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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母が色々と

2012-03-21 18:37:31 | 日記
この間の救急車コール以降、母の調子が悪く、先週および昨日は父のところへは行きませんでした。

まず母の調子ですが、次のような状態です。
 ・顔のむくみ
 ・水分の補給を体が受け付けない
 ・空腹は感じているが食欲がない
 ・低体温症?
 ・自力で体を支えられないことが多い

それぞれを状況説明すると
「顔のむくみ」
 ホホ及び目蓋(上下・左右)にむくみが認められ、以前と同じく視野を狭めている。時として右目は目蓋のむくみで塞がる。
 その結果、列記した他の状態が多少好くなったり必要に駆られて料理等を行っても、まともに出来ない。
「水分補給の拒絶」
 これまでも書きましたが、就寝中に喉の渇きを抑えるために、枕元にペットボトル(500ml)を置いており、これまでは1晩で1本飲みきっておりました。
 しかし、現在はどのような体制で飲もうと、胃が受け付けないのか直ぐに戻してしまい、トイレへ直行。色々と心配なので16日(金)~18日(日)の3日間は布団を並べて寝ていましたが、大凡30分毎に水分摂取してはトイレに行っておりました。
 また、最近は自家製の紅茶をやめて三ツ矢サイダーを飲むようになったことをこれまでに書きましたが、多少の効果はありますが、大きな違いはありません。母も違うものであればどうにか飲めるのでは無いかと思ったようで、『別の飲み物を買ってきて』というので、2週間前からスーパーやコンビニをいくつも回って「三ツ矢サイダー まる搾りオレンヂ」「白い三ツ矢サイダー」「三ツ矢サイダー オールゼロ」「ファンタ グレープ」「ジンジャーエール」「カルピスウォーター」等々を買ってきたのですが・・・50歩100歩。他にもパック入りのジュース(200ml)が安売りしていたので5種類購入したのですが、2口3口飲んだら『もう飲めない』と言って、私が後片付け。食欲やむくみのことを私なりに考えて、点滴と同じような成分であれば胃での吸収がよくなったり、利尿効果が増すのではないかと思いで「ポカリスエット」と「DAKARA」を18日と19日に枕元に置いといたのですが、一番効果が無かったです。
 結局、「三ツ矢サイダー」と「三ツ矢サイダー まる搾りオレンヂ」が僅かですが他の飲み物よりも多く飲めるので、今日はその2種類を買ってくるように言われております。

※ちょっと私が気分悪くなってきたので、一旦ここで終わらせて、続きは後日※

当たるも八卦ですね。

2012-03-13 17:37:29 | 日記
チョトとした気の迷いで、『占いサイト』の無料占いをやってしまいました。

表示された結果(一部)をコピペすると

※飾り気のない、率直な人柄だが、いつも緊張しているように見える。
※強気な態度で、自己過信におちいることも多い。
※周りの人に従うことが嫌いで、何ごとにも自説を貫いて妥協せず真っ直ぐに突き進むため、他人と衝突することも多い。
※また、周りから憐れみや同情を受けることを一切期待しない、意地の持ち主でもある。
※豊かな才能で仕事一途に励む、一匹狼的な人である。
※努力家で、仕事には抜群の能率を上げるが、周囲と協調していこうということに無関心なため、チームワークの面では難点がある。
※独立的な職種が望ましいが、組織の中でも、強い統率力を発揮できる。
※芸術的な感性にはやや弱く、官僚型の組織に向いている。

社会に出て多少揉みくちゃにされるまでは我が強く、他人に頼るよりも自分で解決しようとして状況を更に悪くする事が多かったので、当たっているのかな~と思ってしまう部分もありますが・・・チョット違うような気もします。

所詮は無料サービス。
入力した個人データは生年月日だけですから、それ程核心を突けるものではないというのは、分かってはいたけれど【注】、つい、遊んでしまいました。

【注】
20代前半までは占い関係の本を読むのが好きで、「四柱推命」や「気学推命」のそれなりに厚い本を買っておりました。
しかし、私には向いていなかったようで、同じ生年月日の人間に対して個々に異なる占い結果を出す事ができず、いつのまにか止めてしまいました。
因みに最後に本で勉強した占いは『宿曜占星術』で、私は「斗宿」

