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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母 父と面会

2012-06-19 10:51:26 | 日記
退院から後、土曜日(或いは日曜日)の買い物の序に父のところへ行くのを渋っていた母ですが、先週のデイサービスの日に父のところへ顔を出してくれました。

事前に希望を伝えておりましたし、デーサービスの部屋は父が入所している建屋の1階なので、簡単に2階にあがらせてくれると思ったら、「準備が出来たら呼びますね」と言われて暫らく1階の部屋で待機。
準備が出来たとのことで2階に上がると、食堂で懐メロ大会が開催中。父は一番前の列の左側(多分、食堂の入り口側)に座っていたので、母はその隣に席が用意されていたそうです。
父は母の顔をチラッと見ただけで、無視。
最初の数回はマイクが回って来ても父は断っていたのですが、何度目かからはマイクを握り締めて歌を楽しんでおり、母とは口を利こうともしなかったそうです。
父は若い頃から大工(母曰く「あれは大工ではなく鳶」)をしており、上棟式の時には喉を鳴らしていたと、その頃の父の仲間や町内の老人連中から聞いておりましたので、懐メロ大会では知っている歌が多く、楽しんでいたのだと思います。
こんな事があったため、母いわく、その時の父の態度がこ憎たらしかったそうです。

母 治療拒否?

2012-06-11 14:14:26 | 日記
前回の退院時に医師から「在宅人工呼吸療法」(夜間のみ)の指示があったことは以前書きましたが、どうも私が寝ている間にマスクを外して機械を止めているようです。

何故そう思うのかと言うと・・・本人の自白もあるのですが
 1 退院してすぐに精製水を購入したが、機械に入っている水量に余り変化が無く、母自身が精製水の継ぎ足し方法がわからないといっている。
 2 最初の2週間はノズルやマスクの洗浄を私に要求していたが、最近は要求が無いし、干している様子も無い。
 3 機械の賃料が月額1万3千円(1割負担の場合)程度だが、機械設置後に尋ねてきた看護師に約4万円(3割負担の場合)と教わった事が頭から離れないのか、「機械を稼動させなければ賃料はタダになるの」「早くこの機械をかえしましょう」と頻りに言っている。

日中も寝ている母は、退院当初は午後10時~午後11時ごろには寝てくれたのですが、最近では11時を過ぎても入浴をしようとしない。母が寝るのを確認していると私が寝不足【注】になってしまいますし、母も一人で入浴できると言っているので、私が先に寝てしまうようになってしまいました。
担当医が「通常よりも短い期間で入院している。この機械を使う事で、入院するような状態になるのを多少は伸ばせる」と言って始まった「在宅人工呼吸療法」。このまま機械を使わないと、再び水が溜まって呼吸困難による再入院となるまでにあと何日なんだろう? 

【注】
何度も書いておりますが、朝4時には起床して朝食の用意をしながら洗濯機を回し、序にお風呂の汲替え。
その後の手順は日によって多少違いますが、簡単な朝食を終了した後に部屋を軽く掃き掃除しながら洗濯機の切れるのを待つ。洗濯機が切れたら、当たり前の事ですが洗濯物を干していると、早くで5時頃にこれらが終了。食器を洗った後に簡単に洗顔・歯磨きを行って、6時近く。
会社に行くために家を出るのは6時00分~20分の間。
朝晩の通勤電車の中で寝ていることが多いのですが、やはり長年の習慣で午後10時には就寝しないと頭がボ~としてしまいます。

母 ボケ??

2012-06-06 08:06:40 | 日記
まあ~以前から見られた症状と言うか、40代のときから偶に有ったのですが・・・大げさな書き方をすると、幾つかの特定の状況下で「今日は何月何日」が認識できない事が有ります。

今朝もそれでひと悶着。

以前書きましたように、我が家の朝食は午前4時。
いつも通りに起きて母屋に行くと、部屋の明かりが煌々と照っており、冷蔵庫から漬物を取り出したり、味噌汁の入った鍋を暖めたりと、母が朝食の準備中。
更に食事後は、私が台所に食器を下げに行くと後ろについてきた、食器洗いをしてくれる。
食事前に回した洗濯機も、止まったら干してくれるというので、私は6時に目覚ましをセットして朝食後にゆっくりと二度寝。

何かの拍子で5時50分頃に目を覚まし、『チョット早いけど出掛け様』と起き上がって着替え始めたら、ベットで寝ている母が「あら!もうこんな時間なの」といって私を呼ぶ。
近寄って用件を聞くと「炊飯器のスイッチを入れておいて」との事。数年前から我が家の炊飯器は、なぜか保温にしておくとご飯がカピカピになってしまうので、食事が済むとコンセントを抜いています。
だから、私にすれば保温にしておく理由が思い浮かばないので『何で炊飯器のスイッチを入れるの!ご飯をどうしろって言うの?』と当たり前に聞き返したところ・・・

多分、皆様の予想通り「だって、ご飯食べていないでしょう」との返答。

一眠りして目を覚ました時に、眠る前と比べて1~2時間程度しか経っていないと、「さっき食べたのは夢だった」と思ってしまうのか、再び食事の用意をしようとしてしまうのです。【注】
そんな時には『1時間前に食べたよ』『おかずは○○だったでしょう』『食べながらみていたニュースで××が流れていたよね』と話しかけると、納得しているのか不明ですが、その件は最初から無かったかのように振舞い始めます。
今朝もそれで黙り込んでしまいましたが、改めて出掛ける準備をしていると部屋に違和感を感じます。
干しておいてくれるといった洗濯物が有りません。

ベットで寝ている母を起こして『干しておいてくれるといった、洗濯物はどうしたの?』とたずねると、「洗濯物が干せるわけ無いでしょう。出来るくらいなら、部屋の掃除もしているわよ」との返事。
『干しておいてくれるというから、こっちは安心して寝ていたのに』
「干すなんて一言も言っていません」
と、言った言わないの軽い口論の後、いつものように私が洗濯物を干してきました。


【注】
この症状が一番酷く出たのは、母64歳の時に行った大動脈弁置換手術で入院していた時です。
術後1週間程度だったか、集中治療室に入っていたので付き添いをしているたのですが、目を覚ますたびに「又来たの?」「今日飲む分の水をもらってきて」と、大体30分から1時間ごとに要求。
さっき寝たときから日付が変わっていないことを納得させるために、苦労いたしました。

間違っちゃった!

