たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

紅葉の大山 (平成23年10月27日)

2011年10月30日 15時38分27秒 | 雲雀のさえずり

紅葉の大山 (平成23年10月27日)

 

窓越しに空を見上げると、暗い夜空に灰色がかった雲がわずかに浮かびキラリと光る星が美しい。

今日の天気はよさそうだ!紅葉の大山に登ってみようと心に決めた。

ここ数日、曇り空が多く大山の山頂を望むことが出来なかった。

時計に目をやると、まだ4時過ぎだ。

今朝はこの時期には珍しい冷え込み、もうひと眠りするか、私はまた布団に潜り込んでうとうとしながら時間の経つのを待った。

5時20分起床、前日に準備しておいた登山服に着替え、コンビニでおにぎりと少しばかりのお菓子などを買って大山に向かった。

ようやく辺りが明るくなり始めた6時過ぎに下山駐車場に到着、登山靴に履き替え6時25分夏山登山口から山頂を目指して登り始めた。

二合目にさしかかった時、前方に60歳前後と思われる中年の女性が、登山道の高い段差を避けるように左右にジグザグしながら、今にも止まりそうな足取りで登っているのが見えた。

私は、今年の秋に入って三度目の登山、登山道の状況やペース配分など、多少の自信が有ったのでその女性に声をかけた。

「お疲れさんです。もし、よろしかったら一緒に登りましょうか」

足もとばかりに注意を払っていた女性は、私の不意の言葉に驚く様子もなく、汗にまみれた顔をゆっくりもたげ、私の顔を窺うよう見つめながらに言った。

「あと、どのくらい時間がかかりますかねー」

「今のペースなら、まだ、三時間くらいはかかると思いますよ」

私の返事を待っていたかのように、その女性は足を止めて大きく深呼吸した。

「頑張って登りましょう」

私はこの女性に頼まれもしないのに、女性にペースを合わせ寄り添うように登って行った。

「三合目の辺りから少しづつ景色が良くなりますよ。志賀直哉が暗夜行路のなかの銘文で描写した、中の海や米子の街などの風景はこの辺りから見たものかも知れませんね」

私が少しでも女性の気が紛れて元気が出るような話題を探し、話しかけながら登っているうちに女性の警戒心も和らいだようで

「私し、昨晩は大山の宿坊に一泊し、今日、米子を3時の広島行きの急行バスで帰るようにしています。1時には大山寺に下りなくてはなりませんが間に合いますでしょうか?」

私はこのままのベースで登れば1時には下山できるかもしれないと思った。

しかし、無責任な返事もできない。

女性の体は左右に大きく揺れ、足取りは相変わらず重そうである。

女性の疲労の度合いから考えると、今のペースを維持しながら登るのはかなり難しく思えた。

「そうですね。今のベースで途中休憩を取りながら登って、1時に下山が出来るか出来ないかギリギリのところですね」と答えた。

「そうですか。今日中にはどうしても帰らなくてはならないし、私し、登れるところまで登ってみてダメなら引き返します。どうぞ先に登ってください」

この女性の残念そうな、また、重苦から解放されるという“ほっと”したような表情を見て、できることなら何とかして山頂まで登らせてあげたい、そんな思いにも駆られたが、しょせんは人の身、我が身と変えることなど到底できない。

私は女性に別れを告げ、また、一人で登り始めた。

六合目の避難小屋で少し長い休憩を取り、再び山頂を目指した。

八合目の木道の付近まで登ってくると、すいこまれそうな天空の青空にはひとかけらの雲もなく、下界には赤や黄色に色ずいた紅葉が絨毯のように広がっていた。

山頂を覆う緑のキャラボクの林は、澄み渡った青空と美しいコントラストを描いて幻想的な光景を醸し出している。

今日はこの秋一番の小春日和だ。

「帰りには、あのキャラボク林の散策を楽しんでから下山しよう」

9時を少し過ぎた頃に山頂に到着。

山頂はすでに登山者で賑わいを見せていたが、その中でも特に中高年の男女の多さが目を引いた。

山頂の北側には、米子の街、弓ヶ浜半島、日本海や高霊山などが眼下に広がり、南側には中国山脈に連なる紅葉の山々、山頂から連なる縦走路には真綿のような薄い雲が谷底に向かって流れ、遠くの連山が霞んで浮かんでいた。

