介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

家系図を作成してみよ~っと

2015-05-22 21:08:59 | 日記
数日前、銀行の担当者から「司法書士の先生から不動産の登記が済んだとの連絡が入りました。21日に書類をお渡しいたしますので銀行の〇〇階までご来店願えませんか」との案内が有った。

言われた時刻に訪れ、登記が済んだ土地および建物の権利書を受け取る。
その際、『改製原戸籍』等も帰ってきたので、司法書士の先生の勧めもあり、今回入手した改製原戸籍から読み取れる範囲内で家系図モドキを作ることにしました。

今、母の系統を読み解いていますが・・・母から聞いたあやふやな話が実際にはどうだったのかが推測できて面白い。

例えば、母がしてくれた話しによると・・・祖父と祖母は再婚同士。それぞれに連れ子がいて、A伯父さんは祖父の子供、B伯母さんは祖母の子供[話してくれる時によっては、両名の間に生まれた子供]。

〔改製原戸籍からの読み取れる歴史〕
 えぇ~と・・・どこから書けばいいのかな?
   ☆読んでいれば判りますが、家名[氏]は仮称です☆
   ★名の方も変更しました(2015/5/24)★
 ・明治三七年
   織田家『倫太郎』の長女『おりよ』は「家女」なので、武田家の『寅吉』を婿養子に迎え、婚姻した。
 ・明治四五年
   だが、何かあったようで、『寅吉』と養子離縁・離婚している。
   尚、この戸籍には2人の間に出来たとする子の記載が無かった事から、種無しの婿さんを追い出したのかもしれない。
 ・大正五年
   『おりよ』は、前戸主である『倫太郎』が死亡したことで、戸主となる
 ・大正七年
   戸主『おりよ』は、前田家『利家』の三男『慶次郎』を婿養子に迎え、婚姻した。
   婚姻と同時に戸主は『慶次郎』に変更されている
 ・大正十年
   戸主『慶次郎』と『おりよ』は、『おりよ』の妹『よね』を二人の養女として届け出ている。
    ⇒尚『よね』についても面白いことが分かったので、日を改めて書くつもりです
 ・大正十四年
   『おりよ』が死亡。
 ・昭和二年
   戸主『慶次郎』は近所に住む日野家『橋蔵』の妹『たえ』と結婚した。
   尚、『たえ』には大正九年に生まれた男児Aと大正十二年に生まれた女児Bがおり、婚姻の翌月に戸主『慶次郎』の戸籍に入籍。両名の父の欄は空白であり、「原戸籍から情報が読み取れなかったから云々」の文言は記されていない。
   
つまり
(1)私の祖父「慶次郎」と、私の祖母である「たえ」とは再婚同士であることはホホ確実。
 ⇒婿養子の「慶次郎」は、家女であった「おりよ」が死亡したので再婚した。
 ⇒「たえ」は二人の子を連れて結婚しているから、再婚と思われる。
(2)だけど連れ子については、母の話しは間違いだとおもう。
 ⇒A伯父も、B伯母も、祖母の連れ子である
 ⇒祖父が近所に住んでいた祖母との間に作った子供だとすると、「おりよ」は生存中のなので、祖母は「お妾さん」?

  今生きている叔母にそんなこと尋ねたら烈火のごとく怒られてしまうから聞けません。


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