たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

天の浮橋 (Ⅰー8)

2024年07月11日 13時04分05秒 | 天の浮橋

自然石で造られた急な石段は、松や杉の古木で覆われて、カンテラの灯りで照らしても十段先も見えないほど暗くなっていた。


彼は雨に濡れて滑りやすくなった石段を、足元を確かめながら一歩また一歩と、百数十段を登って踊り場に着いた。


彼は、覆いかぶさっていた古木の隙間から、暗闇の迫る美保湾の海面を眺めた。


濃い灰色に広がる海面は潮煙に覆われていたが、波の谷間から一瞬、微かな灯りが見えたような気がして、彼は海面を凝視した。


「美保丸の灯り?」


清左衛門の胸はときめいた。


しかし、その灯りは一瞬で消えてしまった。


「気のせいか?」


彼は急いで客人神社の境内まで駆け上った。


彼は息を弾ませながら、灯りの見えた海面の方向に目をやったが、灯りは全く見えなかった。


暗闇の迫った美保湾からは、ゴーゴーと海鳴りの音が響いているだけだった。


彼は、ガクと音がするほど肩を落とし、その場に立ち竦んだ。


しばらくして気を取り戻した彼は、客人神社の本殿の裏に回るり、海岸線近くまでの急な坂を下りて、地蔵崎に通じる道にたどり着いた。


その道は、地蔵崎に通じる唯一の道で、クロマツ、ヤブニッケ、ヤブツバキなどの木々で覆われて、これらの木が防風林の役目を果たし美保湾から吹きつける風雨を和らげていた。


しかし、狭い道はシダや笹竹で覆われて鋭く突き出した岩を隠し、その上、晩秋の短い陽は落ちて闇夜が迫っていた。


彼はシダや笹竹、鋭く突き出した岩で足を取られながらも、カンテラの灯りを頼りに、一里余の道を我夢中で進んでいった。


地蔵崎の尖端に近づくにつれ、防風林の役目をしていた木々や、シダ、笹竹は姿を消し、凸凹の激しい岩場のような道になり、風雨は一層強くなった。


彼はカンテラの灯りを消さないように体をかがめながら歩いていると、菅笠は風であおられ、蓑からは雨が流れるように滴り落ちた。


清左衛門がようやく地蔵崎にたどり着いた時には、外海は油煙墨で塗りつぶされたように、すつかり闇に包まれ、沖之御前も地之御前も全く見えなくなっていた。


 

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天の浮橋 (Ⅰー7)

2024年05月17日 10時04分47秒 | 天の浮橋

日本海に長く突き出した島根半島で荒波を遮り、いつも穏やかな美保湾も、この日ばかりは様相を一変し、強風にあおられた高波が小山のように沖合から次々と押し寄せていた。


首をすくめ、前屈みになって歩く清左衛門の身体に、波止場で砕け散った波しぶきが容赦なく襲いかり、彼は海沿いの道を避け、山手側の小路に入った。


暴風雨は商家と切り立った裏山に遮られ幾分弱まり、彼は半町ほど歩いて美保神社の鳥居の前に出た。


美保神社は、事代主神、美穂津姫命をご祭神とし、漁業、海運、商業、歌舞音曲にご利益のあるお宮として多くの参拝者を集めていた。


大社造りで、重厚な二重の本殿を備え、えびす様を祀る全国各地の三千三百八十五社の総本社でもある。


彼は鳥居の前に立つと、目を閉じ深々と頭を下げ、二礼、二柏手、一礼すると、本殿に向かって美保丸の無事を祈願した。


関の港町は、三日月形の狭隘な土地のすぐ裏に、切り立った山が迫り、その僅かな土地の間に、海沿いの岸壁に沿って延びる道と、商家や旅館などがひしめくように軒を並べる青石畳通りの二本に道があった。


彼は参拝を済ませると海沿いの道を避け青石畳通りの道に入った。


普段は人で賑わう青石畳通りの家々も、この日ばかりは固く雨戸を閉ざし、通りには人影はもとより、猫一匹の姿も見当たらなかった。


彼は仏谷寺に上る道を過ぎ、町はずれの港の東端、海沿いの砂利道まで来た時、突然の強風に蓑や菅笠があおられた。


彼は立ち竦み、咄嗟に美保湾に目をやった。


沖合から次々に押し寄せる黒い波は、まるで、地獄から湧き出すマグマの塊のように映り、清左衛門は不安にいっそう掻き立てられた。


彼はその場でしばらく立ち止まり、菅笠の紐を固く結び直し改めて身支度を整えると、山の上に大国主命が祀られている客人神社(まろうど)神社の鳥居をくぐって石段を登って行った。


 


 


 


 

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天の浮橋 (Ⅰー6)

2024年03月16日 13時09分08秒 | 天の浮橋

 


清左衛門は店の中を見渡して奉公人たちを一瞥し、土間に降りると固く閉ざされた雨戸の突かい棒をはずして戸を開けた。


”ビュー” 凄まじい風が店に吹き込んだ。


彼は雨戸をつかんでかろうじて体を支えると、僅かに開けた、戸の隙間から外に目をやった。


一瞬、彼は砂嵐のような雨粒に襲われて目を閉じた。


目を細めて海を見ると、防波堤で砕けた波が、高潮となって岸壁を越え、波止場から二十間ほど奥に建つ坂江屋の店先まで迫っていた。


晩秋の空は風雨に遮られて、夕暮れのように暗くなっていた。


彼は叩きつけてくる雨に耐えながら、荒海を凝視して大きく溜息を吐いた。


「 うーん」


彼の着物はびしょ濡れになり、恨めしそうに沖合を見詰める顔からは、みるみる内に血の気が引き、呆然と立ちすくんでいた。


しばらくして気を取り戻した彼は、気力をふり絞って板戸を閉めると、辰吉や奉公人には目もくれず、店の土間から母屋に通じる廊下を雨で濡らしながら中庭を抜けて母屋に返った。


 


びしょ濡れになった清左衛門の着物姿を見て、妻の糸は慌てた様子で清左衛門に言った。


「どうされたんですか?早く着替えてください!」


清左衛門は糸が出した手拭いで、濡れた頭や顔、体などを拭いて、着物を着替えると、糸は濡れた着物を持って外に出て行った。


清左衛門は、糸の姿が消えるのを確かめると仏間へと入って行った。


彼は位牌の前に座ると、瞑想しながら手を合わせて焼香を済ませると、居住まいを整えて糸を呼んだ。


糸が心配そうに仏間に入り、彼の前に正座した。


「糸、お前も知っている通り、美保丸は今日か明日には帰ってくるはずになっていた。しかし、この大時化。どこかの港に避難していてくれればいいのだが、今も航行しているようだと難波しても不思議ではない。わしは、万一のことを考えると、ここでじっとはしては居られない。そこで、今から地蔵崎まで海の様子を見に行こうと思っている。辰吉や奉公人に言うと心配するだけだから黙って行かせてくれないか」


糸は顔をこうばらせて清左衛門に擦り寄ってきた。


「お前さん、なにを言うんです。この大時化の中、地蔵御崎に行くなんて、命を捨てに行くようなものですよ!」


「そんな悠長なことを言っている場合ではない、わしが地蔵埼に行って、沖之御前、地之御前に鎮座される事代主命に命を賭し、美保丸の無事をお祈りしてこそ願いが叶うというもの。わしは無事に帰ってくる。何も言わずに行かせてくれ。頼む」


糸は崩れるように膝を落とすと、彼を見上げ、必死に思い止まらせようとすがりついてきた。


「糸、もういい。わしは坂江屋の主人だ。わしの命に代えても、船頭や舟子の命を守る責任がある。地蔵御崎に行く支度を頼む」


清左衛門は菅笠に蓑を身に着け、脚絆を巻くと手にカンテラを持って、心配そうに見送る糸の視線を背に受けながら、裏木戸を開けると、荒れ狂う風雨の中を地蔵御崎に向かって歩き始めた。


 

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天の浮橋 (Ⅰー5)

2024年01月14日 10時58分12秒 | 天の浮橋

 