2012-05-17 08:18:43 | 日記
5/14(月)の朝、出かける予定時間近くになって母が「在宅人工呼吸療法」で使用しているマスクとチューブ(太いの1本。細いの2本。)【注】を軽く水洗いをして、陰干しをして欲しいと言い出す。

たしかに、先週金曜日に来た方の説明では「出来る限り、毎日陰干し。週1回は水洗い」と言っていた。また「マスクを洗う時には、分解して台所洗剤で洗うのですが・・・私共も分解したパーツを組み立てるのには大分苦労いたしますので、無理に分解する必要はありません」とも言っていた。
そこで、病院で何度か水洗いの方法を体験している母に『どこまで分解して洗うの?』と問うと、「水を張った洗い桶にそのまま入れ、適当にジャブジャブさせろ」というので、それを信じて実行。
水か滴るマスクとチューブを西側の廊下に敷いた新聞紙の上に乗せて、出社。

ところが・・・家に帰ってくると、テーブルの上に細い方のチューブ2本が載っている。
『ボケ老人が、ナニやってるの!』と思いながら近づくと、チューブの下にメモがあります。
メモはマスクの状態(簡単に書けばフィットしているのか)確認等で来られた看護師[メーカーの方]からの物。
最初は陰干しを実行している事へのお礼が書かれているが、後半は細いチューブは中に入った水がなかなか抜けないので、汚れた時を除いて洗浄しないで欲しいとの事。
改めてテーブルの上のチューブを見ると確かに水が残っています。

『酸素を通す方は確かに水が残って居たらまずいだろうとは思うけれど、蒸気を通す方は構わないだろう』と思っていると顔に出てしまったのか、母が「機械が誤認するから(多分、一定の圧力が感知されるために使用者が呼吸していないと誤認)、ダメなんだって」と理由説明。

短いチューブであれば、片側を持ってぐるぐる振り回し、遠心力で水を抜く事もできますが・・・このチューブは共に2メートル以上はある。
どうしようもないので、洗濯物を室内干しするために廊下に張っている干し紐に、チューブを中央部分あたりからぶら下げ、重力で水が落ちるか、気温上昇による蒸発による水の消失をまっ見ることにしたけれど・・・本日の朝の段階では未だ水が残っている。

【注】
太い方は蛇腹で、イメージとしては洗濯機の排水用ホースを細くした感じです。
細い方は、点滴などのチューブと同じ感じです。

母 退院[その2]

2012-05-16 12:39:20 | 日記
一昨日の続きです。

話は5/11(金)の午後に機械設置が終了した時点から始まりますが、チョット頭にきたことがおきたので、今回はそのことだけに限定して書きます。

機械の操作説明で「精製水」は自分達で用意する様にと言われたので、なじみの薬局へ。
ボルタレンがあまり効いていないので、行った序に薬剤師でも薬局のある奥さん[以降、『薬剤師』と書きます]にシップ薬の可否を聞こうと思い、病院で渡された薬一式を持参。
痛みが治まらないので、当初は自転車を漕げるのかが心配だったけれど、何事も無く到着。

