に従ってすごすごと村に帰って行った。

村人の姿が見えなくなったのを見届けた仁翔と勇翔は、強い日差しが突き刺さすように降り注ぐ大岩の頂で、鏡のように穏やかな大野池の湖面に向かって座禅を組むと、竜神さまにでも語りかけるかのように、四書五経の一つである易経を静かに唱え始めた。

 

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からす天狗の恩返し (19)

2012年03月12日 14時40分10秒 | カラス天狗の恩返し

大山の北壁の峰々が、薄いオレンジ色にかすかに染まりはじめた時、賽の河原から南光河原の谷底を這うようにつむじ風が巻き起こり、誠輝は吹き飛ばされそうになって身をすくめた。

つむじ風が過ぎ去り、再び鹿笛を吹こうと誠輝が首をもたげ、しののめの薄明かりに照らされた金門の頂に目をやると、小さな白い雲が風にたなびいているように見えた。

その雲は、険しく突き出した金門の岩肌を、まるで、ムササビが滑降でもするかのように岩から岩へ飛び移り“あっ”という間に降下して、南光河原の誠輝の前に立った。

「鹿笛を吹いたのはあなたですか? 私は昔、大雪の中で村の皆さんに命を助けていただいたカラス天狗の勇翔です」と言った。

その勇姿には、昔の痩せてやつれたカラス天狗の面影など微塵もなく、たくましく成長した身体からは力がみなぎり、凛々しく神々しくさえ見えて、誠輝は言葉を失い呆然として立ち竦んでしまった。

「いったい、村で何が起きたのですか」

勇翔の優しい問いかけに、ようやく気を取り直した誠輝は、今年に入ってからの異常気象で村が水不足の窮地に追い込まれている窮状を訴えて助けを求めた。

勇翔はこの話を黙って聞いていたが

「誠輝さん、昔の約束をよく思い出してくれました。これから祠に帰って、仁翔という爺さんと二人で直ぐに村に向かいます。誠輝さんは先に帰って、この事を村の人に伝えてください」

勇翔は誠輝にそう言うと、まだうす暗い河原を北壁の谷底へ飛ぶように姿を消して行った。

「天狗さんが来てくれれば、礼香も村も助かるかもしれない。早く帰って村主さんに伝えなくては」

誠輝の心にようやく光明が差し込み、賽の河原から北壁の谷底に姿を消した勇翔を見送ると、薄明かりに照らされながら河原を下り、林を抜け、雑木林を通って村に向かって一目散に走り続けた。

太陽は山の峰から少しずつ顔をのぞかせると、誠輝の後を追いかけるように高く登り、村に着く頃にはすっかり明るくなっていた。

誠輝が村に入ると、お堂の前の広場に義助を囲んで村人たちが集まっているのが見え、誠輝はその輪の中に息絶え絶えに走り込みながら叫んだ。

「カラス天狗さんに、会えました!」

「それで、天狗は何と言った!」

いつもは沈着冷静な義助も、この時ばかりは平常心を失い、叫ぶとも怒鳴るともつかぬ大声で誠輝の次の言葉を迫った。

「直ぐ! 村に来てくれるそうです」

「そうか、これで村も助かるかもしれん」

この話を聞いて、義助や村人が安堵の表情を浮かべたのを確かめて、誠輝がその場に座り込んでしまった。

この様子を傍らから見ていた礼香が、竹筒に入った水を誠輝に渡すと、その水を美味しそうに“グイ、グイ”と一気に飲み干して誠輝は話を続けた。

「村主さん、この鹿笛のお陰でカラス天狗さんに会うことが出来ました。天狗さんは鹿笛の事も、昔の事もよく覚えていてくれました」

誠輝がさらに天狗との出会いのを詳しく話そうとしていると、村人の一人が大きな声で叫んだ。

「あ!あれは、カラス天狗ではないか!」

みんなは一斉に、その村人の指差す方向を見つめた。

干からびた田圃の先に見える雑木林から、白い二羽のカラスが地上すれすれを滑空するように、“ぐんぐん”村に近づいて来るではないか。

 