ライオンが鬣をなびかせるかのように、沖合から押し寄せる波は、港を囲んだ防波堤の大岩で砕け散ると、仕掛け花火のように四方八方に飛び散り、潮煙となって港を覆った。


近くの漁師は、荒れ狂う大波にもまれ、木の葉のように浮きしずみする舟を、必死で操り先を争うように港に入ってくる。


突風を伴って降りつける大粒の雨は、坂江屋にも容赦なく襲いかかってきた。


「おぉぉい、急げ、急げ、急いで雨戸を下ろせ!」


辰吉は奉公人に向かって叫んだ。


美保丸の受け入れ準備済ませ、くつろいでいた奉公人たちは、一斉に外に飛び出すと、暴風雨にさらされながら戸締りにかかった。


雨戸が閉まると、店の中は一瞬、夕暮れのような暗がりになり、びしょ濡れになった奉公人たちがドブネズミのように土間に集まって震えていた。


吹きつける雨は、小石のように雨戸を叩き、薄暗い店の中に不気味に鳴り響き、奉公人の誰一人として口を開くものはいない。


辰吉は女中に蝋燭を灯すように命じた。


数本の燭台に蝋燭が灯ると、うす橙色のユラユラと揺れる明かりが店の中に広がった。


夕暮れのような暗がりの中で帳場に座り、目を閉じ、腕組みをして瞑想していた清左衛門が、蝋燭の灯かりに誘われるように立ち上がると、奉公人たちの視線は一斉に清左衛門に注がれた。


辰吉は清左衛門の傍らに近づくと、清左衛門の心中を斟酌したかのように


「旦那さま、心配することはありません。美保丸はきっと無事に帰って来ます」 


奉公人たちの不安をも、吹き飛ばすような力強い声で叫んだ。


しかし、半時がたち、一時(二時間)が過ぎても、雨戸をたたく雨音は一向に治まらず、さらに強くなるばかりだった。


奉公人たちは、辰吉の言葉とは裏腹に、固く口を閉ざし、店の中にはお通夜のような重い空気が漂いはじめていった。

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天の浮橋 (Ⅰー4)

2023年11月12日 11時10分00秒 | 天の浮橋

 


清左衛門たちが店に帰ると、丁稚が竹箒で店の前の石畳を、手代たちは土間の格子戸や板敷の床の掃除をしいていた。


「お帰りなさいませ、お帰りなさいませ」


奉公人たちは清左衛門の姿を見ると元気な声で叫んだ。 


「おはよう、おはよう」


清左衛門は、奉公人一人ひとりの顔色を確かめると店に入り、いつものように帳場に座って売上帳に目を通していると


「旦那さま、奉公人たちが全員そろいました」


と、辰吉が呼びに来た。 


清左衛門が暖簾をくぐって台所の板の間に入ると、奉公人たちがコの字に並べられた箱膳を前にして、当主の清左衛門と辰吉が席に着くのを待っていた。


この港町の大店では、丁稚が主人と朝食の膳を共にする習慣は殆どなかった。


しかし、彦左衛門が当主の座につくと、真っ先に、朝食の膳を奉公人と共にするよう改めた。


清左衛門も彦左衛門の改めた慣わしを引き継いでいた。


「おはようございます。」


清左衛門が席に着くと、奉公人たちは一斉に”おはようございます”と口をそろえて言った。


「おはよう、……」


清左衛門は奉公人を見渡すと簡単な訓示を行った。


そして、次に辰吉が立ち、今日、一日の仕事の段取りについて話した。


「北国に商いに行っていた美保丸が、今日か明日の昼の内には帰ってきそうだ。美保丸が着くと、荷揚から物資の仕分け、蔵への運び込みななどで戦場のような忙しさになると思う。いつ帰ってきてもいいように昼の内までには、受け入れの段取りを整えておきたいと思う……」


美保丸が帰ってくる。


薄々は知らされていた奉公人たちも、辰吉の一言で色めき立った。


奉公人たちは早々に朝食を切りあげると、達吉の指示の下、美保丸の帰港に備えた準備を始めた。


ようやく受け入れ準備も整い、奉公人たちがくつろいでいた昼過ぎのこと。


突然、灰色の雲が西の空から湧き出した。


雲は大粒の雨と雷鳴を轟かせ、瞬く間に、中海から弓ヶ浜半島そして美保湾の上空に迫ると、関の港を鉛の絨毯を敷きつめたような雲で覆い、突風とともに関の港町に襲いかかってきた。