精製水は在庫切れだったので発注して2本取り寄せる事にして、母の入院の経緯や私のことを薬剤師と話していると、薬局のすぐ近所に住んでいる男性(何度か顔は見ています)が来店。
近づくなり、話している私の後ろから、手に持っていた週刊誌をカウンターに投げつけてぶつくさ言い始めました。
私に対して薬剤師が「ボルタレンが強い鎮痛剤であり、これが効かないのであればモルヒネになる」とか、「適当に購入した湿布薬では、薬の相乗効果で悪影響がある。薬剤面が黄色(黄土色)になっている湿布薬(薬剤師が具体的な商品を複数提示)を使いなさい」などと説明をしていたので、男性は無視された状態だった。
そのような状態であった事がそもそもいけなかったのか、男性が「おい、こら。お前」と何度も呼びかけてくる。
私は痛みから急に振り返る事も出来ない状態もあり、薬剤師が「何なの?今、お客さんに薬の説明中だから待っていて」と返事をすると、男性は「お前だよ!返事しろ」と怒鳴り始める。
再び薬剤師が「だから今、返事したでしょう」と答えると、男性は「あんたじゃないよ、そこに立っているみすぼらしい人。聞こえないのかよ」と挑発行為。
仕方なく、ゆっくりと「回れ左」をして男性の方を見て、『すいませんね。体が痛いからすぐにはそちらを向くことができないんですよ』と謝ると、男性は「お前生活保護者だな。親子して生活保護を受けて自堕落な生活をしている」と訳の判らない事をしゃべる。
『私、働いていますよ。正社員(一応、管理職なんだけどな~)』と、やんわりと返答。
「だったらどこで働いているんだ!」と聞き返してきたので、『何で、彼方に教えなければいけないんですか』と拒絶回答。
「やっぱり答えられない。金曜の昼間にブラブラしているのに何が働いているだと?生活保護者が!」「おれは顔をみれば生活保護者を見分けられるんだぞ。謝れよ!」と、頭に乗った事を言うので、薬剤師が「この人、ご両親の面倒を見ながら働いている立派な人よ。あなた、商売の邪魔をするなら出て行って」と援護してくれる。
これで男性の不満が増したのか、「うそを言ったって調べれば判るんだからな。俺は○○警察署に知り合いが居るから覚悟しておけ」と脅し文句。
私の従兄弟の中で2名は警察官(1名は退官)だし、義理のオジは複数の刑務所所長を歴任して退官しているので、つい『あぁ~そうなの。調べたければ調べたら。従兄弟の一人は県警に勤めていたから、警察関係者だったらすぐにウチのことはわかるよ』と挑発した上に、『オジが刑務官だったからね。(根拠も無い疑いでその警察の知り合いと言う方に私達を調べると、その知り合いの方が署内で)色々と大変な事になりますよ』【注1】と余計事を言ってしまう。
すると男性は何を聞き違えたのか「お、俺の同級生が○○刑務所ではたらいているんだぞ。お前の一族がヤクザだからって怖くないからな!」「ヤクザ者が俺を脅していると言って警察に電話するぞ」と絡んでくる。
薬剤師と二人して無視していたが、声を荒げて邪魔をするので、とうとう、薬剤師が「それじゃ~電話してあげるから、あんたがお世話【注2】になっている警察の番号を教えなさいよ」といって、男性が所持する携帯電話に載っていた警察署の電話番号をコール。
警察に電話がつながり、薬剤師が1分程度状況を話した後に、男性に受話器を渡して話をさせる。
その間に、薬の再説明。
それが終わると、薬剤師が男性から受話器を取り返して、電話先の警察官に「大丈夫です。お手数をお掛け致しました」と言って電話を切る。
薬剤師は「無視していなさいよ」と言うけれど、まだ騒ぎ続けている男性に私が捨て鉢に『ごめんなさいね。何が気に食わないのか知れないけれど、彼方の気に触る何かを言った様だから、その点は謝りますよ』というと、「けっ!最初から素直に謝ればいいんだよ。ヤクザをチラつかせて脅したって無駄だと言うのが判っただろう」と言って多少は落ち着いた感じとなる。
男性が落ち着いたので薬剤師が店から追い出したら・・・運悪く車で来店して来た女性客に対して絡み始めて、女性は車から降りられない状態。
これに怒った薬剤師が「邪魔をしないで帰りなさいよ」と言いながら男性が乗って来た自転車を移動させてと、数回の文句を垂れて男性は自転車を押して道路を歩いていく。
ひと段落着いたので私も薬局を後にする事にして、道路を渡ろうと店の前でしばらく車が切れるのを待っていると、先ほどの男性が又戻ってきた。
再び文句を言われるのは面倒なので、数歩だけ店の方に後ずさりして通り過ぎるのを待っていると、「通れないだろう!」と文句。更に後ずさりして『どうぞお通り下さい』と促すと、「邪魔するな」と怒りながら、押していた自転車ごと店の中に入っていく。ここで私が再び店の中に入ると騒動が大きくなる懸念もあったので、薬剤師に『大丈夫?』と尋ねると、「心配無いから。お母さんによろしくね」と返事。そのまま店の前で車が途切れて渡れるようになるのを待っていると、男性が出てきて、「何愚図愚図しているんだよ!」と文句を言いながら、先ほどとは別の方向に消えていきました。

翌日、母を連れて薬局に行くと男性の使用している自転車が止まっているので、向かいにあるスーパーでの買い物を先に行う。
買い物を済ませて再び薬局の方を見ると自転車が消えていたので、薬局に顔を出す。
薬剤師によると
 「行政の方から男性に対して施設への入所斡旋が有ったけれど断り、色々と言われてムシャクシャしていた。そんな状態の時に読んだ週刊誌の記事(橋本大阪市長の顔写真が載っていた)に生活保護者に対する悪口が載っていたので、頭に来た箇所に赤線を引っ張っていつものように愚痴を垂れようと訪れたら」
 「あのあとも、誰彼かまわず『お前、生活保護をうけているだろう』『お前みたいなのが生活保護を受けるから、受給が減るんだ」』とイチャモンを付けていた」
との事。


【注1】
私の従兄弟(障害者)が中学生の時に、自宅近くのコンビニ(当時は酒屋兼食料品店)へ行くために道を歩いていたら、ある事件の容疑者に似ていると言う事で数名の警察官が声を掛ける。
それにびっくりした従兄弟はパニックになって、まともに返事が出来ず、走って家に戻る。
その行為で嫌疑を深めた警察官は追跡した上で、パトカーまで呼び寄せる。
家に居た叔母は息子が走って家に戻ってきた上に、玄関や窓を施錠すると言う奇行に驚いていると、玄関を荒く叩く音がする。玄関を開けると、そこに立っている警官が息子を連行すると言うので・・・これを聞いた後に叔母がとった行動が、件の刑務所所長へ電話。
偶々、その警察署の所長と刑務所所長であるオジとは幹部交流等で知っている間柄だったから、即撤収命令。
後日、警察署長を始めとする責任者約5名が、刑務所長の上京日にあわせて叔母宅を訪れ、土下座の平謝り。
その後、警察官をしている従兄弟達にもこの話が伝わり、それぞれの上司や同期を通じて再度の牽制。

【注2】
噂によると・・・この男性、薬局の斜め後ろに立っているアパート団地に住んでいる町内でも有名な迷惑人物であり、団地内の居住者による通報で警察署に連れて行かれること数知れず。警察署のほうも担当する警察官がホボ固定化しており、顔なじみ状態。
尚、どのような経緯でそうなったのか知りませんが、(当時は労働省の外部団体が管理していた)団地に入居した時には既に生活保護を受けており、入居から何年経過しているのかは知りませんが、入居してから正業に就いた事は一度も無いとの事。別れた妻子は居るが、先方は交流を拒絶。

母 退院

2012-05-14 13:01:19 | 日記
ゴールデンウイークの開始とホボ同時に再入院した母ですが、先週の金曜日に退院いたしました。
なのに気分が落ち込んでいる私は何なの?介護ウツ?

