今年2度目の函館。前回はこのプロジェクトの会場となるK小学校の下見を同僚であり、ここ函館出身のM氏とやってきた。今回は23名の学生を引率しての本番である。
そもそも、このプロジェクトは小学校での英語指導が本格化する前となる7年前から、縁あって函館を中心とした道南の小学校での英語教育の活性化をめざして始められた。同時に国語科も既存の教科書ばかりにとらわれず、全教科、地域をあげて求められる国語力の向上をめざして始まった。
ただ「向上」といってもそれぞれの科目の専門家だけが赴き、教員を指導するということに留まるものではない。
3日間という限りある日程の中、教職を目指す3.4年生によって「授業」を実施し、日頃の学校生活をおくる児童たちにはもちろん現場の先生方に対して、やや生意気な言い方ではあるが、刺激を与えに行くのである。
そんなことをやろうとすれば、現場の先生からは教育実習生の受け入れの延長と思われたり素人同然の学生への批判的な思いを抱かれたり、といったところが関の山であってもなんら不思議ではない。
よって実施するからには求められるハードルは高く、やり終わったあとにそれらが杞憂に終わることが実施の「最低条件」といってもいいほどなのである。
無論、受け入れの小学校からの理解が得られなくては始まりもなにもない。該当の小学校校長であるS先生の絶大なるバックアップがあってこそ。これなしでは何も始まらない。
よってこの7年間はS校長とともに歩んできたプロジェクトでもある。
さて、このような背景があるからには学生とはいえ、素人では困る。だからこそこの3日間のために彼、彼女たちは文字通りカラダとココロで授業の準備をするのだ。特に国語科は「楽しい国語」をかかげ、ゼロからオリジナルの授業を作る。
初めは漠然と、若い3年生に「何をやりたいか?」と問いかけてみる。
幸いにして、このプロジェクトも7年目ともなるとこのプロジェクトを経験してから教職に巣立っていった卒業生には現職の教員となっている者も増えてきた。校種に至っては小学校はもちろん、中学校、高等学校、特別支援と揃ってきている(あとは大学だけであると言われている!)。これらに加え、大学院、教職大学院へと進学した先輩達もいる。そして、彼らが多忙な年度初め以降、アドバイスをしながら、学生を指導してくれるようになってきたのが強みでもある。
よって、3年生への問いかけも現場を知る生きた問いかけなのだ。
そうなると、何を、からどのようにへ。さらにどのタイミングでコトバをなげかけるのか、教室の空間をいかに使って展開させるのか、といった重みのある問いかけになる。あげくには、どこに子どもがドキドキ、ワクワクするのか、やがてその授業を通った児童がどう変わっていくことを想定しているのか、といった評価観点まで考えさせることとなる。
こうして4年生と3年生の2人組によるTT(Team teaching)による授業体制が作られ、このバディによって手作りの教材、配布資料などが創作され始める。
いわゆる教材研究は現場を知る者であれば、あくまでもそれが「机上の空論」に近い事前準備になりかねないことを身をもって知っている。なぜなら、教材研究は現場の児童を「観察」して、初めて成り立つものだからだ。
とはいえ、期間は3日間。そこで昨年あたりから担当学年の児童たちと担当学生が当日までの離れている間に少しでも「距離」を縮めようとビデオレターを取り入れ、どんな名前の児童たちがどんな学生である「先生」を待っていてくれるのかをわかるようにした。
何事も備えあればなんとやら、である。
授業の内容には今ひとつ指導を担当するワタシから、「他教科とのクロスオーバー」というハードルが求められる。
たとえば今回では「心をこめて書く大切さを学ばせたい」ことには、なんのために書くのか、さらに書くためには書く道具、書かれる紙などが大切であることまで考えさせ、結果として「怪盗」に紙を盗まれてしまった設定から、自分たちで紙を作ってみればいいことを導き、実際に理科室でハガキ大の枠にストッキング(!)をはめて、ペットボトルにトイレットペーパーを水で溶かした液体を用意し「簡易紙漉き」をし、一晩乾かしながらも出来上がったゴワゴワの紙を作り上げ、そこには鉛筆ではなかなか字がうまく書けないことを体感させてから、サインペンであれば書けることへ、そして、日ごろお世話になっている担任の先生に感謝のメッセージを書かせていった。
