昭和40年を中心にして、当時の町上地区を懐かしんでみます。固有の家の名前がでますが、許してください。
中国電力の散宿所があったお家です。散宿所というのは、もう死語になっているようですが、明治から、続いた電力会社の営業所?の名前だそうです。
当時、町上地区の夏休みのラジオは、ここで、行われていました。その後、クラッシャーと呼んでいた北の砕石所まで、ランニングをしたりしていました。
この家の裏には、薬師堂があります。一畑薬師に行く人が、目の病気の回復祈願にお参りしていたお堂で、戦前には、にぎわっていたことと思います。
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