平成25年4月 1日 月曜日
「自己啓発…2013」
今日から新年度です。
フレッシャーズ達の春です。
『子 曰わく、憤(フン)せざれば啓(ケイ)せず、(ヒ)せざれば発せず、…』
これは論語(述而第七)にある、孔子が弟子達に語った言葉です。
『孔子は言った。
私は、学問に対して奮い立つほどの情熱を持たない者には、教え導くことはしない。
また、わかっていながら、それを口に出せないで、もどかしく思うほど、積極性を示さない者にも、教え導くことはしない。』
「啓発」の言葉はここから生まれたものです。
その意味は…「気付いていないところを教え、より高い認識や理解に導く、そのためには、自ら発憤し、積極的に取り組むことをしなければならない。」
ですから、「自己啓発」は、「自分がまだ気付いていないことに気づき、自らを教え、自らを高みへと導く」こと
人を啓発する、人に啓発される…
「問題意識を持つこと…、
何故?という問いかけを繰り返して、
物事の本質を究めることです。
究めたところに真実があるはずです。
究めるということは、それ以上問いかけることができない真理を知ることだと思います。」
論語のこの啓発の対句に続いて、次の言葉があります。
『一隅(イチグウ)を挙(ア)げて三隅(サングウ)を以て反(カエ)せざれば、則(スナワ)ち復(フタ)たびせざるなり』
…四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えてわかろうとする者でなければ、教える必要はない。
また次の教えも同じ意味です。
『人は二つの教育を持っている。
その一つは他人から受ける教育。
ほかのひとつは、自らが自らに与える教育である。』
自分に向かって問いかけることが大事です。
『教えられていないから出来ないのか?
自ら考えようとしているか?
自ら学ぼうとする意欲はあるか?
学んだことから、さらに何を学ぶのか?
学んだことから、考えることができるだろう。
そこを究めていくのは自分自身の問題ではないのか !?』
まさにそれこそが、自分で自分を啓発すること…“自己啓発”ではないでしょうか。
「自己啓発…2013」
今日から新年度です。
フレッシャーズ達の春です。
『子 曰わく、憤(フン)せざれば啓(ケイ)せず、(ヒ)せざれば発せず、…』
これは論語(述而第七)にある、孔子が弟子達に語った言葉です。
『孔子は言った。
私は、学問に対して奮い立つほどの情熱を持たない者には、教え導くことはしない。
また、わかっていながら、それを口に出せないで、もどかしく思うほど、積極性を示さない者にも、教え導くことはしない。』
「啓発」の言葉はここから生まれたものです。
その意味は…「気付いていないところを教え、より高い認識や理解に導く、そのためには、自ら発憤し、積極的に取り組むことをしなければならない。」
ですから、「自己啓発」は、「自分がまだ気付いていないことに気づき、自らを教え、自らを高みへと導く」こと
人を啓発する、人に啓発される…
「問題意識を持つこと…、
何故?という問いかけを繰り返して、
物事の本質を究めることです。
究めたところに真実があるはずです。
究めるということは、それ以上問いかけることができない真理を知ることだと思います。」
論語のこの啓発の対句に続いて、次の言葉があります。
『一隅(イチグウ)を挙(ア)げて三隅(サングウ)を以て反(カエ)せざれば、則(スナワ)ち復(フタ)たびせざるなり』
…四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えてわかろうとする者でなければ、教える必要はない。
また次の教えも同じ意味です。
『人は二つの教育を持っている。
その一つは他人から受ける教育。
ほかのひとつは、自らが自らに与える教育である。』
自分に向かって問いかけることが大事です。
『教えられていないから出来ないのか?
自ら考えようとしているか?
自ら学ぼうとする意欲はあるか?
学んだことから、さらに何を学ぶのか?
学んだことから、考えることができるだろう。
そこを究めていくのは自分自身の問題ではないのか !?』
まさにそれこそが、自分で自分を啓発すること…“自己啓発”ではないでしょうか。