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Yutaka's Room ☆ Sparkling!

☆街や地域のこと、洋服のこと、制服やランドセルのこと、少し自分のこと☆石川県白山市株式会社フクズミ代表取締役社長 福住裕

テレビでやってた年金改革の話

2011-06-18 14:02:03 | 2ndS 社会・経済の話題

テレビの情報番組で、社会保険制度改革がシリーズで取り上げられていた。

 

社会保険制度改革は個人的にも注目しているテーマで、

日本のこれからの国家のあり方を左右する重要な要素の位置づけでもある。

福祉をどのレベルまで国として責任をもち、どこまで個人に備えが必要なのか、

それが働き方やお金の使い方、貯め方、人生設計に大きく影響する。

国民がどの程度のんきにやってていいのか、

はたまた個人として賢く防衛していかないと野垂れ死ぬしかないのか、

どんな世の中を作っていくかという礎のしくみのひとつだからである。

 

 

そのテレビ番組では、改革の問題点を指摘し、

改革の盲点や、改革によって発生する問題点を洗い出す、

といったことをやっていた。

たしかに国や官僚の都合による、あるいは付け焼刃な制度設計は問題で、

そのことを国民の耳目にさらすことは大切だ。

 

しかし、論調が制度の本質から離れて語られることが多くとても気になった。

 

いまさら払いたくない、とか、

払った金額の元が取れるのがいつ、とか、

何歳まで生きているかわからないから損するかもしれない、とかである。

 

 

今の日本社会の問題点のひとつは、

申し訳ないが、セフティーゾーン、既得権域にいながら、

利己的な発想に終始していることが多いことである。

また、マスコミもこの程度の論調で番組づくりするならやらないほうがいい。

地震が来て、津波が来て、それによって

すべてを失うところからやりなおさなくてはいけないかもしれない、

所詮それが人間というものだ、ということにまだ気づいておらず、

「豊かさや生命とは保障されているもの」のように勘違いしてはいないか。

 

払わなくていいに越したことはなく、

少しでも多く給付されるほうがいいに決まっているが、

制度の本質をわかっているのだろうかと大いに疑問だ。

 

次世代、次々世代に何を残そう、というのだろう。

ひとりひとり全員が払った分、貰わないと損、というのなら、

はじめから社会保険制度はありえない。

自分で貯蓄しておき、老後は各自それで暮らすようにする、

そういう国にすればいいことだ。

 

ではなぜそうしないか、ということが社会保険年金制度の本質であって、

そもそも何歳まで生きるかわからないから、

その時どんな社会になっているか、物価等がどうなっているのかわからないから、

年金制度というものを用意しておくことで、

国民を守ろうということなのではないのか。

 

前提をはき違えると、議論はまったく違った方向に進んでいき、収束しない。

 

これだけ働き方が多様になってきた現状で、

旧来の種々の年金制度が機能しなくなっている点も含め、

いわゆる一元化論議とあわせてこの際きちんと改革してほしいと思うのだか…

 

誤解をおそれず言えば、悲観的な表現だが、

国なんて、国民を守りきれるとは限らないものだと思ったほうがいいのかもしれない。

そして、どんな制度もその枠組みの中にいる人の心次第だ。

 

 

ちょうど会社と同じ。

待遇や給与や福利厚生がいいから、いい会社になるのではなく、

どんな制度やしくみがあっても、

経営者を含めて、働いている人の心が伴わないとまったく機能しない、

ということだろう。

 

 

 


被災地の応援のいま

2011-06-17 23:49:00 | 2ndS 社会・経済の話題

仙台の会社経営者の方のお話を聞く機会がありました。

 

被災地の復旧状況は、まだら模様の現状で、

道路一本をはさんで、ライフラインの確保ができているところと、

まったく作業がすすんでいないところに分かれる、

といったこともあるようです。

 

救援物資はほぼ十分に足りていること、

また、すでに配布されない余剰が数百トン単位となっていることから、

送らなくてもいいのが現状のようです。

むしろ、送られると困る自治体も多いようです。

 