こうして国語✖️理科✖️図工のような授業を体験させたのである。
他にも国語✖️食育✖️図工によって、好き嫌いの激しい王様をみんなで魚の模様を描いたり、デザートをそのネーミングとともにどんな思いをこめて作っていったかを表現させるなど、6学年分のクロスオーバーのある国語を用意したのである。
このような準備をしながら学生たちは宿舎でも明け方近くまで手直しをしたり、立ち稽古ともいえる模擬授業をお互いにやってみせたりして過ごす。
こうなると、若さは最大の武器となる。
発想力、瞬発力。中休みや放課後はともに走り回り、集団ゲームまで考える。(ワタシもこんなところで永年ボーイスカウト活動をやってきたよさを痛感する)
現場に出てしまうと、授業の準備に時間をさけないというのが今の日本の現状である。だから、数ヶ月をかけてわずか国語科は45分✖️3回の授業に夏休みを返上してやってきた学生の姿勢や言動は児童やPTA(このプロジェクトはすべて公開授業であり取材も入る)そして現場の教員に響いていく。
別れの式では児童会の代表の子が前に出て挨拶をしはじめて間もなく感きわまって泣きはじめ、学生たち、我々ももらい泣きとなる。こんなに子どもたちが愛おしく別れが辛くなる3日間になるとは初参加の学生の言葉を借りれば「想定以上の世界」である。
ちなみに今回は初日に取材にきていたテレビ局のスタッフが最終日の時点の児童の変化、成長した様子まで追いかけたいと、別れの式までカメラを回しつつ、そのカメラマンでさえもらい泣きをしていた。
明けて、帰京の日。地元函館新聞には大きく取り上げられていた。
感動をする機会がないのではない。努力のあとに、努力をした者にしか得ることのできない世界があるということであることを身をもって体験しあえた、このプロジェクトである。
さて、来年度はどうなるのだろうか、それはまだ誰にもわからない。
ただ残していくのは関係各位、そして各々の意識と行動、さらに函館という大地への感謝ばかりである。
そもそも、このプロジェクトは小学校での英語指導が本格化する前となる7年前から、縁あって函館を中心とした道南の小学校での英語教育の活性化をめざして始められた。同時に国語科も既存の教科書ばかりにとらわれず、全教科、地域をあげて求められる国語力の向上をめざして始まった。
ただ「向上」といってもそれぞれの科目の専門家だけが赴き、教員を指導するということに留まるものではない。
3日間という限りある日程の中、教職を目指す3.4年生によって「授業」を実施し、日頃の学校生活をおくる児童たちにはもちろん現場の先生方に対して、やや生意気な言い方ではあるが、刺激を与えに行くのである。
そんなことをやろうとすれば、現場の先生からは教育実習生の受け入れの延長と思われたり素人同然の学生への批判的な思いを抱かれたり、といったところが関の山であってもなんら不思議ではない。
よって実施するからには求められるハードルは高く、やり終わったあとにそれらが杞憂に終わることが実施の「最低条件」といってもいいほどなのである。
無論、受け入れの小学校からの理解が得られなくては始まりもなにもない。該当の小学校校長であるS先生の絶大なるバックアップがあってこそ。これなしでは何も始まらない。
よってこの7年間はS校長とともに歩んできたプロジェクトでもある。
さて、このような背景があるからには学生とはいえ、素人では困る。だからこそこの3日間のために彼、彼女たちは文字通りカラダとココロで授業の準備をするのだ。特に国語科は「楽しい国語」をかかげ、ゼロからオリジナルの授業を作る。
初めは漠然と、若い3年生に「何をやりたいか?」と問いかけてみる。
幸いにして、このプロジェクトも7年目ともなるとこのプロジェクトを経験してから教職に巣立っていった卒業生には現職の教員となっている者も増えてきた。校種に至っては小学校はもちろん、中学校、高等学校、特別支援と揃ってきている(あとは大学だけであると言われている!)。これらに加え、大学院、教職大学院へと進学した先輩達もいる。そして、彼らが多忙な年度初め以降、アドバイスをしながら、学生を指導してくれるようになってきたのが強みでもある。
