だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

逃げる気か???・・・・・・2/27(木)

2014年02月27日 | 日記

昨日は2.26。日本史の近現代史には欠かせないことはいうまでもない。とはいえ、当時と今の日本を比べると、当然とまではいわずとも、まだ「平和」なのだろう。
それでも、ソチ五輪が閉幕しつつも、ロシアの周辺国ではEUvsロシアの象徴的な争いが起きている。

もちろん、マスコミを頭から非難するつもりはない。しかし、たとえば森元首相の浅田選手に対する発言を部分的に取り上げ、まるで鬼の首でもとったように、「失言」と決めつける。
どれだけの人がこの記事によって森元首相の発言を「失言」とし、東京五輪の組織委員長にふさわしくない、などと判断してしまうのだろうか。

ことばを部分だけ取り上げるのは、紙面、映像問わず、限られた時間や字数に縛られているマスコミのもっとも大きな弱点だ。
前後の文脈、その発言者の性格、価値観、生まれ、育ちの環境などなど、すべてとはいわないが、
ほとんど何もわからず、そのことばだけが独り歩きをしてしまい、受け手であるこちらにしても、それぞれの価値観、信念などによってとらえ方が変わる。

別に森元首相の一件だけではない。「ことばは相手に通じない」という予測をもっと賢明にすることがマスコミ、そしてワタシ(たち)には求められるだろう。
だから近くは家族同士の会話でも、遠くは国別首脳の会談でも、理解度が異なってくる。ましてや間に通訳が入ったりしたら、ニュアンスの違いは広まるばかりであろう。

などと思いつつ、朝からアジトに出かけ、ひたすら部屋をきれいにした。(これも、より正確に言うならば、「部屋をきれいにしてもらった」ですね)
2010年の流行語だという「断・捨・離」である。 

気分一新、「逃げていく」ような2月もあと明日を残すのみ。
うわ!明日は弟の誕生日だ!


 


春まだ遠く……2/21(金)

2014年02月21日 | 日記
東京をはじめ、雪の影響がニュースを賑わしていた日から数日、まだあちこちに残雪を眺めながら昨日箱根湯本にやってきた。
次年度の1年次研修の下見とともにFD(教員)研修を兼ねてやってきた。

12時半の集合に、11時過ぎには現地に到着。すでにスタッフは集まり始めていた。
数名で腹ごしらえをして、いざ研修へ。
基調講演のため、わざわざ地方から来ていただいた先生方を含め、夕食まで、ただただ窓ひとつない会議室で他のスタッフの報告や質疑を聴き、ワタシはワタシで持ち時間内で報告。
今さらながら、人の話を聴くことは存外たいへんな忍耐が必要であることを再認識する。

この地は著名な温泉地。
いろいろなことがあり、いろいろなことを考えた今年度。
1泊2日の研修もふだんあまり話す機会のないスタッフとも意見交換ができ、それなりに得るものがあった。

明日は横浜。
教え子の結婚式の打ち合わせ。ん?何故打ち合わせなのか?
主賓でもなく乾杯でもなく余興でもないのに打ち合わせ。な、なぜだ???

春立つ……2/4火曜日

2014年02月04日 | 日記
昨日は立春前日、つまりは節分。
イクラたちが小さい時は、主、つまりワタシが豆を撒き、後ろから「ごもっとも、ごもっとも」とついて歩いてきた。もちろん、ワタシはワタシの父の後ろを同じようにして着いて歩いた。

だが、ここ数年、イクラたちは大きくなり、代わりについて歩くのは、「愛娘「あーさん」こと、あんず、9歳。さすがに「ごもっとも」とは言わぬが(当たり前か……)、健気についてくる。しかも、室内に撒いた豆を、ご丁寧に拾ってくれる(ようは、ただエサを撒いて歩いているのと同じなわけですね)。そんな節分を立春に変わる30分ほど前に、しかも、帰宅してカバンを置いた直後に行う我が家。

明けて立春。されど天気予報は都心でも積雪があるとかなんとか。
空はどんより曇り空。一雨ごとに暖かくなっていくのだろうか。

受験シーズンも真っ只中。
教え子が教壇に立つ小学校ではインフルエンザのため学級閉鎖になっているという。まずは自己防衛であるが、みなさまも、ご自愛くださいまし。

節分、そして春立つ日へ

2014年02月03日 | 日記
今まで、どれだけの人に支えてきてもらったのだろう。
どれだけの人に出逢い、別れていっても表情や口ぐせ、身振りなど記憶に刷り込まれている。
いい出逢いばかりではなかったかもしれない。
いい別ればかりでもなかったかもしれない。
ただ、何ひとつ、どれひとつとして、イマ、ココにいる自分にとって不必要なものはない。

言葉とことばは通じない。
コミュニケーションすらとれるものではない。
迷惑をかけないわけにはいかない。
それでも、生かされているのがワタシであり、アナタなのだ。

春の訪れはそう遠くはない。
いい別れ、そしてあらたないい出逢いが今年もまた巡ってくることを静かに祈りたい。