○○が足りない、とテレビど放送されてしまうと、

その○○がどっと全国から届くそうです。

とてもありがたいお話なのですが、

足りないといってもすでに地元で調達が可能になっているものがほとんどで、

むしろその○○が地元で売れなくなってしまうと、

商売が、生計がなりたたない、という実態もあるようです。

 

 

 

被災地を応援する方法としては、お金の支援が一番のようです。

しかし、日赤の義援金などでは行き渡るタイミングがおそくなってしまう。

そこで東北から商品を買う、というのがいいと思われます。

そうやって再起を支援するお金が地元に直接還流するのが

ひとつの方法として我々にできること、なのだと思われます。

 

 

このお話を聞いて、いま進めている企画が

少しばかり被災地の支援に役立っていると思え、

うれしくなりました。

 

内容は、後日ご報告します。

お楽しみに。

 


北陸電力でも節電要請、に思う。

2011-06-16 21:02:39 | 2ndS 社会・経済の話題

おととい、東京からのお客様に、

北陸では節電とかの話にならないんですか?と聞かれ、

大丈夫だと思います、と答えたばかりだったのですが、

昨日、北陸電力から今夏の管内節電要請の発表がありました。

私自身、それくらい呑気だったわけです。 

 

目標数値などの設定はなく、

余裕が2.8%くらいしかないというのが北陸電力側の試算で、

安定安全値の8%に近づけたいことから、

企業と一般家庭に節電を要請するとの主旨です。

 

 

正直、某知事が関西電力の場合で発言した、

原発の推進、再開に向けた圧力を感じる、

という印象は今回も否めません。

 

北陸電力には志賀原子力発電がありますが、

これがまたしょっちゅう止まっているわけで、

現実は火力や水力でほとんどまかなわれているのが実態ではないのでしょうか。

不足の場合、中部や関西から買電することもあると思いますが、

逆にこちらの余力を他にまわすこともあるくらいだとも想像されます。

(このあたり、ちゃんと調べて書けばいいのですが、しろーとですので、

おおざっぱなところで話をすすめさせていただきます。)

 

 

果たして、日本は、そして世界は、これからどうすればいいのでしょうか。

 

【選択肢のパターン】をざっくりと整理してみます。

  

1.原発は大丈夫。だからいままでどおり推進。

 

2.原発、ちょっとやばいけど、進めるしかない。

 

3.原発、とりあえず継続するしかないけど、できるだけ早期にやめよう。

 

4.原発、やばい。とにかく止めよう。

 

 

考え方が様々ある理由は、

 

(1)原発の安全性が不確定のまま。

水掛け論というか、安全でないことは確かなのに、

どのくらいまでなら目を瞑ってやるか、という土俵での話と錯綜している。

また、例えば次いつ地震がくるか、とかに対して、

なんとかそれまで持ってほしい、みたいな博打的発想。

 

(2)原発のコストが不確定なまま。

あとのことはいま考えない、とか、

今回のような事故や必要な後処理はコストとして見積もられていないが、

だって、後処理ったって、どんなレベルで起こるかわからないから、

考えておくっていっても無理がある、といった程度で許容されている。

 

(3)止めるにあたって、経済との関連性をどう折り合いをつけるか。

目先、電気がないのはとにかく困る、それは国としても、企業としても本心。

 

(4)代替エネルギーとして何が有効なのか、不確定。

やってみないとわからない、のか、

やられると困るから、あんまりこれまで力を入れてこなかったのか…

 

といった要素が挙げられます。

 

 

あたりまえ、のことしか書いていませんが、

この論点を住民、国民、人類が共通にふまえて考えていないから、

実は問題の解決が進まないのです。

 

 

また、決して邪推ではなく、

おそらくは確実に、

原子力発電にまつわる利権を優先させたい勢力が

(あるいはもっと高次元でものごとを動かしている勢力?が)

情報を歪曲したり、制限・制御したりすることも含めて、

本当は何が事実なの?という議論が煮詰まっていかないのでしょう。

 

 

それでもドイツとか、イタリアとか、具体的な動きになっている国もある、

ということから考えると、

どうやら世界は全体として、

原発をこれ以上拡大していく政策をとりにくくはなるものと思われます。

一番やばい隣のあの国はどうするかわかりませんけど。

それにしても、海外の心理をヒステリーと言ってしまう日本の政治家がいるとは…

(仮にそう思っても、そう言ったらおかしい、ってこともわからんのかな?)