母 チョット寝込む

2012-03-12 13:11:53 | 日記
先週の土・日は、母の調子が良くないので父の所へは行きませんでした。

3/10(土)
 終日、雨だったせいもありますが、母がまともに食事を取らないので、父の所へは行きませんでした。
 朝6:30頃に母屋へ入ると、母が何かボソボソ呟いている。近付いて話を聞くと「頭の芯が痛くって、気持ちが悪い。ご飯は要らないから一人でたべろ」と言う事でした。 無理に食べさせる手立て知らないので、いつもの様に洗濯機を回した後、一人で朝食を済ませる。
 洗濯物を部屋の中に干したり、色々としているうちに10時になってしまった。チョット一息と思って居間に敷いてある昼寝布団に横になると、再びボソボソが聞こえてくる。再度、母の枕元に行くと、今度は「オカユを作れば食べてあげる」と上から目線の指示。それではと言う事で、ワザと(意地悪ではなく気を使って)味の付いていないオカユを茶碗1杯分程度作る。
 念のために『オカユは何処で食べるの?枕元に持って来ようか?』と尋ねると、起きてテーブルで食べるとの返事なので、テーブルにオカユを入れた茶碗と置き、味調整用も兼ねて「漬物」「シラス干し」「のりの佃煮」を用意。用意が出来たと声を掛けると、母はヨタヨタしながらもテーブルに着き、「オカズは要らないのに」といいながら目の前に置かれたオカユを一口食べて「味が無い」とのクレーム。『塩気をつけてしまうとダメだから、そのために用意したオカズだよ。薄く伸ばしたコンソメスープで味付けした方が良かった?』と問うと、食塩をホンの一掴み振って欲しいというので、台所から食塩を持ってきて、目の前で量を確認させてからオカユに振り掛けると、気持ちが悪いといっていた病人にしては割と早めに食べ終わる。未だ鍋にはオカユが少し残っているので、お代わりを勧めたが「要らない」といわれたので、ネコの餌に(お米を粗末にしている訳ではないから神様の罰は当たらないと思うけれど・・・)。先ずは、数メートル歩けく程度には体力は残っているようなので一安心。
 昼食は、私がうたた寝していたせいで13:30頃。切り餅を焼くから道具を持ってきてと言うので、食欲が出てきたのかと期待したら、私に食べさせる為だけに餅を焼き始めました。10時にオカユを食べたのでお腹が空いていないとのこと。
 15時頃になると3度目のボソボソが始まったので耳を近づけると、「ホットケーキを焼いてあげる。1袋でも2袋でも良いから、粉を溶いて。粉はコンロ台の下に入れてある。」と、またもや上から目線の指示。とりあえず1袋だけ溶いて母に声を掛けると、起き上がり、台所でホットケーキを焼き始める。要は、これが母の昼飯代わり。
 夕方になると、多少は具合が良くなったのか、夕食の準備をするという。待っていたら、鍋一杯の熱々のオカユ(お茶漬けで味付け)。私、猫舌なもので『子供の頃から熱いオカユは食べずに、あったかいご飯に水を掛けて食べてるでしょう』と文句を言って、盛られたオカユを約30分放置した後に一口食べたら、食道と胃が焼ける様に熱かったので、更に20分放置して茶碗1杯のオカユを片付ける。鍋にはどう見ても茶碗3杯分が残っているので、『何でこんなにいっぱい作ったの?』と問うと、「(私が)おかわりするとおもったから」との返事。私は余程の事が無い限り、どんな器(カレー皿、ドンブリ、茶碗)であろうとも盛られたご飯は1膳しか食べないので、またもやネコの餌。

3/11(日)
 昨日とは打って変わって晴天でしたが、未だ母の調子が良くないので、父の所へは行きませんでした。
 目覚しをかけていないのに、昨日と同じ6:30頃に母屋へ。
 最近の朝の定例作業[仏壇の水を取り替える。洗濯機を回す。居候猫達にエサを与える。居間に昼寝用布団を敷く。居間のストーブに火をつける]を終えるとまたもやボソボソ言っているので、枕元に近付くと「味噌汁に卵を落として暖めておけ」と、今日は命令口調。言われたとおりにして、ご飯の用意が出来た事を言ったら「食べない」の一言。じゃ~味噌汁に落とした卵は何なのと聞くと、私が食べる分だとの返事。自分で食べるオカズは自分で作るから心配しなくても良いと言って、一緒に朝食を食べようと催促すると、渋々起き上がって、「お椀にご飯を少し盛って、みそ汁の汁だけ掛けたもの」を要求。
 10時頃、「懐中電灯の豆電球がおかしいから、電器屋に連れて行って欲しい。お父さんの所には寄らない」というので、いつものスーパーから200m程度先にある電器屋へ。懐中電灯はスイッチの接触が悪い為ではないかと言う事で、新しいのをそこで購入。購入後、何の気なしにそこの奥さんと色々と世間話が始まり、「具合が悪いのだったら、子供の心配するよりも、自分の体を治さないと」と、母は諭されてしまいました。
 その後、いつものスーパーに寄ってというので、スーパーでソコソコ買い物をして家に戻ると12:30。
 16:00頃になって私が番組表を確認した所、17:00からの再放送は放映されるが、19:00からの放送は東日本大震災1周年の特番で潰れている事が判明。母にそのことを伝えたら途端に不機嫌に。体調が悪い時だから、余計に見たかったのだと思うと、不謹慎ながら震災特番なんか不要と思えてしまいました。
 夕食は昨日と同じでオカユ。今度はよく冷ましたからと言うので一口食べたら、作った本人も認めるほどにメチャクチャ味が濃い。またもや変な料理シリーズが始まるのか!始まればブログに書く話題が増えはするけれど、身の危険がある。

母 パニック?

2012-03-08 12:25:19 | 日記
今日の4時チョット前に、茨城県を震源とする地震があったようですね。
丁度そのとき、私は母屋へ向かって歩いている途中でしたので、そのせいで気づかなかったのかもしれませが、母屋に入ると、母が荒い呼吸をしながら何か呟いております。
ビックリして枕元に駆け寄ると「さっきの大きな地震で、心臓がバクバクし始めた。苦しくって起き上がれない。」との事。
私は地震に気付かなかったので、それ程揺れてはいないだろうと思いながらテレビをつけてみると、震度1を記録した場所にも載っていない。
そこで、『茨城県で地震だって。ここは載っていないけれど、隣の○○市は震度1だよ。震度1は静かに寝ている人が気付く程度だから、実際にはそれ程揺れていないよ』と情報を伝えたら、頭では納得したようです。しかし、心臓の鼓動が元に戻ったといって起き上がってトイレに行ったのは5時30分ごろでしたので、パニックは早々には治まらなかったようです。

今回の地震に限らず、どうも次のようなときにパニック状態になって脈拍が上昇するようです。
 ・当人が起き上がろうと頭で考え、想定した程度の遅延の範囲内で体の方がそれに従って動かない。
 ・傍から見て危ないからと言って体を抱えられる
 ・急に体を引き寄せられる。若しくは、急に体を動かされる。

脈拍が上昇して苦しいと言っている時にどうすれば良いのかが判らず、困って居ります。
やはり「見守り」しかないのでしょうか?

