テレビの情報番組で、社会保険制度改革がシリーズで取り上げられていた。
社会保険制度改革は個人的にも注目しているテーマで、
日本のこれからの国家のあり方を左右する重要な要素の位置づけでもある。
福祉をどのレベルまで国として責任をもち、どこまで個人に備えが必要なのか、
それが働き方やお金の使い方、貯め方、人生設計に大きく影響する。
国民がどの程度のんきにやってていいのか、
はたまた個人として賢く防衛していかないと野垂れ死ぬしかないのか、
どんな世の中を作っていくかという礎のしくみのひとつだからである。
そのテレビ番組では、改革の問題点を指摘し、
改革の盲点や、改革によって発生する問題点を洗い出す、
といったことをやっていた。
たしかに国や官僚の都合による、あるいは付け焼刃な制度設計は問題で、
そのことを国民の耳目にさらすことは大切だ。
しかし、論調が制度の本質から離れて語られることが多くとても気になった。
いまさら払いたくない、とか、
払った金額の元が取れるのがいつ、とか、
何歳まで生きているかわからないから損するかもしれない、とかである。
今の日本社会の問題点のひとつは、
申し訳ないが、セフティーゾーン、既得権域にいながら、
利己的な発想に終始していることが多いことである。
また、マスコミもこの程度の論調で番組づくりするならやらないほうがいい。
地震が来て、津波が来て、それによって
すべてを失うところからやりなおさなくてはいけないかもしれない、
所詮それが人間というものだ、ということにまだ気づいておらず、
「豊かさや生命とは保障されているもの」のように勘違いしてはいないか。
払わなくていいに越したことはなく、
少しでも多く給付されるほうがいいに決まっているが、
制度の本質をわかっているのだろうかと大いに疑問だ。
次世代、次々世代に何を残そう、というのだろう。
ひとりひとり全員が払った分、貰わないと損、というのなら、
はじめから社会保険制度はありえない。
自分で貯蓄しておき、老後は各自それで暮らすようにする、
そういう国にすればいいことだ。
ではなぜそうしないか、ということが社会保険年金制度の本質であって、
そもそも何歳まで生きるかわからないから、
その時どんな社会になっているか、物価等がどうなっているのかわからないから、
年金制度というものを用意しておくことで、
国民を守ろうということなのではないのか。
前提をはき違えると、議論はまったく違った方向に進んでいき、収束しない。
これだけ働き方が多様になってきた現状で、
旧来の種々の年金制度が機能しなくなっている点も含め、
いわゆる一元化論議とあわせてこの際きちんと改革してほしいと思うのだか…
誤解をおそれず言えば、悲観的な表現だが、
国なんて、国民を守りきれるとは限らないものだと思ったほうがいいのかもしれない。
そして、どんな制度もその枠組みの中にいる人の心次第だ。
ちょうど会社と同じ。
待遇や給与や福利厚生がいいから、いい会社になるのではなく、
どんな制度やしくみがあっても、
経営者を含めて、働いている人の心が伴わないとまったく機能しない、
ということだろう。