 

いずれにせよ、日本もどこかのタイミングで

態度を明確する方向で動いていかなくてはならないでしょう。

なんせ、当事者ですから!

 

日本の政治は、大きな課題を負っています。

それを争点に、政局に発展する、

国民も安易に電力会社や国の責任にしないで、

自分の意思表示をしなくてはならない、

そんなときがやがて?近々?やってくるのでしょうか。

 

 

今回の原発事故の意味は、

おそらくこれまでの経済や資本主義と、

(国家や企業レベルばかりでなく、大衆の性や個人の欲得も含めて)

生命や地球レベルのサスティナビリティとの取捨選択にあり、

この機会の、この判断を間違えると、

人類が滅ぶかどうか、

まではわかりませんが、

かなり破滅的な末路を迎える可能性は高まる、

といえるのではないでしょうか。

 

 

難儀な問題ですが、

この時代に生まれてしまった以上、

この問題とおつきあいしていくしかなさそうです。

 

それにしても果てしない道程かもよ…

 


本因坊戦 前夜祭

2011-06-14 22:05:00 | 2ndS 社会・経済の話題

囲碁界七大タイトルのひとつ本因坊戦が

粟津温泉の法師で明日から開催される。

めったにない機会だ。

縁をいただき、長男がその前夜祭への参加がかなったので、

引率して私も行ってきた。

 

P6140001  

法師といえば、ギネス認定の世界最古1300年の歴史をもつ旅館。

私もたぶん10年ぶり?くらいかもしない。

 

午後6時半のスタートだったため、

ちょうど東京からお越しいただいていたお客様を小松空港にお送りする車に長男も同乗させ、その足で会場へ。 

 

以下、長男撮影の会場内の様子。

 

P6140006 

P6140009   

山下本因坊と、挑戦者の羽根九段。

 

 

石川県から10人くらいの子供たちが参加させていただいたようですが、

サインをもらったり、いっしょに写真をとってもらったり、

いろいろと楽しく過ごさせてもらった様子。

対戦者だけでなく、立会や運営、関連行事のために

たくさんのプロ棋士の方々が同行してきいてるため、

なかなかビッグな催しになっている。

 

 

しかし、開宴中、私はやることがないので、

貸切状態の風呂にずっと入っているくらいしかない。

風呂→露天→サウナ→露天→サウナ→風呂…

とてもすっきりした。

 


地デジ化

2011-06-10 08:21:00 | 2ndS 社会・経済の話題

地デジ化のリミット、

地上波アナログ放送の終了の期限が迫っている。

 

昔はテレビは茶の間に1台があたりまえ。

でもいつのまにかわが家でも、

寝室に1台、応接間にも1台、

そのうち自分の部屋にも…という感じで増えていき、

数えてみれば7台くらいある。

このうち地デジ化が完了しているのは、3台。

 

というわけで、最近あまりテレビは見ない私だが、

この手の話を解決するのは家庭内で私しかいないので、

対応策の検討に入った。

 

自分の仕事部屋にあるのは、

地デジチューナーでじゅうぶん。

5000円くらいでOK。

まず1台買ってきてみてセッティング。

縦横比の関係で画面が小さくなって見にくくなるかと思えば、

わあ、むしろくっきりすっきり映ってきれいじゃん!

 

よし、では基本これでいこう、と思ったけど、

なかにはビデオ端子さえついていないクラシックなものもあり、

結局は新規に2台、地デジチューナー1台を購入することにした。

本当は録画のこととかも考えないといけないんだけど、ほとんどしないし、

長男の部屋にあるパソコンで録画できるから、

それでとりあえずはいいかと。

 

それにしても、薄型テレビは安くなったもんだ。

地デジチューナーにしても、

数年前、5000円前後の機種の開発を国がメーカーに指導したときは、

そんなに安くできない!といって業界が相当反発していたのに。

 

アナログの廃止、完全地デジ化なんてできるのか?

