「やってらんねぇ!」といいたくなったり思ったりする一方で、もうひとりの自分が「穏やかに・・・」と囁いてくることがある。
「まぁ、なるようになるサ」というのもあるし、「やれるだけ、やったれ!」というのも。
ただ、これが自分のことだけならいいが、周囲に広がり、時に迷惑をかけたりしてしまうこともあると反省することもある。
別に現代は徒弟制度があるわけではないが、ゼミ生やここから巣立っていった面々はいうなれば「弟子」たちである。
その弟子にも散々面倒をかけながらやってきたよなぁと、思わないではないが、そうそう物分かりのいい好々爺になるにはまだ早すぎる。
だが、「人間五十年」とか、同年代が逝くと人生の逆算をするようにもなっているのはたしかだ。
よくいう、コップの中に入っている水を、「まだある」と考えるか「もうない」と考えるか、そんな節目に入り始めたのかもしれない。
五十五歳。母が逝き、祖父が逝った歳まであと8年余り。
何ができるか、何をすべきか、まだまだ大志を抱いていたい半面、日々を大事に重ねていきたくなってきた。
たいちゃんは、「愛娘」あんずに何が起きても後悔はしない、だって、十分接してきたもの・・・という。
別に今、あんずがどうこう、というのではなく、元気いっぱいなのだが、あんずのも、たいちゃんのも、そしてワタシのも「時計」は進んでいる。
きっとまだまだ周囲に迷惑をかけながら「時計」は進み、進めていくのだと思う。
そして出会いがあり、別れがあり、また出会いがあり・・・となっていくうちに、迎えがくるのだろう。
立春を過ぎてすでに十日以上、まだ春の息吹は感じにくい。
そんな中、イクラは受験に向かい、ワタシは今日も仮の宿であるアジトの隣室に出勤。
アサイチ、学生の指導、面談。
30分ほどで終了し、原稿を書くために再びアジト隣室へ。
15時からは全スタッフの会議、明日はFD研修で箱根である。
うーーーん、箱根。響きだけはサイコーだが、予定をみると、ずーーーーーっと缶詰研修である。
何度もいうが、温泉に入る時間だけは確保したい、ぞ、と。
「まぁ、なるようになるサ」というのもあるし、「やれるだけ、やったれ!」というのも。
ただ、これが自分のことだけならいいが、周囲に広がり、時に迷惑をかけたりしてしまうこともあると反省することもある。
別に現代は徒弟制度があるわけではないが、ゼミ生やここから巣立っていった面々はいうなれば「弟子」たちである。
その弟子にも散々面倒をかけながらやってきたよなぁと、思わないではないが、そうそう物分かりのいい好々爺になるにはまだ早すぎる。
だが、「人間五十年」とか、同年代が逝くと人生の逆算をするようにもなっているのはたしかだ。
よくいう、コップの中に入っている水を、「まだある」と考えるか「もうない」と考えるか、そんな節目に入り始めたのかもしれない。
五十五歳。母が逝き、祖父が逝った歳まであと8年余り。
何ができるか、何をすべきか、まだまだ大志を抱いていたい半面、日々を大事に重ねていきたくなってきた。
たいちゃんは、「愛娘」あんずに何が起きても後悔はしない、だって、十分接してきたもの・・・という。
別に今、あんずがどうこう、というのではなく、元気いっぱいなのだが、あんずのも、たいちゃんのも、そしてワタシのも「時計」は進んでいる。
きっとまだまだ周囲に迷惑をかけながら「時計」は進み、進めていくのだと思う。
そして出会いがあり、別れがあり、また出会いがあり・・・となっていくうちに、迎えがくるのだろう。
立春を過ぎてすでに十日以上、まだ春の息吹は感じにくい。
そんな中、イクラは受験に向かい、ワタシは今日も仮の宿であるアジトの隣室に出勤。
アサイチ、学生の指導、面談。
30分ほどで終了し、原稿を書くために再びアジト隣室へ。
15時からは全スタッフの会議、明日はFD研修で箱根である。
うーーーん、箱根。響きだけはサイコーだが、予定をみると、ずーーーーーっと缶詰研修である。
何度もいうが、温泉に入る時間だけは確保したい、ぞ、と。