だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

ホー・レン・ソー・・・7/31(水)

2013年07月31日 | 日記
日付が変わって水曜日。
今日からボーイスカウトの祭典、第16回日本ジャンボリー(16NJ)が山口県きらら浜で開催される。
私が責任者となる世田谷第11団からも二人の成人指導者が先発隊ですでに現地入り、今日31日よりスカウト(中1~中3)が空路と陸路を使って現地入りする。
基本的なテントや工具類はすでに21日にコンテナヤードにて積み込まれ、現地に入っている。

そんな中で、私は校務のための原稿作りに追われ、一昨日は大学のアジトで、今日は自宅で、延々と食事と風呂以外はいわゆるPCの前に座り込んだまま。
やっと今、まさに丑三つ時近くに終えて、明日の10時の会議に提出できる。

いやはや、こんな綱渡りのような生活になるとは、まぁ、両親ともに同業者であったから、いつもそれこそ、寸暇を惜しんで、原稿用紙に向かっていたことが思い出される。
昨晩は、久々に親父のところに長男のイクラ1号とともに顔を出した。
今年の秋で79歳、来年は80になる親父だが、「一言」と筆書きされた封筒と中身の便箋をもってきた、「これがワシの希望だ」と箇条書きに何項目かしたためてある。
ちなみに親父の字は昔から小さく連綿体である。だから、くずし字を読むより、親父の字を解読するほうが大変だ、などとなんども悪口を叩いたことがある。
昨夜はイクラが来月8日に二十歳を迎えるので、一足早く祝いたかったようで、それに明日から本家・実家のある飛騨高山に避暑に行くというマイペースぶりもあり、
呼び出された次第。親父にしては珍しく、横文字のメッセージを一所懸命イクラは読んでいた。そして、「一言」といった書簡。
まぁ単純に言えば遺言の手習いみたいなもの。藤壺(親父の後妻、だが、冷泉帝の誕生のようにはなりませぬわい)によれば、過日、隣人のご主人が救急車で運ばれたのを機に、なにやら思い立ったらしい。
昨今、50を目前にしたワタシでさえも人生のエンティングを考えるようになったのであるから、当然、親父もそれなりに考えることであろう。

さて、昨日は神奈川や横浜市の教員採用試験の発表だったが、一昨日の千葉のときとは違い、だれひとり報告がない。
ホー・レン・ソーは基本中の基本だと思うのだが。一体何を考えているのか。
若い年代は他者への思いやりにかけると言われ続けてきたが、なるほど、この年になって30近くも離れた学生や元ゼミ生の不義理さには目を覆いたくなることしばしである。
さて、あと3時間半後には16NJに参加するスカウトたちの見送りである。少しでも寝るや寝ざるや???

対話・・・・・・7/26(金)

2013年07月27日 | 日記
PCにタブレット、スマホと情報を受信するツールに加え、コミュニケーションアプリのひとつLineとやらが2億人のユーザーを突破した。
かくいうワタシも家族や知人と使っていて、なるほど便利である。

しかし、そこはあくまでも文字空間。多少の現実味をだすためにさまざまな表情のスタンプがあるにはある。
だが、直接の面と向かっての対話ほど重要なものはない。メールを含め、送る側の環境と、その文章を読む側の環境は基本的に異なるわけだ。
楽しい思いを伝えようとしても、相手が葬式などに参列中では全く本意は届くまい。

とまぁ結局直接、じっくり、時間をかけて、話し合うことに勝るものはナイということを、ここのところ痛感している。
今更ながら、相手の表情やしゃべりの間(マ)など、いかに大切か。
そして、時間をかけて話をし合えば、歩み寄りができることが少なくない。

ここのところ、学生たちの生の声を極力聴きとるように努めている。
なにをいまさら、という感じもしなくはないが、心新たにやってみると、なんだか、おどろくほど学生がわかってくる(ような気がする)。
ソクラテスではないが、アナログな「対話」の機会を作り続けていきたいものだ。

指導することの難しさ……7/25(木)