相変らず 介護していません

2012-03-05 12:49:34 | 日記
土曜日に、久しぶりに父の所へ行きました。

10時チョット前に地区の回覧板が廻ってきたのを切っ掛けにして、昼寝布団で横になっている母に出かけようと声を掛けると、しんどそうに体を起こしながらも着替えを開始。
施設に着いたのが10:23
手を消毒して、使い捨てマスクを着用し、2階へ上がる為にエレベーターのボタンを押したけれど、反応ナシ。
1ヶ月ぶりなので忘れておりました。エレベーターは暗証番号が必要です。
暗証番号は誰でも思い出せる九九の一つになって居ります(例えば2918[ニ・ク・ジュウハチ])ので、入力用ボックスのフタを開けて暗証番号を入力。
2階に上がると、母がボソボソ言っているので『何?』と問いかけると、父が何処にいるのか見て来いとの事。
エントランスを過ぎて、部屋へ続く廊下の方を見ると父が日向ぼっこして居ります。
手招きで母を呼び寄せ、二人で父のところへ行くと、父は「今日は遅かったな」と言うだけで、暫く来なかった事は何も言いませんでした。
今回は余り会話が成立しなかったのですが、父の隣で日向ぼっこをしていた方が、すぐ脇にある自室入り口に向かって「あんたいつの間にいたの」と自室内に居る人に方に声を掛けているのに対して、父が「さっきからだよ」「あったけぇ~から、日向ぼっこしているんだ」と返事をしてしまいました。しかし、その方達は父の返事を無視して話が進んでいるので、父はかみ合わない返事を何度も返して居ります。
周りの迷惑にもなるので、父の膝の上に載っているカップについて話を振ると、「お茶(中身はコーヒーです)を返してくる。直ぐそこだから一緒に来い」との事。
食堂に行くのかと思ったら部屋を勘違いしており、職員詰め所の真向かいにあるリハビリ室に入ろうとして居ります。
直前に本人が間違いに気づき、照れ笑い(?)
体調が優れない母を余り歩かせる訳にもいかないし、支えも無しに立っているのも気になるから、いつもの様に「用がなければ帰るよ」と言うと、多少不服そうでしたが「帰れ」と言ってくれたので、10:40頃に施設を後にしました。

その後、いつものスーパーで買い物をしたのですが、持参した袋のキャパを超えた量をカートに入れながら「自転車に載るかしら」と言う物だから、『スーパーの前で待っていてくれるならば、2回でも3回でも分けて運ぶよ』と返事したのですが、どうしても1回で運んで欲しいようで、ワザワザ、レジで買い物袋を購入[最近増えてきた、『袋は有料です』と言う制度]。
自宅に戻ったのが11:30頃でした。

何故か、ある事件の影響が

2012-03-02 12:11:24 | 日記
今回は介護とは無関係です。

先程、私の勤める会社の顧問税理士事務所のHPを見たら、当社の担当税理士の名前は載っているが、共同代表社員であった大先生の名前が消えています。
『あれっ?何があったの!』と思い、大先生のフルネームでネット検索すると、同姓同名の方の紹介等に混じって多少攻撃的[注]なブログを発見。それを信じれば、最近発生した某事件に絡んで代表社員から降りて居りたとの事。
早速、経営陣に話しましたが『特段の問題なし』と言う事で、顧問税理士契約は継続いたします。
[注]それが信条だとHPで宣言しています。


大先生へ。
 私がこれまでに出会った公認会計士は両手に満たないのですが、大先生は信用できると私が心許せた唯一の方です。先生がこれまでに私に行ってくれた指導やアドバイスに感謝して居ります。
 この文章が大先生の目に留まるとは思いませんが・・・・気の利かない私のことだから、いつもの様にお茶の一杯しか出さないと思いますが、もしも疲れたときには当社に遊びに来て下さい。


介護しませんでした

2012-03-01 15:26:23 | 日記
先週も父の所へ行きませんでした。

2/25(土)
 午前中は・・・6ヶ月前にも同様の事を書きましたが、年2回の実地棚卸日。朝からの雨で倉庫内は凄く寒かったです。
 当日、私と組んだ後輩達[2名]が『あなたが出てくるなんて珍しいですね』と言うので、別のグループの有る人達が実行担当者になるまでは、私と当時の物流部門担当部長の2名で1ヶ月間に亙って、日本全国の倉庫を巡回棚卸をしていたが、現在の責任者[役員]になったら物流と営業の両部門における平社員だけで棚卸をするように変更なった事を語ってあげたらビックリしていましたし、私が参加する前々回(平成23年2月棚卸し)までは相性が悪いのか6時間弱は要していたグループが、前回も今回も実質3時間弱(9時集合、12時チョイ過ぎに終了。途中で小休憩あり)で終了したから、二度ビックリしていました。
 別に大した事はしていませんよ。聞く所によると「数え間違いが無いように3名で現物の数量確認を行い、大凡同じ枚数に3等分された棚卸原票を一斉にめくって、自分の所持する棚卸原票に確認した物と同じ品名(容量とロット番号も確認)の記載があったら記入」という方法だと言うから、私が現物の数量確認を担当し、後輩Aは商品管理コード・容量・ロットの順で印字されている棚卸原票(昔は記入欄が印字されたいるだけの用紙)が記入、後輩Bはチェック済みの棚を記録するという、むかし私が2名で行っていた時の分担に変えただけ。あと挙げれば、コンピューターから出力された棚卸原票は「商品管理コード・容量・ロット」の順であるのに対して、現物は異なるルールで並んでいるから、品名と容量を読み上げた後に、7桁または9桁ある商品管理コードに含まれている分類番号[同コードの上の5桁又は7桁]をソラで言う事【注】で、後輩Aが記入ページを見つけ易くなるようにしてあげた程度の事です。
 今回も早く終ったと言う事で、後輩Aがワザワザ遠まわりして私を自宅近くまで送ってくたお陰で、12:30には家に戻れました。
 母と二人での昼食を済ませた後、雨が上がっているので父のところへ行こうと思いましたが、再び雨が降ると大変だと言って母が動かないので、行かず仕舞い。多分「雨が」は口実で、母は体調が優れなかったのだと思います。
 【注】
 商品管理コードを有る程度ソラで言うという芸当は、私が物流部門に居た時には遅くても3ヶ月程度で習得できるスキルだし、社内のデータ検索はこのコードを知らないと時間が掛かるから他部門でも1年いればイヤでも覚えるので、別に個人的能力ではないのだけどね。
 尤も、20年、30年前のソフトは任意の項目でソートや検索が出来なかったのに比べて、今は自由度が高いから、コード番号なんて番号付与の時にしか気にしていないのかもしれません。

