だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

11月7日(月)「番犬」としてのDNAを感じた昨夜。

2011年11月07日 | 日記
おはようございます!暖かな日差しがしっかりと目を覚まさせてくれます。

昨夜は学園祭の終了後、下北沢に出向き、「世田谷ボランティア協会設立30周年記念おたがいさまの宴」に参加しました。
この協会はいまでこそ「ボランティア」という言葉を知らぬ人はいないほどになりましたが、それがまだまだ浸透していなかった1981年に世田谷の千歳船橋に設立されたものです。現在は昭和女子大学の興梠寛氏が理事長であり、2年前までは俳優でもあった牟田悌三さんが理事長だったのですが、初代理事長は亡き母・幸子(以下、オカン)なのです。
ワタシは現在縁があって、この協会の評議員を務めているのですが、会場に入って、思わずびっくり!
牟田さんとオカンの写真が飾られているではないですか!
いやぁ、オカンの写真は我が家でも小さいのが数枚ありますが、正面にがっつりとみなさんを迎えるように飾ってあったものですから、ちょいと変な言い方ですが、「あら、久しぶり!」と思ってしまいました。

会場にはそんなオカンを知る方々が大勢集まっておいでなもので、中でも山崎美貴子さんは現在ボランティア推進の最先端で活躍されている方ですが、母に師事したと、いろいろとお話をいただきました。
そして、オカンは「市民活動は行政と距離を置かなければいけない。「番犬」のように行政をみていかないと」というようなことを言っていたというのです。
さすが、早稲田人、在野の精神です。
そういえば、ワタシもなにかと大勢へ意見をいう「番犬」的発言が多いなぁとDNAを感じてしまいました。

ワタクシゴトですが、私が大学1年の1985年の夏に55歳で亡くなったものですから、今年が27回忌。親を亡くしてかなり時間が経つとなると、さすがにそうしょっちゅう思い出すというより、ときどき、オカンならどうしたかなぁ? などという程度となるものです。それが昨夜はオカン話オンパレード。

ちなみにオカンはイギリスに留学経験があり、晩年「世界のボランティアの父」と言われたアレックディクソン先生のご自宅に、ワタシもオカンとともにうかがったことがあります。また、ワタシは大学3年のときにもひとりでディクソン先生のお宅に再訪問をさせていただきました。

会場には「国会の質問王」で有名な世田谷区長・保坂展人氏もいらしていたので、名刺交換と情報交換。
保坂氏も市民活動家のひとりとして、この協会とかかわっていらした方です。

そんなところに、突然、ひとこと挨拶をせよとの依頼がありました。
オカンとの思い出を話せと???

うーん、以下、簡潔にその概要を・・・
「私が母の息子であることは、この隣にある母とワタシを見比べていただければお認めいただけることだと思います。
そんな母は、ワタシの出産予定日が6月で、海外の人にも親しまれるように「ジュン=June=6月」という名前を用意していたようです。
しかし、いまでこそ、こんなに大きく育ちましたが(現在90キロ)40日も早く生まれてしまったものですから、ワタシは5月生まれとなりました。
そうなると「メイ=May=5月」となるかというと、男の子としてさすがにこれはいただけなかったのでしょう。父武司、母幸子、合わせて幸司。
いかに急いで付けた名前かがよくわかります。

そんな母は民法学者、家族法などが専門でもあったのですが、「家族」と過ごす時間よりも、今日この会場にいらした方たちとの時間が長かったのかもしれません。
我が家には置手紙のメモではなく「連絡帳」というノートがありました。

「今日は遅くなりますよ」とか「ごはんはレンジの中」など。
そういえば協会があった千歳船橋の建物の隣には豆腐屋さんがあり、そこの豆腐はよく食卓にあがりました。
そして、その連絡帳の中の多くがイギリス留学の影響か、英語で書かれていました。
中学に入学したときに贈ってもらった英和辞典の扉にも「国際人になるように」とも書かれていました。
その影響もあるのでしょうか、ちょっと暗いハナシに聞こえるかもしれませんが、イマワノキワの言葉、つまり遺言も"You must study hard よ"でした。
なかなか、かっこいいなぁと今でも思います。
それに、根っからの市民活動家だったのでしょうか、私が浪人を経て大学入学が決まった直後のメッセージは、
「市民権を得ましたなぁ!」でした。
浪人を経て、受験を終えた息子に「市民権を得た」というコメントを発する親が、世の中にどれだけいるのでしょう。

今日、久しぶりに母の写真と向き合いました。まゆ毛がさがっているこの写真は、ちょっと考え事をしている、そんなときシャッターチャンスがあったのでしょうね。
今、私は評議員としてお声掛けをいただきましたが、あと9年で母と同じ年となります。少しでも母より長生きをして、協会に微力ながらご協力ができればと思っております。
ちなみに牟田悌三さんからは「一日一日がぶっつけ本番です」と言われました。
ぶっつけ本番の突然のご指名、つらつらと失礼いたしました。30周年、本当におめでとうございます」

そんなご挨拶を申し上げてから、お開きとなり、ボーイスカウトの会議へ。
野外料理のプログラム、キャンプでのプログラムの計画の仕方を2時間ほど講じてきました。

社会人というのか、一市民というのか、今だからやらねばならぬことがしっかりと見つけられるといいですね。

今日は午後から出勤となります。