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天の浮橋 (Ⅰー3)

2023年09月11日 10時13分43秒 | 天の浮橋

 


カランコロン、カランコロン、静かな青石畳通りの敷石を、リズムでも奏でるようにわざとらしく弾く下駄の音が近づいて清左衛門の着物の裾を揺らした。 


「お父さま、お母さまが朝餉の準備ができましたよって」


清左衛門が振り向くと、六歳になる舞が、フランス人形のような大きな瞳を輝かせ、頬を赤く染めた二歳になったばかりの雛と手をつないですがりついてきた。 


清左衛門は雛の手を取って両脇を抱えると”たかいたかい、たかいたかい”をするような仕草で肩にのせ、小さく柔らかな足首を淡雪でも包み込むように優しく支えた。


そして、舞の清左衛門の腰のあたりまでしかない体を、着物の裾に包む込むようにして明るくなっていく美保湾を眺めた。


天使のように無邪気にはしゃぐ雛の爽やかな重さを肩にか感じながら、清左衛門は銀線ような光が降り注ぎ、魚鱗のように輝く沖合に目をやり幸福感に慕った。 


そんな清左衛門の姿を見つめる辰吉の目に涙が浮かんでいた。


「旦那さま、そろそろ店に帰りましょうか?」


清左衛門は辰吉に促されると、一瞬の夢から覚めたかのような顔をして、雛を肩車し、左右に揺らしながら歩き出した。


町の商店が軒を連ねる青石畳通りまで帰ってきたとき、清左衛門の下駄の歯が敷石の割れ目に挟まり、プッと鼻緒が切れた。


 


清左衛門はバランスを失い、雛を肩車したまま敷石にもんどりうって倒れそうになった。


 


「危ない!」


清左衛門が前のめりになって倒れそうになったわずかな隙間に、辰吉は仰向けになりながら咄嗟に身を投げ出した。


間一髪、清左衛門は雛を支えたまま、辰吉の体の上におおいかぶさるように倒れ込んだ。


「旦那さま、旦那さま、お怪我は、お怪我はありませんか。お嬢さまは」


辰吉は清左衛門と雛の下敷きのなりながらも、わずかに首をもたげ呻くように叫んだ。


舞も咄嗟の出来事に放心状態になって、その場にしゃがみ込んでしまった。


「お父さま、お父さま、雛、雛、だいじょうぶ、だいじょうぶ!」


舞は、泣きじゃくりながら震える声で叫んだ。


清左衛門が雛を支えながら立ち上がると、辰吉も着物の裾を払いながら立ち上がり、清左衛門の手から雛を受け取った。


辰吉に抱かれた雛は、あまりの出来事に声を出すこともできず体をこわばらせ震えていたが、幸いどこにも怪我は負ってはいなかった。


「辰吉、ありがとう。お前がいなかったら雛に大怪我を負わせるところだった」


「旦那さま、雛お嬢さまも、怪我がなくて本当に幸いでした」


辰吉の言葉に清左衛門は、息を整えながら静かにうなずいた。


清左衛門は着物の土を払い、この事は店の者は無論のこと妻の糸にも話さないようにと固く口止めをした。


 


 

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天の浮橋 (Ⅰー2)

2023年02月01日 10時27分05秒 | 天の浮橋

 そんな関の港の早朝の波止場に、廻船問屋を営む、坂江屋の主人 清左衛門と番頭の辰吉が立って穏やかな美保湾の沖合を眺めていた。


あたりがしだいに白み始めてくると、沖合は靄に覆われ、漁をする舟の漁火がかすかに見え隠れしている。


夜明けと共に輝きを失った月と、港に係留された船が墨絵のように海に浮かんで見える。


東の空が、柔らかなオレンジ色から銀色に変わり始めると、海にかかっていた靄はしだい晴れて、あたりは急に明るくなり霊峰大山が顔をのぞかせた。


太陽は眩しい光を放ち、空には雲ひとつない小春日和。


沖合から吹きつける風が、清左衛門の細身で華奢な体を小刻みに震わせた。


「旦那様、冬も近くなり風が冷たくなってまいりましたなぁ」


辰吉の言葉に、清左衛門は腕組みした両腕で身体を擦りながら頷いた。


「そうだなぁ、もうすぐに霜月になる。美保丸は、今、どのあたりを航行しているか知らせは入らぬか?」


清左衛門は沖合をみつめながら言った。


「蝦夷を長月の初めに発って、越後、加賀、若狭、の国々で荷積み済ませ、但馬の国を、三、四日前に出港するとの知らせがございました。今頃は因幡国の沖合を航行しているものと思います」


