平成25年4月 8日 月曜日
「児童期の運動と人格…2013」
以下は、『公認スポーツ指導者養成講座テキスト』に記述されている、「発育発達期の心理的特徴」について抜粋編集したものです。
『児童期は、自己形成と運動の関係が密接である。
その関係が単純であるので、遊びという運動、または運動という遊び心で、
「できた!」、「やった!」という達成経験は、自分は「やればできる!」という“運動有能感”を持つようになる。
その結果、運動好きになるとともに、行動面で高い積極性や協調性を示すようになる。
しかし、一生懸命にやっても上達しなかったり、
やっているのに指導者から否定される言動を浴びせられたり、
負けたことが罪なことというような経験を繰り返すと、
自分はダメな人間だという…“運動無力感”を持つようになり、
その結果、運動嫌いになるだけではなく、劣等感が強く、何事にも消極的になってしまう。
児童期に形成された、強い“運動無力感”は、成人になってからの運動参加意欲を大きく阻害する。
この“運動無力感”が形成されるのは…
指導者や集団の雰囲気が、他者より上手であることや、勝つことを重視する、「成績志向的雰囲気」を持つ場合に顕著になる。
これに対し、努力や過程を重視する、「課題重視的雰囲気」のもとでは、
勝ち負けは一義的なものではなく、また結果としての上手いとか下手という、他と比べた状態は問題にはならない。
その子供自身が、自分を越えて、自らを成長させようとする“努力や懸命”さが評価される。
その子供なりに上達しようとし、上達すれば、また例えミリほどの上達であったとしても、褒められることで、その努力は前向きに継続される。
また負けや失敗は、チャレンジ!という経験として、成長に繋がるものとされる。
児童期では、指導者を絶対視して、指導者の価値観をそのまま受け入れる傾向が強い。
また、集団意識が急激に発達して仲間の影響を強く受ける。
これに対し青年期では、自我に目覚めて、自分自身の価値観が形成されるようになり、
大人や仲間の影響を受けながらも、自分のやりたいことを自分の意志として決められる。
児童期においても、一見すると、その子供自身が決めたように見えるが、
実は、指導者や保護者の強い意志が、子供に影響し、
それが子供自身の気持ちと思い込んでいる場合が多い。
それは、“褒められたい”、“期待に応えたい”、”怒られたくない”…という他者の意志が押し付けられていて、そのことを子供自身が受け入れ、
やがて、児童期にバーンアウト…燃え尽き症候群になるという結果を呼ぶことは稀ではない。
このような心理的発達を総合的に考慮すると、
勝つことに高い価値を置く、典型的な“成績志向”としての競技スポーツへの深いかかわりは、青年期になってからが望ましいといえよう。』
結局、児童期の子供達の指導は、 子供達自身の自主性を育むもの…子供達自身に考えさせるものでなくてはならないものだと思います。
それは勝ち負けの結果を求めることからは得ることはできないものなのです。
「児童期の運動と人格…2013」
以下は、『公認スポーツ指導者養成講座テキスト』に記述されている、「発育発達期の心理的特徴」について抜粋編集したものです。
『児童期は、自己形成と運動の関係が密接である。
その関係が単純であるので、遊びという運動、または運動という遊び心で、
「できた!」、「やった!」という達成経験は、自分は「やればできる!」という“運動有能感”を持つようになる。
その結果、運動好きになるとともに、行動面で高い積極性や協調性を示すようになる。
しかし、一生懸命にやっても上達しなかったり、
やっているのに指導者から否定される言動を浴びせられたり、
負けたことが罪なことというような経験を繰り返すと、
自分はダメな人間だという…“運動無力感”を持つようになり、
その結果、運動嫌いになるだけではなく、劣等感が強く、何事にも消極的になってしまう。
児童期に形成された、強い“運動無力感”は、成人になってからの運動参加意欲を大きく阻害する。
この“運動無力感”が形成されるのは…
指導者や集団の雰囲気が、他者より上手であることや、勝つことを重視する、「成績志向的雰囲気」を持つ場合に顕著になる。
これに対し、努力や過程を重視する、「課題重視的雰囲気」のもとでは、
勝ち負けは一義的なものではなく、また結果としての上手いとか下手という、他と比べた状態は問題にはならない。
その子供自身が、自分を越えて、自らを成長させようとする“努力や懸命”さが評価される。
その子供なりに上達しようとし、上達すれば、また例えミリほどの上達であったとしても、褒められることで、その努力は前向きに継続される。
また負けや失敗は、チャレンジ!という経験として、成長に繋がるものとされる。
児童期では、指導者を絶対視して、指導者の価値観をそのまま受け入れる傾向が強い。
また、集団意識が急激に発達して仲間の影響を強く受ける。
これに対し青年期では、自我に目覚めて、自分自身の価値観が形成されるようになり、
大人や仲間の影響を受けながらも、自分のやりたいことを自分の意志として決められる。
児童期においても、一見すると、その子供自身が決めたように見えるが、
実は、指導者や保護者の強い意志が、子供に影響し、
それが子供自身の気持ちと思い込んでいる場合が多い。
それは、“褒められたい”、“期待に応えたい”、”怒られたくない”…という他者の意志が押し付けられていて、そのことを子供自身が受け入れ、
やがて、児童期にバーンアウト…燃え尽き症候群になるという結果を呼ぶことは稀ではない。
このような心理的発達を総合的に考慮すると、
勝つことに高い価値を置く、典型的な“成績志向”としての競技スポーツへの深いかかわりは、青年期になってからが望ましいといえよう。』
結局、児童期の子供達の指導は、 子供達自身の自主性を育むもの…子供達自身に考えさせるものでなくてはならないものだと思います。
それは勝ち負けの結果を求めることからは得ることはできないものなのです。