今年に入って、はや2週間近くが過ぎた。
ここ数日、より正確にいえば、昨年と今年とをまたいで、なんとも仕事から逃れることができなかった。
そんな中で迎えた今日は成人の日。いまだ15日が成人の日であると感じなくもないが、
今日は長男の成人の日だけあって、なんとなく落ち着かない。
もちろん、本人は住んでいる行政区が主催の成人の集いに出向き、友人と楽しいひとときを過ごしているのだろう。
とはいえ、なんとこの20年の早かったことよ。
長男の陣痛が始まったのはボーイスカウトで夏のキャンプに出向いていた最終日。8月の1週目から2週目にかかるときだ。
現地に連絡が入り、撤収作業を行いながら、自宅には立ち寄ったか寄らないかくらいで、すぐにたいちゃんが里帰りしている福島県・須賀川市内の病院に向かおうとしたら、
たいちゃんはまだ実家にいたんだっけ。
だが、その晩、病院に連れていき、翌日の午前11時7分、3456gで生まれてきた。
生まれてくるまで、分娩室と扉一枚の隔てのある待合の椅子を立ったり座ったり。
できたことは、廊下のタイルの枚数を何回も数えたことくらいだ。
真夏、8月8日のこと。亡き母、つまり長男の祖母と同じ誕生日だった。
たいちゃんにねぎらいの言葉とともに、そうめんを食べさせてあげたんだっけなぁ。
あれから20年。
父としてもいろいろ学ばせてもらったよ。親としても初体験ばかりだったからね。
これからどんな道を進むのかな。
焦らず、諦めず、集中力と向上心をもって、丁寧に生きて行ってほしいものだ。
年が明ける瞬間は、ここ数年「行く年来る年」に放映される除夜の鐘を見ながら迎えることが続いている。
だが、本年はなにかが違う感覚を覚えた。
この混沌とした状態が頭を巡っているときは、大概論文のネタが「発酵」しているようなときだ。
まぁ、アタマの隅のどこかにいつも研究上の問題意識がチラチラしているのを自覚し始めたのはここ数年のことのようにも思う。
さて、明けて平成26年、2014年となった。
お屠蘇で家族揃って朝食を迎え、たいちゃんの用意したお節料理とお雑煮に、さらにあんこの餅を食す。
その後、父のもとへ、今年満80歳を迎える父も、声が出ず、動きもひと時よりはゆっくりとしてきたが、頭脳はいまだ明晰、冗談も飛び出す。
孫であるイクラ1号・2号はお年玉をいただき、ムフフ!!!の思いを隠せない。こういうのが「現金なヤツ」というかどうかは定かではない。
そして、一路、本駒込の菩提寺・諏訪山吉祥寺へ。
例年、母方の親戚・いとこのみんなと、特段時間を合わせるわけではないが、ここで出会うことが珍しくない。
大阪に住むいとこたちも上京、軽井沢に住むいとこも上京。
参詣したのち、親戚とは夕方、本家での再会を確認して、その場を離れる。
お年賀には、大人もこどもも楽しめる、アンジュを求め、本家へ向かう。
総勢20名弱、限られた時間であったが、有意義な時間であった。親戚とは疎遠だというハナシを聞くが、それはなんとも残念なこと。
父方も母方も親戚縁者のつながりは深く、ありがたい。
「いとこ」とはいえ、小さなときに幾度と遊びにきていたことから、兄弟のように接してもらえていることはありがたい。
親戚が元旦に集えることはなんと幸せなことか、そんなことを実感した。
今年のエネルギー補給はここから始まるといってもいい、そんな集いであった。