平成25年4月23日 火曜日
「“Athletes First, Winning Second”…2013」
(“スポーツコーチング学”から一部抜粋編集)
スポーツの指導者は、指導やスポーツそのものの目的だけではなく、
自分自身が指導することに何を望んでいるかを考える必要がある。
『なぜ指導者になりたいのか?』
それは、
『スポーツを通して若者の助けをしたいからか?』
それとも
『生活のため?』
『スポーツについての知識を誇示するため?』
『世間で認められて、名声を得るため?』
『スポーツが好きだから、スポーツに関わっていたいから?』
これらの目的は、指導者自身の個人的目的として、非難されるものではないであろう。
なぜなら、その目的のいくつかを達成したいがために、指導者をやっているのだから、その目的を否定されると指導者を辞めなければならない。
一方で社会的通念として、利己的目的は受け入れ難いものである。
だから指導者は、ときにその個人的目的を否定する。
指導目的として唯一社会的に認められる理由は、“選手を助け、育成する”という利他的なものである…と信じているかもしれない。
もちろん、指導者の目的が利己的なものだけであることは、現実的にはありえないであろう。
利己的な目的と利他的な目的を併せ持っていることがあるべき姿かもしれない。
しかし、“選手の幸福”を犠牲にしない限り、指導者が個人の目的を追求することは、不当なことではない。
ここで考えなくてはならないのは、“選手の幸福”とはなにか?…ということであろう。
例えば指導者の個人的な目的について、次のようなの理由が考えられる。
●好きなスポーツに関わりたいため
●生計のため
●他の仕事に役立てたいから
●権力を持ちたいため
●人が好きなため
●スポーツに恩返しがしたいため
●世の中の認知を得たいため
●名声と権威を得たいため
●楽しみたいため
●知識と技術を示したいため
●自分がよい選手なかったので、良い選手をつくりたいため
●遠征によって旅行がしたいため
●選手が身体的に、精神的に、そして社会的に成長するのを助けたいため
これらの理由について、指導者の自分が自分自身を評価してみて、
自分自身の指導目的と、選手の成長を助ける目的との間に矛盾が存在しないか考えてみよう。
たとえば、世の中に認められることや、権威権力の獲得などが指導の目的の中に少しでも存在しているとする。
そのときには、その目的が“選手の幸福”実現より上位にならないことを意識する必要がある。
特に、熾烈な競争の最中では、選手のことを自分の目的実現のための手段にしか考えられない言動を取り始める。
この危険に対処するために、自分自身を自省するように、よく知り、
“Athletes First, Winning Second”(アスリートファースト ウィニングセカンド)の哲学を心に深く刻み込んでおかなければならない。
「“Athletes First, Winning Second”…2013」
(“スポーツコーチング学”から一部抜粋編集)
スポーツの指導者は、指導やスポーツそのものの目的だけではなく、
自分自身が指導することに何を望んでいるかを考える必要がある。
『なぜ指導者になりたいのか?』
それは、
『スポーツを通して若者の助けをしたいからか?』
それとも
『生活のため?』
『スポーツについての知識を誇示するため?』
『世間で認められて、名声を得るため?』
『スポーツが好きだから、スポーツに関わっていたいから?』
これらの目的は、指導者自身の個人的目的として、非難されるものではないであろう。
なぜなら、その目的のいくつかを達成したいがために、指導者をやっているのだから、その目的を否定されると指導者を辞めなければならない。
一方で社会的通念として、利己的目的は受け入れ難いものである。
だから指導者は、ときにその個人的目的を否定する。
指導目的として唯一社会的に認められる理由は、“選手を助け、育成する”という利他的なものである…と信じているかもしれない。
もちろん、指導者の目的が利己的なものだけであることは、現実的にはありえないであろう。
利己的な目的と利他的な目的を併せ持っていることがあるべき姿かもしれない。
しかし、“選手の幸福”を犠牲にしない限り、指導者が個人の目的を追求することは、不当なことではない。
ここで考えなくてはならないのは、“選手の幸福”とはなにか?…ということであろう。
例えば指導者の個人的な目的について、次のようなの理由が考えられる。
●好きなスポーツに関わりたいため
●生計のため
●他の仕事に役立てたいから
●権力を持ちたいため
●人が好きなため
●スポーツに恩返しがしたいため
●世の中の認知を得たいため
●名声と権威を得たいため
●楽しみたいため
●知識と技術を示したいため
●自分がよい選手なかったので、良い選手をつくりたいため
●遠征によって旅行がしたいため
●選手が身体的に、精神的に、そして社会的に成長するのを助けたいため
これらの理由について、指導者の自分が自分自身を評価してみて、
自分自身の指導目的と、選手の成長を助ける目的との間に矛盾が存在しないか考えてみよう。
たとえば、世の中に認められることや、権威権力の獲得などが指導の目的の中に少しでも存在しているとする。
そのときには、その目的が“選手の幸福”実現より上位にならないことを意識する必要がある。
特に、熾烈な競争の最中では、選手のことを自分の目的実現のための手段にしか考えられない言動を取り始める。
この危険に対処するために、自分自身を自省するように、よく知り、
“Athletes First, Winning Second”(アスリートファースト ウィニングセカンド)の哲学を心に深く刻み込んでおかなければならない。