2/26(日)
 10時過ぎに母が「買い物に出かけよう」と言うので自転車の準備をしていると、直ぐ近所に住む従兄(2/16のプログに登場)が来て「選定した枝を捨てる為のトラックを呼んだから、捨てる枝とか木材があったら一緒に積んでもいいよ」と言ってたので、庭先に積んで枯らしている枝を運ぶ事5~6回。その間、母は玄関前に停めた自転車に寄りかかっていた為か「体調が悪くなった」と言い始め、結局、父のところへは寄らずに近所のスーパーへ直行。私一人で出かければ父のところへ寄れたのですが、母は自分で品物を見て色々と買いたかった様で、どうしてもスーパーへ行くと言って、自転車から離れないのだから仕方ないですよね。

脳ドック等 検査結果が届いた

2012-02-23 12:35:29 | 日記
昨日、家に帰ると、メディカルスキャニングから郵便で報告書が届いておりました。

報告書に書かれている内容を簡単に書くと、次のようになっておりました。
 ○頭部
  いずれの画像にても脳内に腫瘍や出血などの病変は認められません。
  梗塞巣などの虚血性変化も見られません。
  脳実質に動脈硬化などによる加齢変化も見られません。
  血管撮影では血管狭窄や動脈瘤、異常血管の増生、血管腔の拡張などは見られません。
  今後も年1回は脳ドック検査を受けられる事をお勧め致します。

 ○頚部
  脊髄頚部に腫瘍や外部からの圧迫などの異常は見られません。
  血管撮影では内頚・外頚動脈、椎骨動脈に血管狭窄や動脈瘤、異常血管の増生、血管腔の拡張などは見られません。

 ○上腹部
  今回受けられた検査は・・と・・です。[なんか長ったらしい名称が書かれていた]
  脂肪肝と右腎臓に小のう胞が見られますが、このまま経過を観察することで十分です。ただし、年に一度、超音波検査あるいは今回のようなMR画像検査で経時的な変化の有無をチェックする事をおすすめいたします。
  胆嚢、総胆管、膵臓脾臓に不正像や病変は見られません。
  軸位および冠状断T2強調像にて主膵管はよく同定でき、内部に腫瘍を示唆する所見は有りません。
  今回の検査をまとめれば、腹部に関しては、生活習慣上特に注意を要する所見はありません。

脂肪肝は20年前から健康診断を受けるたびに言われているので覚悟していましたし、これが肝硬変に繋がっていくのも知っております。
が、右腎臓の小のう胞って何?異常の無かった脳に関してはどんな病気に発展するのかのリーフレットが同封されているのだから、腎臓の方にも同様のリーフレットか、報告書に一言書いて欲しかったですね。

と言う事で、適当な単語を入力してネット検索したら「腎臓のう胞」と言う病名がヒットいたしました。
この病気、「多発性」が悪化すると、腎不全⇒人工透析と言うお決まりのコースを辿るようです・・・私の場合は、のう胞は1つしか見つかっていないし、石灰化と言う単語も出てきていないので、多分、問題無いと思いますし、気に病んでいたらそれが原因で病気になってしまいますから、勝手に『大丈夫』としてしまいます。
でも、1年に1回程度のMRIは心掛けますよ。  
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/205547.html
 http://jin-zo.com/disease/cyst.html
 http://www.tmafoo.com/jinzou-nouhou/

脳ドックの画像[人によっては嫌悪感を抱く画像になっています]

2012-02-21 19:31:36 | 日記
頭部や上腹部の写真なので、嫌悪感を感じると思う方は見ないでくださいね。









メディカルスキャニングから渡されたCDには『脳、頚動脈検査』と『上腹部検査』の画像データが収録いるので、月曜日に会社のPCでプレビューし、マウスのホイールを操作して色々な画像の連続変化を楽しんでいたのですが・・・
私的には、頭部のこんな画像が面白く感じてしまいました。

最初に思ったのがビリケン様。シゲシゲと見るとエイリアン?

[画像についているタグは DWI_B_0]

こちらは、どちらかと言うとタヌキ?