2013年07月26日 | 日記
今にも降りそうな空模様、湿気のある朝である。
そんな中、天然パーマのワタシの髪はグルグルとまるでひと昔前のおばちゃんたちが夜になると巻いていたカーラーの髪みたいである。
そこで、バッサリ切りにいき、「正統な48歳」(たいちゃん談)となってから出勤。
ここへきて夏のメイン、北海道プロジェクトが慌ただしくなってきた。
1人体調不良から胃潰瘍になってしまったS太くんに代わり今日から参加のMくん。そのがんばりに期待したい。
それ以前、昨夜は小生のゼミの数名がアジトで意見を出し合い、ぶつかり合い腹に据えかねていたことなどを吐露してもらった。その影響からか、全般的にやや気まずい空気が流れていたが、まぁ。それも必要なハードルであったと思えなくもない。
明日は面談と原稿作りだが、まだ、北海道企画は序盤戦。現地の子供達に楽しい国語を伝えたい一心だが、どこまでがんばれるか、己との勝負である。そして、その中からしっかり成長と言うものをつかんでほしいものだ。

最終コーナー……7/22(月)

2013年07月23日 | 日記
猛暑にしてはやや涼しい土用の丑の日。ウナギはまさにうなぎのぼりの相場だそうで、それでも専門店あたりは繁盛していて、結構なことである。

一時間目は指導法3のレポート提出。
やや時間が余ったので1分スピーチをやってもらう。自主的に手をあげる者もいるが、最後まで手のあがらないものはやはり度胸不足かな。

途中、先日集まった同僚に、現在我が家一押しのコーヒーを少しずつではあるが、さしあげた。

午後は源氏の時間。葵巻・車争いのあたりで終えたため、和歌を詠じない特徴を持つ葵の上について、関係論文を批判的に読み進めてみた。この科目もレポート回収だったのだが、論文を分析しながら読んだ後だったので、みなじしんが書いてきたレポートが提出しにくそうだったのが、なんとも純粋に映ったものだ。

15時からは3年向けの指導法1。
余裕のある4年生にも参席してもらい、質問をしてもらう。やはり3年と4年の差は開きがあるものだ。

その後、面談を終え、事務方から依頼され書類などをあれこれ作っていたら、あっという間に22時半。

あわてて帰宅を目指す。

明日は校正の一日となりそうだ!今学期も最終コーナーに入った。

再会・・・7/21(日)

2013年07月21日 | 日記
昨日、週末土曜日はW文学会が行われ、我が家からはもっとも近い大学のひとつ。
期日前投票を終えてから、近い!というところに油断があったのではないが、発表二人目、畏友なかじの質問の途中に入室。
さらに『平安朝文学と漢文世界』の著者で大先輩のW氏の一撃必殺ともいえる質問を聞いたのち、
そのW氏が三人目としてパワポをきれいにお使いになりながら、『古今集』の仮名序と真名序に関してその相違、背景を論じ、いや、講じられた。
その後、K師匠にも十分ご挨拶できぬまま、いざ新宿へ。

毎年教員採用試験の1次が終わったころに開催されるゼミOBOG会、通称「ゼミ総会」。
1期生からゼミ新人3年生の7期生まで、各期、多忙あるいは体調不良で来られない者もいたが、どの期からも参加をしてくれて、よい時間になった。
教員としてがんばっている者も少なくなく、小・中・高・特別支援・聾学校と校別も多彩。ただしみな基本は国語。

こうやって細々と、されど脈々と続いていく上下関係は大切だ。
みんなに心配をかけている場合ではあるまい、と気合だけは入るのだった。

翌日の21日は母の命日。28年目。
早朝からたいちゃん、いくら1号.2号、そして愛娘「あんず」も共々、菩提寺の諏訪山吉祥寺へ。

9時半からはボーイスカウトのキャンプ前健康診断。
それ以前に9年ぶりの「菊スカウト」が2名誕生し、さらにこの日のドクターで永年、団を支えてくださったS先生には表彰状を。
また、今月末から8/8まで、4年に1回行われる「日本ジャンボリー」参加者の壮行会を実施した。
今年は第16回日本ジャンボリー(16NJ)。会場は山口県きらら浜である。
私は10NJ(新潟・妙高高原)・11NJ(大分・久住高原)・12NJ(秋田・森吉高原)・14NJ(石川・珠洲)と4回参加する機会があった。
そのうち2回は派遣隊隊長としての参加。
皇太子殿下をはじめ、文部科学大臣・サッカー元日本代表監督岡田武史氏、宇宙飛行士野口聡一氏などがセレモニーに参加されていた。

午後は全面的にスローに生活した。