よって、3年生への問いかけも現場を知る生きた問いかけなのだ。
そうなると、何を、からどのようにへ。さらにどのタイミングでコトバをなげかけるのか、教室の空間をいかに使って展開させるのか、といった重みのある問いかけになる。あげくには、どこに子どもがドキドキ、ワクワクするのか、やがてその授業を通った児童がどう変わっていくことを想定しているのか、といった評価観点まで考えさせることとなる。
こうして4年生と3年生の2人組によるTT(Team teaching)による授業体制が作られ、このバディによって手作りの教材、配布資料などが創作され始める。
いわゆる教材研究は現場を知る者であれば、あくまでもそれが「机上の空論」に近い事前準備になりかねないことを身をもって知っている。なぜなら、教材研究は現場の児童を「観察」して、初めて成り立つものだからだ。
とはいえ、期間は3日間。そこで昨年あたりから担当学年の児童たちと担当学生が当日までの離れている間に少しでも「距離」を縮めようとビデオレターを取り入れ、どんな名前の児童たちがどんな学生である「先生」を待っていてくれるのかをわかるようにした。
何事も備えあればなんとやら、である。
授業の内容には今ひとつ指導を担当するワタシから、「他教科とのクロスオーバー」というハードルが求められる。
たとえば今回では「心をこめて書く大切さを学ばせたい」ことには、なんのために書くのか、さらに書くためには書く道具、書かれる紙などが大切であることまで考えさせ、結果として「怪盗」に紙を盗まれてしまった設定から、自分たちで紙を作ってみればいいことを導き、実際に理科室でハガキ大の枠にストッキング(!)をはめて、ペットボトルにトイレットペーパーを水で溶かした液体を用意し「簡易紙漉き」をし、一晩乾かしながらも出来上がったゴワゴワの紙を作り上げ、そこには鉛筆ではなかなか字がうまく書けないことを体感させてから、サインペンであれば書けることへ、そして、日ごろお世話になっている担任の先生に感謝のメッセージを書かせていった。
こうして国語✖️理科✖️図工のような授業を体験させたのである。
他にも国語✖️食育✖️図工によって、好き嫌いの激しい王様をみんなで魚の模様を描いたり、デザートをそのネーミングとともにどんな思いをこめて作っていったかを表現させるなど、6学年分のクロスオーバーのある国語を用意したのである。
このような準備をしながら学生たちは宿舎でも明け方近くまで手直しをしたり、立ち稽古ともいえる模擬授業をお互いにやってみせたりして過ごす。
こうなると、若さは最大の武器となる。
発想力、瞬発力。中休みや放課後はともに走り回り、集団ゲームまで考える。(ワタシもこんなところで永年ボーイスカウト活動をやってきたよさを痛感する)
現場に出てしまうと、授業の準備に時間をさけないというのが今の日本の現状である。だから、数ヶ月をかけてわずか国語科は45分✖️3回の授業に夏休みを返上してやってきた学生の姿勢や言動は児童やPTA(このプロジェクトはすべて公開授業であり取材も入る)そして現場の教員に響いていく。
別れの式では児童会の代表の子が前に出て挨拶をしはじめて間もなく感きわまって泣きはじめ、学生たち、我々ももらい泣きとなる。こんなに子どもたちが愛おしく別れが辛くなる3日間になるとは初参加の学生の言葉を借りれば「想定以上の世界」である。
ちなみに今回は初日に取材にきていたテレビ局のスタッフが最終日の時点の児童の変化、成長した様子まで追いかけたいと、別れの式までカメラを回しつつ、そのカメラマンでさえもらい泣きをしていた。
明けて、帰京の日。地元函館新聞には大きく取り上げられていた。
感動をする機会がないのではない。努力のあとに、努力をした者にしか得ることのできない世界があるということであることを身をもって体験しあえた、このプロジェクトである。
さて、来年度はどうなるのだろうか、それはまだ誰にもわからない。
ただ残していくのは関係各位、そして各々の意識と行動、さらに函館という大地への感謝ばかりである。