やっと残暑の厳しさから開放されたと思ったらここ2~3日は朝晩を中心にぐっと冷え込んで、外に出ると冷蔵庫を開けた時のようなさむ~い冷気を感じます。洋服も半そでからいきなりジャケットをはおるような有様です。
ところで今日は日本で唯一の名を持った「会津比売神社」の秋祭りでした。長野市松代町の真田祭りの関係で、いつもより少し早めての開催です。そして昨日妻女山へ登る入り口、右側の高速帯の一画に「上杉謙信鞍掛の松」の案内看板が新たに設置されました。この神社の南側には妻女山(本来は斎場山という)やその支山の妻女山(本来は赤坂山という)があります。今大河ドラマで放送中の「風林火山」の第4次川中島の戦いにおいて、上杉謙信が陣をとった事で有名な山でもあります。この看板から西へ徒歩1分ほどで神社があり、その境内には何代目かの鞍掛の松があります。写真の左から2番目がその松です。上の展望台へは登ってもここの神社に来る人はまだまだ少ないので、案内看板が出来たのを機に寄ってみてはいかがでしょうか?
また現在この山のピークになくてはいけない妻女山(斎場山)の名前が、展望台と松代招魂社のある場所の、現在の妻女山(赤坂山)に昭和に入って名前が移ってしまいました。妻女山は川中島の戦いで有名ですが(本陣は斎場山古墳のある一番高いところである)それ以前にこの山は信濃にとって歴史的に重要で神聖なる場所であったという事実があります。それらを含め詳しく解説しているHPをご紹介しますので、興味のある方はぜひ一度ご覧下さい。
モリモリキッズ「妻女山の位置と名称について」
(川柳)妻女山 ついでに神社も 宜しくね
お賽銭 あげてしっかり 願い事 FUKI
急に寒くなりすぎ久々、NHKの風林火山見ました!いよいよ来ましたね
會津比賣神社も、当時は山上にあったと云われていますから。
今のところに移ったのは、武田に焼き討ちされてからですからね。
赤坂山が妻女山となったのは、明治二年の招魂社建立の時です。地図に正式に記載されたのは、昭和47年です。それ以前は、妻女山といえば、斎場山のことでした。
松代のまちづくりに取り組んでいるNPO夢空間松代事務局です。
風林火山もいよいよ佳境に入ってきましたね。
川中島一帯の紹介や松代周辺も今後テレビにでてくることと思います。
鞍掛の松の案内板が整備されたのは知りませんでした。
当会ブログでもご紹介させていただきました。
松代周辺情報を発信してくださる方が増えてきて嬉しく思います。
当会ブログのお気に入りに加えさせていただきたいと思います。宜しくお願い致します。