5/7(月)
 午前中に病院の看護師から会社に居る私宛に「担当医からいくつ説明があるので、本日か明日のいずれか夕方に病院に来て欲しい」との電話が入る。ゴールデンウィークを完全につぶして仕事を何とか進めていたし、鍵の心配もしなくてもなんとなく大丈夫な気がしたので『今日、うかがいます。何時にどこに行けば良いですか?』と答えると、「午後5時30分ごろに病室で待っていてください。その際に、病棟のナースステーションに声を掛けてください」との事。
 偶々、外出中の社長が午後2時に戻られたので、仕事の完成度(期限まで待っても、提出要求先から資料が出ないので、それ以上完成度は上がらない)と早退する旨を述べて、資料を渡す。
 こまごまとしたことを済ませていると午後3時半を過ぎたので、社長に改めて早退する旨を述べに行くと、早く早退するように言われてしまう。
 午後5時チョット前に病院に到着。約束よりも多少早く着いた旨を含めて、ナースステーションに声を掛けたけれど・・・なぜか病棟回診で説明がなされたのは午後7時。
 「水曜日に検査を行い、何も問題が無ければ木曜日(10日)の午前には退院」との話だったので、『木曜日は10日なので、午前中に納税を行わなければいけないので、金曜日に伸ばして欲しい』と要求すると、あっさりと認められた。また、この時、「本人は嫌がっているが、退院後も現在使用している人工呼吸器(夜間のみ使用)を在宅で使用することが再入院の予防法ですが、どうしますか?」との話し[とはいえ、ほぼ導入が決定]に対して、母は渋っていたので、医師からは当人が水曜日までに回答するということで回答保留。

5/9(水)
 この時点では原因が判らないが、朝から背中の左側が軽く痛みを感じていた。日常生活に支障は無いので普通に仕事。
 しかし、夜になると痛みが増し、横になろうとしてしゃがむのも困難。どうにか、布団に横になったけれど、傷みを感じない体位がなかなか見つからなかった。

5/10(木)
 昨日からの背中の痛みが酷くなり、体位の変化(寝返りを打つ)さえ出来ず、どうにか痛みを感じない体位をみつけて起き上がろうと力を入れると、再び背中の左側に激しい痛み。
 七転八倒しながら布団から起き上がり、出社した後、会社の近くにある掛かり付け病院(内科。曜日によって整形外科も行う)へ。偶々、木曜日は整形外科の診察日だったので見てもらうと・・・簡単に書けば「寝違え」。
 鎮痛剤[ボルタレン]と筋肉弛緩剤及び胃薬を1週間分処方される。会社に戻ってすぐに服用すると、なんとなく痛みが軽減された。しかし、この後書くように、劇的に効きはしないので気分の問題?

5/11(金)
 予定通り、本日退院。
 ボルタレンが思ったほど効かず、昨日と同じく七転八倒しながら6時に起きる。
 水曜日に母から「10時退院だから」との電話があったので、8時に家を出る。電車やバスの座席に座っていると多少は痛みが薄らぐので、片道130円余計支払いが極力歩かないで住むルートを選択して病院へ向かうことにし、9時頃に病室に到着。
 病室では既にははが着替えを済ませており、会計からの請求書待ち。病室を訪れた何人目かの看護士(とおもう)が「会計は済みましたか」と聞いてきたので、『未だ回ってこないんです』と答えると、連絡してくれたようで、程なくして会計を済ませる。
 病室を出たのが予定通り10時。木曜日の午後には従兄弟から「なかなか直接連絡がつかないからって、○○兄貴(電話をしてきた者とは別の従兄弟)から伝言。金曜日は11時に病院に迎えにいくから待っていて」との電話があったので、ロビーで待っていることに。
 11時チョッと過ぎに、待っていた従兄弟が到着。病院の場所は判るが、構内での駐車場への経路が変更になっていたり、木曜日の伝言が当人にフィードバックされて居なかったために態々、家まだ来てくれたりしていたために遅れたとの事。件の伝言を伝えると「あいつ、そういうところが抜けているからな~」と愚痴を聞く羽目に。従兄弟2名には誠に迷惑を掛けてしまいました。
 病院内のコンビニで予め購入しておいたおにぎりでお昼を済ませる。
 午後1時過ぎに、帝人の関係会社の方が院内で使っていた「在宅人工呼吸療法(酸素濃縮器を含む)」【注1】のための機械設置に来られる。ボタンを2箇所押すだけの簡単な操作なのに、その後、母はボタン操作を何度も間違い、私が正しい操作手順を数度に亙って説明することになる。何も無ければ自動停止しない酸素圧縮機【注2】を止めてしまう事に対して「この機械は自動的に酸素が止まるようになっているから、問題ない」という返事にはあきれる。

【注1】
 http://www.teijin-pharma.co.jp/zaitakuiryou/nippv/family/nippv_fam03.html
【注2】
  入院中は管を繋ぐと自動的に酸素が供給されるが、在宅で継続治療となったので、
 室内の空気から酸素を抽出・圧縮する機械を取り付けて酸素を供給。
  ということで、入院中にこの機械を母は使ったことは無い!

この後も色々ありましたが、一旦ここで終わらせます。
あぁ~この後起こったことは未だむかっ腹が立つ。
  

昨日 母から再度の電話

2012-05-03 08:19:20 | 日記
昨日の何時ごろだったか(15時前後だと思うけれど)、母からの電話が会社に入りました。

内容は「(1日に持っていった)紙おむつを使い切ったから持ってきて欲しい」との事。
家に居たときには、私が言っても1週間近く1枚の紙おむつをはき続けていたので理由を尋ねると、言われてみれば当たり前ですが、病院ではちょっとでも汚れると看護師が取り替えてしまうために使い切ってしまうとの返事。

すぐに駆けつけたいけれど、いつものごとく、本日、会社の鍵をフルセットで持っているのは私一人だけ。社長はお客様(北海道)との接待ゴルフで不在。もう一人は鍵の所持者なのに勝手に届を上司の机の上に出して休暇中。誰かに鍵を預けてしまうと連休中に会社に来て仕事を片付けることが出来ない。

そこで、連休の谷間で、出社している人数も少なく、みんな定時には帰りたがっているので、訳を話して定時をすぎたら半強制的に帰るように催促。
双方の思惑が合致した上、ヤマトさんや佐川さんの集荷も完了していたので、17:30頃に金庫室の施錠確認。次に玄関を施錠しようすると、ドコゾのねーちゃんが保冷箱を抱えて入ってくる。
これまでの例だと、この保冷箱に入って居るのはワッフルとかのスイーツ系か北海道の特産物。
「おいそがしいですよね」というから、『はい。見ての通り、もう会社は営業時間を過ぎました』と返答すると、「1分だけでも話を聞いてください」と食い下がるので、『その1分が惜しいほど私は急いでいるので帰ってください』と追い返す。