時間の経過に合わせるように登山者の数はさらに増え、景色に見惚れる人、記念写真を写す人、弁当を食べる人などで山頂は駅のホームのような混雑になった。

私は数枚の写真を撮って、ひんやりとした空気を胸いっぱい吸い込み、山頂からの眺望にみとれているとお腹が“グゥー”となった。

ベンチに腰を下ろし、コンビニで買ったおにぎりでも食べようと思い、横に目をやると二人組の男性が美味しそうな弁当を広げてていた。

山頂に着いたばかりの、この二人組、弁当を食べながら登るのに何十分かかった、下山は何十分で下りよう、などとタイムでも競っているような話が聞こえてきた。

「せっかく苦労して登って、そんなに急いで下りなくてもよさそうなものを、この小春日和、もっと山を楽しめばいいのに」

私はそんなことを考えながら、そうた、私も若い頃には山仲間たちと、今日は何十分で登った、次は何十分で登ってみせるなどと、タイムを競ったことを思い出し可笑しくなった。

老い先短いこの年になって、ようやく山の魅力、楽しみ方が解ったような気がしているが、そんな物でもなかろうと思いなおした。

山頂は団体の登山者なども増えてますます混み始め、山頂で一人さびしくおにぎりをぱくつくのがみじめに感じられ、キャラボクの林まで下がって食事をとることにした。

キャラボク林に向かう木道は、幅が狭い上に勾配がきつく、登山者の姿は全く見当たらなかった。

地蔵ケ池まで下りると、広さ8畳ほどの小さな池にうっすらと氷が張り、太陽の陽を受けまぶしく光っていた。

、もうすぐ霜月、山頂に吹く風が汗まみれの体を通り過ぎると、“ブルブル”と体が震える。

キャラボクの木を風除けに日だまりを探し、リックからコンビニで買ったおにぎりを手にすると、朝飯抜きの腹の虫が早くはやくと催促をする。

おにぎり、お茶、チーズ、などで腹を満たし、キャラボクの林を木道沿いに散策すると、石室、地蔵ケ池あたりがキャラボクの一番の密集地のようだった。

この辺りから眺める山頂には人影も見えず、透き通った青空と緑キャラボクのコントラストが映え、物音ひとつしない空間に一人たたずんでいると、真空地帯にでも分け入ったような錯覚に襲われた。

私はキャラボク林の自然の中で英気を養い、再び登山者で混雑すり夏山登山道へと引き返した。

「お疲れさまです。ご苦労さまです。頑張ってください」

山頂を目指す登山者に、道をゆずりながら声をかける。

「ありがとうございます。すみません。お先にどうぞ」

老若男女の登山者から返る感謝言葉、なんと素直で清々しい響きだろう。

私は六合目で少し休息を取り、このまま夏山登山道を下りようか、行者谷コースを下りようかと迷いながら五合目に向かった。

行者谷コースは30代の頃はよく使ったこともある、距離は短い代わりに急な坂道が続き、難所も多いため最近は全く通っていなかった。

六合目を100メートルほど下って、夏山登山道と行者谷コースの分岐点に到着、どちらのコースにしようかと思案している内に、足は無意識のうち行者谷コースに向かっていた。

この続きは次の機会に投稿します。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からす天狗の恩返し (11)

2011年10月25日 15時22分46秒 | カラス天狗の恩返し

この村もそれほど豊かではなかったが、村人は冬越しのために蓄えていたわずかな保存食や雑穀を勇翔のために持ち寄った。

 

義助の家の土間の台所に集められた食材は、村の女たちが手早く調理し、義助の女房が囲炉裏に吊下げた鍋で煮込んだ。

 

しばらくすると鍋の中から、はらわたに沁み込むような美味しそうな香りと共に、白い湯気が立ち昇り、鍋蓋が“カタカタ”と小気味よい音を奏ではじめた。

 

義助の女房が蓋を取ると、小さなシャボンのような気泡を立てながら、雑炊が“ぐつぐつ”と美味しそうに出来上がっていた。

 

男たちが勇翔の上半身を支えながら座らせてやると、義助の女房は雑炊をお椀に盛り付け勇翔の手に持たせ

 

「勇翔さん、熱いから気をつけて、ゆっくりお上がり」と言った。

 

しかし、勇翔は手にしたお椀を見つめたまま、いっこうに食べようとしない。

 