とも思ったけど、できるもんだね。

(被災地なんかは延期みたいだけど)

 

今、難しいというわれている

社会保障とか、財政の問題もこんなふうにうまくいくといいんだけどなあ。

 

 


日本人らしくない違和感

2011-06-03 23:05:00 | 2ndS 社会・経済の話題

いまの政局に感じる違和感。

うまくいった、乗り切った、といった満面の笑みをうかべているあの人には、

日本人らしい品位を感じない。

 

こういうえげつなさは好きでない。

こういう駆け引きがアリ、そういう日本国だとしたら、

もっとみんな懐疑的に生きるのがあたりまえになってしまうだろうから、

殺伐としてしまっていくに違いない。

それははっきりと嫌である。

 

 

政治の世界では、多かれ少なかれ、きっと元々あることなのだろうが、

こういうことが庶民の目にまともに触れるようになっているのも問題だ。

密室はよくない部分もあるが、

なんでもわかっていないとよくない、という風潮もよくない。

庶民のために政治はあると思うが、

すべて庶民のレベルで話をしよう、というのでは

おそらく国は導けない、少なくとも現状の日本では。

 

尊大さが必要であり、

それが危機的状況のリーダーシップではないのだろうか。

 

期待しすぎだろうか。

 

 

 

まあ、どのみち長続きする話ではないと思う。

これで延命できたと思っているとしたら大間違い。

たぶん、逆に死期の定義をもとめられるだろう。

その程度の、せめてもの日本らしいモラル波動による揺り戻しは起きるはずだ。 

 

国難のタイミングにおける政変の是非とは別に、

これはそのプレーヤーの品格という別の次元の問題。

そういう意味では、ほかに人材がいないということや、

それをいち庶民がブログで吐露してしまうのが日本のていたらく、なのだろう。

 

 

なんとかなってほしいものだ。

 


正論

2011-05-22 23:36:00 | 2ndS 社会・経済の話題

ほとんどテレビを観ないのだけど、

最近はまっているドラマが「仁」である。

(次男の名前が似てるからなわけでもない)

 

正確には、テレビ、ではないかもしれない。

ほかの番組もよく見るものといえば大概ネットで観てしまうのだ。

 

ところが今日は、はじめてテレビでリアルタイムに「仁」を観た。

 

坂本龍馬が仁先生にこう言う。

「先生は特別なおひとじゃから、そういう正論が言えるがぜよ」

(正確でないとおもうけど、たぶんこんな感じのこと)

 

しかし、これに仁先生は反論する、というシーンがあるわけだが、

今日はこのシーンがちょいと気になったわけだ。

というのは、私も最近、この「正論」というものによくぶち当たるからだ。

 

 

少し前だけど、店長(妻ですが)に言われたこと。

「社長の(あんた、と言ったかもしれないけど)言うことは正論だけど、

現実はそんなにうまくいかないわ」

 

とか、

 

「まあ、そういう正論で、街とか、商店街がよくなればいいんだけど」

(発言者不祥)

 

とか。

 

確かに現実は厳しいと思う。

なかなか思ったようにいかない。

 

しかし、正論を正論だからどうせうまくいかないと言ってしまっていないか。

正論の壁がどこにあるのか、ちゃんと正面から向き合って考えているか。

 

 

 

ある講演で、

「そのきれいごとをやりぬくのが経営であり人生」と断言する

すごい人にあったことがある。

 

そうなんだな、と最近つくづく思う。

今の自分にできないことを「正論」と言って処理してしまってはいけない。

 

受けとめること、向き合うこと。

一刻も早く取り掛かること。

そしてやりぬくこと。

 

それが人生。

そんな人生を辛く思うか、楽しく思うかさえ、

そのひと次第なんだな、と思うのだ。

 


節電は、工夫のしどころ、頭の使いどころ。

2011-05-07 15:45:38 | 2ndS 社会・経済の話題

東西日本のヘルツ帯の違いから、

計画停電や節電の話題とはすこし縁がとおかった中部、北陸地方。

 

