だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

11月15日(火)プライドかな?

2011年11月15日 | 日記
おはようございます。

北海道では雪の便りが聞こえてきました。
八戸に住む知人も、スノータイヤに変えると便りをくれました。
冬がやってくるのですね。

今年は震災があったためか、年賀状を控えたり、「おめでとう」という記載を避ける人が多くなりそうだとも聞きます。
一方で喪中の葉書も届き始めました。
今年、鬼籍に入る方々の冥福を改めて祈るばかりです。

さて、アサイチから、たいちゃんに言われました。
今日は火曜日だからピリピリしているのね、と。

そう、毎週火曜日は母校にて講義のため出講なのですが、なんでしょうね、
目に見えないプレッシャーというのでしょうか、ウキウキワクワクとはほど遠い、
ドヨ~ンとした思いが常に付いて回るのです。

後輩にもあたる院生たちが相手ですから、緊張もなかろう、というと、真逆でして、
いい加減なことは伝えられない、という思いが圧し掛かってきます。
でも、それはイヤなのではなく、週に一度そのような思いができることはありがたいとも思います。
修業かな、とも思います。

ちょうど家を出かけるあたりで、テレビでは国会中継中でした。
参議院の予算委員会で、つい昨日帰国したばかりの総理に対して、
TPP(環太平洋パートナーシップ)での発言が国内外はもちろん、
日米間でも理解に温度差があるということについて追及がなされていました。

人と人のやりとり、そこに通訳などを介するとなると、ニュアンスにズレが生じることはたやすく理解されますが、
こと、国益に関することとなると、言った、言わないが子どもの言い合いレベルとは変わってきます。

一方、国会では「野次は議場の華」などといって、多くの議員が質問者、答弁者に向けて、
容赦なく(というように映る)やじるわけです。
これはどうなんでしょうか。
うちのスタッフ会議などで、野次を飛ばしたら、それこそ、人格を疑われかねないでしょうね。

人の話は最後までしっかり聞きましょう、などということを学ぶこどもたちにはどう映るのでしょう。
そんなことを思いながら、講義に向かうと、こちらは水を打ったように静まり返った教室。
寝ているかというとそうでもなく、一所懸命聴いてくれているわけです。

それはそれでありがたいのですが、なんでしょう、こうなると、もう少し反応をしてくれてもいいかな、とないものねだりとなります。
プライドがなせるわざなのか、言葉を発するにも発しないのも、そこに心の動きが反映していることは間違いないようです。

まだまだ、仕事。がんばれ、自分!でもあります。