18日土曜日のメインは母校の戸山高校卒業生による座談会への出席である。
われわれの卒業年代から(昭59)から平5卒まで、各学年3~4名程度の総勢30余名が一堂に会し、
当時の思い出やら、現在の高校に対する思いやらを3時間にわたって語りあった。
いろいろ、懐かしい当時の先生方の名前が飛び交ったり、墓場までは持って行きたくないエピソード、などというのが出ていたが、
興味深かったのは現役の戸山高に息子や娘を通わしている人が複数いることや、職種が幅広かったことである。
さらに教育実習に行ったときの生徒たちが含まれていたのも、なんだか時の流れを感じたし、
ソプラノ歌手もいれば、弁護士や医師、政治家や新聞記者や大学教授も数名いた。
いずれも、自由な校風を感じとり、大人として扱われていたことは共通した母校への思いであった。
個人的には、ワタシは隣家のおじさんが戸山の体育教諭だったことが入学後判明したし、
今務める大学にも高校の先輩としてS教授がおいでになる。なにかと縁がある。
こういう席に出席すると、卒業生の組織の係りを引き受けるんだろうなぁと覚悟はしていたが、
案の定、評議員などという肩書きをもらって帰ってきた。
校舎はすべて新しく立て替わってしまっても、そこには変わらぬ、不易流行を感じた有意義な180分だった。
さて、翌日である今日はボーイスカウト三昧。
晴天、冬寒の朝から都立公園を借りて、ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエル(B-P)の誕生日を記念しての活動。
B-Pは「野外・班・進歩」をかかげ、「よりよき社会人の育成」を目指した。
今回も野外活動を通じて、協調性、手旗やロープワークの実践をチーム単位で競い合った。
寒い屋外だったが、体を温めてくれたのは保護者が協力して作ってくれたトン汁である。
午後は場所を移動し、登録審査と会議。
私の活動する地域は1300名台に減少してしまったようだ。
魅力を伝えることや伝統を守ることも大事だが、時代に合う教育プログラムと質の高い指導者を用意しなければならないのは、
学校と同じである。
少々風邪気味でつらいので、早寝をする。
イクラは受験から今日で解放された。
よくがんばったと、バカ親は思うのである。
われわれの卒業年代から(昭59)から平5卒まで、各学年3~4名程度の総勢30余名が一堂に会し、
当時の思い出やら、現在の高校に対する思いやらを3時間にわたって語りあった。
いろいろ、懐かしい当時の先生方の名前が飛び交ったり、墓場までは持って行きたくないエピソード、などというのが出ていたが、
興味深かったのは現役の戸山高に息子や娘を通わしている人が複数いることや、職種が幅広かったことである。
さらに教育実習に行ったときの生徒たちが含まれていたのも、なんだか時の流れを感じたし、
ソプラノ歌手もいれば、弁護士や医師、政治家や新聞記者や大学教授も数名いた。
いずれも、自由な校風を感じとり、大人として扱われていたことは共通した母校への思いであった。
個人的には、ワタシは隣家のおじさんが戸山の体育教諭だったことが入学後判明したし、
今務める大学にも高校の先輩としてS教授がおいでになる。なにかと縁がある。
こういう席に出席すると、卒業生の組織の係りを引き受けるんだろうなぁと覚悟はしていたが、
案の定、評議員などという肩書きをもらって帰ってきた。
校舎はすべて新しく立て替わってしまっても、そこには変わらぬ、不易流行を感じた有意義な180分だった。
さて、翌日である今日はボーイスカウト三昧。
晴天、冬寒の朝から都立公園を借りて、ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエル(B-P)の誕生日を記念しての活動。
B-Pは「野外・班・進歩」をかかげ、「よりよき社会人の育成」を目指した。
今回も野外活動を通じて、協調性、手旗やロープワークの実践をチーム単位で競い合った。
寒い屋外だったが、体を温めてくれたのは保護者が協力して作ってくれたトン汁である。
午後は場所を移動し、登録審査と会議。
私の活動する地域は1300名台に減少してしまったようだ。
魅力を伝えることや伝統を守ることも大事だが、時代に合う教育プログラムと質の高い指導者を用意しなければならないのは、
学校と同じである。
少々風邪気味でつらいので、早寝をする。
イクラは受験から今日で解放された。
よくがんばったと、バカ親は思うのである。