「この村も貧しく、こんな物しか作れなくて口に合わないかもしれないが、少しでも食べて元気を出しなさい」

 

義助の女房に促されると、勇翔は頭をたれ、目を潤ませながら言った。

 

「こんな美味しそうな御馳走、自分だけ頂くわけにはいかないのです。岩谷ではおじいさんが飢えに耐えかね今にも死にそうになっています。この雑炊が頂けるものなら早く持ち帰って食べさせてあげたい」と言うのです。

 

村人はこんな状態に追い込まれてまでも、まだ、おじいさんのことを思いやる、勇翔のやさしく律儀な心根が、我が親を慕う、我が子の情の深さのように感じられ、ますます不憫に思われた。

 

「そんなこと心配しなくてもいい、明日には勇翔さんたちの食べ物くらい村で何とか工面してあげるから、今夜は腹いっぱい食べてぐっすりお休み」

 

この義助の言葉を聞いた、勇翔の目からはとめどなく涙がこぼれた。

 

「みなさん、今日、助けていただいた、この恩は一生忘れません。ありがとうございました」 

 

勇翔は義助の言葉と村人の優しさに甘えるように、雑炊を一口ひとくち、ゆっくりと口に運び、時おり、左の衣の袖で涙を拭きながら、かみしめるように食べ始めた。

 

この数日、何も食べていなかった若い勇翔の胃袋は空っぽ、こんな美味しい雑炊を口にしたのも久しぶりのこと。

 

はじめは雑炊をすするように食べていた勇翔も、胃袋に雑炊がなじむに従って、水でも流しこむような勢いになり、義助の女房が勇翔のさしだすお椀を忙しく取り替えている内に、鍋にいっぱいあった雑炊は瞬く間に空になってしまった。

 

「ごちそうさま、おかげさまで満腹になりました」

 

勇翔は両手を合わせ、村人に深々とお礼を言うと、衣の上から掌で、お腹をさするようにして大きく息を吸い込んだ。

 

「村の衆、今日は本当に苦労をかけた。このとおり勇翔さんも元気を取り戻し心配ないようだ。みんな家に帰ってゆっくり休んでくれ」

 

義助は村人の労をねぎらうように言った。

  

村人の姿が見えなくなると、義助の女房は居間に布団を敷いて勇翔に床に着くように勧めた。

 

布団に横たわった勇翔は“あっ”という間に眠りに落ち、障子も“ガタガタ”揺れるほどの大いびきを掻きながら寝込んでしまった。

 

誠輝と礼香が村はずれの水車小屋に帰ろうとすると、義助の女房は居間の戸棚から“おやき”を竹の皮に包んで二人に持たせ

 

「今夜はこれでも食べてゆっくりお休み。冷え込むから気をつけるんだよ」

 

と言って、玄関先まで見送った。

 

誠輝と礼香が雪明りに照らされた狭い雪道で足を止めて夜空を見上げると、満天の星が二人の兄妹を見守るように輝いていた。

 

「お父さん~、お母さん~、もう一度会いたいよ~」

 

そんな礼香の瞳が、星の光を受けて“キラリ”と光るのを誠輝は見逃さなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生死を分かつもの

2011年10月19日 15時43分03秒 | 雲雀のさえずり

「おい!栗を採りに行かないか」

 

居間で孫と二人で横になってテレビを見ていた妻にいった。

 

「僕も行く」

                                                  

小学三年になる孫が言うので、イガをむく道具と高枝バサミを持って三人で出かけた。

 

朝の散歩の途中に見つけておいた農道沿いの急斜面には、7~8m栗の木が数本はえていて、イガグリがパックリと口をあけて私たちを待っていた。

 

最初のうちは、私が農道沿いからイガグリのついた枝を、高枝バサミで採ってそれを妻と孫が剥いていた。

 

そのうちにイガグリのついた枝に高枝バサミが届かなくなり、私は農道から斜面を上がることにした。

 

斜面に登ってみると栗の木の幹は、農道側に突き出すように生えていてイガグリは農道上から採るより遠くなってしまった。

 

私が栗の木に登って、高枝バサミでイガグリを採ろうとすると

  

「お父さん、落ちて怪我をしたらいけんけん止めない」

 

妻が心配そうに私を見上げながら言った。

 

「心配せんでもこれくらい、大丈夫だわいな」

 

「危ないけん、止めときない言うに」

 

