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『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

❝広島カープ新井貴浩発掘の記者❞「名将」と言われる日が来ることを今度は確信

2022-10-15 08:50:48 | スポーツ
 1999年6月8日、大阪ドーム。ドラフト6位ルーキーの2号ソロが右翼席に飛び込むのを見て、97~99年当時広島担当記者・岩田卓士氏は、浅はかな広島版紙面用企画を思いついた。題して「新井貴浩は化けるか!?」。早速、翌日からコーチや関係者の話を集めにかかったのだが…。  「そんな甘いもんじゃないよ」「たまたまよ」などは、まだましな反応だった。どう転んでも大成しないと確信している人がほとんど。とても「化けるか!?」などといった見出しが立ちそうにない。企画はボツとなった。  プロ1年目、本人への取材を何度も失敗した。その年は大下ヘッドコーチ指導のもと、猛練習の日々。その合間に話しかけようとすると、すぐに大下ヘッドの怒声が飛び、グラウンドへ戻された。  グラウンド上でもベンチ内でも、練習中はいつもゼエゼエと息を切らしていた。それでも話しかけると顔を上げて、一生懸命に話そうとしてくれた。その瞬間に怒声を浴びるという繰り返し。笑顔を見た覚えがない。  プロ入り以来、首脳陣に怒鳴られ、ファンにヤジられ、チームメートにイジられながら、最後は名球会選手にまで上り詰めた。並外れた体力と精神力で苦難を乗り越え、結局はファンにも仲間にも愛された選手だった。  現役引退後、デイリースポーツと評論家契約をする際に社内で顔を合わせた。「岩田さん、お久しぶりです」と言われて驚いた。担当として関わったのは20年前の1年足らず。何度も接触に失敗した若造記者の名前を本当に覚えていたのか、事前に確認していたのか。いずれにしても律義な性格はずっと変わっていない。「覚えてますよ」と言って浮かべた笑顔に、いつも不安げだったころの面影はもうなかった。  本塁打王、打点王、MVP、名球会入り、監督就任。新井貴浩は劇的に化けた。そして新たな伝説の予感。いつか「名将」と言われる日が来ることを今度は確信…しておきたい。
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