最後まで残っていた派遣社員の着替えが終わったので、17:50頃に会社の施錠を確認して急いで病院へ向かう。

18:36に乗換駅に着いたので、一旦、駅の外に出て、目星をつけていた駅前の薬局に行ったけれど、「紙おむつ」は取り扱っていなかった。そこで、いつもホームから看板だけは見えていた『スギ薬局』というところへ向かうと思いのほか大きな薬局であり、何種類もの「紙おむつ」を取り扱っていたので助かった。

なんやかんやで、18:59に病院の受付を済ませ、無事、母に「紙おむつ 大人用Mサイズ(18枚+サービス2枚)」を届ける。

面会時間終了の19:30近くに病院を後にし、家に着いたのが21:00頃。食事を作るのも面倒なので、朝作った御汁を温め、そこに冷蔵庫内の残っていたウインナーと生卵をぶち込んだ訳のわからない汁物で済ます。
数年前に母が足の骨折でホボ1年入院していたときには、こんな食生活は送らなかったのに・・・疲れているのかな~

母の怪我の状況

2012-05-02 09:04:30 | 日記
昨日、病院へ行ってきました。

6:00
5/1は会社の休業日[何故か組合は無いのにメーデーは休業日]だけど仕事が溜まっているので、スーツに着替えていつものように出勤の途に。
 昨夜、帰宅した際にポストに投函されていた回覧板を従兄弟のところへ持っていくと、顔を合わせる。頼んでいた入院保証書への記入が済んでいるということなので、お礼を言って受け取る。

11:00頃
 一人で仕事をしていると、『公衆回線』と表示される電話が入る。
 もしかしてと考えて出てみると、案の定、母であった。
 当初は、4/29の転倒でスリッパが血まみれになって使えないから、新しい物を持ってきてという内容だったので、売店で買ってくればと答えたのですが、「紙パンツ(要は大人用の紙オムツ)」も要求してきたので、仕事を適当なところで切り上げて15時ごろに行くと返事をして電話を切る。

11:40頃
 本日出社した主たる仕事は終わったので、昨日用意した宅急便を出す序にコンビニで昼食用のパンとおにぎりを購入。

12:10
 会社の施錠確認して帰宅

13:20頃
 自宅に到着。
 朝晩は1時間30分程度は要するのに、何で1時間で自宅に到着できたのかが不思議だけど、急いで「スリッパ」と「紙おむつ」をビジネスバックへ。

13:40頃
 バスの時刻表を確認すると『42分』。これに乗るのはあきらめて、次のバスを見ると『56分』なので、これに乗る。

14:40頃
 病院へ行くためのバスが出ているバスターミナルに到着。
 時刻表に書いてある7番(14:52発)のバス停で待っていると、道路の混雑で遅れていた5番バス停に到着したバスが先に病院へ向かうらしいので、列に並びなおし。乗車し、優先席(右股関節が痛いので)に腰掛けると・・・隣に座った老女が声を掛けてくる。バスの中は薄暗いので目を凝らすと叔母。

15:10頃
 病室に到着。
 縫ったのは「踝」ではなく「右ふくらはぎ」だった。
 母と叔母が話している間に、入院受付窓口に書類を提出したり、売店でゼリーや麦茶を買う

16:00頃
 叔母と二人で病室を後にする。

昨日の追加記入

2012-05-01 07:47:03 | 日記
気が急いていた為か、記入漏れをしていました。

4/25に付き添えなかった理由なのですが・・・
当社の代金支払いは、多くは次の流れ
 a 購買部門担当者が先方の請求書とチェック
    ↓ 
 b 支払い用画面にデータに入力
    ↓
 c 同部門の係長が全データの入力完了を確認[15日]
    ↓
 d 同部門の部長(就任したての課長が慣れる迄)が承認[20日]
    ↓
 e 経理が内容を再確認して、手形を発行したりする[25日]
 ※[]内は、話し合いにより決めた標準的な期限・作業日
今回、20日の日になっても何も行動をせずに帰ろうとする係長を呼び止めて状況を問うと「入力が完了しているかどうか知らない」という始末。『いつまでも確定しないと支払いが出来ないから確認しなさい』といえば、「だったら、仕方ないですね。支払わなくても構いません」と不貞腐れて、4月から購買部門の課長を兼務することになった人間と仲良く帰宅。
23日(月)に購買担当の部長へ状況を話すと、「期日までに完成できるようにお前が目を光らせておけ」「チェックが終わっている物だけ支払っておけ」と、自分達の部署の不祥事を他部署の人間に責任転嫁して、更に翌日からは休暇をかねたゴルフコンペや業者への挨拶廻りで、5月10日まで出張。
仕方ないので、担当者がチェックを終わらせたという入力原票(と先方請求書)を借りて、どうにか25日には手形の発行が出来る状態に。

母 再入院

2012-04-30 12:21:49 | 日記
またもや母が入院いたしました。

4/25(水)
 母、循環器科の診察日。私は色々と休めない状態【注】なので一人で行かせる。
 帰宅後、母が「診察が終わったら一人では薬局まで歩けない状態になり、薬局ので看護師さんに連れて行ってもらった上に、薬局にはタクシーを呼んでもらった」というので、前回の救急車搬送中に酸素を吸ったら具合が良くなったというので、楽天で購入した簡易酸素缶が本日会社に届き、鞄に入れて持って帰ってきたところだったので、吸わせて見る。あまり効果は無かった。

4/26~27
 浮腫みは生じていないが、立っていると便意が生じ、トイレに駆け込むと多少ナニが出ることは出るが、腹部の違和感がとれずになかなかトイレから出られない状態が続く[帰宅後、母の話]。
 そのために体が疲れているとの事なので、簡易酸素缶の酸素を吸わせて見る。あまり効果は無い。

4/28(土)
 会社に行く心算で居たが、部屋の掃除などを言い付かり、会社に出て仕事を片付けるのは断念。
 10:00に一人で近所のスーパーへ買い物へ行くついでに、久しぶりに父のところへ寄る。施設には15分程度の滞在。特に父の様子に変化なし。
 昼食後は不覚にも17:00まで爆睡してしまう。

4/29(日)
 朝6:00に母にたたき起こされる。「何か体が変。昨日作ってくれたお汁で良いから、オジヤを作って」というので、茶碗2杯程度の冷や飯をぶち込んで、二人で食べる。
 『今日こそは会社に』と思っていたのだけど、朝食後も母はあまり体調が良くないようなので、出かけずに様子を見ていると・・・8:00チョット前に出かける支度を始めて「気分が悪くって動けないから、緊急通報ボタンを押して」というので、面度だという気持ちもあり『当人が喋らないと、状況が伝わらないから』と言って、母本人に通報ボタンを押させる。
 機械の先に居る看護士に話しかけている母に簡易酸素缶から酸素を吸わせながら、私も機械から聞こえる問いかけに対して答えていたが、今回、『ご主人様は居ますか?』『ご主人様はどちらに出かけているのですか?』『ご主人様は付き添ってくれないのですか?』と、看護士が何でも『ご主人様』を要求するのにはあきれ返った。あんたは出来の悪いメイドか!
 8:30頃に救急車が到着。前回及び前々回とは異なり、畑仕事をしているご近所の方まで集まり、ギャラリーは10名。偶々、今回の救急隊隊長は、前回駆けつけてくけた方であり、状況を思い出してくれたので、説明が省けた。
 9:20頃に病院へ到着。
 処置中、母がトイレに行くために処置室から出てくること2回。
 ロビーでジュース等を飲んだりして所在なく待っていると、11:20頃に呼び出し。外来の担当医が居り、25日の検査時のレントゲンと比べて特に変化はないが、薬を変えてみるので入院させて様子を見るとの事。又、時間の関係で昼食は用意できないので、パンかおにぎりを買って食べさせるように指示あり。今回は水分摂取はフリーだから何でもよいとも言われた。
 病室は前回と同じ部屋番号というのも面白い。
 売店でサンドイッチとおにぎりを購入し、病室で昼食を食べさせるとすぐに帰宅。
 入院に必要な者を急いでかき集めて、家を出たのが13:40頃。病院へ行くためのバスが手で居るバスターミナルに到着したのが14:40頃。この時、ジュースを飲んで一休みしたために、14:50発のバスに乗ることが出来ず、再び病院に着いたのが15:40頃。

4/30(月)
当初の予定通り、やっと会社で仕事[税務申告書作成用資料などのチェック]。
 15時ごろに会社の電話が鳴るので、ナンバーディスプレーを見ると母が入院している地区の局番だというのがわかったので、電話に出てみる。予想通り、病院からの電話で、『昨夜、トイレに行く途中では葉が転倒し、踝を10針縫ったよ。今度来たときに傷口を確認しておいてね。』という内容だった。


ハクビシン?

2012-04-18 08:12:50 | 日記
今朝、通勤のために6時18分に家を出たのですが、表通りがやけに渋滞。
『こんな早くからなんだろう?』と訝って目で追っていくと、何かの小動物がよたよた歩いており、それを避けるために車が大きく右にハンドルを切って反対車線を通過しています。
私が利用するバス停は、その小動物が居るホボ真向かいに有るので、車の運転に対しても、その小動物に対しても、『あぶないな~』と思いながらバス停へ歩いていきました。
最初は『大きな猫』と思っていたのですが、近づいてみると、少なくとも家猫では有りません。
私のつたない記憶では、鼻に白い筋あるので『ハクビシン』【注】です。
父がまだ元気で、家でごろごろしていた頃、自宅付近には狸の親子がうろついていたとはいえ、ハクビシンがこの付近に生息しているとは聞いた事がありません。
多分、どこからか逃げてきたのが野生化したのではないかと思います。
よたよた歩いていたのは、後ろ足を怪我している為の様でしたが、どうにか脇道(その先には田んぼや小山がある)に逃げたので車に轢かれる危険性は薄れました。
後は無事に住処に戻れれば・・・

【注】これを書きながら、ネットで画像検索して確認しました。
   しっぽの形状は良く思い出せないので『アナグマ』の可能性もあります。
    http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/mammal/chibamammal/middle4.html

ベッド到着など

2012-04-16 07:54:53 | 日記
今回も父のところへは行っておりません。
2ヶ月近く放置していますね。

4/14(土)
○午前10時50分頃
 デイサービスの専門職員到着
 私は、『11時からディサービスの施設説明』と言う、ケアマネージャーや母の話から、てっきり、今日、母を施設に連れていき、デイサービスを受けさせている最中に、契約書に署名するのだと思っていたのですが、母からそれは違うと言われてしまい、半信半疑で待っていると・・・ケアマネージャーが組んでくれたデイサービスの専門職員が土砂降りの中、家に来てくれた。
 父が入所としている施設に併設[2年後には独立予定との説明がありました]しており、3年ほど前に無くなった父方の伯母【注】が利用していたので、説明は簡単に済んだはずなのに・・・専門職員の方が帰られたのは12時30分ごろ。当初の予定が11時からの1時間程度でしたから、予定を大幅にオーバー。
 この後に来るベッドの設置時刻が午後1時なので、昼食はその後にすることに。
  【注】
   単純化して親族関係を書くと父の兄嫁。
   なのですが、父とは実の従姉弟でもある。
○午後1時頃
 介護用品のレンタル業者(1名)が到着。
 ベッドの設置場所を確認すると、少し離れた所に止めていたワゴン車を家の近くまで持ってきて、ワゴン車と家を4往復して部品搬入完了。
 ベッド設置を開始する前に、レンタル契約書に関する書面2種類(契約書と口座引落)と個人情報に関する書面を私達に渡して、書類記入で別途時間を取るのを防止。
 ベッド設置完了後、使い方の説明と、書面の説明があり、全てが終わったのが午後2時チョット前。約1時間弱で設置完了。
 当然、レンタル料は当初の話の通り月額900円(介護保険による自己負担)。利用開始日を16日にしてくれたので、4月の利用代金は半額。
○午後2時
 やっと昼食。
 母が珍しくカレーが食べたいと言うので、朝から作り始めていたけれど、冷めてしまったので暖めなおし。
○午後6時30分頃
 昼食後に爆睡をしてしまい、ベッドに寝ている母に起こされる。
 カレーを再び温めなおして夕食

4/15(日)
○午前7時ごろ
 昨日のカレーの残りでカレー汁をつくり朝食。
○午前9時ごろ
 洗濯物を干し、部屋の掃き掃除も簡単に済ませて、一休みをしようとすると、母が出かける準備を開始。商品が品薄だから10時だと言ったのに・・・仕方なく以前と同じく自転車に乗せて近所のスーパーへ買物。
 家を出る前に「お父さんの所に寄る?」と尋ねると、一言の元に却下。
○午前10時ごろ
 買い物から戻ると、母が煮物などをするために台所へ立つ。
 私が会社に行っている間は自力でお粥を温めたり、冷蔵庫からジュースを取り出して飲んでいるし、雨戸も数枚程度は閉めるようになっていたので、退院当初ほどの心配は不要と思っていたが、多少は心配。
○午後0時ごろ
 母が作ってくれた煮物をおかずに、お汁は「偶にはトロコブが飲みたい」というので、昼食の用意はとても簡単に終わった。
 食べ始めの前に「アッコの番組はどのチャンネル」と呟いているので、『地デジ6チャンネルだよ』と答えて、「アッコにお任せ」を視聴しながら昼食。
 昼食後は、母はそのまま「噂の東京マガジン」を見ていたようですが、私はまたもや爆睡。
○午後3時30分
 母に起こされる。
 午前中に買ってきたプリンが食べたいとの事。『台所に立って煮物が出来るのに、今更、何を言う』と思いながら、プリンを1個持ってくると、私にも食べろということで、もう1個持ってくることに。
 当初、今日のおやつはバナナ食べたいというから買ったのに・・・バナナは夕食後に頂きました。
○午後5時
 母が楽しみにしている「大改造!!劇的ビフォーアーフター」(再放送)がBS朝日で放映されて居たので、チャンネルを合わせる。
 その際、『夜の放送(午後8時ごろから始まる方)も有るの?』と聞いてきたので、番組表を検索したら特番で放送なし。そのことを言ったのに、特番がつぶれることを期待したのか、午後9時まで放送されるのを待っていた。

母 介護用具のレンタル計画 ほか

2012-04-10 17:34:14 | 日記
昨日、帰宅すると、母がケアマネージャーから聞いた内容を説明してくれました。
 ○介護用ベッドは持参したカタログに載っていない安いやつが見つかり、『本体[標準・91cm幅]+マットレス200円+防護策2個1組50円』で、月額900円の組み合わせ(1モーター:背の角度調整のみ)と、月額1,050円の組み合わせ(2モーター:背の角度調整と高さ調整?)の2パターンが書かれたケアマネージャーからのメモ書きを見せられた。
  母は安い方で十分と言っていたが、レンタル料も安いし、2モーターの方が何かといいだろうと考えて、1,050円をレンタルする予定。
  しかし、レンタル料が安くってびっくりしました。当初、『借りた場合には1,000円程度』との話を母を通じて聞いた際には、1日当たりの値段であり、月額3万円と思っていましたよ!
 ○一緒に歩行補助具(歩行器)もレンタルする予定でしたが、母本人が『室内だったら、何とか歩けるから』と断ったとの事。このことに対して私は多少文句をつけたけれど、母の意見を尊重して、今回はレンタルすることを見送りといたしました。但し、状況を見た上で、必要となったら「キャスター付き歩行器」をレンタルすることにいたします。


夕食は残り飯で作った「炒めご飯」と味噌汁らしき汁物を作って食べさせたのですが、私の口にあわせたら汁の出汁と味噌が濃すぎたようです。まあ~どこでもあると思いますが『最初は少量だけいれ、味見をしながら味噌は追加しなさい』と言われてしまいましたが、私はこれでも薄味にしたつもりなんですけれどね~。


今週の土曜日、父の入所している施設はお花見の予定らしいです。
どこに行くのかな~と思っていましたが、そういえば、前回だったか前々回のお花見は、施設のすぐ近くの公園でしたので、多分、今回もそこだと思います。


追記 17:26
ケアマネージャーから電話が会社に入りました。
主たる目的は、ベッドの設置日とデーサービス(先ほど書きませんでしたが、土曜日の洗髪)についてで、『土曜日の10時ごろに納入・設置』『11時ごろにデーサービスの実施とその契約』と決まりました。でも、1,050円の組み合わせで納得させたはずなのに、母が900円の組み合わせで回答してて居ることが判明。ケアマネージャーの方も症状から考えて900円の組み合わせで十分との考えだったので、そのまま通しました。だったら、母も私に態々相談せずに『900円だって』と、昨夜の段階で言えばよかったのにね~。

とりあえず近況

2012-04-09 13:01:20 | 日記
3/31(土)
 昨日の爆弾低気圧により、家の中が砂埃だらけとなってしまったので、午前中は掃き掃除と拭き掃除に潰れる。
 午後3時ごろに母のところへ行く。相変わらず声が擦れており、どこか空気が漏れている感じだが、入院当初に比べればマシになっていた。その母が叔母(←この漢字を使うのであれば当たり前ですが母の妹です)に連絡してほしいと言うので、帰宅後に連絡を入れる。
 