[同じく T1_sg_sag]

どちらにも白い丸が幾つも出ています。
どなたか、これってなんなのかを教えていただけると嬉しいです。

脳ドック等

2012-02-21 12:24:51 | 日記
昨日の続きです。

施設が入っているビルに到着したのは、途中駅で時間つぶしをして時間調整した心算が予約時刻より40分も早い10:40。
「予約表」には「診療予約時間の10分前には来てください」と注意書きはあるので、流石に早すぎたとは思いましたが、外は寒いし、コーヒー等は飲む事は出来ないし、ビルのロビーで所在無げにうろうろしているのもみっともないと言うか、不審人物に見えてしまうので、10:50に受付へ。
受付嬢へ『○○からこちらに予約変更した者です』と言いながら「予約表」を提示すると、すんなり通る。
因みに、このメディカルスキャニングを使うのは今回で3回目[脳ドック、肺CT、今回の脳ドック+α]なのですが、面白い事に、毎回、A地区の施設とB地区の施設との間で予約変更が生じています。
 1回目:2009/12/31受診でB地区を予約したが、予約センターから「誠に申し訳御座いません。その日はB地区の施設は休みなので・・・」と電話が入り、勤務先の1つ先の駅にあるA地区へ変更。
 2回目:2010/5/3(?)受診でA地区を予約。当日、早めに家を出て会社で時間を潰していた際に手書きの「予約表」をみると、予約時間が1:00とも7:00とも読める。確か9:00で予約した筈と予約センターに問合せると、「連絡が取れてよかったです。実は今朝から機械の調子が悪く、別の施設への振り替えをお願いしていた所でした」と言うので、B地区へ変更

受付で渡された問診表に記入し、事務員が受取りに来るのを待たずに受付へ持参。早めに来たので、呼び出しまで時間が有るだろうと、受付前のラウンジで施設のサービスを書いた冊子をペラペラめくっていると、程なく職員の方が私の名前をコールして「お着替え」へ。
前回の脳ドックの時には「下着だけを残して下さい」との案内でしたが、今回は「ポロシャツは脱がなくてもいいです」と言うので、一応、再確認。
検査用のガウンを羽織って検査室前のロビーへ移動すると、先ほどの職員の方が「予約時間より大分早く来られたので、ここで暫く待ってもらう事になります」との事。私が読むような雑誌が無いのでどうしようかな~なんて考えていたら、今度は職員の方が大きめのカップに入った透明な液体(主観で300ml)を持ってきて、「腹部の撮影の際にハッキリ写す為の液体です。一気に飲んでください。飲み終わったコップは椅子に置いといて下さい。」と言うから、確認の為に『一気ですね』といったら、「間を空けずに数回に分けて飲んでも構いません」との返事。迷わず一気に飲み干しました。職員の方は「多少甘いですよ」と言っていましたが、思ったほど甘くは有りません。

液体を飲み終えて『あぁ~まだ待つんだよな~。トイレに行ってはダメと書いてあったけれど大丈夫かな~』と思っていたら、イケメンの男性技師の方が「あっ、飲み終わっていますね」と言われて、私をMRI室-2へ案内。
腹部に毛布を当ててオモシを載せると、固定具が被せられて身動きが取れない。このオモシの位置決めで何度も腰骨を押すのでチョット痛かった。
機械の駆動音(注1)が煩いのでヘッドフォンをあてて、コールボタンを渡され、機械へGO。
脳MRIの時の様にタダ寝ていればよいのかと思ったら、上腹部MRIは胸部X線と同じように息を止めるんですって!
途中からカウントしていませんでしたが、ヘッドフォンから聞こえる指示に従い20秒ほど息を止める事を10回以上は行いました。(息を止めずに撮影する場面もあります)
息を止めるのはそれ程苦ではありませんでしたが、オモシのせいで腹式呼吸が辛い。

腹部が終って再び検査室前のロビーで待っていると、今度は目の前にあるMRI室-1から見目麗しき女性技師の方が出てこられて、頭部MRI。
頭部は2回目ですからサッサと台に乗って、頭をできるだけ奥になるように寝ると、ヘッドフォンをあてて、頭部の固定具(注2)セット、コールボタンと進んで、機械へGO。
所要時間は20分程度との案内がありました。目を瞑った状態で撮影を受けるので、撮影中にチョット寝てしまいました。

頭部MRIが終了し、再び服に着替えて受付前のラウンジに戻ると、12:22だったと思います。
検査開始が予約時間通りに始まったのであれば、着替えを含めて所要時間は約1時間ですね。
メディカルスキャニングの場合『撮影+画像を見ながら医師からの説明』と言うパターンも選択出来ますが、撮影終了から1時間待たされると書いてあるので、今回は選択いたしませんでした。
選択したかどうかに関係なく、画像データの入ったCDはその場でもらえますし(これまでに受けた施設では)、約1週間後には文章による結果報告書が届きます。

その画像データなんですが、昨日何気無く見ていたら面白いシルエットがありました。
色々と余計な文字が一緒に表示されるので、それをを上手く加工し終えたら、ブログにアップしたいと思っています。

(注1)MRIを受けた方は多分同じ感想を持つと思いますが、機械の駆動音は「道路工事中か?」と思うような音です。
(注2)技師の方も「固定具」と言っておりますが、頭部の場合にはマクラのぶんだけ左右に余裕が有ります。顔面との間にも空間があるので、圧迫感は有りません。
 一方、腹部の方はキッチリと押さえつけられてしまいます。

介護もせずにドックへ

2012-02-20 08:26:56 | 日記
先週は父の所へは行きませんでした。父には来れない旨を話して有りますが、憶えているかどうか怪しいです。
又、母の方ですが、木曜日の夜には目蓋の浮腫みは大分引いて、見える様になりましたが、体がフラついて危ないので、父の所へは行きたくないといっております。