「なにいっちょうだ、子供のころはもっと高い所に平気で登ちょたわ」

 

妻がしつこく言えば言うほど、私は年甲斐もなくむきになって、二股に分かれた栗の幹の所まで登った。

 

「お父さん、危ないけん気をつけないよ」

 

「しつこいなー、わかちょうわ!」

 

私は二股に分かれた栗の木の幹に足を掛け、高枝バサミでイガグリのついた枝を鋏もうとしたがわずかに届かない。

 

上体をひねり、枝先に向けて高枝バサミの尖端を“グイ”と伸ばそうとした時、身体が“くるり”と回って重心を失い、頭の中が真っ白になり意識が飛んだ。

 

必死に枝を摑もうとしたような気もするが記憶は定かではない。

 

気が付くと、私の身体は農道の上に投げ出されていた。

 

「お父さん、お父さん、お父さん大丈夫!」

 

妻の心配そうな顔が覆い被さってきた。

 

「救急車を呼ばなくて大丈夫」

 

私は上半身をもたげ、農道沿いの草の上に座りこんだ。

 

その時、黒い軽ワゴン車を運転した中年の女性が通りかかり、窓越しに私たちの様子を怪訝そうな面持で眺めながら通り過ぎて行った。

 

左手の甲からわずかに血が滲み、左肩と左腕に痛みを覚えたが妻に弱気なところは見せられない。

 

「大丈夫だ!大したことはない」

 

左手をついて立ち上がろうとすると、左手首にも痛みが走りその場に座り込んだ。

 

「お父さんもう少し落ちる場所が悪かったら、農道の縁石で頭を打つところだったよ。本当に救急車を呼ばなくても大丈夫」

 

「心配いらん。何度も同じことを言わせるな!」

 

私は声を荒げ、やけ気味に言った。

 

しかし、左肩・左腕の痛みをこらえていると、骨にひびでもはいったのではないかと内心は心配であった。

 

妻の忠告を素直に聞いて栗の木に登るような危険を犯さなければ、こんな怪我を負わずに済んだものをと、心の中で呟いたが後の後悔先には立たずである。

 

 

男って、頑固、見栄っ張り、虚栄心の塊、悲しい生きものかもしれない。

 

まかり間違えば命を落としたかも知れないこの事件を教訓に、老い先短い人生、妻の意見にも耳を傾け、もう少し素直に、片意地を張らず、穏やかに過ごさなくてはと、心ひそかに思いを深める出来事であった。

 

「生死の分かれ道って何だろう。人が生まれもった生命力、運の強さ、生きようとする執着心、それとも先祖さまのご加護?」

 

 

いつもの散歩道、西国を見つめながら立っているお地蔵さまに“ありがとうございました”と、そっと手を合わせた。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕食でのたわいのない会話

2011年10月14日 16時16分38秒 | 雲雀のさえずり

祖母

「誠恵、明日9時半に美容院を予約したけん連れて行っていや」

「急に、何処かに行きな~だか」

祖母

「あさって敬老会が福祉センターであって、行ってみょかと思って」

「よけ行きな~だ」

祖母

「何回にも分けて開かれ~しこだぁ~もん、毎回会場がいっぱいにな~だって。町長さんも来て歌を歌いな~しこだぜ」

「子供の数はだんだん少なんな~に、年寄りはなんぼでも増え~なぁ。年寄りが増え~ほど子供が増えやええになぁ~」

祖母

「だって、いかにゃぁ損んだがん。飲みもんや折りもで~しこだし」

「折り箱一つもらあてて、美容院まで行きゃぁ~、そっちの方が高かつくがん」

祖母

「だって美容院は、いつかどうせ行かんといけんがん」

「まあ、そりゃ~そげだぁ~もん。敬老会なんて公費を使った、てえのいい選挙運動みたいなもんだな~ぁ」

(平成17年に三町が合併し新しい町制のもと、二度目の町長選で現職町長を新人が僅差で破り現町長が誕生した)

「だって年寄りはこんなことでもないと、なかなか外に出る機会がないがん」

「誰と行きな~だ」

祖母

「隣の奥さんと一緒の行く約束しちょうだがん」

「敬老会は何歳から出席でき~だ」

祖母

「75歳からで、となりの奥さんは今年初めてでな~だって」

「ほんなら、朝9時に連れて行った~げ~けん、よいしちょきないよ」

以上

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

からす天狗の恩返し (10)