 

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からす天狗の恩返し (18)

2012年02月16日 18時05分36秒 | カラス天狗の恩返し

誠輝は月あかりを頼りに疾風のように野原を走り、雑木林を駆け抜けブナ林へと分け入った。

 

ブナ林は広葉樹で空がおおわれ、月のあかりも殆んど差し込まない闇の世界、足元には木の根がクモの巣のようにはびこり、誠輝は木の根に何度も何度も足を取られ、また、行く手を背丈ほどもある熊笹に阻まれ傷だらけになりながら、それでも木々の隙間からときおり射し込む月の明かりを頼りに南光河原に向かって無我夢中で走り続けた。

 

そして、ようやくブナ林を抜けた時には誠輝の身体は血と汗にまみれ、疲労はピークに達していた。

 

「日の出までには、まだ十分に時間がある」

 

誠輝が草むらに腰を下ろして空を見上げると、月は頭上で輝き、疲れた体に爽やかな風が心地よく流れ、つい、うとうととまどろんでしまった。

 

「お兄ちゃん、早く起きて」

 

礼香が叫んだような気がし誠輝が目を覚ますと、東の空がかすかに白みはじめていた。

 

「しまった。寝過したか」

 

誠輝は“パッシ、パッシ”と頬を叩き、眠気を覚まして気合を入れて再び走りだすと、谷間の中に薄明かりに照らされて砂や石が見えてきた。

 

「ここまで来れば、もう大丈夫だ!」

 

誠輝は駱駝の背のように凸凹になった石の上を、跳ねるように川上に向かって走っていくと、干からびた河原に僅かに流れる清水が足裏を心地よく濡らして疲れを和らげ、大山の影が黒い衣でもまとったように覆い被さってくる。

 

ようやく南光河原にたどり着いた誠輝の眼前には、大山の北壁から流れ出た水で侵食されたてV字型に大きく破壊された岩山が、何人の侵入も拒むかのように荒々しい姿で聳えていた。 

 

誠輝は岩山が大きく裂けた金門の下まで行くと深々と頭を下げ手を合わせた。

 

「カラス天狗さん、どうか村人の苦難をお救いください」

 

藁にもすがる思いで願いを込め、懐から取り出した鹿笛を北壁に向かって“ヒュルル、ヒュルル”と、息の続く限りに吹き続けた。

 

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からす天狗の恩返し (17)

2012年02月02日 16時34分28秒 | カラス天狗の恩返し

小屋に帰った礼香と誠輝が、汚れた草履を土間に脱ぎ、板の間に敷いた筵の上で沈痛な面持ちで向かい合って座ると、板壁の裂け目からは射し込んできた月の明かりが微かに二人に降り注いできた。

 

「礼香、どうして人柱になるなんて言ったのだ」

 

月の明かりで“キラリ”と光る礼香の瞳に、誠輝は次の言葉を失い、二人は沈黙したまま藁布団を敷いて床についた。

 

誠輝は傍らで眠る、少女から娘に脱皮しようとしている礼香の横顔を見ながら

 

「我が妹ながら美しい、笹ユリのように清楚な気品をただよわせ心根の優しい娘の育った。年頃にはきっと近在一の美人になることだろう。こんなに可愛く愛らしい妹を人柱などに絶対させてはならない」

 

誠輝はあれこれ思案を巡らせていると目が冴えて眠れなくなったが、昼の疲れも重なりようやくうとうとまどろみはじめた時“トントン、トントン”雨戸を叩く音に誠輝は起こされた。

 

「こんな夜更けに、いったい誰だろう」

 

誠輝が土間に下りて雨戸を開けると、そこには月明かりを背にして苦悩にゆがんだ義助の顔があった。

 

「村主さん、こんなに夜遅くどうしたのですか」と誠輝が尋ねると

 

「実はお前に頼みがあって来たのだが、家に上がらせてもらってもいいか」と義助は言った。

 

誠輝は義助を土間で待たせ、礼香に敷いていた藁布団を片付けさせると行燈に灯をともして義助を板の間に上げた。

 

筵に座ったまま二人の顔を食い入るように見つめていた義助は、しばらしてようやく重い口を開いた。

 

「お前たちもこの村に来て、ずいぶん長くなったがいくつになった」と、唐突に尋ねた。

 

「僕が二十歳で、礼香が十六歳になります」と誠輝は答えた。

 

すると、義助は遥か昔でも懐かしむように天井を見上げ、意を決したように誠輝に向かって言った。

 

「今日、礼香が、竜神さまの怒りを治めるためなら、婆さんの身代わりになって人柱になると言ってくれた。これは涙が出るほどうれしかった」

 

誠輝はその言葉に心臓が張り裂けそうになり、うつむいたままの礼香をそっと見やった。

 

「だが、わしが礼香を人柱にしてまで水路工事を続けることはできない。そんなことをしたら後世にきっと悔いを残すことになるだろう。しかし、今ここで工事を止めてしまったのでは村が崩壊しかねない」

 

そこまで話を聞いて、誠輝はようやく落ち着きを取り戻したが、それなら何故こんなに夜遅く尋ねてきたのだろうかと一抹の不安がよぎった。

 

「誠輝、この役目はお前にしか頼めないのだ」と言って、義助は懐から赤子の拳ほどの、白い石のようなものを出して誠輝の掌にのせた。

 

「これは五年ほど前、お前が大野池で助けたカラス天狗が山に帰る時にわしに託した鹿笛だ。その際、天狗は、もしこの先、村で困ったことが起こったらこの鹿笛を南光河原で吹くようにと言って帰って行った。わしはあの時の天狗の言葉にすがってみようと思う」

 

誠輝は義助の話を聞いている内に、カラス天狗を助けたあの日のことが昨日のことのようにくっきりと蘇ってきた。

 

「そこで、お前に頼みというのは、この鹿笛を持って南光河原に行き、明日の日のでまでにカラス天狗を呼んできてもらいたいのだ」

 

「村主さん、そんなことで村が救えるのなら今すぐにでも飛んでいきます」と言うが早いか、誠輝は小屋を飛び出して南光河原に向かって駆けだして行った。

 

その誠輝の眼からはとめどもなく涙が溢れ、霞む山野を白銅色に輝く月が優しく照らして見守っていた。

 

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からす天狗の恩返し (16)

2012年01月06日 16時17分19秒 | カラス天狗の恩返し

太陽は高く登り、陽が村人の真上から降り注ぐ頃になって義助と村人の心は一つの塊となった。

 

もう一時といえども無駄にはできない、村人はさっそく大野池の土手に集まると、竜神さまの怒りを治めるための祭事の準備を始めた。

 

男たちは大野池の近くの竹藪から真竹を切り出して鳥居のように建てると、それに縄を張り和紙を切ったソモソモを飾って、その奥に祭壇を作って酒樽や米などを供えた。

 

村人が祭壇の前に整列したのを確かめると、義助は祭壇に向かって深々と二礼し、静かに柏手を二回打った。

 

そして、掌を合わせ工事の安全を祈願して最後に一礼すると、村人もこれに習って祈りを捧げた。

 

お祈りを済ませた義助の顔は、今までの苦渋に満ちた険しい表情が一変し、どこか仙人の姿でも思わせるような高貴な気品と気高さへ醸し出していた。

 

「これで竜神さまの怒りも治まるだろう。これから、村の存亡を賭けた難工事をみんな一丸となってやり遂げようではないか」と力強く言った。

 

「頑張ろう、頑張ろう、絶対完成させよう」村人の士気は盛り上がった。

 

そして、村人による村はじまって以来もっとも困難で厳しい用水路の工事が始まった。

 