「そうか。それでは今日、遅くとも明日の朝の内には帰ってこような」


さも、待ち遠しそうに頷いた。


清左衛門の父親の彦左衛門は、背丈は低かったが、骨太で頑健な躯体の浪花節堅気で人情に厚い当主であったが、清左衛門が三十路を過ぎたばかりの頃、急な病に倒れたために、当主の座を清左衛門に譲り、隠居の身となって療養に努めていた。


しかし、彦左衛門の病は療養の甲斐もなく、平癒するどころかさらに悪化していった。


死を悟った彦左衛門は、辰吉を枕元に呼び寄せて、清左衛門の後見役と店の将来を辰吉にして託して静かに浄土へと旅立って行った。


辰吉の父親の辰蔵は、この界隈では名の知れた漁師だったが、一人息子の辰吉が七歳のとき、節句に揚げる鯉のぼりを買う金を稼ごうと、荒海に舟を漕ぎだして時化に遭い、行方不明になってしまった。


あとに残された母親の峰は、消息の分からなくなった辰蔵の身を案じる日々が続くうちに、心労や疲労も重なり辰蔵の後を追うように亡くなってしまった。


子供のなかった彦左衛門は、身寄りもなく、独りになってしまった辰吉を引き取り、我が子のように大切に育てた。


それから数年たって清左衛門が生まれたが、彦左衛門は辰吉と清左衛門を差別することなく、歳の離れた兄弟のように、読み書き算盤から礼儀作法まで、分け隔てすることなくたたき込み、大店、坂江屋の大番頭が任せられる器にまでに育てたのだった。


 

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天の浮橋 (Ⅰー1)

2022年12月03日 11時05分53秒 | 天の浮橋

天  の  浮  橋


 


白 雲 善 恕 


日本海をさえぎるように延びる島根半島は、岬と湾が交互に鋸歯する荒々しい岩肌が続く半島で、岬の尖端には鳥居が建てられ遙配所も設けられている。


鳥居の正面に立って海を眺めると、遥か彼方には沖之御前と呼ばれる島が望め、眼下の深く落ち込んだ断崖の先には地之御前と呼ばれる島が浮かんでいる。


この二つの島には事代主神が鎮座され、古くから神の宿る島として地元の人々から崇拝され崇められてきた。


古のころ、この岬の断崖の岩場に海運業や漁業を生業とする人の手によって、七体のお地蔵さんが祀られ、航海の安全や大漁を祈願したことから、いつしかこの岬を人々は地蔵御崎と呼ぶようになった。


また、この半島のふところに抱かれるように広がる、穏やかな内海は美保湾と呼ばれ、その一角にある袋状の天然の入江に、関の港は開かれ、時化の日本海を航行する船舶や漁船の避難場所として重要な役割を担っている。


港から望む対岸には、美保湾から中海に通じる境水道を挟んで、弓ヶ浜半島の白い砂浜と松林が弧を描くように延び、霊峰大山の麓へと流れるように続いている。


うららかな小春日和ともなれば、深い藍色に染まる美保湾と、大山山麓のモミジ、カエデ、ナナカマド、ブナなどに彩られた、色彩豊かな眺望は絶景である。


そして晩秋の頃には、大山山麓から霞が湧きあがり、雪におおわれた山頂から朝日が昇ると、まるで天女が天空で舞でも舞っているかのような神秘の世界にいざなわれ、我を忘れ吸い込まれるように立ちすくむこともある。


このような風光明美な地にある関の港は、三日月形の狭あいな地にも関わらず、往時のころは廻船問屋、呉服問屋、米問屋、海鮮問屋、醸造所、旅館などがひしめくように軒を並べ、北前船も行き交う出雲、伯耆、因幡の海の玄関口として大いに栄えていたという。

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