だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

何をするのか・・・9/29(月)

2014年09月29日 | 日記

夜風が秋の深まりを感じさせてくれる。
紅葉のきれいな季節に入りつつある。
そんな秋の代名詞、紅葉狩りを求めて山に登っていった人が多かったのだろう。
御嶽山。岐阜と長野県境。
父の実家からも噴火が視認できる。
親戚たちの多くが小学校時代に登山している身近な山だ。

一昔前は「休火山」やら「死火山」という呼び方を耳にしたが、今はほとんどが「活火山」。
自然に対する畏敬や畏怖を忘れたわけではあるまい。
それでも、地震も噴火も津波も「予知」の及ぶ範囲ではない。

地球上の人々は何をしているのか。
次男が渡ったアメリカはつねに、といっていいくらい紛争・戦争状態にあり、空爆をしかけめ。
香港は7万人規模の大きなデモが行われている。
先日は台湾にもデモは起こっていたし、タイも軍事政権までのクーデーターが起きる。

日本人は我慢強いのか、もはや諦念を抱き始めているのか。
「デフレ脱却、経済最優先」といいつつ経済成長がここまでできず、他国は日本を見放し始めたともいわれる。

東北の震災でさえまだまだやるべきことがある。でもどこか他人事のような空気になっている。
中国・北朝鮮・ロシア・韓国。周囲との政治的関係の悪化を下敷きにもちながら、仁川でアジア選手権が開催されている。
政治とスポーツは関係ないとはいえ、ソッポを向くことなどあるはずもなく、相互に利用することが行われている。
「国益」という言い方はどこか把握しにくい。 


再会から痛飲……9/13(金)

2014年09月13日 | 日記
今の勤務先に至るまでにさまざまなところで仕事をしたが、中でも一番長い期間籍を置いていたのが高等学校。学部を卒業した平成元年から17年間お世話になった。教科書の指導資料を書く機会をK師匠から紹介されたのもこの時期に重なる。
ここでは男子校だったのが共学となり、旧校舎から仮校舎へ、そして新校舎と大きな変化にはすべて「同席」していた。

そんな旧校舎時代の同僚が6人、久々に再会。15年前あたりのことを思い起こしつつ、ガッツリ痛飲。

帰宅は丑三つ時を越え、なんとか夜明け前。するとたいちゃんが起きていて、「朝帰りかと思った」と笑っている。そこからまさに明け方まで話しまくる。たまにはそんな日もあると、気分転換にもなる、と、やや自己正当化しようとしている土曜日、これから出勤。

たとえば、根回しなんか……9/9(火)

2014年09月09日 | 日記
物事を進める時に「根回し」が事前に必要であり、これは社会では当たり前のことだ、と言ったとしたらこの「根回し」というコトバはどう受け止められるのだろうか。

シロとクロをはっきり決める勧善懲悪などは文学の世界では写実主義に、またこれはこれで自然主義や反自然主義に展開されていった、などとザックリ中学や高校の国語あたりでは教わるのかもしれないが、いずれにしても、コトバ(「根回し」)は、発せられた人の個を抱えながら相手に投げられ、受け取る側は自分の個によってこれを捉え直す作業が必然と、時に漫然と行われている限り、過度に言えば「コトバは届きはしても通じない」。

抽象なり象徴なるコトバをやりとりしていることをもっと自覚的に理解しておかないと、どこか自他ともに生きづらさを増長させていくことになりかねない。

そうなると、文字に示されたコトバは限りなく無機質にも見えてしまうことが起こらないとも限らない。
さらに言えば、文字が一人歩きすることの「怖さ」を知り、謙虚たれ、と自戒をこめて思う。

そんな社会だからこそ、余計に緩衝材のごとき「根回し」は有効なのかもしれないが、こんなことが必要だと、いつ、だれに学んだのだろう。

シロとクロではないグレー。

ここを伝える役務はオトナにはあるように思う。

ゼミ合宿9/3-9/5

2014年09月05日 | 日記

平安朝の文学を学んで何年になるだろうか。母方の祖父母が京都であり親戚も居たことから何度か訪れていたし、高校を卒業して第一志望として選んだのは、文字通り門前払いだったが、京都大学だった。

あれから年月が流れ、京都人の心や風土が生み出すものはどこかDNAとして染み込んではいる。しかし、文学の世界において求められる知識を持てばもつほど、山や川、寺や神社の位置やその存在の意味は現代の京都を歩くことでは簡単に再現できるものではないことを知るにつけ、反作用のように、そんな土地こそ歩かなければ得られないモノやコトがあることに気づかされてきた。

だから、というといささか「くすぐったさ」も感じるが、毎年学生とともに歩く。それはホンモノを知るため、と思いながらの実踏だ。

今年は例年になく天候が不順だった。被害も出ているほどだ。だが、そんな時にこそ叡山を登り、川沿いを巡り、往時の人々に思いを馳せることの一端でも学生と共有できれば、それでいい。
彼、彼女たちはみな担当の箇所を調べ、この地かの地で案内、プレゼンをしてくれた。何がどう響くかはわからないが何かは心に刻まれただろう。

採用試験の前日まで合宿にきてくれたSゼミ長、他のゼミながら皆勤賞のI君などの四年生の背中は逞しく、いい手本を示してくれた。よく歩き、よく食べ、よく考えた合宿であった。残していくのは感謝のみである。
来年度はどうなるか、それはまた次の話である。