最初に、先祖の人たちが掘って放置していた水路に生えてしまった、雑木の伐採と萱などの雑草の刈り取り作業を行い、次に、勇翔たち力自慢の若者が水路に崩れ落ちた大きな石をツルハシで掘り起こす。

 

それを他の男たちが、水路の中に流れ落ちて溜まった土をスコップですくい上げ、その後を女や子どのたちがクワで均して行く。

 

山並みが茜色に染まり陽が沈む頃になると、老人たちは松明を燃やして作業をする者たちを照らし、老女たちはおにぎりやみそ汁などの炊き出しでこれを支えた。

 

村人の不眠不休の懸命な作業で工事は順調に進み、五日目には大岩の手前までの水路が完成し予想以上に進捗状況に、村人は「これなら田植えに間に合うかもしれない」と“ほっ”と胸をなでおろした。

 

残るは大岩から大野池までの僅かな区間、村人の士気はさらに盛り上がった。

 

しかし、残されたこの区間は先祖の人たちが何度も挑戦しながら、怪我人や病人などを出して、その度に工事の中止を余儀なくされた問題のある場所でもあった。

 

「何の、これしきの岩」

 

いきり立つ若者は、我先にとノミやツルハシを岩に向けて打ち込んで行った。

 

しかし、大岩は勇翔たち若者の挑戦に容易には屈せず、打ち込むノミやツルハシの尖端をことごとく弾き飛ばした。

 

「この岩さえ開削できれば、大野池の水が引けるものを」若者たちは大岩を前にして地団駄を踏んで悔しがった。

 

村の長老たちも岩の周りに集まって新たなルートを探そうと、あちこち歩き回ったが容易に開削できそうなルートは発見出来ず、やむなく工事の中断を余儀なくされ岩の下で腰をおろし思案していると、一人の若者が立ち上がった。

 

「僕が大岩に登って、上から新たなルートを探してみます」と言って大岩を登りはじめた。

 

若者は険しい岩肌を一歩一歩慎重に登っていたが、岩の中腹あたりまで登ったところで突然“わああああああ~”と大きな叫び声を上げ、多くの村人が見つめている目の前で大岩から転がるように転落してしまった。

 

この様子を目の当たりにした村人は、我先にと駆け寄って若者を抱き起して介抱しようとしたが、若者の頭からはおびただしい血が流れ、眼を閉じたまま意識を失っていた。

 

もう一刻の猶予も出来ない、村人は若者を戸板に乗せて村に急いだ。

 

その瞬間から、水路工事に対する情熱と熱気が一瞬にして消え去ったように村人の顔は青ざめ、手足は震え、まるで葬儀の棺桶でも担ぐような重苦しさに包まれていた。

 

この様子を見ながら歩く義助の姿も、肩がガックリと落ち、両足に鉛の玉でもくくりつけたような重い足取りで、固く誓っていた信念が揺らいでいるようにも見えた。

 

義助の家に着いた村人は“ぐったり”死んだように横たわった若者を戸板から下ろして家の中に運び込むと、気付け薬をかがせ焼酎で傷口を洗って懸命な手当と看護に努めた。

 

しかし、若者の眼は閉じたままで意識は戻らず、心臓だけが微かに動いているだけだった。

 

義助は心配そうに若者を取り囲んで悲痛な面持ちで見守っている村人を奥の部屋に集め、重い足取りで部屋に集まった村人に義助は冷徹なまでの表情で語りかけた。

 

「今回の転落事故は大変に痛ましく慙愧に堪えない。しかし、今ここで工事を中断したらこれまでの苦労が水泡に帰し先祖と同じ道を辿ることになってしまう。ここは、この悲しみを乗り越えて何としても水路を完成させなければならない。みんな苦しいだろうが頑張ろうではないか」と言った。

 

しかし、村人はうつむいたまま一言も物を言わず、シーンと静まり返った部屋には長い沈黙の時間が流れて行った。

 

すると、一人の痩せて小柄な老婆が、腰を屈めながら静かに義助の前に進み出ると、深々と頭を下げながら言った。

 

「村主さん、やはり、あの大岩を傷つけたことで竜神さまの怒りに触れたのだろう。このまま工事を続ければさらに二人目三人目の犠牲者が出る事だろう。

私はもう老いて先が短い、どうか私を竜神さまの怒りを鎮める人柱として大野池に沈めてください、この老いぼれた命で村が救えるものなら本望というものです」と言った。

 

それを聞いた村人たちは、この老婆のわが身を投げ出してまで村を守ろうとする深い思いに心を打たれ、悲痛な言葉に涙し、村の存亡をかけて用水路を造るという固い誓いが少しずつ揺らぎかかったその時、礼香が老婆に寄り添うように近づき優しく手を握りながら

 

「お婆さまにそんな不憫なことはさせられません、私が変わって人柱になります」と言った。

 

この話を腕組みしながら傍らで聞いていた義助は、二人の顔を代わる代わる見つめながら深いため息をついて考え込んでしまった。

 

「ここで工事を中断したらこれまでの苦労が無駄になってしまう。多少の犠牲者が出ようとも子孫のために工事は続行すべきだろう。さりとて村人を人柱にまでして工事を続ける必要があるのか、たとえ工事が完成したとしても、村人の心に深い傷跡を残すことだろう」

 

義助は苦渋に満ちた表情で、うつむいたまま黙り込んでしまった村人に向かって

 

「工事を続けるべきか、中断にすべきか、今夜一晩わしに考える時間を貸してくれまいか」と言って、村人を家に帰らせた。

 

この夜も空には雲ひとつなく、ぽっかりと東の空に浮かんだ大きな月は村人の苦悩を嘲るかのように美しく白銅色に輝き、とぼとぼと肩を落としながら水車小屋へ帰る礼香と誠輝を明るく照らしていた。

 

 

 

 

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からす天狗の恩返し (15)

2011年12月20日 17時08分12秒 | カラス天狗の恩返し

次の日も朝から青空が広がり、初夏を思わせるような強い日差しが降り注ぐ中を、村人は観音様が祀られている小さなお堂の前に集まった。

 

義助は村人の不安そうな表情に戸惑いながらも、ひとり一人の顔を確かめると、意を決したように話しはじめた。

 

「みんな、今年は梅雨に入っても一滴の水も降らず、今もって田植えが出来ない状況が続いている。このまま日照りが続けば、秋になっても一粒のコメも収穫できなくなり、村は大飢饉に陥りかねない。そこで、村の主だった者に昨日の夜に集まってもらい、どうしたらこの干ばつを乗り切ることができるか話し合った。

 

しかし、これといった妙案も浮かばず、苦渋の選択として大野池から水を引いてはどうかという事になった。みんなは大野池から水を引くことに抵抗や不安心配もあると思うが、これ以外に村の窮状を救う方策は見出せなかった。わしは村主として命を賭してでもこの工事をやり遂げたいと思う、みんなの意見を聞かせてもらいたい」

 

この義助の提案に、村人は首を垂れて黙り込み、誰一人として物を言う者もなく長い沈黙が続いて重い空気につつまれた。

 

誠輝はこの様子を後ろの方から見ている内に、いてもたっても居られない気持ちに駆りたてられ、蛮勇を奮いたたせて沈黙を打ち破った。

 

「村主さん、僕たち兄妹は幼い頃から村の人々に助けられここまで育てていただきました。僕たちが村のお役に立てる事があるなら、どんなに苦しくて危険な仕事でも命がけでやります」

 

この誠輝の言葉に勇気づけられたかのように、村人は一人また一人と首をもたげはじめると、一人の若者が意を決したように義助の傍に歩みより村人に向かって言った。

 

「みなさん、先哲たちも成しえなかったこの困難な仕事、我々で成就させようではありませんか」

 

