「ダーリンの好みの女になります」
新しい教室にも慣れはじめ、ゴールデンウィークが間近に迫ったころのことだった。
葉桜の下にビニールシートを敷き、肩を並べて弁当を広げていたら、ミルファちゃんがいきなりそんなことを言い出したのだ。呆気に取られ、思わず箸でつまんでいた卵焼きを取り落としそうになったが、なんとか堪えた。
えーと。
なんだって?
今のミルファちゃんの言葉は、どういう意味だ?
「あ、ごめんね。はい、あーん」
ぽかんと口を開けた俺の仕草を勘違いしたのか、ミルファちゃんは自分の箸でご飯をひとかけらすくい上げ、こちらに差し出す。
「……いや、これはべつに、食べさせてもらいたいわけではなくてね」
と言いつつ、反射的にぱくり。
いや、だってせっかく差し出してくれたのに食べなかったら勿体ないし。
……なんて咀嚼をしながら心の中で言い訳をしてしまう程度には、俺は『こういうの』に慣れないんだけど。
それとは裏腹に、『こういうの』に対して周囲から生暖かい視線が向けられない程度には、お馴染みの光景だったりするわけで。
「え? 今日のお弁当美味しくなかった?」
「いやいやいや、そうじゃなくて。さっきミルファちゃんが言ったことが気になってさ」
「さっき?」
「ついさっき言ったでしょ。ほら、その、ダーリンの好みが、その、どうとか」
「あ、『ダーリンの好みの女になります』?」
「そうそう。それってどういうこと?」
「言葉どおりだよ。あたしは、今よりも~っとダーリンの好みの女になっちゃうんで~す」
ミルファちゃんは、箸を握った手を自分の顔の前にかざして、可愛らしくウインクをしてみせる。それはそれは本当に可愛らしくて……って、ダメだダメだ。いくら可愛くても誤魔化されたらダメなのだ。ここでちゃんとミルファちゃんの意図を問いただしておかないと、またいらぬトラブルを招きかねない。
「どういうことなのか、もうちょっと詳しく聞かせてもらえるかな?」
「ん? ホントにそのままの意味だよ? ほら、あたしって前に、ダーリンがおっぱい魔神だから胸をおっきくしてもらったでしょ?」
「…………………………ええ、はい」
何故か神妙な受け答えをしてしまう俺。
だって答えにくいじゃん!
事実だから否定できないけど!
肯定するとすっごく負けた気がする!
そんな心中の葛藤になど気づくはずもなく、ミルファちゃんは続ける。
「だからあたしも自分のおっぱいはすごく気に入ってるんだけど、そういえば他の部分についてダーリンの好みを聴いたことないなって」
「他の……部分?」
「そう。お尻とか腰とかふとももとか、あとは髪型とかかな」
ミルファちゃんがそんなことを言うので、無意識のうちに視線が動いてしまった。
――制服の生地に包まれながらも弾力感を隠しきれていないお尻――
――それほど身長が高いわけではないのに出るところは出ていると主張するくびれ――
――短すぎるスカートから覗く健康的なふともも――
「……髪型だけ見なかったね、ダーリン」
バレテルー! デスヨネー!
「ご、ごごごごめん! つい、つい! 出来心で!」
「って、べつに焦らなくてもいいのに。他の子を見てたら嫌だけど、あたしのことだったらいくら見ても構わないよ?」
でも女の子は視線に敏感だから気をつけてね、とありがたい忠告まで受けてしまった。
反省しよう。反省しろ俺。
閑話休題。
「というわけでね、この際ダーリンの好みを知り尽くして、それでその好みに合わせちゃおうかな~って思ったんだ」
「……はあ、なるほど」
それで冒頭の台詞に繋がるワケか。深……くもないな。うん。
珊瑚ちゃんの誤解(強調)が原因とはいえ、俺の好みに合わせて自分のスタイルまで変えてしまうミルファちゃんのことだ。
一般的に考えれば唐突な発想でも、それほど突飛には感じない。
しかし、そうは言っても、どこまでも本気なミルファちゃんに対する返答だからな。
しっかりと俺の気持ちを伝えなければならないだろう。
軽口でおかしなことを言ったら、それを本当に真に受けてとんでもないことになりそうだし。
「あのさ、ミルファちゃん。俺は今のま――」
「あ、ちなみに、男の人が言う『今のままの君でいいよ』っていうのは一番信用しちゃいけないってお姉ちゃんが言ってた」
「……」
イルファさぁん……。
耳年増が悪いとは言わないけどさあ……。
情報ソースが偏りすぎだと思うんだよ……。
「ね、ダーリン。なんでもいいんだよ? スタイルもそうだけど、他にもっとこうして欲しいとか、こうなって欲しいとかない?」
「……いや、でも真面目な話、俺はこれ以上ミルファちゃんにこうなって欲しいとかっていうのはないよ」
「ホントに?」
「うん。だってさ――」
今だって十分すぎるくらいに尽くしてもらって、罰が当たってもおかしくないくらいだってのに。
これ以上なにか要求したら、本気で天罰がくだるに違いない。
「――俺はミルファちゃんが最高の女のコだと思ってるし、」
すう、と息を吸い込む。
……せいぜい歯が浮かないことを祈ろう。
「俺にとっては理想の基準がミルファちゃんになっちゃってるから、今さらそんなこと聞かれても困るよ」
「ダーリン……」
ミルファちゃんの顔が、昼の日射しを受けたのとはべつの理由で、赤く染まっていく。
おそらく俺も同じように顔を赤くしているはずで――
やっぱり、歯が浮かないわけにはいかなかったけど。
それでも、俺たちはどちらからともなく笑みを浮かべて、二人して笑い合った。
俺たちの春の日は、こんなふうにして、ゆっくりとゆっくりと初夏へ移ろってゆく。
後日談というか、今回のオチ。
来栖川エレクトロニクスの研究所に、髪型とスタイルを変えて欲しいと要求するメイドロボが二人ほど現れたとか。
型番はHMX-17xだったとか。
その要求は、見分けがつかなくなるからという理由で却下されたとか。
そんな噂が、
あったとか、ないとか。
END
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます