悲惨極まりないバス事故のニュースで開けたGWでしたが、
その詳細な状況が徐々に浮彫りになってはきているものの、
まだまだ実態の解明には及んででいません。
バス会社も、運転手も、問題にならないレベルの話だったようで、
そんな運行に命を預けているとも知らずにバスに乗ってしまった人達に、
いまさらどうやっても収拾のつけようのない事故が起こってしまった。
残念で仕方ありませんが、
こういう事故のタネとなる無分別を内包しているのが日本の現状だということに、
ひとりひとりがもう少し目を向けないといけないと思います。
社会はいつも少しずつ変化していて、いろんなビジネスチャンス、いろんな稼ぎ方が生まれ、それに機敏に対応する人がいつの時代にも現れるものだけど、正しく働くことを本分とせねばなりません。
なんでも法整備がどうだ、という話になってしまってはイタチゴッコです。
じゃあ厳しくしておくしかありまんせんね、というのが末路のがんじがらめの世の中です。
さて、GWの終わりになってこれまたレジャー関連のニュースとして
高齢者のパーティが遭難し全員死亡するという事故が発生しました。
私は登山はしないので、詳しくはわかりませんが、
今年のこの時期のあの山に登るには準備不足だったとか。
準備不足…それが命を失うことにつながる登山が怖いと思いますし、
命を失うようなできことが、準備不足という言葉で説明されてしまうのも怖い。
不謹慎だといわれてしまうかもしれませんが、
そもそもヘリコプター代など捜索費用を事前に供託しないと登れないとか、
遭難した場合どう対応したらいいかなどを事前にヒアリングしておくなど、
こういう事故の類のニュースを聞くたびに思ってしまいます。
また、最近は高齢者の事故が圧倒的に多いように思います。
体力がないのだからあたりまえ、ということでしょうか。
だったら登ってはいけない。
私にはむしろ、高齢者に限って無謀なのではないか、と思えてしまうのです。
最近の若い者は…いつの時代にも使われてきた言葉ですが、
最近の年よりは…登山に関して言えば安易で無分別な場合が多いように思えます。
まだ若い?私の傲慢な見方でしょうか。
私の勝手な思い込みのイメージなのかもしれませんが、高齢者のグループが山に入って集団で遭難する、というのはなんだか高齢者の分別ではないように思えるのです。
年配者は成熟しているはず、といのが私の幻想ということでしょうか。
もちろんすべての高齢者がおかしいなんて言う気は毛頭ありませんし、
ひとりひとりをとってそのような方が多いということでもありません。
現に立派な年配の方も大勢いらっしゃる。
ただ、長く生きることになった代償として、理想的な年寄像のまま生きることが難しくなっている世の中になったのかな、とは思ってしまいます。
どうやら自然年を重ねることで自然と身につくものとそうでないものがあるように思えて、
老いるということの意味を問い直してみないといけないのではないかと思います。
そういえば「老いの才覚」という本がベストセラーになりましたが。
こんな話、それこそ無分別で、いいすぎかもしれませんね。
すみません。