そして、村人を鼓舞するように拳を天に突き上げ賛同を求めると、若者に触発されるように村人の顔にはみるみる精気が蘇えり

 

「私も・僕も・俺も・・・」

 

と、同調する者がしだいに多くなり大勢が決しようとしかかった、その時、一人の男が遠慮がちに手を上げた。

 

「村主さん、田植えの時期は過ぎようとしています。今頃になって工事をはじめて田植えが出来ると思いますか」と冷ややかに言った。

 

この一言にそれまでの熱気は、冷や水でも浴びせかけられたように一瞬にして覚めて静まりかえってしまった。

 

すると義助はそんなことは百も承知していると言わんばかりに、その男に向かって言った。

 

「たしかにお前の言うように間に合わないかもしれん。しかし、今、この苦境を避けていては永遠に村を救う手立てを失い、村は崩壊してしまうだろう。何もせずに村の崩壊を待つより、先哲たちの意を継いで工事を完成させれば奇跡が起こらないとも限らない。

 

この工事に村の存亡がかかっているのだ。これを成し遂げることがわしらの子々孫々に対しての天命なのだ。わしは一人になってもやり遂げる覚悟じゃ!」

 

義助の形相は鬼のように険しく、一身を投げだしてでもやり遂げようとする並々ならぬ心情は、村人の心に楔のように突き刺さり固い絆はさらに深まっていった。

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からす天狗の恩返し (14)

2011年12月06日 16時12分05秒 | カラス天狗の恩返し

勇翔が山に去った日を境にして厳しかった寒さは峠を越し、三寒四温を繰り返しながら春に近づき、田畑をおおっていた深い雪もしだいに融けて黒土が顔を見せ始めた。

 

ひと冬を雪の中に埋もれた白菜やキャベツなどの野菜は、冬の寒さで一段と甘みを増し、豪雪に耐え抜いた村人に遅い春の訪れを告げる。

 

大野池の土手には山桜が清楚な花を咲かせ、村人は素朴で淡い香りを漂わせる山桜の下で花見を楽しみ、山つつじが薄いピンクの花を咲かせる頃になると、鉦や太鼓を打ち鳴らし村人総出の田植えが始まり、短い夏が過ぎ、赤とんぼが野山を飛び交う頃になると、稲穂が黄金色に輝き収穫の時期を迎える。

 

そして、稲の収穫が終わると小さな村のささやかな秋祭りを行って、自然の恵みに感謝し厳しい冬の到来に備える。

 

そんな慎ましいながらも平穏な暮らしの中で、村人はお互いを気遣い助け合いながら幸な日々を過ごしている内に、いつしかカラス天狗を助けた出来事は村の人の記憶から薄れ話題にも上らなくなっていった。

 

そんなある年のこと、その年は珍しく雪が少なく梅雨に入ってもまとまった雨が降らず、田植えの時期が過ぎようとするのに、村の田んぼに水を取り込む溜池には水が殆んどなく村人は困ってしまった。

 

このまま日照りが続けば、一粒のコメさえ収穫することが出来なくなる、村の存亡に関わる重大な事態に直面し各家の家長たちは義助の家に集まり、この危機を乗り切る方策について真剣に話し合いを続けた。

 

「コメの代わりに、あわ・ひえ・そば、を植えたらいいじゃあないか」一人の男が言う

 

「そんなことでは、村人みんなの口は賄えまい」向かいに座った男が反論する。

 

「芋を植えたらどうだ」別の男が言う

 

「芋だけを食べて一年を過ごすのは無理だろう」間髪いれずに異論が出る。

 

「それなら、イモとソバを半々に植えたら」

 

「他国に出稼ぎし、その金で村を支えたら」

 

「そんなことをしたら、村は働き手を失い崩壊してしまう」

 

いつまでたっても話は堂々巡り、妙案が浮かばないまま時間だけが無情に過ぎ、それまでみんなの話を黙って聞いていた義助がポッリと呟いた。

 