さて、私が今回、土曜日に父のところへ行かなかった理由なのですが、メディカルスキャニング[http://www.medicalscanning.net/free/index.html]と言う所で『脳ドック』等を受けてきました。
前回の脳ドックが2009/12/31でしたので、年度で言えば2年ぶりです。画像データはその日にCDで貰えるのですが、結果報告は1週間後に郵便で届くので、それまではドキドキ状態。

でも、行くまでが大変でした。
金曜日の夕方から降り始めた雨が夜には雪に変わったのは知っておりましたが、朝、周りを見たら大した事は無いと思い、受診予約時間から逆算した出発時間[8:30。それでも30分は余裕をみている]に家を出たのですが、先ず、表通りに出た段階で衝突事故が1件発生しており、私が向かうべき方向とは逆になる車線は既に渋滞。
予定していたバスはほぼ時間通りに来たのですが、一緒に乗った客の話だと既に30分遅れ。衝突事故現場真ではノロノロ運転も仕方ないと思っていましたが、現場を過ぎても相変らずのノロノロ運転。
乗車したバス停から2つ目のバス停から乗ってきた客の話では、ずっと先の方で安全の為に片側通行の交通規制を行っており、1回に5~6台しか通れないらしいが、真偽は不明。別系統のバスに乗る心算だったオバサンは暇潰しなのか走行中と言うのに運転手に「バスも時間に遅れたら料金払い戻しなんでしょ。」とか「途中(両系統の共通のバス停)まで只で乗せてよ」と話しかけており危険極まりない。
乗車したバス停から3つ目のバス停を出発した時に携帯電話で時間を見ると、既に乗車してから30分経過(約1.5kmと記憶しているので、平均時速3キロメートル!)。
「歩いた方が早いわね」と呟いている人には『煩いこと言うなら降りてサッサと歩けばいいだろう』との野次が何処からか出てきて、数名が途中下車。
乗車したバス停から4つ目のバス停を過ぎると、私の乗っているバスの路線は交通規制が行われている道路を左折するのですが、曲がった途端に快走し、やっと終点に到着。駅の時計を見たら9:40ですから1時間バスに乗って居りました。

次に到着する電車は9:45の快速。予約した医療機関の最寄り駅までは凡そ1時間掛かるけれど、その駅から医療機関までは徒歩5分。予約時刻は10:20なので、途中の乗り換えで連絡通路等を走ったとしても30分の遅刻が見えている。
他の人も遅れているのではないかと一縷の望みを掛けて予約センターへ30分遅れる事を話すと・・・予約が一杯で、当日だと16時以降で無いと無理との回答。そこで、系列の別施設への変更を依頼すると、運良く11:20が取れました。

途中トラブルもなく、無事変更後の施設に到着いたしましたが、今回は上腹部の撮影を受けるために朝食抜きできているので、空腹は辛かったです。

※一応 つづく 予定※

母 目が塞がる

2012-02-16 14:55:20 | 日記
水分の採り過ぎ(腎機能の低下?)が原因で顔がむくんでいた母ですが・・・
昨日帰宅すると「目が塞がってしまった」と言うので顔を見ると、一昨日の夜はプクッとしていた頬の辺りが多少元に戻った代わりに、まぶたが腫れ上がっておりました[特に右目が酷い]。
これが原因で視力を失うのかどうかは判りませんが、大変な状態だと思い『タクシーを呼んで今から○○病院の救急に行こう』と言った所、先週の救急車騒ぎでいつも以上に気に掛けてくれている直ぐ近所に住む従兄[私から見た場合の続柄]が無理やり病院に連れて行ってくれており、既に受取っている利尿剤で対処する事になったとの事でした。

医者がそういうのだから仕方ないのですが、当人はトイレが間に合わなくなるから、未だに夜は飲みたくないと言っていますので、『改善するのか(治るのか)』が疑問ですし、改善するにしても日数を要すると思います。
それに、今回母を連れて行ってくれた従兄の父親[つまりは私の伯父]は、入院中に医師や看護士の言う事を聞かずに勝手に退院し、心臓に水が溜まって苦しみながら死亡して居りますし・・・
今日も朝4時には一緒に朝食を食べる事ができませんでしたから、私が居ない間に食事を取っているのかはわかりません。
短期でもいいから入院してくれないと、色々と心配でなりません。

自室で寝る様になったのにイライラが収まらず、日中も眠くて仕事が捗らない。
介護状態の両親を嫌がりながらも、心のどこかで心配しているのかな~


最後に関係ない話し
サカリが付いて行方不明だったトラ猫が先週の金曜日に戻ってきました。
未だにフラフラ出歩いていますが、ほぼ毎日、餌を食べに来るので一安心。

母 水ぶくれ状態

2012-02-14 09:10:13 | 日記
 昨日は、会社を18時過ぎに退社したので、割と早く家に帰れました。
 最寄り駅からもコールも10回目で出たので安心していたのですが、家に着いて母の顔を見ると、明らかに浮腫んでいます。
 水分の取りすぎではないかと尋ねると、水分を取ると以前の様に戻してしまうので利尿剤を飲むのを勝手に辞めたと言う怖い返事。でも、この状態になると逆に水分を取っても素直に体に入るから、薬が飲めるとも言って居ります。
 夕食も普通に食べているし、いつぞや見たいにバスタブから出られないと言う事も無く、無事に就寝。でも・・・どうにかして入院させたいよ~

 今朝は、珍しく一緒に食べると言うので、当人の指示で作ったオカズを並べて朝食。でも食べる段になって気づきましたが、前日に当人が用意していた食事前に飲まなければいけないカルシウム剤[1週間に1回。服用後1時間位は横になってはいけないそうです]を飲んでおりません。
 顔の浮腫みは引いて居りませんので、食後に飲む薬1セットを目の前に突きつけましたが、「起きているのがシンドイ。後で飲むから」と言って布団に潜った上、6時には起こすから私も横になれと言うので、洗濯物も干し終わって5時になっていたから、昼寝用布団で横になったのですが・・・やけに早いタイミングで目覚しがなるので、慌ててテレビのスイッチを入れたら5:15。『未だ15分しか経っていないよ!チャンと6時に起こしてよ!』と文句を言うと、何かモゴモゴ言っている。2度寝ならぬ3度寝の後、ふと目を覚まして再びテレビのスイッチを入れると6:00。別に遅刻する事はないけれど慌てて身支度をして、家を出てみたら小雨。傘を取りに戻り、再び玄関を出たら、バス停に向かう途中で定期券入を忘れている事に気づいて再度家に戻る。
 日頃、『気が急いている時には無理してでも深呼吸をしてゆっくりと行動しなさい』と他人には言っているが、言っている本人がこれではどうしようもない。
 今日は「モズク」「サイダー」「薄荷入りの飴」「ひき肉」を頼まれたので、忘れなければ買って帰るつもり。
  

パート2

2012-02-13 17:27:26 | 日記
※土曜日の1時過ぎに救急車が到着し、救急隊員が到着した所から続きます。※

  救急隊員が居間に座っている母の姿を見ると、「この方が緊急患者なのですか?」とやや不信感を含んだ感じで私に問いかけるので、『当たり前だ』と言う言葉を呑んで、『そうです』と答える。救急隊員が「どんな状態ですか?」「胸が締め付けられる感じですか?」「呼吸が辛いと連絡がありましたが、息を吸う時と吐く時のどちらの時が辛いのですか?」の問に、母は全て「息苦しいの」としか返事しない。そんな遣り取りをしている間に他の救急隊員も家に到着したので、母はストレッチャに乗って救急車へ。
  救急車内で、先ほどの自宅居間における母に対する質問が繰返される。聞き取りが一通り済んだので、隊員の一人が診察券を呈示した病院へ連絡を入れたが受け入れ拒否されたのが明らかに判る受け答えをしている。隊員が電話している間に、今度は付添い人の私に対して色々と聞き取り。こちらの主観では、電話で拒否されてから5分後に隊員から「○○病院は受入できないと言って居りますが、他に診療に通っている病院はありますか?」と、間の抜けた問い。他に通っている病院は無く、6年ほど前に隣の市に有る病院に緊急入院した事を言うと「近くの病院から当たりますがよろしいですか?」との確認要求。
 2:10頃
  自宅から最も近い救急病院に電話をしたら受け入れOKとなったので、やっと出発。
 2:20頃
  受け入れ病院に到着。
  医師が母に病状を質問しているが、一から説明しようとしているので余り要領を得た受け答えにはなっていない。ある程度の質問が済んだと思われたので途中からは私が「3日前である水曜日に、○○病院で診察しています。その時には心臓に水が溜まっていると言われましたが、入院の必要は無いといわれて帰ってきました」「2ヶ月前の12月に救急で○○病院に入院。そのときの診断は右足が蜂窩織炎[ホウカシキエン]、心不全、腎不全」「10年以上前に弁置換をしていて・・・確か大動脈弁です。僧帽弁で無い事は確かです」等とフォロー(若しかしたら、逆に邪魔していたのかも?)。
 点滴とCTを看護士に指示して診療終了。
 3:30頃
  CTのデータを含めて色々と準備完了したのか、看護士が当直医に連絡。
  先ほどの当直医が救急処置室に来て、看護士には点滴を外す様に指示をし、私たちには「心臓肥大が見られますね。取り合えず治療はこれで終了です」と言って消え去る。
  わたしは診療費の請求書が渡された事もあり『今回は入院せずに帰れというんだ』と理解したのでが、母は入院するものだと思い込んでいた様で、看護士が点滴の管(最近は針ではなく、細いプラスチック管なんですね!)を外し、私が止血の為に5分間の圧迫を始めたら「○○病院の診療予約が有るけれど、今度は何日間の入院になるのかしら」とぼやいていました。
 3:48
  ワファリンを飲んでいるので念のために10分程度の圧迫を終らせて、母と二人で処置室を後にして、会計窓口へ。
  窓口は明かりは付いているけれど誰も居らず、呼び出しのチャイム類も無い。夜明け前なので、控え室らしき所に向かって少し声量を下げて声を掛けたが誰も出てこないし、返事も無い。偶々なのか警備員らしき人が待合室の椅子で休んでおり、私たち気付いて職員を呼び出してくれた。
 4:10頃
  タクシーで自宅に戻る。
  母を寝かせ、平日と同じく炊飯器のスイッチを入れ、洗濯機を回し、テレビを見ながら夜明けを待っていたが、いつの間にか寝てしまった。
 9時ごろ
  ヤマト運輸の方が、ガラス戸をたたく音に眼を覚ます。昨日、自宅で仕事を片付けようと事務所から宅急便を送ったのだけど、気持ちはそちらに向いていないので、結局仕事は片付けなかった。
 11時ごろ
  買い物をしてきて欲しいと言うので、私一人でいつものスーパーへ出かける。
  途中、父のところへ寄り、「お母さんは風邪をひいたから、病院に入院させたよ。来週は用事があって誰も来ないよ」と伝える。

2月12日(日)
 10時過ぎに「アンコでお持ちが食べたい」と言うので、今日も近くのスーパーへお買い物へ行く。アンコと切り餅は買ってきたが、当人は普通のご飯を食べるだけで、一向にお餅を食べようとしない。
 夕食も普通のご飯。その時に味噌汁を作れと言うので、減塩の味噌汁の作り方が判らないので私は拒絶。だったら若布とコンソメ顆粒でスープを作ってくれと言うので、私の口に合わせて作ったら味が薄いと文句タラタラ。
 19時にいつも楽しみに見ている番組が特番で潰れていたが、時間繰り下げが有るかもしれないと母は粘っていたが、20時近くになると諦めたようで、風呂に入ってくれた。
 ここ数日、私は昼寝布団で寝ていた為もあり、流石に体が疲れているので、自分の部屋で寝る事にしました。

なんか危なっかしい状態だけど、母は家に居ます。
今日は、会社の人間が出張だとか、家族がインフルエンザに罹患したとかで、事務所に私を含めて3名しか居ません。
君達、いつもの様に定時を過ぎたらサッサと帰れよ!




母 それ程、復活せず[パート1]

2012-02-13 09:20:07 | 日記
2月9日(木)
 最寄り駅から自宅へ電話を入れると、10コール目で母が出たので一安心。
 「オカズを幾つか買って来て。そうね・・・サラダなんか良いわね」との伝言に従い、「マカロニサラダ」「ポテトサラダ」「スパサラダ」の3種盛り合わせを購入。序に「鳥の竜田揚げ 6個入り」も購入。
 家に着くと、台所に母が立っているのが見えたので、いつもの様に日常生活を送れる程度に体力が戻ったのかと一安心。
 でも、体がふら付いており、お風呂にも入らないと言うので、念のために、今日も母屋で寝る事にし、22:00頃に就寝。利尿剤を飲んでいるせいか、母は何度もトイレに行く為に起きており、咳き込んでいる。


2月10日(金)
 結果から推測して多分2:00頃にトイレに行く母の気配を感じてウトウトしていると、母が起きた序に炊飯器のスイッチを入れに私の横を歩いてくるのに気づく。お陰で、いつもの癖で炊き上がりの時の音で目を覚ましたら2:40頃(何時もは4時に炊き上がるように予約炊飯をしている)。
 慌てて起きた私に母が逆に驚いてしまい、叱られる。4:00に起こすからと言われたので寝なおす。
4:30に起こされ、朝食の準備(今回は鍋を暖め、冷蔵庫からオカズを出し、配膳するだけ)をしながら、洗濯(この時点では洗濯機を回すだけです)・風呂掃除(取り合えず洗剤をぶち込んだだけ)を行う。朝食の準備が済んだので母に声を掛けると、「今は起きれないから後で食べる」との事。仕方なく孤食をして、風呂掃除の続きと洗濯物を干して出社。
 いつもの様に帰宅途中に最寄り駅から自宅に電話を入れると、今日は15コール目程度でやっと母が電話に出た。何も出来ないほど体調が悪いと言うので、三ツ矢サイダー3本とおかず1品だけを買って、急いで帰宅。
 家に着くと、部屋の灯りは点いていた(雨戸は1枚だけ残して閉めた状態)。直ぐにでもお風呂に入って寝るというので、空腹でお風呂に入れてはいけないのではないかと思い「晩御飯は?朝と昼は食べたの?」と問いかけると、晩御飯を食べる事を承諾(朝と昼は食べたと言っている)。食後、いつも通りに薬を飲んでいる間に私が先に風呂に入り、私が出てきた後しばらくしたら母が入浴。
 部屋でテレビを見てくつろいでいると、風呂場から母が私を呼ぶ声が微かに聞こえる。訝しながら風呂場に行くと、母がバスタブから出られないから手を貸して欲しいとの依頼。そこで脇の下に腕を差し入れたら、そうではなくバスタブの縁をつかんでいる手を掴んで欲しいと言う。そこで、手を掴むと何故か自力で立ち上がる。幾ら親子とは言え、母のヌードを見るのは道徳上不謹慎に感じるので顔を横向けていると、「もう大丈夫だから」というので、風呂場を後にする。
 いつもであれば二人して22:00からEテレで放送している『花鳥風月堂』を見てから寝るのであるが、今日は母は見ずに寝ると残念がっていた。私は申し訳ないが『花鳥風月堂』を最後まで見た上に、衛星放送でアニメを24:00まで見ていた。今日も母屋で寝る。

2月11日(土)
 1:00
  母に叩き起こされる。
  息が苦しいから入院に対応できるように支度をするように言われる。
 1:05頃
  本人が話すと言って、私に緊急通報機のボタンを押させる。
  母はかぶさるようにして通報機に話しかけているが・・・間違い様がないほどハッキリしした「緊急」ボタン(ひときわ大きく、赤系のボタン)を押したが、出てきた方は一般受付なのか、数分間の遣り取りの後に「救急ですね。看護士に代わります」との声が聞こえてきた。
  通報機先に居る看護士から「ご家族の方に代わってください」と言われたので、私が名前と続柄を述べて、母の状態を改めて説明。
 1:15頃
  サイレンが聞こえる前から表通りに出て、救急車を待つ。表通りで耳を見まして居るとさほど待たずに微かに遠くからサイレンが聞こえてきたが、住んでいる町は盆地とは言わないけれど、周りには小山があったりするので、サイレンが反響してどちらから来ているのかが判らない(結局、待っていた位置から見て左側の道から来た)。
 1:20頃
 救急車が到着。隊員の一人がポータブル心電図と思われるものを肩から提げて降りてきたので、家に案内。
 
 
※只今、勤務時間中なので、ここでいったん切ります。続きは後ほど※