昨日、静岡県浜岡原発の全基を停止する方向性となったことを受けて、

事態は少しかわったかもしれません。

中部電力は、停止中の火力発電を再開させるなどの対策を検討するでしょうが、

それで補えるかどうか。

コストも相当かかるでしょうから、電気代にもどのくらい影響するか。

 

中部電力から東京電力への送電も停止することになるでしょうし、

(関東ではより一層電力供給が細くなるということです)

需要の7割に達するといわれる中部圏の商工業目的の電力消費にも

ひと工夫が必要になってくることて゛しょう。

 

また、北陸電力管内においては志加原発は現在停止中で、

容易に再稼動とはいかないでしょう。

北陸電力で電力が不足する場合には、

中部電力から供給してもらっていることを考えると、

当地でも他人事ではなくなってくるのでしょう。

 

 

そもそも震災後の経済的停滞リスクについては、

阪神大震災のときがそうであったように、

一旦は経済成長に影響がでるものの、復興の道についた段階では

むしろプラスにはたらく面がある、ともいわれてきました。

(ただし需要には偏りがある)

ただし、今回の場合の相違点は、長期的に電力供給に影響がでた場合、

生産や消費の活動に与えるマイナス影響が懸念される点にあります。

 

過度の自粛はよくありませんが、

「節約やむなし」は中部圏にも広がりをみせるようになるかもしれません。

 

 

しかし一方で、

賢く生活しようという意識を高めれば、

節約グッズや、暮らし方を変えるための工夫に必要な消費など

新しい動きが生まれる可能性は大きいと思います。

 

生活者としても、

商工業者としても、

工夫のしどころ、頭の使いどころです。

 

 


意味わからん。

2011-02-17 23:47:00 | 2ndS 社会・経済の話題

民主党の一部議員が党籍を維持しながら会派を離脱という話題。

 

意味わからん。

 

内部の問題なら、別の方法をお考えいただきたい。

内部のことを優先して、

国民が望んでいること、国民のためになるなることを後回しにしてしまっている。

 

 

前総理の「方便」発言。

たとえば総理大臣を経験した政治家が引退後に当時の問題を語る、

とかなら、まあそういうこともあろうかと思うが、

現職の国会議員でありながら、

自分の果たせなかった未解決事案についての発言としては…

 

意味わからん。

 

いままさに、その問題を解決するために奔走している人がたくさんいるはず。

そんな人たちに配慮できないで、

そもそもこのデリケートな問題を解決できるはずがない。

 

 

 

政治に物申すほどの見識が自分にあると思わないのですが、

あまりにゴタゴタが長くて前に進まない現状をみると、

本当にだいじょうぶなのかと思えてきてしかたがない。

 

誰が悪い!という次元を超えてしまっているとも思えるので、

どこかの国みたいにデモに発展する気運さえ起こらない。

 

デモ…もともと日本的でない感じもするけど、

一揆みたいのがあった時代と何がちがうんでしょうか。

よくわからんけど。

 

今日はぼやきでした。

 


先を見通す

2011-02-12 03:35:00 | 2ndS 社会・経済の話題

今回の水道配管の老朽による箇所不明の漏水事故で思ったこと。

 

当時の配管設備は鉄管で、

ふりかえれば寿命があることは本来自明といえること。

ならば補修可能な設備で施工することはできなかったのでしょうか。

 

施工主という素人にその判別はつくはずもなく、

プロであるはずの設計、建築業者は当時どのように思っていたのでしょうか。

 

いまさらそのこと自体、恨んでもしかたないことなのでしょうが、

同様な未来に対する思慮不足を自分達が犯していないかどうか、

それを懸念せざるを得ません。

 

 

例えるなら…

日本の保険年金制度などの社会保障。

もつのでしょうか…

付け刃な対応を繰り返しているだけではないのでしょうか。

 

国債発行に頼った国家財政の現状。

もつのでしょうか。

未来につけまわしして、それを被るのはいったい誰なのでしょうか。

 

 

それぞれの世界のプロでないと見通せない未来があるとするなら、

その責任を果たさねばなりません。

ひとりひとりが今の自分を生きると同時に、

未来のためにできることに先を見通して生きていかねばなりません。