「大野池の水さへ田に引くことができたら、こんなに苦悩することもないものを」

 

この、ため息とも嘆きともわからぬ義助の呟きに、男たちは一瞬凍りついたように口を閉ざし俯いてしまった。

 

大野池は大山の伏流水が豊富に湧きだし、どんなに干ばつの年でも水を満々と湛えており、村の先哲たちはこの水を田畑に引き入れようと何度も試みた。

 

しかし、工事に取りかかろうとして、大野池と村の間に立ちはだかる大岩に手を加えようとすると、その度に岩から転落して大怪我をする者が出たり、村に原因不明の病気が流行って死人が出るなどの不幸が続いて工事は中断され、いつしか村の人々の間では、あの池には竜神さまが住んでいると真しやかに信じられ崇められるようになっていた。

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からす天狗の恩返し (13)

2011年11月24日 17時21分14秒 | カラス天狗の恩返し

勇翔が義助に促されながら戸外に出ると、外は凍てつくような空気がはりつめ、深く積もった雪に太陽の光が鋭く反射していた。

 

頬のあたりを冷たい風が吹き抜けると、勇翔はかすかな痛みを覚え、武者震いでもするかのように“ブルブル”と大きく体を震わせた。

 

義助の家の前には多くの村人が腰のあたりまで雪に埋もれながら、勇翔の元気な姿を一目見ようと集まり、その中に誠輝と礼香の兄妹の姿もあった。

 

勇翔は玄関前に立つと、村人の顔をひとり一人たしかめるように見つめながら深々と頭を下げた。

 

そして、勇翔が道の両側に雪をうず高く積み上げた村の一本道を、義助の後について歩き出すと、村人も一列になってそのあとに続いた。

 

村を囲んだ山々は、松、杉、桧などの針葉樹が陽の光を受け、まるでモノクロ写真のような斑模様を描き、その中に、ひときわ高く聳える大山の山頂は、吸い込まれそうな青空の中に銀板の三角帽子でも被せたように眩しく輝いていた。

 

義助は村の入口の地蔵さんが祀られているお堂の処まで来て、歩みを止め勇翔を振り返った。

 

「勇翔さん、この寒さもあと僅か、春も近い。十分に食べ物は持たせてやれないが、何としてもこの冬を乗り切って、また元気な姿を見せておくれ」

 

そう言いながら、義助は氷のように冷たくなった手を差し出し、勇翔はその手を固く握りしめている内に深い絆が湧きあがるのを感じた。

 

勇翔は義助の手を静かに離すと、懐から子供の吹くオカリナほどの大きさの鹿笛を出して義助の掌にのせながら

 

「この先、村で困ったことが起きたら、この鹿笛を大山の麓の南光河原で吹いてください。すぐに駆けつけ、この恩の万分の一でもお返しさせていただきます」と言った。

 

勇翔は義助が鹿笛を大切に懐にしまうのを見届けると、誠輝と礼香に近寄り寄り、重い叺を背負ったまま、雪の上に両膝ついて二人を代わる代わる抱きしめ別れを惜しんだ。

 

村の人たちは、この三人の様子を、我が子、我が孫を、遠く長い旅にでも送り出す別れの時のように温かく見守った。

 

短い冬の太陽は次第に高くなり、雪原に積もった雪は、銀分でも振りまいたたように蒼白く輝き、いよいよ勇翔と村人との別れの時がやって来た。

 

「この度は、風前の灯火となりかかっていた私の命を助けていたきありがとうございました。これからはもっと厳しい修行に励み、霊力・神通力を会得し、きっと、村のみなさまのお役に立てるように修練します」

 

勇翔の凛々しく颯爽とした姿は、昨夜の命さえ危ぶまれた天狗とはとうてい思えぬほど元気を取り戻し、村人には眩しくさえ見えた。

 

 

勇翔は両手を合わせ、深々と頭を下げて村人に最後の別れを告げると、身をひるがえし、深い雪の中をまるで雲海の上でも走るように森の奥へと消えて行った。

 