2011年10月07日 17時17分54秒 | カラス天狗の恩返し

この集落は大山の火山活動によって生まれた盆地にできた、20軒ばかりの村に100人ほどが住む小さな村であった。

 

誠輝と礼香がこの村で暮らすようになったのは、二人がまだ幼かったころに、この地方が大干ばつに襲われ、農作物が壊滅的な被害を受けるという大飢饉が起こった。

 

その時、それまで六公四民であった農民からの年貢の取り立て税率を、七公三民にこの地を治める代官が勝手に引き上げようとした。

 

この大飢饉、そんなに年貢を上げたら農民が餓死しかねない、誠輝の父は代官と激しく対立して検地方の役職を解かれてしまった。

 

万策尽きた父は、やむなく城主に直訴しようとこころみたが、この企ても代官に知られることとなり、家族への災いを察知した父は追手を振り切り、誠輝たちを連れて国を逃げ出した。

 

追手から逃れた誠輝たちは、ようやく治外法権の天領の地、大山の僧侶が治めていたこの村に命からがらたどり着いた。

 

義助は誠輝の父の話にいたく同情して、追っても手出しできない村はずれの水車小屋にかくまってくれ、誠輝たちはここで暮らすようになった。

 

父は村の人たちの恩に少しでも報いようと寸暇を惜しんで、村人の農作業や山仕事の手伝いをしていたが、二年目の年の暮れ、慣れない仕事と無理が重なり病に倒れ、看病する間もなく亡くなってしまった。

 

病気がちだった母も、父を亡くしたショックと心労が重なり、幼い二人を残してあとを追うようにこの世を去ってしまった。

 

幼くして両親を亡くした二人は、村人からの施しを受けながら、両親の思い出の残る水車小屋で、肩を寄せ合いながらつつましく暮らしをしていた。

 

そんな二人を村の人たちは、誠ちゃん・礼ちゃんと呼んで、村の子供たちと分け隔てなく可愛がっていた。

 

その日は母親の命日にあたり、母の面影が誠輝と礼香の瞼に浮かぶと、二人は居ても立っても居られない衝動に駆られ、霊前に椿の花を手向けようと思い立ち、豪雪の中を大野池に出かけたのだった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大山登山所要時間

2011年10月01日 12時59分20秒 | 雲雀のさえずり

        【ブナ林にゴーンとこだます風の香】

今月2回目の大山登山に9月27日(火)挑戦してきました。

登り始めは天候もよさそうでしたが、標高が高くなるにつれてガスが

かかり始め山頂からの眺望を十分満喫することはできず残念でした。

今年度中にもう一度挑戦しようと思っています。

往路・復路のポイント箇所の所要時間を表にしてみました。

(かなりのスローペースですので

みなさんはもっと早いタイムで踏破できると思います)

みなさんが登られる時の参考になれば幸いです。

 

 

   
▼ 夏山登山道


夏山登山道

大山登山 道案内マップ

<colgroup> <col style="width: 118pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 5024;" width="157" /> <col style="width: 86pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 3680;" width="115" /> <col style="width: 83pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 3552;" span="2" width="111" /> <col style="width: 86pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 3680;" width="115" /> <col style="width: 83pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 3552;" width="111" /> <col style="width: 106pt; mso-width-source: userset; mso-width-alt: 4512;" width="141" /></colgroup>
大 山 登 山 【夏 山 コ ー ス】 所 要 時 間
  登山口から山頂まで 備 考 山頂から登山口まで 備  考
  到 達 時 間 所 要 時 間 到 達 時 間 所 要 時 間
登山口出発・到着時間 AM    6時14分     12時21分            11分  
一 合 目 到着時間 6時28分           14分            12時10分            10分  
二 合 目 6時44分           16分   12時00分              9分  
三 合 目 6時58分           14分   11時51分              9分  
四 合 目 7時17分          19分   11時42分              9分  
五 合 目 7時34分          17分   11時33分             26分 6合目で長めの休息をとる
六 合 目 7時52分          18分   11時07分             17分  
七 合 目 8時12分          20分   10時50分             19分  
八 合 目 8時36分          24分   10時31分               9分  
九 合 目 8時53分          17分   10時22分             32分 山頂周辺を散策する
山頂到着・出発時間 9時09分          16分   AM   9時50分    
所 要 時 間    2時間55分      2時間31分  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする