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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

東京・神奈川の紅葉スポット 2(旧古河庭園)

2015-10-16 06:19:06 | 日記
他の方の投稿を拝見して思い出しましたが、旧古河庭園も穴場スポットですね。

私のお薦めは次の6箇所[添付した写真は2014/11/22撮影]

・バラ庭園からの眺め

・見晴台からの眺め

・大滝
 

・ツツジ園
 

・池の「大灯篭」付近からの眺め
 

・茶室(敷地に入るのには別料金が必要。回廊になっている道から眺めても楽しめます)
  

東京・神奈川の紅葉スポット 1(高尾山)

2015-10-15 12:25:29 | 日記
お題に参加します。

人に教えられる程に紅葉スポットを巡っては居りませんが、高尾山山麓(清滝口)から陣馬山山頂にかけてのコースは綺麗ですよ。
☆1~8に付けた写真は2013年11月下旬に撮影。9以降に付けたのは2014年11月下旬に撮影

1 高尾山山麓の清滝口[ケーブルカーやリフトの乗り場]
  

2 霞台園地(11丁目茶屋)
 

3 サル園付近
 

4 高尾山山頂手前
 

5 山頂の先にある『6差路』(奥高尾の碑)
 

6 もみじ台
 

7 一丁平や小仏城山
 

8 景信山[カゲノブヤマ]
 
【これはオマケ】
 朝の8時ごろに、山頂からの風景です。
 
 


チョット先まで飛んで

9 明王峠
 

10 陣馬山手前





 

震災の時ですね

2015-10-05 12:22:12 | 日記
未だ長期入院も手術(足を7針縫ったことはあるけれど)も経験が無いので、生命保険や医療保険の有難みを感じたことはありません。

でも、東日本大震災の時には、生保の担当者が勧めてきた「火災保険(地震保険付き)」に入っていてよかったと思いましたよ。

我が家は壁にヒビが入っただけですが、隙間から日が差し込んできていたのでM井S友海上火災に電話を入れたら、すぐに家まで来てくれて『一応、被害状況の撮影いたしますが、大災害時と言うことで即時裁定が行われます』と説明があり、数日後には保険金が振り込まれていました

そのお金を使って家の外壁を補強できました。

LINEですか・・・

2015-10-05 08:23:46 | 日記
会社からスマホを支給された時、当時の社長が「LINEを使って連絡を入れてください」とおっしゃるので、私は使っていますよ。

でも、未だに「好きなソフトは勝手にダウンロード(管理部署が異なるので指導できない)」するのに『LINE』はダウンロードせずに『ガラケー時代から愛用しているドコモのSPメール[SMSやGメールの使い方は理解していない]で十分』と反抗している勢力が4割です。

今月も電気代が

2015-09-16 08:02:34 | 日記
8月分の1,995円よりましですが、9月分は1,981円[76kwh]という結果となってしまいました。

他の方から見れば『その程度で***』と思われてしまう我が家の電気代かもしれませんが、無駄なく使って低額に抑えたいです。出来れば1700円台に抑えたい。

やはり、帰宅後に見ているテレビが原因なのかな?
 ・以前はテレビを見ていない時(入浴中、炊事中など)にはプラグをコンセントから抜いていましたが、最近はつけっぱなしで炊事をしたり、スイッチを切るだけでコンセントから抜いていないことがある。
 ・入浴後、横になってテレビを見ていると、つい、うたた寝をしてしまい、気づいたら午前1時だとかということがある。


それと、秋になってきたのに未だに扇風機を掛けているのも原因なんだろうな~

災害お見舞い申し上げます

2015-09-14 13:10:22 | 日記
ここのところ「桜島の噴火」「台風による浸水」「竜巻による家屋崩壊」「異常な雨による堤防決壊と家屋流出」などと続いて、土曜日には関東地方を震度5の地震が襲い、今日は阿蘇山が噴火。

私は「家の屋根が台風等で飛んだ」という経験しかしておりませんので、皆様方を勇気づける言葉を持ち合わせておりませんが、被災した方々へお見舞い申し上げるとともに、家族を亡くされた方々へお悔やみ申し上げます。

職質

2015-08-14 03:05:49 | 日記
今日は自宅の墓参りをする日。
亡き母の教え「日が登る前(夜が明ける前)、早くにお参り」に従い午前2時に準備を始めて、自転車で町内にある共有墓地に向かっていたら・・・私を追い抜いたパトカーが停止して、職質をしてきた。

自転車に乗っていて職質を受けるのは此れで三回目だけど、花束と線香を前かごに積んで居るのに「どちらに行かれるのですか?」『墓参りですが?』「えっ、今からですか?夜ですよ‼」は、無いわな~。
場所が違えば風習が異なるし、親戚が管理している墓に行くのは日中が多いのだろうけれど、墓場(100mほど先)には、すでに車が数台停まっており、ヘッドランプで墓地を照らしている。
私を職質するなら、あの人達の方が先では?

盆扶持

2015-08-07 13:21:32 | 日記
数日前にポストに案内が入っていたので軽く読んで見ると「8/3~7までに寺へ行って盆扶持4千円を納めて下さい」と書いてあった。

指定された期間は平日だし、時間も不明なので、しらばっくれる事にしていたのだけど・・・今朝、改めてよく読むと、最後の方に印刷が滲んで字が汚ないくなっているが『7日の13時から16時まで寺総代が詰めているから、払いに来てください』と書いてあるのに気付いてしまった。

其処で、一旦、会社に行って、何人かに「早退したいけれど、支障はない?」と訪ね回り、どうにか13時30分頃に早退。

今、電車のなかでこれを書いているけれど、16時迄に着けるかな?
案内を読み間違っていたなんてオチは勘弁して欲しいなぁ~

掌せき嚢胞症!!

2015-08-07 06:23:04 | 日記
数週間前から左掌に痒みを伴う発疹が幾つか出来ていたので「もしや⁉」と思ってはいたのですが・・・発疹していた場所が固くなってから皮膚科に行ったところ、予想が当たって『掌せき嚢胞症』と診断されました。

診察券の発行日を見ると平成23年7月になっていますから、4年ぶりの発症です。

このまま症状が進むと、赤ギレみたいにパックリと割れて痛いし、患部の皮膚が白くなって剥けた頃に新たな嚢胞が出来てくるし・・・上手く治って欲しい。


脳ドックの結果は?

2015-06-12 05:57:35 | 日記
先週の土曜、1年ぶりの 脳ドックをメディカルスキャニング東京(日本橋駅近く)で 受けて来ました。

今年は一番早い8:30からの受診だったせいか?「受付⇒問診⇒撮影⇒画像受け取り」の一連の流れが早く、30分も要しませんでしたよ♪

で、昨夜、報告書が郵送で届いていましたので、今開封して読んでいます・・・今年も異常なしでした。

1回4万円なので、それでリフレッシュ(小旅行)するか悩みますが、「気付かないだけで脳梗塞になっているのでは?」という不安を払しょく出来てよかったです。

家系図(その2) 『よね』叔母

2015-05-24 16:24:21 | 日記
会った記憶は勿論、その存在もチャンとは聞いた事がないと思うが、母方の改製原戸籍に『よね』という叔母が登場する。

この『よね』に関する戸籍記載事項を読み解いていたら、波瀾万丈な人生を想像してしまいました。

以下、私の勝手な想像を交えた『よね』の半生を書きます。
  ☆年月日は実際の記載通りですが、一部は届け出の日付になります☆
  ★住所・氏・名の一部は実際の記載の通りです★
〇明治28(西暦1895)年1月6日【零歳】
 現在の千葉県習志野市谷津付近に住む戸主「椎名治平衛」と妻「わか」との間の二女として誕生する。

〇明治30(西暦1897)年【二歳】
 ・11月9日 家計が苦しく口減らしの為に、近くに住む戸主「織田倫太郎」と「ふみ」の養女に出される。改製原戸籍には、後に織田家の戸主となる「織田おりよ」の『妹』として続柄が記載される。

〇大正5(西暦1916)年【二十一歳】
 ・戸主「織田倫太郎」死亡。姉の「おりよ」が新たな戸主となる。

〇大正7(西暦1918)年【二十三歳】
 ・「おりよ」が2人目の婿養子「慶次郎」を迎える。

〇年月不明
 ・織田家へ「芋がら」を卸しに来る『茨城県真壁郡大田村大字西方1373番地』に在をもつ農家「佐藤家」の「巳之助」が気になる。
   ⇒母に聞いたところ、織田家では色々な物(芋がら、炭、ガラス板、鮮魚、ブリキ玩具)の卸店みたいなことを行っていた。後の出来事から「芋がら」が適切だと思った次第です。
 
〇大正10(西暦1921)年【二十六歳】
 ・ナニをしてお月様が来なくなってしまった事がバレる。問い詰められ、頬を赤らめて畳に『の』の字を書きながら「巳之助さん」と呟く
 ・「慶次郎」に問い質された「巳之助」は「よね」との事を認める。
 ・分籍せずに横浜に居を構えた
 ・12月24日 この頃の習わしで、当人の戸籍に生きている両親を載せるために、「慶次郎」と「おりよ」の養女となる。
  ⇒私から見て「曾祖母の娘」(大叔母)が「祖父母の娘」(叔母)になってしまった。

〇大正11(西暦1922)年【二十七歳】
 ・1月14日 お腹の仔の父親である「巳之助」を婿養子に迎え婚姻の届け出をする。
 ・1月27日 横浜市神奈川区新町で長女「ソヨ」を出産
 ・4月11日 東京都杉並区高円寺の病院で「ソヨ」が死亡

〇大正12(西暦1923)年【二十八歳】
 ・2月13日 姪「きよみ」(五歳)を養女に迎える。
   ⇒「きよみ」は名古屋市中区南辰巳町の池田家に嫁いだ「とよ」【「とよ」は「倫太郎」の三女なので、戸籍上の妹。同時に、養母「おりよ」の妹なので伯母に当たる】の長女

〇大正14(西暦1925)年【三十歳/きよみ七歳】
 ・養母であり、姉でもある「おりよ」が死亡

〇大正15(西暦1926)年【三十一歳/きよみ八歳】
 ・8月18日 夫「巳之助」が死亡

〇昭和3(西暦1928)年【三十三歳/きよみ十一歳】
 ・7月6日 織田家の近くに転居し分家として届け出て戸主となる。
  ⇒手元の改製原戸籍ではこの事を以て「よね」と「きよみ」は『除籍』となっている。
 ・10月29日 最初の養母「ふみ」を自分の戸籍に入れる。

以降の事は不明です。

家系図を作成してみよ~っと

2015-05-22 21:08:59 | 日記
数日前、銀行の担当者から「司法書士の先生から不動産の登記が済んだとの連絡が入りました。21日に書類をお渡しいたしますので銀行の〇〇階までご来店願えませんか」との案内が有った。

言われた時刻に訪れ、登記が済んだ土地および建物の権利書を受け取る。
その際、『改製原戸籍』等も帰ってきたので、司法書士の先生の勧めもあり、今回入手した改製原戸籍から読み取れる範囲内で家系図モドキを作ることにしました。

今、母の系統を読み解いていますが・・・母から聞いたあやふやな話が実際にはどうだったのかが推測できて面白い。

例えば、母がしてくれた話しによると・・・祖父と祖母は再婚同士。それぞれに連れ子がいて、A伯父さんは祖父の子供、B伯母さんは祖母の子供[話してくれる時によっては、両名の間に生まれた子供]。

〔改製原戸籍からの読み取れる歴史〕
 えぇ~と・・・どこから書けばいいのかな?
   ☆読んでいれば判りますが、家名[氏]は仮称です☆
   ★名の方も変更しました(2015/5/24)★
 ・明治三七年
   織田家『倫太郎』の長女『おりよ』は「家女」なので、武田家の『寅吉』を婿養子に迎え、婚姻した。
 ・明治四五年
   だが、何かあったようで、『寅吉』と養子離縁・離婚している。
   尚、この戸籍には2人の間に出来たとする子の記載が無かった事から、種無しの婿さんを追い出したのかもしれない。
 ・大正五年
   『おりよ』は、前戸主である『倫太郎』が死亡したことで、戸主となる
 ・大正七年
   戸主『おりよ』は、前田家『利家』の三男『慶次郎』を婿養子に迎え、婚姻した。
   婚姻と同時に戸主は『慶次郎』に変更されている
 ・大正十年
   戸主『慶次郎』と『おりよ』は、『おりよ』の妹『よね』を二人の養女として届け出ている。
    ⇒尚『よね』についても面白いことが分かったので、日を改めて書くつもりです
 ・大正十四年
   『おりよ』が死亡。
 ・昭和二年
   戸主『慶次郎』は近所に住む日野家『橋蔵』の妹『たえ』と結婚した。
   尚、『たえ』には大正九年に生まれた男児Aと大正十二年に生まれた女児Bがおり、婚姻の翌月に戸主『慶次郎』の戸籍に入籍。両名の父の欄は空白であり、「原戸籍から情報が読み取れなかったから云々」の文言は記されていない。
   
つまり
(1)私の祖父「慶次郎」と、私の祖母である「たえ」とは再婚同士であることはホホ確実。
 ⇒婿養子の「慶次郎」は、家女であった「おりよ」が死亡したので再婚した。
 ⇒「たえ」は二人の子を連れて結婚しているから、再婚と思われる。
(2)だけど連れ子については、母の話しは間違いだとおもう。
 ⇒A伯父も、B伯母も、祖母の連れ子である
 ⇒祖父が近所に住んでいた祖母との間に作った子供だとすると、「おりよ」は生存中のなので、祖母は「お妾さん」?

  今生きている叔母にそんなこと尋ねたら烈火のごとく怒られてしまうから聞けません。

扶養家族(ネコ)が

2015-04-27 08:07:29 | 日記
 母が死んでから唯一の扶養家族となってくれていた猫が多分死んだ。

 いつもは、玄関先で餌を待っているのに、今日は居ない。
 偶にそういう事もあるから気にはしていなかったが、私のいない間に周って来て餌が無いと可哀想なので、玄関先に餌を置いて出社。

 だけど、表通りに出たら・・・道路の真ん中に自動車に轢かれた猫が1匹死んでいる。
 チャンとは確認していないが、大きさと柄からして多分我が家に居候していた最後の猫だろう。