4/1(日)
 母のところへ午後1時30分ごろに行く。病室が変わっていたので、チョット迷った。
 入れ歯入れの容器が病院からの貸与品になっていたので、院内の売店で容器を購入。病室に戻って雑談していると、昨日連絡を入れた叔母及び従兄弟数名が見舞いに来てくれた。ほかの親戚の家にも寄る用事があるということで、途中まで送ってもらうことになるが、叔母が『昼食を食べていないだろう』と気を使ってくれて、私の家の近く(と言っても、約800メートル離れている)にある「バーミアン」で遅い昼食。実は、私は既に昼食を食べていたので、これが夕食代わり。

4/2(月)
 病院(担当医?)より勤務先に電話あり。
 『たまっていた水が大方排出されたので4日(元々、循環器科の診察予約日)に検査を行い、結果が良ければ退院させるが、退院日は土曜日のほうがいいでしょう』『改めて4日の日に電話を入れたいが、何時ごろに、どこに電話をすれば連絡が付くのか』と言う内容だった。
 金曜日は会議が予定されているので、どうしても退院と言うことになれば土曜日にしてほしい旨と、4日は午後7時までは会社に居るので、それまでに電話をいただけるのであれば会社に電話を入れて欲しい旨を答えて電話を終わらせる。

4/4(水)
 約束どおり、病院(担当医?)より勤務先に電話あり。
 当初懸念したほどの症状悪化は見られず、入院前の生活レベルは遅れる程度に回復した等、いろいろと親切な説明をしてくれたが、入院当初から母が施設への入所の当てが有る【注】と言ってしまった事も影響したのか、病院の指定した日に常に私が出向けないのであれば、療養型病院とかリハビリ専門施設あるいは介護施設等への紹介は出来ないので、早々に引き取ってくれと言うことだった。
【注】退院後、母にそのことを行ったら、本人は言った覚えがないと言い張っているが、私が咳払いして注意を促しているのに気づかず、何回か医師や看護士の前で『○○さん(ケアマネージャー)がいざとなったら、いつでも施設においでって言っているから、退院したらすぐに話さないと』と喋ってしまった。

4/6(金)
 翌日の母の退院を知っている役員が、何故か私を含めた数名を銀座のクラブへ連れて行く。
 オーナーであるママが私と話しが合うだろうと横につけてくれたホステス[鉄女]の出身地が北海道だと知ると、一緒に来ていた大矢君が「北海道好きなんだ」とか「俺の子供の名前には全て王偏つけてあるんだ」と話しに割り込んできてしまい、私は蚊帳の外。私の真向かいに座っていたママは苦笑い。
 この大矢君、関東に来て10年だが、鉄道を使って自宅に帰る手段を覚えていない[最終的には東武東上線だか、例えば池袋で乗り換えであれば、単純には「山手線」「地下鉄 丸の内線」「地下鉄 有楽町線」「地下鉄 副都心線」がある]。最初は『銀座』駅で「地下鉄 丸の内線」を薦めたが、『一人では方向がわからないから嫌』、次に「有楽町」付近まで来たので、「地下鉄 有楽町線」の「銀座1丁目」駅から直通又は池袋どまりに載せようといたら『直通の本数が少ない!池袋で迷子になる』と拒否。結局、新橋付近からJR東京駅丸の内側まで歩き、再び「地下鉄 丸の内線」の「東京」駅でやっと私を解放[当人いわく、銀座に行くために降りた駅だから判る]。

4/7(土)
 母が退院なので、朝の6時から家の内外を大掃除[2回に亙る大風で砂埃がマダマダとりきれて居なかったため]やゴミ燃し・風呂掃除。
 前回は、10時過ぎに病室を追い出されていたので、9時30分には病院に着きたいと思い、8時30分台のバスに乗ることにした。バス停へ歩いている途中で幼馴染と出会い、途中までは二人して介護老人を抱えた愚痴を話し合いながらバス及び電車で移動。私は彼の目的地とは違う途中駅で降りて、別のバスに乗り換えるためにJR駅前まで徒歩で移動。
 病院には9時40分ごろに到着。ベット入院費用の計算書がないので病室でしばらく待っていたり、帰宅方法が決まらずにタクシーを呼ぶのが遅くなったりして自宅に着いたのはお昼前[土曜日で会計がお休みだったから、入院大は後日精算]。
 3把茹でたウドンでお昼ご飯を済ます。昼食後、ケアマネージャーと親戚数件に電話連絡を終わらせて、すぐ近くに住む従兄弟に退院を知らせようと思った矢先に、先方が尋ねてきた。
 この後、爆睡してしまい、目を覚ましたのは午後7時。あわててお風呂を沸かし始める。お昼に茹でたうどんがまだ半分程度残っているので、夕食もウドン。入院前に購入した杏仁豆腐をチョットだけ食べてみたいと言うので食べさせる。

4/8(日)
 朝食は昨日のウドンの残り汁でオジヤを食べさせる。
 昼食時には、台所等にあった「エノキダケ 1袋」「ジャガイモ 2玉」「長ネギ2本」「玉ねぎ (小)1玉」「白菜 4枚程度」「ベーコン 4切れ」を入れた汁(面倒になると私はいつもこれを作る)をご飯にかけたオジヤモドキを食べさせる。事前に味見をさせたが『ジャガイモの煮物』を期待していたと言われてしまった。本人が希望したので、入院前にあけたままになっているパイナップルを1切れ食べさせたが、食中りは起こさなかったので大丈夫な様である。
 夕食は切り餅を焼き、昼に作った汁にぶち込んだ物を食べさせる。夕食後、今後の屋内での生活方法を軽く話し合い、ケアマネージャーが母に提案しているベットと歩行補助具を借りたほうが良いだろうと言うことに決めた。

4/9(月)
 ケアマネージャーが母に会いに家に来る予定。
 昨夜話した内容を復唱させて家を後にしたけれど、大丈夫かな~

しばらくサボります

2012-04-02 08:17:55 | 日記
母。3/23に胸の苦しみから本人が、近所に住む甥っ子を呼び出す。
本人は拒否したが緊急入院。
胸水がたまりすぎて心不全を誘発。
担当医からは末期治療の方針確認。
意識はあるけれど、昨日の時点では、声が擦れており会話不能。

と言うことで、いろいろな意味でサボりましたし、これからもサボってしまうと思います。