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からす天狗の恩返し (12)

2011年11月06日 17時17分32秒 | カラス天狗の恩返し

あくる朝、小窓から差し込むうす明りで勇翔は目を覚ました。

 

家の中には人の気配はなく、囲炉裏に掛けられた茶釜が “シューン、シュ-ン”と寂しそうな音を響かせ、煙草の煙のような湯気を立てていた。

 

「此処はいったいどこだろう。何故、僕はここにいるのだろう・・・・?」

 

勇翔は前夜の出来事をおぼろげに思い出しながら、それが真実だったのか幻想だったのか、夢心地の中にでもいるような気持で呆然と立ちすくんだ。

 

「昨夜の出来事が真実だとすれば、村人はいったい何処へ行ってしまったのだろう」

 

勇翔は狐にでも化かされたような不思議な感覚に襲われ、戸外の様子でも確かめようと土間に降りようとした。

 

その時、“ギィギィギィュー”ときしむような音をたてて玄関の引戸を開けて義助夫婦が顔を覗かせ、その姿に勇翔は“ハッ”と我に返った。

 

「勇翔さん、よく眠っていたが、少しは疲れがとれかね!」

 

義助は勇翔の元気そうな姿を見て、安堵したように優しく話しかけた。

 

「もう大丈夫です、みなさまのおかげで十分に体力を取り戻すことができました。」

 

勇翔は義助に駈け寄ると、手を固く握りしめ“ニッコリ”微笑みながら、昨夜の出来事は夢ではなかったのだと改めて確信した。

 

義助は背負っていた竹籠をゆっくり土間に降ろすと、少し表情を曇らせながら言った。

 

「実は、昨夜の勇翔さんとの約束を果たそうと、朝早くから食糧を集めるために村人の家々を回って来たが、この村も、今年の冬は特に食べ物に事欠き、村人を飢えさせるわけにもならず、これだけ集めるのが精いっぱいだった、これだけで勘弁してくれ」と言って、土間に置いた竹籠を勇翔に見せた。

 

勇翔が竹籠の中をのぞくと、雑穀・芋・干し柿・乾物、そして村人も滅多に口にしないであろう菱餅まで入っていた。

 

「村主さん、こんなにたくさんの食物を恵んでいただきありがとうございます。」

 

勇翔は村人の温かい慈愛に触れ、胸に熱く込み上げる感情が抑えきれず、とめどなく涙が溢れた。

 

「これで、おじいさんを飢えから救うことができる」

 

勇翔は、今まで張りつめていた義精神から解き放たれ、すぐにでも岩谷に飛んで帰りたい思いに駆られたが、ふと村の人たちのことが頭をよぎり心配になった。

 

「村主さん、僕がこんなにたくさんの食物をいただいて、村のみなさまは大丈夫ですか」

 

「わしらのことは心配いらん」

 

と義助は答えただけで多くを語らず、家の外に出ていって叺を抱えて戻って来ると、土間に叺をおいて竹籠の食物を手際よく詰め替えながら、女房に

 

「雪道は腹の空くものだ、勇翔さんに力のつくものを食べさせてやってくれ」言った。

 

義助の女房が、保存食用に蓄えていた丸餅を亀壺から出して、囲炉裏の火で焼き、それに味噌をつけてさらに焼くと、こうばしい香りがあたりに漂った。

 

「今日は久々の雪晴れ、急いで帰らなくても荒れることはないでしょう。しっかり腹ごしらえをしてからお帰りなさい」

 

そう言いながら義助の女房は、美味しそうな香りのする丸餅に沢庵とお茶を添えて勇翔に食べさせた。

 

そして、食事が終わるのをみはからって、白いおにぎりを竹の皮に包んで勇翔に持たせた。

 

勇翔が帰り支度を整えて土間に下りると、義助は勇翔に叺を背負わせて、荒縄で硬く縛ると、静かに玄関の引き戸を開けた。

 

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